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'''女性騎手'''(じょせいきしゅ)とは、[[競馬]]における女性の[[騎手]]のことである。
 
'''女性騎手'''(じょせいきしゅ)とは、[[競馬]]における女性の[[騎手]]のことである。
  

2019年11月22日 (金) 11:43時点における版

松沼緑さん

女性騎手(じょせいきしゅ)とは、競馬における女性の騎手のことである。

日本における女性騎手

日本では勝利数の面において、中央競馬よりも地方競馬において女性騎手が活躍している。名古屋競馬場に所属している宮下瞳が、日本における女性騎手の最多勝利記録の626勝を挙げ(地方競馬のみ)、短期騎手免許で騎乗した韓国でも50勝以上を挙げている。なお、2002年に中央競馬の短期免許を取得したニュージーランドロシェル・ロケットが、中山大障害に優勝。これが中央競馬初の女性騎手による重賞優勝、かつGI(J・GI)優勝である。

対する日本中央競馬会(JRA)所属の日本人女性騎手については、後述の藤田菜七子を除き、目立った活躍は見られなかった。また西原玲奈で一旦は競馬学校の騎手課程を卒業した女性は途絶え、2013年9月30日付けで増沢が引退したことで、JRAに所属する女性騎手は一時的にいなくなったが、2016年3月1日から藤田がデビューし、16年ぶりの女性騎手誕生および3年ぶりのJRA女性騎手在籍が復活した。

日本全国の女性騎手を招待して開催されるシリーズとして、「レディースジョッキーズシリーズ」(LJS)があった。これは荒尾競馬場2004年および2005年に行われた「全日本レディース招待競走」を前身とし、1997年から2000年まで中津競馬場で行われていた「卑弥呼杯」、2001年新潟競馬場で行われた「駒子賞」を起源とする。そのほか「レディスカップ」(1981年 - 1984年水沢競馬場上山競馬場、新潟競馬場)、「国内女性騎手招待競走」(1982年 - 1984年、水沢競馬場)、「ANJレディースカップ」(1988年札幌競馬場)、「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」(1989年 - 1993年)などがあった。2016年より「レディスヴィクトリーラウンド」が創設されている。

地方競馬でのNARグランプリでは「優秀女性騎手賞」の部門を設置し、その年に最も活躍した女性騎手を表彰している。

女性騎手に対する減量特典

女性騎手に対してレース時の負担重量を減量する特典を付与する制度を実施している競馬主催者もある。平地競走においては1キログラム、ばんえい競馬は10キログラム優遇される。ただし、重賞競走においては適用されない。

また、中央競馬でも2019年3月より女性騎手の減量制度を導入し、平地競走に限り2キログラムの減量を実施する。(見習騎手の場合、50勝以下は4キログラム減、51勝 - 100勝の間は3キログラム減)

主な女性騎手

日本の女性騎手

現役(2018年7月2日現在)

引退

現役で他界

  • 高橋優子(岩手) - 日本初の平地女性騎手。水沢・高橋武(優子の父でもある)厩舎所属。1,776騎乗209勝(1969年 - 1974年、通算5年6か月)。1969年4月にデビューしたが1974年、急性心不全のため死去。
  • 松沼緑(本名:阿井緑)(大井) - 1992年10月デビュー。顔立ちは「美人タイプ」。将来を期待されていたが、21歳の若さで突然自殺した。

脚注