コカ・コーラ

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ファイル:Coke 003.jpg
アメリカで販売されている様々なサイズのコカ・コーラ

コカ・コーラ (Coca-Cola) は、ザ コカ・コーラ カンパニーが製造販売するコーラ飲料名称である。別称、コーク (Coke)。ともに商標登録されている(日本の商標登録番号はそれぞれ第106633号、第421178号)。

概略[編集]

ファイル:Soda bubbles macro.jpg
コカ・コーラとその中の気泡

19世紀アメリカ合衆国で発明された世界初のコーラ飲料とされる[1]ジョージア州アトランタ発祥。現在も本社はアトランタにあり、同地にある "World of Coca-Cola" という博物館には多くの観光客が訪れる。博物館では世界各国のコカ・コーラの味を比較できる。

その原液は、アメリカ合衆国で調製されて世界中に広く輸出されており、世界各地のボトリング会社によってコーンシロップ砂糖などで薄められ、更に炭酸水で割られて、瓶詰め・缶詰めされ販売される。風味はトップシークレットの香料7x柑橘系およびスパイス系のフレーバー7~8種類程度の配合によるものと言われる。 7xの成分はコカ・コーラ社のトップシークレットであり、成分を知っているのは最高幹部のみである。脱コカイン処理されたコカが成分の一部として含まれる。

7xはレモンオレンジナツメグシナモンネロリコリアンダー・(コカ)の6種(7種)をアルコールで抽出したものだと言われている。この7xとその他のフレーバーの配合レシピのことを「フォーミュラ」と呼ぶ。フォーミュラは1984年カンザス計画によって1度だけ変更されたが、抗議運動により3ヶ月で元に戻されて以降は変更されていない(コカインとカフェイン量を除く)。コカ・コーラ社のフォーミュラは非公開であるが、真偽不明の情報がしばしば出回っている。かつてそれを基にしてOpen Colaという製品が作られたが、コカ・コーラの味を完全に再現することはできなかった。

コカ・コーラの名称の由来となっているのは、コーラナッツとコカインの成分を除去したコカの葉(当時はほぼアフリカ産)を原材料に使っていたからである。ただし、どちらもコカ・コーラの主成分ではなく、コーラナッツも他のコーラ飲料と同様に風味にほとんど影響を与えない微量である[2]

歴史[編集]

自然療法とソーダ・ファウンテンからの誕生[編集]

19世紀末期のアメリカでは、医者不足から代替医療・殊に自然療法万能薬が広く庶民に多く受け入れられ、自然療法医や薬剤師は自らの治療法や薬剤の売り込みに躍起になっていた。

その一方で、1867年に人工的な炭酸水の製造法が発明されると、当時は何らかの効能があると思われていた炭酸水を客の注文に応じて調合して飲ませるソーダ・ファウンテンが薬局に併設されるようになった。こうして売り出された炭酸水には、当然薬効を謳うものも多く万能薬同様に売り込み競争が激しかった。

そんな自然療法家の一人に、ジョージア州アトランタを拠点に活動するジョン・S・ペンバートン (John Pemberton) がいた。南北戦争で負傷したペンバートンはモルヒネ中毒になっており、中毒を治すものとして当初注目され始めたコカインを使った薬用酒の開発を思いついた。この種の薬用酒には既に類似品が多く出回っていたので、ペンバートンは、ワインにコカインとコーラのエキスを調合したフレンチ・ワイン・コカを精力増強や頭痛の緩和に効果のある薬用酒として1885年から売り出した[3]

フレンチ・ワイン・コカは「ドープ(dope=麻薬)」と言う渾名で人気を博したが、やがてコカインの中毒が問題となるとともに禁酒運動の席巻によりフレンチ・ワイン・コカが売れなくなる恐れが出てきた。たまたま、うっかり炭酸水を混ぜてしまったものを風味付けのシロップとして売り出すことにして、ペンバートンのビジネスに参加した印刷業者のフランク・M・ロビンソンによってコカ・コーラと名づけられた。このコーラは1886年5月8日に発売されている[4]

エイサ・キャンドラーによる発展とボトリングの採用[編集]

ファイル:1913 Georgia Tech Blueprint Page 201.jpg
1913年のコカ・コーラの広告

ペンバートンのコカ・コーラはビジネスとして成功したものの、健康を害したペンバートンは早々とその権利をたった1ドルで売却してしまう。更に権利関係の複雑さから数年間は人から人へと権利が移り裁判で争うこともしばしばだった。

