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== フリーアナウンサー転身後 ==
 
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* [[2007年]][[3月23日]] TBSを退社。入社以来報道志望で、「[[NEWS23]]」のキャスターになることを夢見ていたが、バラエティ番組でのイメージが強くなっていたため、「いちばん!」と「[[JNNフラッシュニュース]]」以外の報道番組を担当することはなかった。そのため報道キャスターの夢を実現するため、大手芸能事務所所属のフリーアナウンサーとなった。傘下の芸能事務所には、退社前から番組でよく共演していた[[押切もえ]]と[[蛯原友里]]が所属している。
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* [[2007年]][[3月23日]] TBSを退社。入社以来報道志望で、「NEWS23」のキャスターになることを夢見ていたが、バラエティ番組でのイメージが強くなっていたため、「いちばん!」と「JNNフラッシュニュース」以外の報道番組を担当することはなかった。そのため報道キャスターの夢を実現するため、大手芸能事務所所属のフリーアナウンサーとなった。傘下の芸能事務所には、退社前から番組でよく共演していた[[押切もえ]]と[[蛯原友里]]が所属している。
 
* 2007年[[4月2日]] 「ラ・パルレ」新CM発表会MC、フリーアナ転身後の初仕事。
 
* 2007年[[4月2日]] 「ラ・パルレ」新CM発表会MC、フリーアナ転身後の初仕事。
 
* 2007年[[4月7日]] [[テレビ朝日]]「サタデースクランブル」で、念願の報道キャスターとなる。
 
* 2007年[[4月7日]] [[テレビ朝日]]「サタデースクランブル」で、念願の報道キャスターとなる。
 
**放送局のアナウンサーが退職後すぐに、他局のレギュラー番組を担当するのは異例であった。過去の例としてはいずれも元[[日本放送協会|NHK]]アナで、[[1994年]]3月にフリーになり、その翌月から「めざましテレビ」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のレギュラー司会を担当している[[大塚範一]]と、[[2007年]]3月にフリーになり、その翌月から「週刊オリラジ経済白書」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])に進行役としてレギュラー出演していた[[宮本隆治]]ぐらいである。
 
**放送局のアナウンサーが退職後すぐに、他局のレギュラー番組を担当するのは異例であった。過去の例としてはいずれも元[[日本放送協会|NHK]]アナで、[[1994年]]3月にフリーになり、その翌月から「めざましテレビ」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のレギュラー司会を担当している[[大塚範一]]と、[[2007年]]3月にフリーになり、その翌月から「週刊オリラジ経済白書」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])に進行役としてレギュラー出演していた[[宮本隆治]]ぐらいである。
 
* 2007年[[4月10日]] 映画「クイーン」公開記念イベントMC。
 
* 2007年[[4月10日]] 映画「クイーン」公開記念イベントMC。
* [[テレビ朝日]]「[[オモ☆さん]]」にアシスタントとして出演(2007年[[4月11日]] - [[9月26日]])。
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* [[テレビ朝日]]「オモ☆さん」にアシスタントとして出演(2007年[[4月11日]] - [[9月26日]])。
 
* 2007年[[8月13日]] 「金沢コレクション2007」MC。
 
* 2007年[[8月13日]] 「金沢コレクション2007」MC。
 
* [[2007年]][[9月25日]] TBS「ネプ理科」、放送終了。
 
* [[2007年]][[9月25日]] TBS「ネプ理科」、放送終了。

2009年6月16日 (火) 17:55時点における版

川田 亜子かわだ あこ1979年1月17日 - 2008年5月26日)は、日本のアナウンサー

プロフィール

  • 身長163cm。、血液型O型。
  • 1979年1月17日 石川県金沢市で生誕。家族は父、母、兄2人。医師である父が「自分の病院を建てる」と語っていたことを、TBS入社後にある特番で発表したことがあった。
  • 金沢大学附属小学校・中学校卒業。
  • 盛岡白百合学園高等学校卒業、高校時代はアメリカ留学を経験。
  • 取得資格は英語検定2級とフランス語検定2級。
  • 2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件発生。ニューヨーク滞在中で、WTC攻撃を目撃した。それまで客室乗務員志望だったが、この事件でジャーナリストへの道をも考えることになった。
  • 2002年3月 白百合女子大学文学部卒業。

