バンタム級
バンタム級(英:bantamweight)は、ボクシングなどの格闘技で用いられる階級の1つである。
なお、「バンタム」とは「チャボ」という意味である。「バンダム級」は誤用。
ボクシング
プロボクシングでの契約ウェートは、115〜118ポンド(52.2〜53.5kg)である。 スーパーフライ級とスーパーバンタム級の間の階級であり、全17階級中5番目に軽い階級である。
アマチュアボクシングでは、112〜119ポンド(51〜54kg)である。
日本人として初めて同級世界王座を獲得したのはファイティング原田で、フライ級に続き2階級制覇を成し遂げた。日本ボクシングコミッション非公認の団体日本IBFでも新垣諭がIBF初代世界チャンピオンに。アマチュアでは東京オリンピックで桜井孝雄が金メダルを獲得した階級であり、プロでも東洋太平洋王座を獲得し、世界タイトルにも挑戦した。1994年12月には薬師寺保栄と辰吉丈一郎による史上初の日本人世界チャンピオン同士の統一戦が行われた。
この階級の日本ジム所属最多防衛世界王者は長谷川穂積(真正、2005年4月16日〜2010年4月30日)、最新世界王者は、WBCの山中慎介(帝拳、2011年11月6日〜)。
ボクシング漫画あしたのジョーの主人公矢吹丈もこの階級である。
長谷川穂積
WBC世界バンタム級チャンピオン当時の長谷川は、2006年5月に渡米して以来、米国でのビッグマッチを望むようになっていた。当時のバンタム級にはビッグマッチの相手となりうる選手が不在で、長谷川がスーパーバンタム級へ移るか、もしくはスーパーフライ級の選手がバンタム級へ移ってくるのを待つ状態であった[28]。しかし、軽量級では特に相応のパフォーマンスができないと米国へ進出するのは難しいため、2008年1月の対マルドロットV5戦の次戦とも予定されていた米国デビューは、長谷川の流血を伴うV5判定防衛によって、彼のすべての世界戦を手がける帝拳プロモーションの本田明彦の判断の下、保留となる[29]。2008年6月のV6戦から長谷川はKO防衛を続けるが、同年9月には帝拳生え抜きではないもののその所属選手である西岡利晃がWBCスーパーバンタム級暫定タイトルを勝ち取り、イスラエル・バスケスの眼疾により正規チャンピオンに昇格、そのV1戦で長谷川の判定防衛の相手であったへナロ・ガルシアにTKO防衛、さらにV2戦では指名挑戦者・ジョニー・ゴンサレスを相手に、ほとんど日本人初となる海外防衛を成功させ、連続KO防衛記録を伸ばしていた。「フェザー級なら3.6キロも楽」[30]と言って長谷川は2階級上げることを決意するが、同じ本田にプロモートされる選手として西岡との対戦実現の見込みはなく、長谷川陣営がWBCは裏切れないと考える以上は[31]、スーパーバンタム級へ移るという選択肢は実質的に閉ざされていた。
自分はあくまでもボクサーだからと言ってリング外での活動を苦手とし、タイトル獲得直後には「地味なチャンピオンでいい。チャンピオンっぽくないチャンピオンに」と話していた長谷川だが[32]、V10成功後はテレビ出演や雑誌の取材に応じ、正月を除けば家で一日休めた日は2日しかなかった[33]。内藤大助も防衛戦で引き分けたポンサクレック[34]やファン[35]に「テレビに出過ぎ」と窘められたことがあるが、これは長谷川が「皆さんの前に出させてもらうから知名度が上がる。知名度が上がるから、会場に人が来てくれるし、テレビで試合も見てくれる。そしてきちんと勝っていけば、自分の望む試合もできる」と考えてのことであった[33]。この頃、フェザー級ではボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアのメガファイトをまとめようとしており(実現には至らなかったが)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え[33](本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し[36]、モンティエル招聘のために5000万円を支払ったとも言われる[30])、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。状況はだいぶ異なるが、こういった切実な(心境を生み出す)環境を内藤の場合は日刊スポーツが「弱小ジムの悲哀」と表現していた[37][* 2]。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き[38]、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめた[36]。この試合は日本で年間最高試合となり、WBCのThe Most Dramatic Fight of the Year にも選ばれたが、長谷川は黒星に終わった。