結局、コカ・コーラの権利は1888年エイサ・キャンドラー(後にアトランタ市長)の手に落ち、キャンドラーはペンバートンの息子らと共にコカ・コーラ・カンパニーを設立する。Coca-Colaのロゴ・Delicious and Refreshing(おいしく、さわやか)のキャッチコピーと一杯5セントの大量販売、更に原液のトレード・シークレットによる機密保護によってキャンドラーのコカ・コーラ・カンパニーは多くの収益を得た。

この時代において特記すべきなのは、瓶詰めの販売方式を採用したことであろう。1899年弁護士ベンジャミン・フランクリン・トーマスジョセフ・ブラウン・ホワイトヘッドは、キャンドラーに直談判してコカ・コーラの瓶詰め権利を取得。二人はそれぞれボトリング会社(親ボトラー)を創立し、その会社が更に全米各地のボトリング工場(現地ボトラー)とフランチャイズ契約することでコカ・コーラは広く全米に普及していった。ただ、最初のうちはボトリング技術の未熟から瓶が爆発する事故も頻発し、1913年に品質管理と訴訟対応のためにボトラーをボトラー協会の下に組織化することになった。そして1916年にはコーラの瓶の標準化を行った。

FDAとの紛争[編集]

1903年、アメリカ国内でのコカイン販売が禁止される。このためキャンドラーは原液の処方からコカインを取り除くことで事態に対処するが、一方で内国歳入庁との裁判闘争や類似品や商標の侵害に対する訴訟に明け暮れていた。

しかし何よりもキャンドラーを悩ませたのは、ハービー・ワシントン・ワイリー率いるアメリカ食品医薬品局 (FDA) との長きに渡る紛争なのは間違いない。FDAは、コカ・コーラに含まれているカフェインの毒性やボトリング工場の衛生の悪さを問題視し、1909年に原液を押収した上で裁判に訴えた。結局のところ(FDA側の証人の主張が余りに不適切に過ぎたため)コカ・コーラ・カンパニーは裁判に勝ったものの、原液に含有しているカフェインの量を減らさざるを得なかった。

ロバート・ウッドラフの登場[編集]

FDAとの紛争に決着がつき、第一次世界大戦下の砂糖相場の乱高下を乗り切ったが、1919年投資家アーネスト・ウッドラフがキャンドラーにコカ・コーラ・カンパニーの企業買収をもちかける。キャンドラーは多額のキャピタルゲインを得て経営から手を引き、新たにウッドラフによってデラウェア州で設立された会社が、コカ・コーラ・カンパニーの商標と事業を引き継いだ(このため公式的には1919年設立になっている)。

アーネスト・ウッドラフによる買収から4年が経った1923年、アーネストの息子のロバート・ウッドラフ (Robert W. Woodruff) が父親の反対を押し切って社長の座に就く。以後ロバートは60年以上も同社に君臨し、経営の采配を振ることになる。折りしも1920年代、禁酒法によりアルコールが販売禁止になり、ノンアルコール飲料の売れ行きが伸びた。その中でロバートは、広告に力を入れると共に瓶入りコカ・コーラの拡販にも注力、品質管理を徹底した。

またコカ・コーラが海外へ進出したのもこの頃である。コカ・コーラ本体が原液を製造・供給して、ボトラーが瓶詰めするというスタイルはここでも採用された。特にドイツでは1930年に現地法人の責任者となったマックス・カイトによって売り上げを伸ばし、ベルリンオリンピックでもコカ・コーラを提供する栄誉に与った。しかし、第二次世界大戦が勃発し原液の輸入が制限されると何とか原料を遣り繰りしながら、乳清フルーツの絞り粕を原料に新たに飲料を製造。これはファンタと名付けられて、後にコカ・コーラの世界的な商品となった。

「技術顧問」[編集]

世界大恐慌の打撃は軽微に済み禁酒法の廃止も左程業績に響かなかったものの、1930年代に入るとペプシコーラが低価格路線で販売攻勢に打って出てコカ・コーラの地盤を脅かし始めた。

が、第二次世界大戦が始まると、ロバートは以下の様に宣言し戦争への協力姿勢を示した。

我々は、軍服を着けた全ての兵士が何処で戦っていようとも、またわが社にどれだけの負担がかかろうと、5セントの瓶詰めコカ・コーラを買えるようにする。

加えてロビー活動を熱心に行い、その結果コカ・コーラは「兵士たちの士気高揚に果たす重要な役割」を持つ軍需品として認可。コカ・コーラへの砂糖の配給制も免除される特典も受けた。更に、政府の出資で世界60ヶ所にボトリング工場が建設され、そこで働くスタッフは技術顧問(TO)として軍人同様の待遇が与えられた。

