山田悠斗
山田 悠斗 野田サンダーズ No.0
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 新潟県新潟市 |
生没年月日 | 1983年8月3日((2024-1983)+((12-8)*100+(22-3)>=0)-1歳) -
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身長/体重 | 175cm/ 80kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手、外野手 |
プロ入り | |
出場期間 | -
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年俸 | |
経歴 | |
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■テンプレート ■ウィキプロジェクト |
山田 悠斗(やまだ ゆうと、1983年8月3日 - )は、新潟県新潟市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は、社会人野球の野田サンダーズに所属している。
2歳下の実弟の山田将斗も山田と同じく日本文理高等学校、野田サンダーズでプレーしている。(大学は駒澤大学。駒澤大学硬式野球部副将兼捕手として活躍。)
来歴[編集]
高校時代は1年秋から二塁を守り主軸打者として活躍。
主将を務めた3年夏は決勝戦(対十日町高戦)延長10回サヨナラで破れるなど、山田の在学中に同高校にとり1997年以来2度目の甲子園出場を果たすことは出来なかった[1]。ちなみにこの決勝戦では、大会中に投手陣に故障者が出たこともありサヨナラホームスチールを決められた時はマウンドを守っていた。
卒業後には、早稲田大学教育学部に進学。同野球部でもチームの主軸として活躍した。
大学卒業後は、新潟にUターンして高校野球の指導者になることを考えていたが、同級生の武内晋一(現:東京ヤクルトスワローズ)に勧められて、早大OBの谷沢健一が率いる千葉県のクラブチーム・YBCフェニーズのトライアウト(2005年11月12日)を受験し、合格。フェニーズで2006年の1年間プレーした。
同年秋、トライアウトを経てベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団。
2007年シーズンは、60試合に出場したものの打率.236、3本塁打、16打点と平凡な成績に終わり、同年限りでの引退・退団を示唆していた。だがシーズン後の千葉ロッテマリーンズとの交流戦ではチームでただ一人3安打を放つなど活躍し、一時は他球団での現役続行も考えた(実際、富山サンダーバーズなど他球団からも移籍オファーがあった)ものの、結局11月12日、新潟を退団した。
2008年から社会人野球に転身し、新潟市のクラブチームの野田サンダーズでプレーを続けている[2]。
年度別打撃成績[編集]
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
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2007年 | 新潟 | 2 | 60 | 195 | 20 | 46 | 5 | 5 | 3 | 70 | 16 | 1 | 2 | 1 | 18 | 2 | 20 | 2 | .236 |
通算成績 | 60 | 195 | 20 | 46 | 5 | 5 | 3 | 70 | 16 | 1 | 2 | 1 | 18 | 2 | 20 | 2 | .236 |
脚注[編集]
- ↑ 日本文理高校の2度目の甲子園出場は、山田将斗が2年生だった2002年夏の時に果たしている。
- ↑ [ttp://mainichi.jp/enta/sports/baseball/amateur/niigata/archive/news/2008/05/20080528ddlk15050017000c.html 2008年5月20日付『毎日新聞』新潟版](2009年5月6日閲覧)
関連項目[編集]