鳥人間コンテスト選手権大会
鳥人間コンテスト選手権大会(とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY)とは読売テレビ(ytv)主催による人力飛行機の滞空距離を競う競技会である。
目次
概要
参加団体や関係者からはしばしば省略して鳥コンとも呼ばれる。『全国高等学校クイズ選手権』、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』と共に日テレ系列の夏の風物詩であり、長寿番組となっている。
1977年に第1回が開催された。以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖(会場は松原水泳場)を舞台に開催され、同市内にある松原水泳場(1980年~)を会場としている。その模様はytv(読売テレビ)制作・日本テレビ系列全国ネットで特別番組として放送されている。
当初は『びっくり日本新記録』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。なお第1回は「鳥人間コンテスト日本大会」、第2~4回は「鳥人間コンテスト世界大会」というタイトルだった。なお『鳥人間』はytvの登録商標である。
鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に」
「事故後はほとんど体が動かず、いっそのこと死んでしまおうと思うほどの日々でした。でも、どうせ死ぬならと思い、九州から東京に出てきたんです……」
と語るのは、川畑明菜さん(26)。2007年7月29日、読売テレビ主催の『第31回鳥人間コンテスト』に出場した彼女は、人力飛行機で滑走中に左主翼が折れ曲がり約10メートルの高さから落下。その衝撃が原因で『脳脊髄液減少症』という後遺症を患うことになった。
脳脊髄液減少症とは、脳脊髄液が漏れてしまうことが原因で頭痛やめまいや耳鳴りなどの症状が起こる疾患。川畑さんの場合は、日常生活もままならないほどで地獄のような6年間を過ごしてきたという。そんな彼女は2013年4月、読売テレビと当時籍を置いていた九州工業大学、人力飛行機を制作したサークルの顧問、リーダーや設計責任者や政策責任者などの幹部学生らを相手取り、4305万8800円の支払いを求める裁判を起こした。
第一回口頭弁論は6月14日に行われた。
「裁判になってしまったのは非常に残念です。ただ提訴の期限が迫っていたため、決意しました。訴える前には、テレビ局の方ともお会いしました。しかし『裁判をするとお互いのためにならないよ』などと言うばかり。今後の安全対策についてなど、私が満足するの話し合いはできませんでした。私は、なぜこんな事故が起きてしまったのかを知りたかった。それに今後、二度と同じことが起こらないようにしたいと思ったんです」
彼女が出場した『鳥人間コンテスト』は読売テレビが1977年から始めたもので、人力飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会。川畑さんは九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加。人力飛行機の製作は約1年前から準備されていたが彼女は操縦士として1日40~80キロを自転車で走るなどの別メニューをこなしていたという。
「今考えれば、とても人を乗せて飛ばせる機体ではなかったのでしょう。大会に間に合わせるために十分な飛行試験も行われず、荷重試験もできていませんでしたから……。事故直後は『あっ、飛んだのかな』と思った瞬間、機体から放り出されました。湖面に落ちたとき、全身に激痛が走ったのを覚えています」
ルール
大会のルールは毎回少しずつ改定されている。毎年公式ルールブックが発行されており、その年のルールに従って大会が行われる。発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などが詳細に定められている。
大会に出場する機体は、書類審査によって決定される。しかしその審査方法や基準等は不明瞭であり、明らかに飛行出来そうにない機体が平気で出場することがある。また、まともな機体を設計しているにもかかわらず長期間にわたり落選が続くこともある。
なお、危険な飛行と審査員が判断した場合は飛行距離に関係なく失格となる。
初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。
従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部のサークル・航空研究会のMöwe20(メーヴェ20)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)を出した。この際の経緯は以下の通り。
- まず東北大(この年3位)が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。
- 本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。
- 本人たちは橋を潜ろうとしていたが、無理矢理着水させるよう指示が出た。
- 本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水。
- その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。