長谷川最愛の母親は2006年10月に大腸がんの診断を受け[39]、大腸・卵巣がんの手術や肺がんの粒子線治療など800万円を超える費用のうち700万円以上を長谷川が負担していたが、モンティエルにタイトルを明け渡したV11戦を最後に、2010年10月に他界する[40]。V10成功後には、「今まで泣いたことないのに。相手のパンチが当たっているように見えたので」と涙を流した強く優しい母親で[41]、苦痛の極みの中で息を引き取る瞬間にも笑顔をつくっていた[39]。この後2011年にかけての長谷川は、フェザー級で空位のタイトルこそ獲得したものの、自らのスタイルの崩壊[* 3]とモチベーションの停滞に苦戦して初防衛戦で失冠、米国進出は棚上げしている[44]。
注釈
- ↑ 2012年2月にはスーパーバンタム級転級初戦で空位のWBO世界タイトルを獲得するが、基本に背いたスタイルとしてさらに不評を買った[4]。ドネアをプロモートするボブ・アラムはスーパーバンタム級に経済的な潜在価値を期待するが、米国における軽量級市場は依然として厳しい。2011年7月頃からアラム、ドネア両名を始めとするドネア陣営がこぞって執拗なまでにドネアの対戦相手として西岡の名を挙げながらも[5]、西岡 vs. マルケスの前には、「西岡が多くのラスベガスのボクシングファンを魅了することはないだろう」とのたまったアラムだが[6]、その試合後の記者会見ではいけしゃあしゃあと「西岡は素晴らしい。これからも米国で闘って、第二のホームリングにしてほしい」と述べている(西岡が素晴らしいのはアラムに言われるまでもないが、海千山千の古狸の本心は不明であり、西岡も途中から苦笑している)[7][8]。実際にドネア陣営の西岡へのラブコールは、ドネアが2試合連続の判定試合で彼の試合を中継するHBOを失望させる[9]直前まで、半年以上も続いていたのである[10]。にもかかわらず、ドネアの初防衛戦の相手としてアラムがよりイージーな相手を選ぼうとし始めたのは[11]、HBOで30年以上も解説を務めるラリー・マーチャントら同局の圧力が介在しているからである[9][12]。その弱気なマッチメイクに非難が集まると、ドネアは(拳の怪我さえなければ階級の問題は存在しないと信じこまなければ不安で仕方ないという恐怖感を露呈するかのように)ライト級の決定戦が決まっているユリオルキス・ガンボアの名前を出して、彼とやってやるとまで言い出す迷走ぶり[13]。ニューヨークデビューに失敗した後、試合開催地がテキサス、メキシコ(予定)と下り続けるドネア陣営も(亀田やアスロウムのようなテレビスターと同様に)追い詰められてはいるのだ。
HBOの公式サイト内で、同局ボクシング解説者であり殿堂入りトレーナーでもあるエマヌエル・スチュワードらが繰り返し語るドネアの武器はバランスと強打[14]。ドネア自身が最重要視しているのもバランスである。西岡の最大の武器は肝の据わった左ストレートだが、頑強なガルシア相手のV1戦ではラウンド間にイラついた様子も見せていたし、リナレスがKOされた直後のV3戦では硬さも見られた。彼が(おそらくは特にV5戦あたりから常に拳に爆弾を抱えているにも関わらず、)V4戦から飛躍的に進化したのは、体幹トレーニングによるバランスの強化が奏功してきたからで[15]、同時に強靭なメンタルが備わってきたからだ。 ドネアのバランスと強打を際立たせてKO勝利を演出するための相手としては、西岡は確かにふさわしくない。
WBO王座決定戦の直前、ロベルト・ガルシア・ボクシング・アカデミー(元IBFジュニアライト級チャンピオンのロベルト・ガルシア・コルテスが2009年12月からドネアのトレーナーを務めている[16])での練習中に、ドネアは手を負傷した。試合においてドネアは10回か11回まで手が痛むことを告げずによく頑張っていたが、相手を見過ぎて単発で手数の少ないドネアにガルシアが12回開始前のインターバル中「もっとジャブを出せ」と指示すると、「手を怪我してるんだよ? 僕できないよ」(You know what I hurt my hand. I can't.) と答えた。ガルシアはやっていることを続けろとしか言えなくなり、試合後も自分たちはもっとうまくやれたが、手を怪我していたのだから仕方ないと話している[17][18]。(ドネアとの関係は良好と伝えられるガルシアだが、切羽詰まった状況にあればこそ、なぜこのようなエピソードを公表したのか謎である。)2012年2月現在、ドネアはこのような試合をひとつこなしただけで、リング誌のパウンドフォーパウンド4位を維持しながらも同誌のスーパーバンタム級ランキングでは西岡・リゴンドーに続いて3位にとどまっており、同級での評価はいまだ勝ち得ていない。
