松永二三男
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松永 二三男(まつなが ふみお、1951年4月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元日本テレビアナウンサー。
来歴・人物
新潟県見附市出身。新潟県立長岡高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。1974年、アナウンサーとして日本テレビに入社。三宅裕司は大学の同級生、また楠田枝里子と小池裕美子は同期入社である。
入社当初はスポーツ中継を主に担当し『全日本プロレス中継』の実況、『独占!!スポーツ情報』の初代司会。『独占! - 』では松永自身の体当たりレポートが人気を呼び、他系列ではあるが関西テレビの桑原征平(現:フリー)と並んで「元祖チャレンジアナウンサー」の称号を得る。
1983年頃からイギリスのBBC放送の日本語アナウンサーとして出向。
1988年に帰国して社業に復帰し、『NNNきょうの出来事』のスポーツコーナーを担当。その後はスポーツ実況から退き、『NNN昼のニュース』や『NNNニュースダッシュ』のメインキャスター、『ルックルックこんにちは』の司会、『投稿!特ホウ王国』のリポーター、『壮絶バトル!花の芸能界』の司会などを務めた。
2003年にアナウンサーを引退し、事業局ビジネス事業部へ異動。テレビコンテンツ事業局企画開発担当部長、同副参与を歴任。
2011年4月、60歳を迎え日本テレビを定年退職し、フリーとなる。
エピソード
- 『全日本プロレス中継』担当時代は、ジャンボ鶴田やブルーザー・ブロディの試合を多く担当していた。この二人のインターナショナル・ヘビー級王座初戴冠の試合はともに松永の実況である。また、1980年5月2日、先輩アナの倉持隆夫がザ・シークに額を切り裂かれ実況不能となるという前代未聞のアクシデントが起こった際、リングサイドリポーターであった松永が実況を引き継いだ。倉持がシークに襲われた瞬間、松永は「倉持アナウンサーの額が割れた!」と絶叫している。
- 1987年のサッカー・トヨタカップで実況をつとめたが、試合中、FCポルト所属のアルジェリア人FWであるラバー・マジェールのことを、1950年代のハンガリー代表の愛称「マジック・マジャール」と混同しており、「マジック・マジェール」と連呼していた。
- 1987年、イタリアのローマで開催された第2回世界陸上競技選手権の女子走高跳で、ステフカ・コスタディノワ( ブルガリア)が2メートル09の世界新記録を樹立した時の実況中継アナウンサーを務めた。
- 1988年のソウルオリンピックではジャパンコンソーシアムの実況メンバーに選ばれた。レスリング男子フリースタイルの佐藤満(52kg級)、小林孝至(48kg級)の金メダル獲得の試合を実況したのは松永である。
また、男子マラソンにおいて、蚕室総合運動場のスタート・ゴール実況を担当した。なお、同競技の総合実況は当時NHKアナウンサーの羽佐間正雄が務めたため、非常に珍しい羽佐間と松永のかけ合いも見られた。 - バラエティ番組においては駆け出し時代に『NTV紅白歌のベストテン』で本来の日テレ本社内「ベストテン本部」レポート担当である先輩の徳光和夫(現:フリー)が外からの中継レポート(歌手の結婚式など)に駆り出された際に徳光の代役を務めたことがある。
- 『スーパージョッキー』の「熱湯コマーシャル」出演時、同席した後輩の大神いずみ(現:フリー)が水着になるのを拒否して泣き出した時、「私が代わりにやります!」と代役を引き受けた。
- 同期入社の楠田枝里子をよく知る人物として、楠田が取り上げられたTBS『中居正広の金曜日のスマたちへ』「金スマ波瀾万丈」(2010年1月29日放送)にVTR出演。
- フリー転身後の2011年6月からは、米国在住の歌手八神純子の日本凱旋公演の司会を務めた。また、2012年4月からはラジオ日本の『ジャイアンツナイター』のない日曜に冠番組『松永二三男の夕ラジ』を担当する。
出演番組
現在の出演番組
過去の出演番組
- 独占!!スポーツ情報(1979年4月 - 1983年9月) - メインキャスター
- NNNきょうの出来事(1988年4月 - 1990年3月) - スポーツキャスター
- あなたと日テレ(1998年1月 - 3月) - 司会
- ルックルックこんにちは(1998年4月 - 2001年3月) - メイン司会者
- 壮絶バトル!花の芸能界(特番:1998年12月 - 2002年9月、レギュラー放送:2003年1月 - 3月) - 司会
- 中居正広の金曜日のスマたちへ 「金スマ波瀾万丈」(2010年1月、TBS) - VTR出演