酒井忠正
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酒井 忠正(さかい ただまさ、1893年(和暦??年)6月10日 - 1971年(和暦??年)2月16日)は、貴族院議員、貴族院副議長、農林大臣、勲一等瑞宝章・伯爵、中央農業会長、日本中央競馬会理事長、横綱審議委員会初代委員長、相撲博物館初代館長、雅楽頭系酒井家宗家21代当主。
人物
備後福山藩の最後の藩主だった阿部正桓の息子として生まれ、旧姫路藩主酒井家の酒井忠興の娘秋子を娶り婿養子となる。1918年(和暦??年)に京都帝国大学法学部を卒業。1923年(和暦??年)9月に貴族院議員となり、1945年(和暦??年)12月まで務める。阿部信行内閣にて農林大臣を務める。日本中央競馬会第3代理事長として、アジア競馬会議の開催を提唱し、1960年(和暦??年)に実際に開催するなど日本競馬の国際的な地位向上に努めた。頼まれると断らない人柄で、縁の薄い角界・プロレス界も賓客の礼をもってこの貴人を迎えた。
略歴
- 1893年(和暦??年)6月10日、備後福山藩最後の藩主・阿部正桓の二男として生れる。
- 1918年(和暦??年)、京都帝国大学法学部を卒業。
- 1919年(和暦??年)10月10日、家督を相続して雅楽頭系酒井家宗家21代当主となる。
- 1923年(和暦??年)9月、貴族院議員となる。
- 1939年(和暦??年)、阿部信行内閣にて農林大臣に就任。
- 1940年(和暦??年)、同大臣を退任。
- 1945年(和暦??年)12月、同議員を退任。
- 1947年(和暦??年) - 華族制度廃止で爵位を失う。
- 1954年(和暦??年)、相撲博物館・初代館長に就任。
- 1957年(和暦??年)、日本中央競馬会理事長・第3代理事長に就任。
- 1962年(和暦??年)、同理事長を退任。
- 1965年(和暦??年)、勲一等瑞宝章を受章。
- 1968年(和暦??年)、相撲博物館・館長を退任。
- 1971年(和暦??年)2月16日、死去する。
親族
- 父:阿部正桓 - 備後福山藩10代藩主
- 義父:酒井忠興 - 雅楽頭系酒井家宗家20代当主
- 義母:酒井夏子 - 公爵・三条実美の七女
- 兄:阿部正直 - 伯爵、理学博士
- 長男:酒井忠元 - 雅楽頭系酒井家宗家22代当主
- 義娘:酒井美意子 - 前田利為(旧加賀藩主16代目当主、侯爵)長女、評論家、忠元の妻
関連事項
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