このように明らかに問題のある進路設定になってしまったため、翌年の第28回(2004年)からはルールが変更され18kmで折り返しすると決められた。大音響のサイレンが鳴るとパイロットに折り返しせよと号令される(これにより最大・往復で36kmが期待出来る)。
大会の競技部門
人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。
- 第1回:競技部門(飛距離を競う)のみ
- 第2~9回:競技部門、コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う)
- 第10~11回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー(第11回は中止)
- 第12~14回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門
- 第15~18回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
- 第19~20回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門
- 第21~23回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門(飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う)
- 第24回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
- 第25~27回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門(第25回は参考競技)
- 第28~29回:滑空機部門(フォーミュラクラス / オープンクラス)、人力プロペラ機部門
- 第30回~:滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門
※第28回(2004年)から滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」とそれがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。
※人力ヘリコプター部門については、プラットフォームから安全な離陸ができない恐れも考慮し、第27回(2003年)をもって一旦廃止された。
※人力プロペラ機部門では第27回(2003年)で30km以上の限界点を達した為、第29回(2005年)からは18km地点での折り返しが導入され最大36kmのビッグフライトが期待される。当初は前年の第28回(2004年)でのルール変更の予定だったが天候不良により競技不成立だったので、事実上この回からのルール変更となる。
※人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコースをフライトするのにかかった時間を競うもので、上記の点で大会新記録が到底不可能を理由により第30回(2006年)において初めて実施された。
司会者・リポーター
- 司会者
- 桂三枝
- 長嶋一茂
- 堀江しのぶ:第11回(1987年)
- 宇江佐りえ:第12回(1988年)
- 冴木杏奈:第13回(1989年)
- 大沢逸美:第14回(1990年)
- 篠原涼子:第19回(1995年)
- 佐藤藍子:第21回(1997年)
- 山田まりや:第22回(1998年)
- 辺見えみり:第23回(1999年)
- 菊川怜:第24回(2000年)
- 上原多香子・佐藤江梨子:第25回(2001年)
- 今田耕司:第26~31回(2002~2007年)
- 後藤理沙・山川恵里佳:第26回(2002年)
- 乙葉・藤崎奈々子:第27回(2003年)
- 石川亜沙美:第28回(2004年)
- ユンソナ:第29回(2005年)
- 安めぐみ・長谷川理恵:第30回(2006年)
- 東原亜希:第31回(2007年)
- 東野幸治・藤井隆:第32回(2008年)
- 加藤夏希:第32回(2008年)
- 実況・解説・ナレーター・リポーター
- 三浦隆志(読売テレビアナウンサー)
- 脇浜紀子(読売テレビアナウンサー)
- 森若佐紀子(読売テレビアナウンサー)
- 荻原次晴
- 志生野温夫
- 中元綾子(当時:読売テレビアナウンサー)
- 川田裕美(読売テレビアナウンサー)
- 東昭(東京大学名誉教授、航空機事故調査委員会委員長)
- 木村秀政(東京大学名誉教授)
歴史
- 1977年 第1回を開催(近江八幡市・宮ヶ浜水泳場)、『びっくり日本新記録』内で放送
- 1980年 会場を彦根市・松原水泳場に移す
- 1986年 滑空機部門と人力プロペラ機部門を分離
- 1988年 強風のため人力プロペラ機部門が中止
- 1989年 人力プロペラ機部門が中止
- 1990年 強風のため滑空機部門が中止
- 1997年 台風直撃のため初の競技全面中止
- 1998年 2日間開催に移行
- 2004年 人力プロペラ機部門が天候不良のため競技不成立(事実上中止)
放送日・開催日
回数 | 放送日 | 開催日 |
---|---|---|
第1回 | 1977年8月7日、14日[1] | 1977年7月2日 |
第2回 | 1978年9月7日 | 1978年7月21日 |
