黒岩森之助
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黒岩 森之助(くろいわ もりのすけ、享和元年(1801年) - 没年不詳)は、江戸時代後期の大相撲力士。本名は不明。最高位関脇。長州藩のお抱え力士。所属は伊勢ノ海部屋[1]→柏戸部屋[2]→伊勢ノ海部屋[3]→柏戸部屋[4]→伊勢ノ海部屋[5]と変遷した。
出身地は明確に判明しておらず、上野国新田郡あるいは上野国邑楽郡(現在の群馬県館林市)、もしくは下野国那須郡(栃木県大田原市)とも言われている。初土俵は文化14年(1817年)10月場所で、藤嵐与吉の四股名で前相撲からスタートした。文政3年(1820年)10月場所、序二段のときに黒岩と改名。その後も遅々として出世できず、文政13年(1830年)3月場所に30歳でようやく入幕した。
彼の全盛期は天保年間で、天保4年(1833年)11月場所は前頭3枚目で5勝1分1預1休、同5年10月場所は小結で7勝1分2休と、いずれも土付かずの好成績を収めた。更に天保6年(1835年)小結で6勝2分2休の優秀成績となり、翌天保7年2月に関脇に昇進した。
天保11年(1840年)10月場所を最後に引退。その数年後に年寄・春日山鹿右衛門を襲名した。
長州藩お抱えの人気小兵力士だったため、彼を描いた錦絵も多く残る。
主な成績
- 通算成績:99勝42敗70休25分5預1無(27場所)
- 幕内成績:71勝30敗70休23分3預1無(21場所)
- 各段優勝:優勝相当成績3回
注釈
参考文献
- 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
- 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。