桜井田部胆渟
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桜井田部 胆渟(さくらいのたべの いぬ、生年不詳-用明天皇2年(587年)7月)は、飛鳥時代の武人。姓は連(むらじ)。物部守屋の家臣。
桜井田部氏は河内国河内郡(大阪府東大阪市近辺)に起源を持つ伴造氏族。桜井田部胆渟は物部守屋が戦死した戦いにおいて、河内国餌香(えが)河原(大阪府藤井寺市国府の付近の石川のこと)で戦死した。
『日本書紀』崇峻天皇即位前(用明天皇2年=587年)7月条によれば、桜井田部胆渟は河内国餌香河の河原に横たわる数百の斬死体の一つになっていたが、彼の飼い犬は死体が収容されるまで傍らを離れなかったという。
参考文献
- 平野邦雄・瀬野精一郎編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年。