第3回 | 1979年9月1日 | 1979年7月20日 |
第4回 | 1980年8月9日 | 1980年7月19日 |
第5回 | 1981年9月3日 | 1981年8月8日 |
第6回 | 1982年9月23日 | 1982年8月7日 |
第7回 | 1983年月日 | 1983年8月6日 |
第8回 | 1984年月日 | 1984年8月4日 |
第9回 | 1985年月日 | 1985年8月3日 |
第10回 | 1986年月日 | 1986年8月2日 |
第11回 | 1987年月日 | 1987年8月1日 |
第12回 | 1988年月日 | 1988年7月30日 |
第13回 | 1989年月日 | 1989年7月29日 |
第14回 | 1990年月日 | 1990年8月4日 |
第15回 | 1991年月日 | 1991年8月3日 |
第16回 | 1992年月日 | 1992年8月1日 |
第17回 | 1993年月日 | 1993年7月31日 |
第18回 | 1994年8月6日 | 1994年7月30日 |
第19回 | 1995年8月5日 | 1995年7月29日 |
第20回 | 1996年8月3日 | 1996年7月27日 |
第21回 | (1997年8月2日) | (1997年7月26日) |
第22回 | 1998年9月5日 | 1998年7月31日~8月1日 |
第23回 | 1999年8月28日 | 1999年7月30日~31日 |
第24回 | 2000年8月12日 | 2000年7月28日~29日 |
第25回 | 2001年8月4日 | 2001年7月27日~28日 |
第26回 | 2002年8月31日 | 2002年7月27日~28日 |
第27回 | 2003年9月6日 | 2003年7月26日~27日 |
第28回 | 2004年8月28日 | 2004年7月31日~8月1日 |
第29回 | 2005年9月19日 | 2005年7月16日~17日 |
第30回 | 2006年9月22日 | 2006年7月22日~23日 |
第31回 | 2007年9月6日[2] | 2007年7月28日~29日 |
第32回 | 2008年9月15日 | 2008年7月26日~27日 |
※放送日は日本テレビでの放送日を示す。第21回は台風9号直撃のため大会史上初の全面中止となり、放送当日は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。
各大会の優勝者・記録
※各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。
滑空機部門オープンクラス
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第1回 | 1977年7月2日 | 82.44m | 岡良樹(東京ハングライダークラブ) | |
第2回 | 1978年7月21日 | 79.78m | 大平英二(ニューウィングス) | |
第3回 | 1979年7月20日 | 88.53m | 島根俊夫(TOA鳥人間の会) | |
第4回 | 1980年7月19日 | 101.60m | 鈴木正人(日大駿河台航空研究会) | |
第5回 | 1981年8月8日 | 95.83m | 菊池守男(車山ハンググライディング) | |
第6回 | 1982年8月7日 | 144.00m | 村山智彦(日本大学理工学部航空研究会) | |
第7回 | 1983年8月6日 | 162.62m | 岡崎利彦(日本フライングクラブ) | |
第8回 | 1984年8月4日 | 163.03m | 楠正彰 | |
第9回 | 1985年8月3日 | 290.45m | 石本豪(豊田飛行愛好会) | |
第10回 | 1986年8月2日 | 158.38m | 柴野敏彦(POINT ONE MILE) | |
第11回 | 1987年8月1日 | 176.71m | 木島明良(茂原市フリーフライト) | |
第12回 | 1988年7月30日 | 261.90m | 糸谷浩(西富士友の会) | |
第13回 | 1989年7月29日 | 205.10m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
第14回 | (1990年8月4日) | 記録なし | 台風の影響による強風のため中止 | |
第15回 | 1991年8月3日 | 318.75m | 木島明良(フリーフライト) | |
第16回 | 1992年8月1日 | 232.08m | 中村克(チームエアロセプシー) | |
第17回 | 1993年7月31日 | 248.31m | 栗野けんじ(東京都立大学人力飛行機研究会) | |
第18回 | 1994年7月30日 | 329.83m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
第19回 | 1995年7月29日 | 274.72m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
第20回 | 1996年7月27日 | 300.36m | 佐々木正司(TOA鳥人間の会) | |
第21回 | (1997年7月26日) | 記録なし | 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止 | |