当然のことながらアメリカ軍の指揮官にも、コカ・コーラは人気の的だった。中でもドワイト・D・アイゼンハワーは、1943年6月29日ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長に以下の電報を送っている。

300万本の瓶詰めコカ・コーラ、月にその倍は生産できるボトリング装置一式、洗浄機および栓を至急送られたし

マーシャルはこの電報を受けて、海外の駐留部隊に必要且つ便利な物品を充分な量入手させよと命令書を発している。

また、ソビエト連邦の指揮官だったゲオルギー・ジューコフも、コカ・コーラが大のお気に入りだった。アメリカの飲み物だと言うことが判らないように、マーク・クラーク将軍を介して無色透明のコカ・コーラを特別注文して密かに送らせている。

指揮官ばかりでなく前線で戦う兵卒にも、コカ・コーラは大人気だった。イタリア戦線ではコカ・コーラ1瓶が4,000ドルの値をつけたこともあり、ソロモン諸島の戦いでは日本の戦闘機を撃墜した褒美としてコカ・コーラ1瓶が与えられたという逸話すら残っている。更にコカ・コーラの空き瓶は、代用の電気絶縁体や(戦闘機のタイヤをパンクさせるための)"爆弾"・(非常食とする)ウミガメを捕るための武器・小便器として使われたりもした。瓶を積めるケースは郵便箱や道具箱として重宝したし、コカ・コーラで歯磨きをする兵士もいれば、恋人にコカ・コーラでを洗うのを薦めるのもいたくらいである。

極めつけは、ある技術顧問がカンヌの将校クラブでカトリック教会の神父相手にコカ・コーラで法王に祝福を受けて貰えば?と冗談交じりに話したところ、バルジの戦いで神父が聖水の代わりにコカ・コーラで洗礼を施していたのを目にしたというエピソードであろう。

資本主義の象徴[編集]

ファイル:Russian Coca-cola .JPG
キリル文字のロゴが描かれたコカ・コーラの缶
ファイル:Cocacola China.jpg
簡体字のロゴが描かれたコカ・コーラの缶

第二次世界大戦にアメリカ軍の軍需品として世界に広まったコカ・コーラは、冷戦の最中資本主義の象徴として扱われることになった。特に海外進出の際に現地でパートナーとした企業の多くが、有力者や大地主・財閥、時にはアメリカ資本の多国籍企業だったりしたことがそのイメージに拍車をかけることになった。

そのため資本主義陣営=西側への反対が、しばしばコカ・コーラへの攻撃と結びつくことも多かった。特にヨーロッパでは、マーシャル・プランに反対する左翼がコカ・コーラ排斥の先頭に立ち、時として民族資本の飲料メーカーや酒造メーカーがこれを後押しするという現象が目立った。

東側への進出でもペプシに後れを取った。ソビエト連邦への進出は1978年まで待たねばならず、アラブ・ボイコットの影響で中東でも進出が進まなかった。逆に中華人民共和国へは、1978年にアメリカ企業として初めて進出を果たし、3年間市場を独占した。

なお、中国法人の名前は『可口可楽』である。コカ・コーラの当て字を見られることが多いが、「可」という字を繰り返すことで好印象を与える効果も狙ったものであった。

カンザス計画と「ニュー・コーク」の失敗[編集]

1970年代半ば以降、ペプシがコカ・コーラとの比較広告によって売り上げを伸ばし、各種の市場調査や味覚調査でもペプシに軍配があがるなど、コカ・コーラの先行きには不安が付きまとっていた。

当時CEOだったロベルト・ゴイズエタCOOだったドン・キーオは、カンザス計画と呼ばれる秘密計画を実行。発売100周年の1986年を前にコカ・コーラの味を根本的に変えるという挙に出た。当時臨終の淵にあったロバート・ウッドラフを説得して綿密な市場調査と広告戦略を駆使、1985年4月24日ニュー・コークとして発売した。

しかし、ニューコークは消費者の不評を買い、コカ・コーラには抗議の手紙や電話が殺到する事態に。わずか2月半後の7月10日には、元のコカ・コーラをコカ・コーラ・クラシックとして再び販売せざるを得なくなっていった。

