中村克
中村 克(なかむら まさる、1955年 - )とは、自称・元オリエンタルランドのスーパーバイザーで盗作師。
2009年にネットからネタを拾ってきただけで作ったパクリ本「最後のパレード」を出版し非難されたが、その反論のキチガイっぷりに一躍有名となった。東村山市では以前から有名なキチガイであった。
詳細については、「最後のパレード」を参照。
概略
中村 克(ナカムラ マサル) - 1955年埼玉県入間市生まれ。1974年中央大学附属高等学校卒業。1979年中央大学経済学部卒業。
旅行会社勤務後、1982年株式会社オリエンタルランドに入社。1983年の東京ディズニーランドオープン以来、約15年間現場運営の責任者として主にアトラクションやゲストサービス施設などのスーパーバイジングを担当。新任スーパーバイザーの育成及び、社員やパート、アルバイト社員の教育と指導、コスト管理など幅広い業務に従事。
1998年に同社退社後、有限会社プレーンフォークを設立。現在株式会社外部の専門家代表取締役。
東村山での活動
- 2006年 - 東村山100Mビル建設反対騒動勃発し建設賛否の住民投票を求める署名活動開始
- 署名活動の中心メンバーに入り込みディズニーランド在籍の過去をアピール
- 頼まれもしないのに署名活動マニュアルを率先して作成し配布
- しかしそのマニュアルたるや膨大な量で。かつ細かすぎる指示に誰からも相手にされず机上の空論に・・・
- その後も俺が俺がの言動がつづき。はじめは中村氏をそれなりにあてにしていたメンバーたちもしだいに中村氏を避け始める
- 自分を認めない周囲に不満を募らす中村氏は酒の席で暴走しヘイトスピーチ炸裂。あまりの醜態にまわり唖然
- 結局反対運動の中心グループから追い出され。それを根に持った中村氏は以後ネット上でグループへの攻撃を開始
- その後行われた市会議員選挙でグループの中心メンバーにいた佐藤・薄井氏が立候補し当選
- 中村氏は嫉妬に狂い二人への攻撃は烈火のごとく
- 佐藤・薄井両議員を政敵とする矢野朝木議員と利害が一致し薄井議員の辞職を求める請願をだす
- そのような一連の流れから中村氏のブログが大炎上
- 請願はあえなく却下され中村氏は誰からも相手にされなくなり。その後思い出したように誹謗中傷記事をアップしては削除。をくりかえしながらメインストリームから消えてゆく
「最後のパレード」盗用と、東村山問題について
発端は、中村克著「最後のパレード」の盗作。
有志により33話中32話がネットやOLC社内文集からのパクリ判明から始まった。盗用報道以来、ニュース速報+などで中村克の過去の悪行や、噴飯物の理論に注目が集まり出す。
さらに、中村克は見苦しいまでに自ブログや論談で自説を書き連ねたあげく、寿司屋で無銭飲食&器物損壊容疑事件を起こす。この騒動に関しては、週刊新潮(5月14日発売)138頁に掲載され、2ちゃんねるにも目撃情報らしきレスが。
そんな渦中、徐々に浮上してきたのが、中村克と東村山市議らとの奇妙な関係。
風俗ライター出身の市議を執拗に攻撃する2人の市議こそが、小会派「草の根市民クラブ」の矢野穂積・朝木直子両市議である。この両市議に加担し、対立市議や市長のブログを炎上させたのが中村克だった。
また、矢野市議が発行人の『東村山市民新聞』では、反公明党(反創価)の姿勢を強固に取り続けている。1995年の万引き事件が発端と思われる朝木直子の母・故朝木明代市議の転落死は、警察発表で「犯罪性はなく自殺の可能性が高い」と判断を下したものの草の根は創価学会による謀殺だと唱え、元副署長による名誉毀損・損害賠償訴訟に発展。
7月3日、最高裁が矢野市議の上告を不受理、草の根の明代謀殺説は敗北確定的に。草の根は右翼団体「維新政党・新風」の一部とも手を組む。
2008年9月。一団は故朝木明代氏が万引き行為をしたとされる、洋品店前で表敬訪問という名の襲撃を強行。洋品店主や警察・裁判官・ジャーナリストまでを創価だと決めつけ(洋品店主・元副署長は学会員ではない事が判明)東村山市民新聞で、反創価のアジ活動を日々続けている。
そして、矢野穂積市議の同居人が運営する「りんごっこ保育園」の闇、矢野穂積市議が実際の公共電波でゆんゆんする「多摩レイクサイドFM」の闇・・・
一冊の「幻の」ベストセラー本が生まれたことが、今まで全国に知れ渡る機会がなかった「東村山問題」にも光があたり、盗用疑惑に大きな進展がなくなった現在も、スレは話題に事欠かず存続しているのである。