真の道
真の道(まことのみち)は、萩原真によって創始された宗教団体。1960-1970年代に宮中で「魔女」と呼ばれた今城誼子が入信していたことで知られる[1]。
沿革
1927年に満洲を訪問し、大連に滞在した萩原真は、関東州関子の日高見農場で霊媒師・内山若枝に会って影響を受けた[2]。
1931年に萩原は大連の道院を訪問し、乩示(扶乩、降霊術)によって「瑞道」という名を与えられ、霊能者から天意を受けて働かなくてはならない使命を持っているといわれたといい、日本に帰国した後、真の道の前身にあたる千鳥会という教団を開いた[3]。
小田 (1985 60-61)によると、萩原は1931年に内山とともに小田を訪ねて来た一行の中にいた青年だったが、満洲に帰ってから「物理現象的霊能」を発揮するようになったという。小田秀人は萩原を朝鮮から東京へ呼び寄せて日本の心霊界に紹介し、また竹内満朋とともに萩原が住んでいた千葉県の九十九里浜の海岸で2月に5日間の「断食みそぎ」をしたことがあった。
萩原の乩示については千鳥会の関連団体が発行していた機関紙『霊光』(白龍閣)に具体的な記述がある[3]。
村田親弘『最後の審判』(予言研究会、1980年)に、千鳥会の結成についての記述がある。同書の中で、萩原真は「萩原瑞道霊媒」と呼ばれており、「降霊現象」を行うとされている。[4]
1946年に日本に帰国した萩原は、心霊研究グループ・菊花会に参加し、1948年に塩谷信男ら有志と心霊研究グループ・千鳥会を結成した[5]。
千鳥会は、1952年に教団名を真の道と改め、1953年に宗教法人となった[5]。
教義
真の道では、萩原を含む「神伝人(かみつたえびと)」が信者に「指導神霊」の神示を伝える形をとっており[5]、用明天皇の第2皇子である聖徳太子が「最高指導神霊」とされ、「聖の君」として崇拝されている[6][5]。聖徳太子より上位に位置する自然神からの神示は「砂庭神示」、聖徳太子より下位に位置する神霊からの神示は「天杖神示」と呼ばれている[6]。
「組手」と称される信者は、祈行・滝行・山行を行い、「真手(まなて)」(手かざし)をする[5]。
「表宮」(荒魂の宮)、「月宮」(和魂の宮)、「奥宮」(直毘の宮)という3つの本部施設があり、栃木県那須郡那須町にある「月宮」が真の道の中心の宮とされている[6]。
組織
柏書房 (2011 336)によると、
外部リンク
真の道 2019年3月11日閲覧
関連作品
松本清張『神々の乱心』における「月辰会」のモデルの1つとみられている[7]
付録
脚注
参考文献
- 柏書房 (2011) 島田裕巳(監修)柏書房(編)『現代にっぽん新宗教百科』柏書房、ISBN 978-4760139729
- 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037
- 小田 (1985) 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291