『コカ・コーラ帝国の興亡』の著者、マーク・ベンダグラストは「ニュー・コーク」の失敗を以下のようにまとめている。

ニュー・コークの大失敗の結果、元のコークは400万ドル以上にも相当する宣伝効果に浴し、その効果と比べればコカ・コーラ社の下手な広告は役立たずも同然だった。今や由緒あるコーラは復活し、再びアメリカ一の清涼飲料の地位を取り戻した。ゴイズエタとキーオは図らずも、このマーケティングの失敗を見事なビジネス上の手柄に変えたのだった。

マーク・ベンダグラスト『コカ・コーラ帝国の興亡』

コカ・コーラに関する都市伝説[編集]

コークロアを参照

日本におけるコカ・コーラのバリエーション[編集]

ファイル:CocaCola C2.jpg
コカ・コーラ C2
ファイル:DietCoke.jpg
ダイエット コカ・コーラ(北海道限定缶・2002年5月撮影 2007年4月2日より「ノーカロリー コカ・コーラ」に名称変更)

日本では、大正時代に輸入された。 以下の商品が販売されている(ただし、地域によって異なることがある)。なお、以前はパッケージに記載されていた販売者は「コカ・コーラ ナショナルビバレッジ(株)」となっていたが、事業再編に伴って、2008年12月以降に発売された製品(改良品を含む)の販売者は「コカ・コーラ カスタマーマーケティング(株)」に変更されている。

現行[編集]

過去の商品[編集]

日本におけるこれまでのコカ・コーラCM[編集]

1968年のサーフィン編までは白黒で制作されていた。1968年のテレフォン編で初めてカラー化された。

品目・出演タレント等[編集]

1962年
  • 『コカ・コーラの唄』フォー・コインズ(コーラスグループ)
    • 初めてのテレビCM「コカコーラ買ってきた(地球)」編からストップモーション・アニメーションによる「人形」編、実写による花火編、海編、山(バイキング料理)編があり、後述する1967年の加山雄三が出演したスキー編、音楽編、船編などもフォー・コインズがバックグラウンドコーラスを挿入している。
1964年
  • コカ・コーラ 井上順
    • 日本における初めてのコカ・コーラCMタレント
1967年
1969年
1975年
1976年
1977年
1979年
  • コカ・コーラ(夏のキャンペーン) 沢田研二
1982年
1983年
1985年
  • コカ・コーラ BLACK CATS
1987年
1989年
1990年
1994年
1995年
  • コカ・コーラ (夏男・夏女) 鷲野由美
  • コカ・コーラ 星野真理
  • コカ・コーラライト シェリー
1997年
  • コカ・コーラ・ライト(電話)りょう
  • コカ・コーラライト(軽い気分)りょう
1998年
  • コカ・コーラライト(ドライブインシアター)りょう
  • コカ・コーラライト(髪を切る)りょう
  • コカ・コーラライト(気分のダイエット)りょう
  • コカ・コーラライト(観覧車)りょう
1999年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
  • コカ・コーラ(つながる瞬間にコカ・コーラ) BENNIE K
  • ダイエットコカ・コーラ 「私はゼロで行く編」 真山景子
2006年
2007年
  • コカ・コーラ 「ハピネスチョイス:からかわれてる? 告白されてる? 編」 芳賀優里亜
  • ノーカロリーコカ・コーラ リア・ディゾン
  • コカ・コーラ ゼロ YONJI
2008年
2015年


2008年7月にはエイベックスより1962年より1989年までのTVコマーシャルを収録した『The Coca-cola TVCF Chronicles』(DVD)がリリースされている。これによれば1968年より1990年までマッキャンエリクソン広告代理店・1968年当時は博報堂との提携企業)の坂田耕がTVCM制作にかかわっていた。

歴代のCMソング[編集]

