たいむ6
たいむ6(-しっくす)は1977年~1986年に放送された朝日放送の報道番組。放送時間は月曜~金曜午後6時~6時30分。後に全国ニュースを挟む形式になり6時~6時52分の放送。協力・朝日新聞社。
毎日放送の『MBSナウ』に遅れること2年、関西地方では2番目のローカルワイドニュースとして登場。 初代キャスターは当時朝日放送解説委員だった日下部吉彦(現・音楽評論家)。 1985年からは村田好夫アナウンサーが担当した。アシスタントキャスターは女性では東野正子、永井由起子、伏見晶子、黒崎京子、鳥居睦子、男性では金木賢一アナウンサー、村井守アナウンサーが出演した。
番組はスタジオの出演者の後ろ側を緑色の幕で覆い、そこに画面を当てはめるという「クロマキー」の技術を日本で初めて採用した。また番組冒頭、午後6時には大阪駅前にある大阪マルビル屋上の電光ニュースが「6時です、たいむ6。朝日放送テレビ」の文字を流し、それを本社屋上カメラ(後に中之島のお天気カメラ)が大阪の夕景と共に映し出すというタイトルが話題を呼んだ。ちなみに、このマルビルからの「6時です~」の文字はテレビ朝日系ドラマ『西部警察』パート3の大阪・神戸編で大きく映されている。
放送初日にハイジャック事件が発生し、初日から番組内容が変更され、番組冒頭、初回の挨拶などは一切無く、このニュースを伝えた(尚、裏番組の『MBSナウ』も放送初日にハイジャック事件が発生し、内容が変更された)。
番組ではその日のニュースや天気予報の他、視聴者の視点に立った柔らかい話題も数多く放送された。ベテランキャスターの日下部を囲む各キャスターは、スタジオ出演の他、様々な取材に出て体験レポートを行った。ニュースを中心にした番組であったが、これまでの堅苦しさとは違い、ニュースの見せ方をわかりやすくしようという試みを数多く行い、視聴者の反応も大きかった。
この他にもシリーズ企画として、関西在住の地方出身者に向けた「ふるさとは今」、学校を訪問する「給食拝見」など、様々な企画が放送され、ライバル番組の『MBSナウ』とは一味違った形式が話題を呼んだ。
この番組は系列局のローカルワイドニュースにも影響を与え、九州朝日放送の『KBCニュースプラザ』やテレビ朝日の『ニュースイブニング朝日』などは、この番組を参考にした部分が大きい。また「ふるさとは今」は、2004年10月に放送を開始した、朝日放送の報道ワイド番組『ムーブ!』で復活している。
1984年からは全国ニュース(『ANNニュースレーダー』)の放送開始時間が6時25分からになり、天気予報コーナーを6時45分からに移動。全国ニュースを内包する形の52分間のワイド番組となる。1986年、全国ニュースが6時開始とさらに繰り上がり、6時から1分間、大阪から挨拶。東京からのニュースを挟んで、6時20分から近畿地方のニュースを伝えるという形式になった。
1987年、全国ニュース(『ニュースシャトル』)の時間帯が19時台に移ったことで、朝日放送のローカルニュース枠の時間も見直され『ニュースウェーブABC』へと移行された。なお、番組初代のテーマ曲は「浪花のモーツァルト」ことキダ・タローが作曲した。また、スポンサーは初期は複数社だったが、後に初期から複数社の1社だった長谷川工務店(現・長谷工コーポレーション)単独に絞られた。
朝日放送ヘリコプター事故報道
1981年12月、ABCがチャーターした大阪エアウェーズ社の所有するヘリコプターが滋賀県野洲郡の琵琶湖に水没する事故が発生し、搭乗したABCのテレビカメラマンと機長、整備士の3人が全員死亡した。その当時のカメラマンの撮影映像がその後奇跡的に残り、その映像が同番組のトップニュースとして放送された。
撮影は同年12月15日に、大雪に見舞われた滋賀県高島郡の様子を空撮したもので、撮影後八尾市の八尾空港に帰還する予定だったが、その後消息を絶ち、捜索が行われたが、同年12月21日に野洲郡の琵琶湖に水没していたのが発見された。ヘリコプターは中破したものの火災は起こらなかった。しかし搭乗した3人が全員水死体で発見された。しかし、カメラマンは水没したヘリコプターからの様子もしっかりと撮影されていた。このテープは12月23日に放送されている。
また、この事故から2年半後の1984年7月、兵庫県明石市で発生した銀行強盗事件発生時、ヘリコプター取材を行った際、朝日放送のヘリが毎日放送のヘリに接触され墜落し、カメラマンと機長、整備士の3人が死亡した。中継車よりも速く、事件発生現場(上空)に向かえるという利点から、多用されていたヘリコプター取材。加えて朝日放送は、ヘリコプター中継を売りにしてきたテレビ・ラジオのワイド番組も当時多数存在していた。しかし、この事故を受けて「僅か100万円の銀行強盗事件に、ヘリを飛ばす必要があったのか」という批判の声があがった。
これを受けて、朝日放送はヘリコプター取材に関する見直しが行われ、同時に10ヶ月かけて「航空取材の手引書」を作成した。しかし一方で局内のカメラマンの中に、この航空会社への搭乗拒否が起きる事態まで引き起こした。結果として、朝日放送は大阪エアウェーズ社との契約を解除。新しいヘリコプター会社との契約を結ぶこととなった。
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・たいむ6を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |