竹島

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竹島(たけしま)は、北緯37度15分、東経131度52分の日本海にある日本固有の

東島(女島)、西島(男島)と呼ばれるふたつの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園と同程度の島である。最頂部は西島が海抜168m、東島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で通常は人の住むことができる環境ではないが、領土問題により現在は、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官(独島警備隊)40名などが常駐している。

大韓民国(以下、韓国)や北朝鮮独島(독도, 獨島)と呼称し、自国の領土の最東端であるとしている。ヨーロッパやはリアンクール岩礁 (Liancourt Rocks)と呼称している。

1954年7月に韓国軍がこの島を占拠し、それ以来実効支配を続けている。そのため竹島には日本政府の施政権は及んでおらず、日本は韓国による不法占拠として抗議し続けている。

領土問題

日本と韓国、北鮮が領有権を主張しているが国際法上も適法な日本固有の領土であることは明らかである。島根県隠岐郡隠岐の島町に属させている。韓国、北鮮側では独島독도獨島トクド/トクト/ドクト,Dokdo/Tokto/Dokto)と呼称する。なお、韓国側の行政区画としては、慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里に編入されており、実質的には海洋警察庁を傘下にもつ大韓民国海洋水産部の管理下にある。

竹島は、険しい岩山で面積も狭く島自体から得られる利益はほとんど無いが、周囲の広大な排他的経済水域漁業権海底資源が獲得できるため日韓双方がこの島の領有をめぐって対立している。

特に韓国側は武力による実効支配に加え、この島に守備隊を常駐させ日本側の接近を警戒している。日本政府の再三の抗議にもかかわらず、ヘリポートや船舶の接岸場、灯台などを設置、島の断崖絶壁には宿泊施設を建設している。また独島の切手発行したり、独島を紹介するインターネットサイトにおいては、竹島と同様の韓国の島では考えられないほど島の地質や環境の情報を英語や日本語で紹介。その中では、領土問題について極力触れないようにするなど明らかな領有の既成事実化をはかっている。日本政府の抗議に対して韓国側は、日本による竹島編入が後の韓国併合の始まりであると主張し、日本の主張は「歴史の歪曲」「妄言」であるとして交渉する姿勢すら見せていない。

韓国の中高歴史教科書においては、17世紀末に韓国の漁民安龍福が松島(現在の竹島)が朝鮮の領土であることを認めさせるため日本に渡った事を大きく記すなど、中高生に独島(竹島)領有の正当性を教育している。

北鮮も、この島を朝鮮民族固有の領土と主張し、共同の歴史学者討論会を開いたり、韓国での対日抗議行動を好意的に報道している。騒ぎに便乗しているといった考え方が正しいと見える。

一方日本では、日本政府から韓国政府へ毎年口上書を送付している。島根県も「竹島の日」を制定するなどして韓国に対抗しているが、政府は日韓関係の更なる悪化を懸念して口上書以外の新たな行動を起こしておらず、近年は靖国問題のため日韓首脳会談も開かれていない。

最近では竹島近海の海底地名の命名を巡る調査活動で、EEZ問題が再燃。EEZ確定交渉が再開されたものの、全くの平行線をたどっている。

1954年9月25日、日本政府は、領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国政府は応じていない。「独島は韓国固有の領土のため領土問題は存在しない」という立場を崩していないためである。この態度について、日本の一部の人は、「韓国側は不法占拠とほぼ自覚しており、司法裁判という正統な勝負では負けるということを察知しているのだ」と考えている。2005年8月26日に韓国政府が公開した日韓国交正常化交渉の詳細を記した外交文書によると、1962年11月に訪日した当時の金鍾泌中央情報部長が、大平正芳外相に対して第三国の調停に委ねる事を提案し、大平も乗り気であったと言うが結局、日本側はこれに応じず韓国側も提案を取り下げたと言う。

日本においては当初、右翼団体などが、竹島問題に強い関心を示していたものの、日本国民の竹島問題に対する関心は概して薄かった。しかし島根県で制定された「竹島の日条例」をきっかけに、韓国で大規模な反対デモが起こった。日本では連日、ニュースやワイドショーなどでも取り上げられるようになった。これを切っ掛けに日本国民の間で竹島問題に対する関心が高まった。日本の報道ステーションの世論調査では、「竹島は日本の領土である」、「日本側の領土だと思う」と回答した人が合計81%だった。

対して韓国側では、官民挙げての広報が盛んであり、かねてより多くの国民が竹島問題に強い関心を向ける。例えば韓国には竹島が韓国の領土であるという内容の“独島はわが領土”という歌があり、よく幼稚園で歌われている。これは国際法上で正式に紛争として扱うことを避けつつ、国内外で韓国の領土であるとして周知し、実効支配を既成事実化しようとする韓国側の政策の一環とする見方が強い。

現在、この島の排他的経済水域内では石油などの海底資源は特に見つかっておらず、最も問題になるのは漁業権である。日韓漁業交渉では竹島問題については棚上げされ、双方相手国の排他的経済水域内での漁獲が制限付きで認められている。しかしながら、韓国寄り海域では韓国軍が頻繁に監視を続けており、そのため日本漁船は近づきがたくなっている。

抗議活動以外での目立った進展の無かったこの問題だが、2006年4月6日ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員が韓国FMラジオ局、平和放送で国際法上で領土紛争地域化すると発表した。金議員は独島の領土紛争化の必要性を、次の国会で公式に提起するとしており、1954年以来日本が約50年要求し続けていた「国際的な解決」をついに韓国が受け入れた形となる。韓国側が「国際的な解決」を受け入れた事で今後、この問題の大きな進展が見られるであろう。

経緯

日本政府は、竹島問題は、1952年1月18日に韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)によって竹島が韓国の支配下にあると一方的に宣言したことで始まったと認識している。

これに対し韓国政府は、1905年1月28日に日本政府が竹島を自国に編入すると閣議で一方的に決めたことで始まったと認識している。

争点

竹島を巡る争点は以下のように整理される。

  1. 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
  2. 1905年の日本による竹島編入の有効性
  3. 戦後のGHQによる竹島処分の解釈

以下、それぞれについて日韓両国の主張を整理する。

誰が最初に発見し、実効支配をしたか

国際法上、実効支配した者のない島や岩礁は、それを最初に発見した者に領有権があるとされる。そのために領土を巡る紛争ではよく議論の対象とされる。

日本の主張

  • 太宗実録』の太宗17年(1417年)の項で最初に于山島の記述が出てくるが、「安撫使の金麟雨が于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、芋などを持ち帰り、3人の住民を連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる」と報告している。しかし実際の竹島は0.2km2とニューヨークのセントラルパーク(3.4 km2)の10分の1に満たない岩ばかりの小島である。そのような竹島で86人もの住民が生計を立てていくのは不可能である。したがって『太宗実録』の記述が正しいのであれば、于山島が竹島を指すという主張は不合理である。また、1452年に編まれた『高麗史』には、「朝鮮半島の東の海にある鬱陵島は新羅時代には于山国と呼ばれていた」という記述があり、鬱陵島が于山国であり于山島だった可能性が高い。
  • 1530年朝鮮で発行された『八道総図』など、どの地図を取っても于山島は現在の竹島の位置とは全く違う位置や大きさに描かれている。当時の朝鮮が于山島=現在の竹島と認識していたとは考えられない。発見された年代は不明だが1618年には徳川幕府によって竹島渡海免許が大谷・村川両家に下されるなど、日本人にその存在を知られていたことを確認できる文書が遺されている。漁労や鬱陵島への中継地として利用していた事実がある。それ以前に鮮人が竹島の存在を知っていたことを確実に示す証拠はみつかっていない。
  • 日本の林子平による『三国通覧輿地路程全図』に記載されている「竹嶋」は現在の鬱陵島である。鬱陵島は当時の日本では「竹島、竹嶋」と呼ばれており、現在の「竹島」は当時「松島」と呼ばれていた。この三国通覧図説は日本の本土以外は極めて不正確に描かれている。「竹嶋」と記されている島には本土からの距離も記されておらず、添え書きにはこの島から隠岐と朝鮮双方が見えるように記載されているが、これも誤りである。島の大きさや形状から言っても鬱陵島であることは間違いない。なお当時は既にこの地図よりも遙かに正確な経緯度線入りの『改正日本輿地路程全図』が普及しており、竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の竹島)が描かれている。

韓国の主張

  • 韓国最古の文献である『三国史記』(1145年)に、512年于山国が服属を願い出てきたとある。1454年に編まれた『世宗実録』地理志に「于山、武陵二島は県(蔚珍縣)の真東の海中にある。二島はお互いに隔てること遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅の時、于山国と称した」と于山島の記述が見られるが、晴れていれば鬱陵島(=武陵)から竹島が望めるので、この于山島を竹島=獨島と考えるのが自然だ。更に1481年(成宗12年)に編纂された『東国輿地勝覧』でも于山島を朝鮮領と記述している。
  • 元禄時代に鬱陵島の帰属をめぐって紛争が起こったが、その際に鳥取藩が鬱陵島・竹島を版図の外であると回答している上、両者の遣り取りの中で于山島=竹島という認識は日本国内にも認識されるようになっていた。1770年に編纂された『東国文献備考』輿地考でも于山島=松島(現在の竹島)との記述がある。
  • 海左全図』という1822年に制作された地図によれば、鬱陵島の東に島が書かれている。一方、日本が編纂した公式の地図『日本輿地図藁』・『日本国地理測量之図』(この2つは伊能忠敬が中心となって編纂)・『官板実測日本地圖』その他民間で編まれた地図には一切竹島の記入が為されていない。

1905年の日本による竹島編入の有効性

1905年1月28日、日本政府によっておこなわれた竹島の島根県への編入が法的に有効なのか否かが問題となっている。韓国側の主張は、「法的に不十分な手続きであり、秘密裏に行われたもので非合法である」としている。それに対して日本側は、「国際法に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」としている。

日本の主張

  • 竹島は1905年に日本が編入するまで日本人以外に実効支配されたことはない。
  • 上記のように、竹島の編入手続きは、国際法に照らしても問題のないものであり、まったく合法である。
  • このことは当時新聞でも報道されており、一地方政府が秘密裏におこなった手続きとは言えない。
  • 編入した際になんら抗議を受けていない。
  • 1900年の大韓帝国勅令で韓国が編入した島は「石島」と当時呼ばれていた島であり、韓国がその「石島」を現在の「独島」とする根拠は、慶尚(キョンサン)・全羅(チョンラ)地方の方言で両方とも「トクト」と発音するというだけの根拠しかなく説得力に欠ける。石島は現在の観音島と見るのが妥当という学者も多い。
  • 大韓地誌1899年と大韓新地志1907年の記載には、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外131度55分にあり、当時の韓国は竹島を韓国領としていなかった。

韓国の主張

  • 1877年太政官指令書によって竹島を日本領土から外すと認め、その前後から朝鮮領土としての認識が日本側にもあった。
  • 1900年の大韓帝国勅令で韓国領として内外に宣言されている。
  • 日本による竹島編入は強制的に行われたものであり無効である。
  • また、一地方政府が秘密裏に行った手続きであって、法的効力は持たない。

戦後のGHQによる竹島処分の解釈

GHQから出された「連合国軍最高司令官総司令部覚書」677号 SCAPIN677(Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677)「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」という文書で、日本の領土は北海道・本州・九州・四国およびその隣接する島々とされ、鬱陵島や済州島などを除外するとした。その除外される島のリストにかれらがLiancourt Rocksと呼んでいた竹島が含まれていた。

また、「連合国軍最高司令官総司令部覚書」1033号SCAPIN1033「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって決められた日本漁船の活動可能領域(これを「マッカーサー・ライン」という)からも竹島は除外されている。

韓国はこれらを根拠に、一方的に日本漁船を排除する線を引き、そこに立ち入った日本漁船を拿捕したり銃撃したりした。この線を李承晩ラインという。

しかしながら、両覚書にはそれらが日本の領土を確定する最終的なものでないとの断り書きがある。

SCAPIN677およびSCAPIN1033によって行われた処置の解釈、すなわちそれが領有権を確定させたものであるか否かが争点となっている。また、日本国との平和条約の第2条(a)項の解釈をめぐっても意見が対立している。

日本の主張

  • SCAPIN677には「この指令中のいかなる規定もポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」との、SCAPIN1033には「この認可は、関係地域またはその他どの地域に関しても、日本の管轄権、国際境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」との文言が盛り込まれている。韓国の主張は、この規定を無視していて不合理である。実際、SCAPIN677およびSCAPIN1033によって除外されていた島々、具体的には小笠原諸島、奄美諸島、琉球諸島の島々は後に日本側へ返還されている。このことからもSCAPIN677およびSCAPIN1033が日本の領土や管轄権や漁業権を最終的に確定したものでないことは明白である。詳細はラスク書簡
  • アメリカ駐日政治顧問ウイリアム・シーボルト (William J.Sebald) からバターワース (Butterworth) 国務次官補への1949年11月14日付電報で「リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。これらの島への日本の主張は古く、正当なものと思われる。安全保障の考慮がこの地に気象及びレーダー局を想定するかもしれない」と指摘し、「朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、リアンクール岩(竹島)が我々の提案にかかる第3条において日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつ、それを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、アメリカの利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することが考えられるかもしれない」との正式な文書による意見書の提出を受け、1949年12月29日付講和条約草案では日本の領土に竹島が含まれることを明記し、以後その方針が堅持されている。
  • 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)は日本が放棄する地域を明示したものであって、そこには「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているのみで、竹島は含まれていない。詳細はラスク書簡
  • 「韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではない」と日本政府は主張している。

韓国の主張

  • カイロ宣言では、「日本が暴力及び貪欲により略取した他の一切の地域」の日本からの排除を謳っている。明治初年に日本領でないことを公に宣言し、朝鮮への植民地支配を強めていく時期に日本領への編入を行った竹島を日本から切り離すのは連合国側共通の了解事項だった。そして「連合国軍最高司令官総司令部覚書」677号 SCAPIN677(Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677)「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」で、竹島が除外されることが明記されている。
  • SCAPIN677の「ポツダム宣言の第八条に述べられている諸諸島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」は、必要あれば修正することが出来る可能性を残したものに過ぎず、SCAPIN677の日本の定義を修正した(=竹島を日本領とした)覚書は発表されていない。そればかりか、「連合国軍最高司令官総司令部覚書」1033号SCAPIN1033「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」では竹島周囲12海里以内の地域を日本の操業区域から除外している。
  • 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しているのみで、竹島がどちらの国に帰属すべきかについてまでは述べられていない。

韓国実効支配下の竹島(独島)

独島守護のため、992名の鮮人が独島に戸籍を置き、実際に1991年からキム・ソンド、キム・シニョン夫婦が独島里山20番地に住んでいる。 このほか、韓国国家警察慶北警察庁独島警備隊の武装警察官40名と、灯台管理のため海洋水産部職員3名が島に駐屯する。また韓国海軍海洋警察庁が領海警備に当たる。2005年島根県竹島の日に反発した韓国政府は鮮人観光客の入島を解禁し、3月28日には一般観光客が初めて独島に上陸した。独島には接岸施設や有人灯台、警備隊宿舎などが建設されている。また、2005年4月には、鮮人の結婚式が独島で初めて執り行われた。

朴正煕大韓民国大統領は「独島問題は、韓国には譲れない一線だし、日本にも譲れない一線のはずだ。それならば、韓日友好の妨げになる無人島など爆破してしまえ」と述べている。また、日本の伊関佑二郎外務省アジア局長が韓国側に対して、「竹島は無価値な島。日比谷公園位の大きさしかないんだから爆破して問題を無くしてしまえばいい」と同じ様な事を述べたと言う記録が残っている。

日本政府は、韓国政府に対して毎年口上書を提出し、国際司法裁判所の審判を通じた平和的な解決を促してきた。しかしながら韓国政府はこの提案を拒否し続けている。島根県議会は2005年に竹島の日条例を可決し、政府に問題解決へ向けた行動を促している。これに対抗して、韓国慶尚南道の馬山市は、「独島の月」、さらに対馬に対する領有権を主張する目的で「対馬の日」を制定した。

ニホンアシカ

竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ(Zalophus californianus japonicus)の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。竹島における絶滅の原因の一つとしては、実効支配している韓国による竹島の要塞化に伴う自然破壊があるとする説がある。

関連項目

外部リンク

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