1962年
  • 「コカ・コーラの唄」(フォー・コインズ)
1970年
1972年
1973年
1974年
  • 「うるおいの世界・広場編」(森山良子
  • 「うるおいの世界・友達編」「うるおいの世界・サイクリング編」(かまやつひろし
  • 「うるおいの世界・街編」「うるおいの世界・山小屋編」(ビリー・バンバン
1977年
1978年
  • 「Come on in. Coke'78」(トランザム、サーカス
1979年
  • 「Come on in. Coke'79」(サーカス)
1980年
1982年
  • 「YES MY LOVE −愛はいつも−」(矢沢永吉)
1983年
1984年
1986年
  • 「太陽にPUMP! PUMP!」(EPO
1987年
1991年
  • 「さわやかになるひととき」(楠木勇有行)
1993年
  • 「Lyric Logo」(楠木勇有行)
  • 「ふたりのオルケスタ」(久保田利伸
1994年
1995年
  • 「情熱男・灼熱女(ナツオトコ・ナツオンナ)」(永岡昌憲)
1999年
2001年
  • 「波乗りジョニー」(桑田佳祐)
  • 「白い恋人達」(桑田佳祐)
2002年
  • 「可愛いミーナ」(桑田佳祐)
  • 「ROCK AND ROLL HERO」(桑田佳祐)
  • 「影法師」(桑田佳祐)
2003年
  • 「永遠のBLOODS」(KinKi Kids)
  • 「ハダシの未来」(嵐)
2005年
2006年
2007年

なお1991年以前のCMソングは「コカ・コーラCMソング集 1962-89」(ジェネオンエンタテインメント、2005年)、「コカ・コーラCMソング集Super More」(ジェネオンエンタテイメント、2006年)という2組のコンピレーション・アルバムにまとめられている。


キャッチコピー[編集]

ほとんどが日本国内で独自に考案されているが、英文コピーの中には本国アメリカでも高い評価を受けたものが多い。

  • 1959年 「スカッとさわやかコカ・コーラ」 - このコピー自体が商標登録されている(第1620406号)。
  • 1960年代「コークと呼ぼうコカ・コーラ」
  • 1970年 「Big New Life」
  • 1971年 「The Real Life」
  • 1973年 「うるおいの世界」
  • 1976年 「Come on in Coke」
  • 1980年 「Yes Coke Yes」
  • 1985年 「Coke is it!」- ニュー・コーク発売の際に世界共通のキャッチコピーとして使用。
  • 1987年 「I feel Coke」
  • 1991年 「さわやかになるひととき。」
  • 1993年 「Always Coca-Cola」
  • 1995年 「Nothing,but Coke」
  • 1999年 「Live the Moment」
  • 2000年 「Enjoy」
  • 2001年 「Life Tastes Good」
  • 2002年 「No Reason」
  • 2004年 「Special Magic」
  • 2005年 「つながる瞬間(とき)に。Coca-Cola」(提供クレジット用のキャッチとしては「人と人をうるおすコカ・コーラ」)
  • 2006年 「Coke,please! - スカッとさわやかコカ・コーラ」
  • 2007年~ 「the Coke Side of Life(Cokeのきいた人生を)」 - 世界共通のコピーを使用。

(^^)検索[編集]

コカ・コーラのTVCMの中で、CMの最後にインターネットの検索窓を模した枠のなかに「(^^)」と表示され、検索ボタンがクリックされる映像が含まれたものがある。これは、「(^^)」という文字を入力して検索するよう促しているものであった。

  • 実際大手検索サイトでは通常、記号のみの検索はできない仕様になっているが、Yahoo! JAPANでは(^^)_コカ・コーラという予測機能が働くようになっている。

「Grand Theft Auto」酷似CM[編集]

2006年に、アメリカのコカ・コーラのCMでゲームソフト「Grand Theft Auto」(GTA) のゲーム画面にそっくりのCMが放映され、その動画がYouTubeにアップされる事で日本でも視聴可能となり、GTAのコアなファンや一般視聴者に話題を呼んだ。好評を博した理由は、CMの内容があまりにもGTAとかけ離れた平和的かつフレンドリーな描写になっており、視聴者の笑いを誘った為らしい。なお、一部のシーンにはGTA的な要素(クルマのドライバーを強制的に降ろすなど)も見受けられる。このCMは2007年から日本でも、コカ・コーラ公式サイトでアメリカ放映版がそのまま視聴できた他、テレビCMでは30秒に編集され『いい人のフリ? それとも、ホントにいい人?』編として放送された。

コカ・コーラが採用されている映画館[編集]

脚注[編集]

  1. 『大事典desk』講談社、1983年
  2. ウィリアム・パウンドストーン「コカ・コーラの堅いガードをかいくぐる」『大秘密 噂・都市伝説・憶測の真相あばきます』田村義進訳、ハヤカワ文庫、2001年、pp.42-78
  3. () Coca-Cola — Our Brands [ arch. ] 2007-02-11
  4. () The Chronicle Of Coca-Cola [ arch. ] 2007-11-28

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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