東京タイムズ

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東京タイムズ(とうきょうたいむず)とは、東京都地方紙として発行されていた新聞1946年創刊。戦後勃興した新興新聞の一つ。東京都内の朝日新聞販売店に於いて販売・宅配を行っていた。1992年7月限りで休刊した。

略歴[編集]

1959年、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の開局に携わるが、ニュース提供をする事無く間もなく撤退。業績が伸びず、ロッテ資本を経て徳間書店に身売り。

徳間書店代表の徳間康快読売新聞出身であり、また講談社日刊ゲンダイが成功した事もあってか、徳間は東京タイムズ再建に尽力。一時期は、国内初のカラー新聞や、読みやすい一行13文字組みを採用するなど先駆性を発揮した。宅配は創刊当初から朝日新聞販売店に委託されていた。

その後、タブロイド判で発行したり、ローマ字の題字にするなど迷走状態に陥り、朝刊紙という事もあってか売上は低迷し、結局1992年7月限りで休刊した。

その後、関連会社の徳間インテリジェンスネットワークにて開発したFAX新聞に形態を換えた発行を試みたが契約者が増えず、ほどなく編集部門を解散した。

概要[編集]

内容的には通常の社会情勢や経済情勢などを平易に報じた記事が多い。経営が苦しくなっても、休止まで、スポーツ新聞夕刊紙(例:日刊ゲンダイ夕刊フジ)のような性風俗情報や、テレビのワイドショー的な芸能ゴシップ関連などの記事は扱わない姿勢を貫いていた。スポーツ関係では、首都大学野球連盟リーグ戦の詳細な試合結果を掲載していた。

なお、共同通信社による配信記事をそのまま用いたものが多く、徳間書店の子会社時代以降にはその傾向が特に顕著であった。このことは、当時の同社がいかに自前で原稿を作成する能力に乏しかったかを象徴的に示す事実である。もっとも、インターネットが普及した今日と違って一般読者が通信社配信の記事に直接アクセスすることが容易ではない時代であったから、通信社原稿をほぼ生に近い状態で読むことのできる東京タイムズはかえって貴重な存在でもあり、実はそれらの記事を読む目的で購読していた人々も少なくなかったとさえ言われている[1]

印刷工場[編集]

東京タイムズは、新橋の徳間書店ビルと江東区に約3000坪の印刷工場・3棟を保有していた。 1980年代以降、印刷部門は徳間事業団の関連会社として徳間プレスセンターと別法人となったが、グループの解体に伴い2001年にアサガミに親会社がかわり、アサガミプレスセンターに社名変更となった。

なお、関連会社の徳間プレスセンター時代には一時期東京地区のデイリースポーツ内外タイムス東京新聞東京中日スポーツ自由新報などの印刷を請け負っていた。アサガミ子会社となった現在も読売新聞印刷を請け負っている。

「牝馬東京タイムズ杯」[編集]

また、徳間康快は、馬主協会の会長を務め、中央競馬東京競馬場で、毎年10月に開かれる重賞レースとして「牝馬東京タイムズ杯」を冠協賛していた。1992年の休刊を受けて(レース回次は継承した上で)「府中牝馬ステークス」とレース名を改名して行っている。休刊後もJRAのデジタルデータを唯一販売する権利を持ち、共同通信経由で配信している。 ちなみに、この名前の競走で最初に勝った馬はキヨズキ(1967年)であり、最後の勝ち馬はリストレーション(1991年)である。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 『「知」のソフトウェア』立花隆講談社現代新書)