中岡創一
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中岡創一 | |
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本名 | 中岡創一 |
ニックネーム | 創ちゃん |
生没年月日 | 1977年12月8日((2024-1977)+((11-12)*100+(25-8)>=0)-1歳) - |
出身地 | 日本・奈良県橿原市 |
血液型 | O型 |
身長 | 163cm |
方言 | 関西弁 |
最終学歴 | |
師匠 | |
出身 | NSC大阪校16期 |
グループ名 | ロッチ |
相方 | コカドケンタロウ |
芸風 | コント(ボケ) |
立ち位置 | 右 |
事務所 | ワタナベエンターテインメント |
活動時期 | 1996年 - |
同期 | 浅越ゴエ 高山和也など |
現在の代表番組 | |
過去の代表番組 | |
作品 | |
他の活動 | |
配偶者 | 未婚 |
親族 | |
弟子 | |
公式サイト | こんなブログでスイマセン |
受賞歴 | |
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中岡 創一(なかおか そういち、1977年12月8日 - )[1]は、日本のお笑い芸人。お笑いコンビ・ロッチのボケ、小道具担当。立ち位置は向かって右。愛称は創ちゃんなど。
大阪府藤井寺市生まれ、小学校入学時に奈良県橿原市に移る。ワタナベエンターテインメント所属。星座はいて座。身長163cm、体重63kg。
経歴
- 過去に「3児」というトリオで活動していた。3児解散後は5年ほどお笑いの活動をやめ、サラリーマンをしていた。トヨタ自動車に勤務していたことがあった[3]。その後、ギャルソンズを解散した後のコカドと出会い、再びお笑いを始めようと思うようになってロッチ結成に至ったという[4]。
人物
- 中学から高校までフィールドホッケーをやっていた。中学2年生の時に奈良県選抜の選手として選ばれた。高校はスポーツ推薦で入学。高校3年生の時にも京都府の選抜に選ばれたことがあったが、この時は辞退している。
- お笑いを一度辞めた理由は当時付き合っていた彼女との結婚の為、収入が不安定な芸人を続けるよりも普通の仕事をした方が良いと考えたからと語っている。その後彼女にプロポーズするが、あっさりと振られてしまった。因みにこの時トヨタの下請けで働けたのは父親が同じ職業であったからそのコネで就職したとも語っている(2010年11月9日放送さんま御殿出演時より)。
- 父親はマルナカ技研の社長で、ゴムメタルを歯列矯正治療に応用した新技術の開発者の一人[5]。
- 眼鏡で天然パーマ。その特徴から、『THE THREE THEATER』のオープニングコントで「ラーメンズ(の片桐仁)」といじられた。「アメトーーク」に出演した際には宮迫博之に「髪型ゴミ」、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキング初登場時にはタモリに「薄毛のロン毛」といじられる。髪型がロン毛なのは、中岡がNSCに通っていた頃、当時ロン毛だった次長課長の井上聡に憧れていたからである。ファンから髪質のせいかシャンプーを良く貰う。『爆笑レッドシアター』で「イケメン部」「仲良し4人組」に所属。
- 持ちネタは、「軽蔑・性別・僕おとこ~っ」などがある。自身がコント中に演じている、売れない俳優「十文字アキラ」の名前で月9ドラマ『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』第4話にわずかながらもエキストラとして出演した。レッドシアターでその出演シーンが放送されたとき、レギュラーメンバーや内村光良が「レギュラーの(はんにゃの)川島よりも映ってる。」とコメントした。
- 少年少女の阿部磨有香に思いを寄せている。『爆笑レッドカーペット』で本人に告白するが、見事に振られる。
- 2009年9月26日に放送された『run for money 逃走中』(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン編)で逃走成功を果たし、96万円を獲得した。
- 鼻の筋にほくろがある。メガネで隠れているが、本人は見られるのが恥ずかしいらしい。(アメトーーク・「気にしすぎ芸人」より。)
- ある時まで自分の血液型はB型だと思い込んでいた。しかし野球の試合で怪我をし、その際血液検査をしたらO型と判明した。しかし、成功しているお笑い芸人にはB型が多いという理由から、そのままB型といい続けていた。現在も所属事務所による公式プロフィールではB型となっており、あくまで「公称はB型」である[6]。