TBSアナウンサー時代

エピソード

  • 2002年4月1日 TBS東京放送にアナウンサーとして入社、同期は山田愛里。他のテレビ局1社にも合格していた。
  • 2002年10月3日 「いちばん!」のキャスターでブラウン管デビュー。
  • 「爆笑問題のバク天!」にアシスタントとして出演(2003年10月11日 - 2006年3月4日)。レギュラー放送終了後の2006年9月27日に、改編期特番で復活した「爆笑問題の大バク天!リターンズ!!」でも、アシスタントとして出演した。
  • 2004年4月4日 「儲かりマンデー!!」、放送開始。自称「経済予報士見習い」という肩書きのリポーターで出演。眼鏡に黒のスーツ姿が印象的だった。2005年4月3日には「がっちりマンデー!!」としてリニューアル、引き続き出演した。
  • Goro's Bar」にフロアレディあこちゃんとして出演(2004年10月7日 - 2007年3月22日)。独自のキャラクターを遺憾なく発揮することが多く、稲垣吾郎に「本当にアナウンサーなの?」と尋ねられたり、青木さやかに「他の芸人から『川田さんってどこの事務所の芸人?』と聞かれた」と言われたりしていた。また、もともと太れない体質で、油断するとすぐに痩せてしまうのが悩みであることを、同番組で告白していた。
  • 当時のBS-iで放送の女性向け生活情報番組「Felice」にMCとして出演(2005年4月2日 - 2006年6月24日)。
  • 筋肉番付シリーズの深夜番組「BODY」に取材記者として出演(2005年4月3日 - 2006年6月25日)。
  • エンタメ情報の深夜番組「E娘!」に、後輩の青木裕子アナウンサーとともに出演(2005年10月6日 - 2007年3月29日)。
  • 2005年12月1日うたばん」に出演し、メイドのコスプレを披露していた。ストッキングのサイズが合わなかったため、生足であった。同番組には2006年4月27日5月25日放送の「TBS美人女子アナ軍団がSMAPにお悩み相談」の回にも出演していた。
  • 2005年12月17日 川田亜子オフィシャルブログ「Ako's Style」、ライブドアブログで開始。2006年12月25日には、アメーバブログの「Pure Style」に移転。
  • 2006年10月3日 「ネプ理科」、放送開始。アシスタントとして出演。グロテスクな巨大ナマコやウミウシを、平気で握り締める等かなりの肝の据わりっぷりで、爬虫類や昆虫類を恐れる事無く触れていた。
  • 2007年1月2日 「新春SP!押切もえ&えびちゃん最初で最後 恋と友情二人旅!」で、トップモデル2人とハワイロケを敢行。モデル顔負けのスレンダーな体型で、主役の2人に引けをとらない姿で闊歩していた。
  • テレビ情報誌である月刊ザテレビジョンの別冊「G(グラビア)ザテレビジョン」Vol.3(角川ザテレビジョン発行・角川書店発売・2006年6月12日)にて、袋綴じ8ページに渡るグラビア&インタビュー記事が掲載された[1]
  • 月刊ザテレビジョン2007年2月号(2007年2月1日発行)にて、蛯原友里連載コラム「エビちゃん芸能界フレンド通信」のゲストに押切もえと共に登場、振袖姿のグラビア&インタビュー記事が掲載された。

その他の出演番組

テレビ

  • 人間!これでいいのだ
  • ネプベガス
  • ぴーかんバディ!
  • 島田検定SUPER!!
  • ウォッチ!(金曜日の芸能コーナー)
  • 青木さやか・美人の素
  • チャンネル☆ロック!
  • 黄金筋肉
  • J-SPORTS
  • はなまるマーケット(アイアムレシピ)
  • 2時っチャオ!(金曜日、グルメランキング・ヨーク味わっチャオ!)
  • オールスター赤面申告!ハプニング大賞 TBS女子アナ ハプニングコレクション
  • 2004年12月16日 「健康バラエティ 寿命H診断」
  • 2005年12月29日 「TARA-REBA 世紀のスポーツ大作戦」アシスタント
  • 2006年1月4日 「史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ」
  • 2006年4月3日 「関口宏の東京フレンドパークII、TBS局アナ軍団来襲で赤面大クラッシュ!!SP」
  • 2006年6月15日 「クイズ!日本語王」ゲスト解答者
  • 2006年7月12日 「ドリーム・プレス社、復活!ザ・ベストテン!」
  • 2006年9月24日 「DOORS 2006」サブMC
  • 2006年10月3日 「ズバリ言うわよ! 炎の4時間メッタ斬りSP ズバリ全国女子アナ幸せ白書 」
  • 2006年10月4日 「最強の男は誰だ!筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦XXXIII」リポーター
  • 2007年1月1日 「森田さんの新春お天気初日の出スペシャル」
  • 2007年1月1日 「新春芸能人大接待SP 次長課長のヨイショ! 」
  • 2007年1月8日 「峰竜太のふるさと図鑑」
  • BS-i「もえたび」
  • TBSチャンネル「川田亜子の日本全国ラーメン選手権~鹿児島編~」

ラジオ

  • 「森本毅郎・スタンバイ!、スポーツスタンバイ」
  • 「スポーツBOMBER!」
  • 「伊集院光 日曜日の秘密基地」(月1回、第1日曜日)
  • 「爆笑問題カーボーイ」(2004年9月21日
  • 「ラジオブックス」(2005年9月12日15日12月26日30日、2006年9月4日8日
  • 「安住紳一郎の日曜天国、ニュースのまな板さばいてにち天」(2006年1月22日6月4日10月1日

