雨宮処凛

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2007年10月26日 (金) 21:28時点におけるネッツ (トーク | 投稿記録)による版 (カテゴリ表示を修正)

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雨宮 処凛あまみや かりん1975年1月27日 - )は日本の女性作家エッセイスト。元右翼活動家。北海道滝川市出身。通称「ゴスロリ作家」。

来歴

思春期にいじめ不登校家出自殺未遂の経験をもち、10代後半にはヴィジュアル系バンドの追っかけをくり返した。一時人形作家を志すが、自身の健康問題により挫折、リストカットを繰り返す日々が続いたという。

20歳の時、自身の生きづらさから「今の日本はおかしい」という違和感に駆り立てられ、右翼活動に身を投じる。超国家主義『民族の意思』同盟時代には、ロックバンド『姫処凛』、『維新赤誠塾』、『大日本テロル』などを結成しボーカルをつとめた。そのため、彼女のパンク・ファッションなど外見と従来の右翼に対するイメージと活動内容のギャップから、「ミニスカ右翼」として一時は話題になった。作家見沢知廉の弟子である。

日本国憲法前文を読んだことがひとつのきっかけで、右翼思想に疑問を抱くようになり、2001年『大日本テロル』解散後は、「(国家皇族などに対して)依存してるだけで敬意が感じられない。自分が目指していたのはこんなものではない」とし、右翼活動から身を引く。

自身の壮絶な体験をもとにした作品『生き地獄天国』により注目され、以後、主に自殺やいじめをテーマに取り扱った作品を発表している。また、映画脚本も手がけており、ドキュメンタリー映画『新しい神様』では雨宮自身が主役として出演している。

その後思想的には左傾化し、「生きづらさ」の原因の一つに新自由主義の拡大があると考えるようになる。しかし、「多くの人が生きづらい今のこの国は嫌だ」という違和感はかつて右翼活動をしていたころと変わっていないとも語っている。現在の服装はロリータ・ファッションで、「ゴスロリ作家」と自称している。

現在『論座』『週刊金曜日』『しんぶん赤旗』『思想運動』『ビッグイシュー』といった左派左翼系メディアへ寄稿し、ほぼ左派文化人といって良い活動をしている。現在は社会民主党の機関誌である『社会新報』にもコラムを掲載中。

近年は新自由主義の拡大の結果増加したプレカリアートの問題をテーマにした取材、執筆活動に力を入れており、フリーターらによるデモや集会にも参加している。そうした中から生まれた作品として、『生きさせろ!難民化する若者たち』がある。このような活動から、朝日新聞は彼女を「プレカリアートのマリア」と呼んだ。

2007年7月18日放送の『筑紫哲也NEWS23』で「私の多事争論」「生きさせろ!」という題名のコラムを発表。ガンで入院中の筑紫哲也の代役を務めている。

外部リンク