スーパーバンタム級の雄・西岡利晃は、ヘナロ・ガルシアを迎えた初防衛戦では両拳を痛めながらもセコンドについていた田中繊大に「逃げて勝つのかよ!」と発破をかけられてTKO勝利(2009年1月)[19]、レンドール・ムンロー戦では序盤に両拳を痛め、左中指からは出血もしたが[20]、12回開始前には田中に「痛くねーんだよ! 倒してこい!!」と送り出されて[21]鬼気迫るコンビネーションでポイント差を広げ(2010年10月)、マウリシオ・ムニョス戦では試合前に左脇腹の肉離れに加えて左中指の骨を痛め[22]、勝負を賭けたはずの右は相手がカウンターを狙っていることに気づいたために頼ることをやめ、衝撃を直接中指に受けないようにパンチの種類や拳の向きを変えながら左拳主体の攻撃に切り替えて後半の全力勝負でKO勝利(2011年4月)[23]、ラファエル・マルケス戦ではレイジェスのグローブをグラントに変えて臨んだものの[24](エクスキューズ代わりに血に染まったバンデージをテレビカメラに向けたドネアは、まだエバーラストのグローブで頑張ると話している[25])、痛めた拳に細菌が入り込んで手の甲を腫らし、しばらく点滴治療を受けたが(2011年10月)[26]、なおもドネアが最強と評価されるのであれば彼を倒すと言い、その全力で狩る姿が支持される理由のひとつとなっているのだ[27]。 - ↑ ゴールデンボーイ・プロモーションのアミール・カーンがTwitterでボクシングモバイル(東日本ボクシング協会)に向かって Champions aren´t made in the gyms. Champions are made from something they have deep inside them - a desire, a dream, a vision. と言ってスルーされていたが、日本のジム制度下のジムは特殊である。
- ↑ 長谷川の特長はハンドスピードとフェイントのテクニック[42](かつて暴力団対策担当の兵庫県警捜査4課刑事だったトレーナー山下正人が逮捕術を応用して主に相手の呼吸を読むことで長谷川のインターバル中にフェイントのタイミングを指示してきた[43]。しかし2度の初回KO防衛が示すように自らもタイミングを図ることに長けていた)、そして優れた防御勘だった[30][43]。階級を上げたことで減量の影響なく足を使えるようになるはずだったが[44]、フェザー級では完全にフットワークを失い[45]、距離をコントロールすることもできずに[46]足を止めての打ち合いに終始し[47][48]、目をカットされて視界が悪くならなければ足を使った防御にはスイッチが入らない。しかしそもそもスタイル以前に、母親の死から半年足らずで日本は大地震に見舞われたが、(ゴンサレスが日本に向けて発つ前にメキシコで、「西岡に負けて僕がどれだけ苦しみ抜いて這い上がってきたか、ボクシングファンのみんなはわかってくれるよね? 絶対に勝って帰ります」と話していたのに対し、)「この状況で試合をしてもいいのか」[45]という迷いの中で勝てるはずがなく、フェザー級での実力はいまだ図れる状態にない。
関連リンク
ボクシングの体重別階級 | |
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プロ | ヘビー級 - クルーザー級 -25- ライトヘビー級 -7- スーパーミドル級 -8- ミドル級 -6- スーパーウェルター級 -7- ウェルター級 -7- スーパーライト級 -5- ライト級 -5- スーパーフェザー級 -4- フェザー級 -4- スーパーバンタム級 -4- バンタム級 -3- スーパーフライ級 -3- フライ級 -4- ライトフライ級 -3- ミニマム級(ミニフライ級) - アトム級 ※階級間の数字はリミットの重量差(単位:ポンド) |
アマチュア | スーパーヘビー級 - ヘビー級 - ライトヘビー級 - ミドル級 - ウェルター級 - ライトウェルター級 - ライト級 - バンタム級 - フライ級 - ライトフライ級 - ピン級 |
総合格闘技
ネバダ州アスレチック・コミッションでは125〜135ポンド(56.7〜61.2kg)と規定している。
参考資料
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- ↑ 45.0 45.1 兵庫アスリートの深層 スローモーション その一瞬 – (2) 真正ボクシングジム 山下正人会長 (49) 心の揺れ 足が止まった 神戸新聞 2011年5月10日
- ↑ 原功 長谷川穂積の2階級制覇を手放しで喜んではいけない スポルティーバ 2010年11月27日
- ↑ 長谷川、心晴れ晴れ…防衛戦は「本来のスタイルで」 スポーツニッポン 2010年11月28日
- ↑ 大池和幸 長谷川TKO負け今後は白紙 日刊スポーツ 2011年4月9日
出典
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- 来住哲司 インサイド:再び「絶対王者」へ 長谷川穂積の復活ロード 毎日jp 2010年10月26–30日 1–5頁