フリーアナウンサー転身後

エピソード

  • 2007年3月23日 TBSを退社。入社以来報道志望で、「NEWS23」のキャスターになることを夢見ていたが、バラエティ番組でのイメージが強くなっていたため、「いちばん!」と「JNNフラッシュニュース」以外の報道番組を担当することはなかった。そのため報道キャスターの夢を実現するため、大手芸能事務所所属のフリーアナウンサーとなった。傘下の芸能事務所には、退社前から番組でよく共演していた押切もえ蛯原友里が所属している。
  • 2007年4月2日 「ラ・パルレ」新CM発表会MC、フリーアナ転身後の初仕事。
  • 2007年4月7日 テレビ朝日「サタデースクランブル」で、念願の報道キャスターとなる。
    • 放送局のアナウンサーが退職後すぐに、他局のレギュラー番組を担当するのは異例であった。過去の例としてはいずれも元NHKアナで、1994年3月にフリーになり、その翌月から「めざましテレビ」(フジテレビ)のレギュラー司会を担当している大塚範一と、2007年3月にフリーになり、その翌月から「週刊オリラジ経済白書」(日本テレビ)に進行役としてレギュラー出演していた宮本隆治ぐらいである。
  • 2007年4月10日 映画「クイーン」公開記念イベントMC。
  • テレビ朝日「オモ☆さん」にアシスタントとして出演(2007年4月11日 - 9月26日)。
  • 2007年8月13日 「金沢コレクション2007」MC。
  • 2007年9月25日 TBS「ネプ理科」、放送終了。
  • 2008年4月5日 BS朝日「鳥越俊太郎 医療の現場」、放送開始。MCとして出演。
  • 目標としていた人物は安藤優子櫻井よしこ。将来的には自分の言葉で物事を伝えていけるようになりたいとの目標を語っていた[2]

その他の出演番組

TBS・MBS系列

テレビ朝日・ABC系列

  • 2007年10月21日 世界の子供がSOS! THE・仕事人バンク マチャアキJAPAN
  • 2007年11月27日 たけしの本当は怖い家庭の医学
  • 2008年1月6日 女子プロ花の6人組ゴルフ対決
  • 2008年2月2日 特命係長・只野仁SPのPR特番

フジテレビ・関西テレビ系列

  • 2007年7月18日 グータンヌーボ
  • 2007年12月13日 奇跡体験!アンビリバボー
  • 2007年12月16日 熱血!平成教育学院
  • 2008年1月3日 平成教育委員会・2008年ねずみ年だよ謹賀新年今年も考えチューだよSP

日本テレビ・ytv系列

  • 2007年11月1日 嗚呼!花の料理人
  • 2008年1月21日 今夜はシャンパリーノ
  • 2008年2月14日 トシガイ
  • 2008年4月10日 秘密のケンミンSHOW 47都道府県出身スター大集合!新企画も満開SP!!

テレビ東京・テレビ大阪系列

  • 2008年1月19日 出没!アド街ック天国「通の神楽坂」

ラジオ

2008年5月以後

  • 5月7日~ オフィシャルブログで悩みを書き続けるようになり、閲覧していたファンや関係者の間から心配する声があがった。5月12日には「私は悪魔になった」といった内容が書かれたが、この日の日記は数日後に削除された。日記の内容の問題は、週刊誌などの誌面でも度々取り上げられた。
  • 5月18日 「がっちりマンデー!!」、最後の出演。
  • 5月24日 「サタデースクランブル」、「医療の現場」、最後の出演。ゲスト出演した同日放送の日本テレビ系列「世界一受けたい授業」は、正式な番組出演者としての最後の出演番組となってしまった。
  • 5月25日 逝去。没年齢29歳4ヶ月。翌5月26日午前6時15分頃、東京都港区海岸の路上に駐車してあった車内で、倒れていたところを発見された。警視庁三田警察署により死亡が確認され、自殺と見られている[3]。主流が硫化水素に移行する中、あえて練炭を選んだとされている。
  • 5月28日 川田亜子オフィシャルブログ「Ako's Style」、「Pure Style」の方の閉鎖発表、その後の6月6日に削除[4]。ライブドアブログ時代の方は残存。
  • 5月時点でレギュラー出演していた各番組と、「サンデージャポン」など川田と縁のあった出演者の各番組(「Goro's Bar」を除く)で、逝去後の放送にて川田を追悼。
  • 6月12日 逝去前に川田が出演・収録していた「秘密のケンミンSHOW」が放送された。しかし川田の出演シーンが大幅にカットされた上に、氏名や追悼のテロップは一切表示されなかった。
  • 12月26日 TBSテレビ系列全国ネット「平成ニッポン20年史!」の中で、「爆笑問題のバク天!」のオープニングが放送されたが、川田の姿はぼかし処理されていた。
  • 2009年5月25日 TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」のオープニングで、TBS時代の先輩であるMCの小島慶子アナウンサーが、涙ながらに川田との思い出を語った。

脚註

外部リンク