- 恋愛体質で惚れやすい。(コカド談・お笑いポポロ川島談など)
- コカドがネタを作っている際は一緒にはいる。そしてファミレスなどでネタを書いてるときに中岡は甘いものが好きなコカドのために甘いものを注文してあげる。また、コカドが甘いものが食べたいとつぶやいたときすぐ出せるようにポケットに甘いものを持ち歩く。そして「俺甘いもの持ってんで」と言うとコカドに「創一いつも甘いもの持ってんなぁ」と言われたらしい。(アメトーーク・「ネタかいてない芸人」)
- ロッチ結成前は3児というトリオでネタも書いていた。ネタのファンもなかなか多かったが地味で華が無いのが理由でスポットをあびることはなかった。3人ともブサイクで地味なため、その中でも中岡がマシという理由でビジュアル担当だったそうだ。
- ロッチ結成後に最初にネタを書いて自信満々にコカドに見せると「工場で働いてたから古い」とばっさり切られた。しかし、ボツネタを紹介すると内容は「ピザ切るやつ」というピザカッターを様々なものに見立てて出すフリップ芸のようなものだった。案外周りの反応も「面白い」との声があがった。(アメトーーク・「ネタかいてない芸人」)
- コントのオチは中岡が考えることが多い。理由はコカドが落語のような綺麗なオチをつけるのが苦手だからだという。(雑誌TVぴあ)
- 「プチ幸せ配達人」をしている。中岡曰く街で自転車が倒れていたらおこしてあげる、ゴミが落ちてたらゴミ箱に拾っていれてあげる、エレベーターにのるとき1階から乗る人が多いので1階を押してから降りる、といったささいなことをして人が小さな幸せを感じてもらうことが自分も幸せになれるという。自転車を人から借りたときも空気をいれてから返してあげる。その人が幸せを感じることに自分も幸せな気持ちになる。また、それをその人に言うことなく実践するといいそうだ。そしてその人が「空気いれてくれたの?ありがとう」と気づいて喜んでもらえたときにさらに自分も幸せを感じるのでこっそりプチ幸せ配達人をするそうだ。(ライオンのごきげんようの「やってみて」のコーナー)
- 昔からプチ幸せ人のようなことをしており、「僕が人に幸せをもらってるから僕も周りの人に小さな幸せをおすそわけした」と思い、次長課長の井上に誕生日メールを送ったり、ジャルジャル後藤の冷蔵庫の買い物に付き合い値下げの交渉をしたりして小さな幸せを配っているそうだ。この考え方と行動からプチ幸せ配達人という発想がうまれたのだろう。
- 2011年4月20日の笑っていいともに父親がゲスト出演した。その先週にやったコーナー「来週水曜日のいいとも!テレビ欄を考える!」にて同レギュラーの山口智充(現在は降板)が考えた、「誰!?ずっといるあの人誰?」という案が採用されたため、実際に次の週のいいともでオープニングから終始、おじさん(中岡の父親)が出演[7]した。当然、素人のためレギュラー陣や観客もいったい誰なのか分からず、エンディングにてネタばらしされたが、タモリも含めてスタジオ全体に驚きの声が上がった。中岡とその父を知っている相方のコカドも放送直前まで知らされなかった。
- 前述の通り、一度芸人を辞めている。父親の反対を押し切ってまで芸人になったため、辞めたことにより喜ばれると思ったが逆に父親に怒られてしまったという。それは自分でやると決めた事を中途半端に諦めてしまったからだという(中岡の父親はなんでも中途半端に辞めることを嫌っているという)。その為再び芸人を目指すことになったという。(2011年10月11日放送さんま御殿より)因みにその父親は明石家さんまにその独特のキャラのおかげでよくいじられている。
- ヘアスタイルなどからピースの又吉直樹に間違えられることも多くなったことをロンドンハーツで嘆いているがFUJIWARAの藤本敏史からは「何がピースや、お前なんて戦争やないか」と言われ有吉弘行からは「WAR(戦争)だ」といじられていた。
脚注
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- ↑ () ロッチ ワタナベエンターテインメント [ arch. ]
- ↑ 「お笑いポポロ」2009年2月号の記事より
- ↑ 2010年2月25日「はなまるマーケット」(TBSテレビ)ゲスト出演時より。
- ↑ 2009年12月5日放送『メレンゲの気持ち』(日本テレビ)に出演した時の本人の話より。
- ↑ 土曜α「意外な身内自慢部門」、フジテレビ、2011年5月28日放送
- ↑ (2010年4月17日) 【お笑い峰打ちコラム】ロッチ・中岡も”血液型詐称”。大物芸人にB型が多いワケ。 TechinsightJapan [ arch. ]
- ↑ 度々テロップに、『今日のテレビ欄の通り、「あの人誰?」と言う人が写ってます。』と表示されていた。