第22回 | 1998年7月31日~8月1日 | 364.08m | 福森啓太(チームハマハマ) | |
第23回 | 1999年7月30日~31日 | 345.92m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第24回 | 2000年7月28日~29日 | 256.53m | 雨宮健一(夜鳥の会) | |
第25回 | 2001年7月27日~28日 | 417.49m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第26回 | 2002年7月27日~28日 | 414.33m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第27回 | 2003年7月26日~27日 | 420.48m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第28回 | 2004年7月31日 | 173.26m | 阿知波哲史(チームTINKER) | |
第29回 | 2005年7月16日 | 370.80m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第30回 | 2006年7月22日 | 258.21m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第31回 | 2007年7月28日 | 483.47m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) | |
第32回 | 2008年7月26日 | 377.98m | 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ) |
- タイトル:第1~27回 「滑空機部門」
滑空機部門フォーミュラクラス
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第28回 | 2004年7月31日~8月1日 | 30.79m | 漆山雅史(TEAMフライング朱鷺) | |
第29回 | 2005年7月16日 | 50.77m | 谷川英樹(創価大学鳥人間研究会) | |
第30回 | 2006年7月22日 | 157.37m | 竹内彰(創価大学鳥人間研究会) | |
第31回 | 2007年7月28日 | 151.31m | 瀬戸うらら(Team Ocean Man) | |
第32回 | 2008年7月26日 | 140.57m | 石原直人(大阪工業大学体育会航空部) |
人力プロペラ機ディスタンス部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第10回 | 1986年8月2日 | 512.20m | 田中紀彦(Team Aeroscepsy) | |
第11回 | 1987年8月1日 | 435.56m | 上田稔(日本大学理工学部航空研究会) | |
第12回 | (1988年7月30日) | 記録なし | 午後から強風のため中止 | |
第13回 | (1989年7月29日) | 記録なし | 台風の影響による強風のため中止 | |
第14回 | 1990年8月4日 | 1810.54m | 小林稔(日本大学理工学部航空研究会) | |
第15回 | 1991年8月3日 | 500.20m | 阪本佳久(日本大学理工学部航空研究会) | |
第16回 | 1992年8月1日 | 2019.65m | 中山浩典(チームエアロセプシー) | |
第17回 | 1993年7月31日 | 2180.78m | 野呂元紀(日本大学理工学部航空研究会) | |
第18回 | 1994年7月30日 | 2371.65m | 宮脇康成(日本大学理工学部航空研究会 日大バードマンOBチーム) | |
第19回 | 1995年7月29日 | 8764.00m | 中山浩典(チームエアロセプシー) | |
第20回 | 1996年7月27日 | 9761.56m | 中尾誠(大阪府立大学堺風車の会) | |
第21回 | (1997年7月26日) | 記録なし | 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止 | |
第22回 | 1998年8月1日 | 23688.24m | 中山浩典(チームエアロセプシー) | 大会初の琵琶湖横断に成功 |
第23回 | 1999年7月31日 | 4913.46m | 大倉彰浩(大阪府立大学堺風車の会) | |
第24回 | 2000年7月28日 | 7945.85m | 嘉藤伸一(大阪府立大学堺風車の会) | |
第25回 | 2001年7月28日 | 3823.70m | 成相健太郎(東京工業大学Meister) | |
第26回 | 2002年7月28日 | 6201.74m | 梶原聖太(東京工業大学Meister) | |
第27回 | 2003年7月27日 | 34654.10m | 平綿甲斐(日本大学理工学部航空研究会) | 琵琶湖大橋まで到達 |
第28回 | 2004年8月1日 | 944.11m[3] | 渡邊峰生(早稲田大学宇宙航空研究会WASA) | 18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立 |
第29回 | 2005年7月17日 | 22813.05m | 田中丸真輔(日本大学理工学部航空研究会) | 初の折り返し成功 |
第30回 | 2006年7月22日 | 28628.43m | 宮内空野(東北大学Windnauts) | |
第31回 | 2007年7月29日 | 3998.51m | 山田洋平(東京工業大学Meister) | |
第32回 | 2008年7月27日 | 36000.00m | 西脇渉(東北大学Windnauts) | 初の往復成功[4] |
- タイトル:第10~29回 「人力プロペラ機部門」
人力プロペラ機タイムトライアル部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第30回 | 2006年7月23日 | 7分2秒61 | 中山浩典(チームエアロセプシー) | 今大会唯一の完走者 |
第31回 | 2007年7月28日 | 4分37秒62 | 野口雅弘(大阪府立大学堺・風車の会) | 今大会唯一の完走者 |
第32回 | 2008年7月26日 | 5分10秒00 | 宮本大地(大阪府立大学堺・風車の会) | 今大会唯一の完走者 |
レディース部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 |
---|---|---|---|
第10回 | 1986年8月2日 | 92.83m | 上田みゆき(TEAM TONDORUDO) |
第11回 | 1987年8月1日 | 94.27m | 相良美幸(TOA鳥人間の会) |
第12回 | 1988年7月30日 | 103.80m | 笠原朋子(みたか飛行少女の会) |
第13回 | 1989年7月29日 | 225.90m | 宮崎祥代(チームアクティブギャルズ) |
第14回 | 1990年8月4日 | 64.41m | 長岡美子(東みたかアドベンチャーグループ) |
第19回 | 1995年7月29日 | 189.01m | 鋤柄千穂(九州大学鳥人間チーム) |
第20回 | 1996年7月27日 | 264.66m | 吉澤祐子(沿岸驚備隊) |
- タイトル:第10~14回 「女性パイロット部門」
人力ヘリコプター部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝者 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第25回 | 2001年7月27日 | 6秒30 | 上岡健治(東大阪青年会議所トライズ) | 参考競技 |
第26回 | 2002年7月27日 | 4秒07 | Rodney Bordallo(東大阪青年会議所トライズ) | |
第27回 | 2003年7月26日 | 2秒89 | 西山雅也(ドボン会) |
テレビ放送
これらの模様はytv制作・日本テレビ系列全国ネットの「木曜スペシャル」→「スーパースペシャル」→「THEスペシャル!」で放送されてきた。定時のスペシャル番組枠終了後も毎年秋の番組改編時期に単発特番として放送される。番組VTR送出は通常はよみうりテレビからとなっているが過去数回、日本テレビから番組VTR送出を行っていたこともある(放送前にytvからの放送素材を日本テレビで受けて収録したのと提供クレジットテロップ表示が日本テレビから出しているため)。
なお2007年に3年ぶりとなる単発番組枠(「モクスペ」)が木曜19時~20時54分に再設されることになり、同じytvが番組制作されている『ベストヒット歌謡祭』と同時にこれまでの秋の特別番組からこの枠での放送へと移行されたが2008年は9月15日の月曜日に放送される予定(ytv制作のアニメ枠などは休止となる)。また2007年から地上デジタル放送ではデータ放送も実施した。
また2007年は地上波の放送のほか、CS放送の日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)で第27回(2003年)、第29回(2005年)、 第30回(2006年)の模様も再放送された。
また2003年に阪神が首位だったことで読売テレビはローカルでの阪神戦を放送し、後日改めて放送された(読売テレビ以外の系列局(テレビ宮崎を除く)は「裏送り」の形で通常通り放送された)。
特記事項
- この大会には多くの芸能人がパイロットとして出場している。
- パイロットではないが宇宙飛行士の若田光一も第11~13回(1987~1989年)に九州大学チームの一員として参加している。
- 第30回(2006年)にはイメージテーマソングとして森山直太朗の『風になって』を起用した。
- 2006年に30回を迎えたことを記念して、『鳥人間コンテスト 30th ANNIVERSARY DVD-BOX』が同年10月6日に発売された。
注釈
関連項目
- スカイハイ - 『鳥人間コンテスト選手権大会』・テーマソングとして長年に渡り使用された、イギリスのロックバンド、「ジグソー」のヒット曲の曲名(Sky High)。
- 琵琶湖大橋 - 橋梁がルール上通過できないため南方限界点となっている、通過した場合失格となる。
- 必殺仕切人(ABC) - 第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」でパロディとして取り上げられた。