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'''吉田 東伍'''(よしだ とうご、[[元治]]元年[[4月14日 (旧暦)|4月14日]]([[1864年]][[5月19日]]- [[大正]]7年([[1918年]][[1月22日]])は[[日本]]の[[歴史学者]][[地理学者]](歴史地理学)。
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[[ファイル:吉田東伍.jpg|thumb|吉田東伍]]
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'''吉田 東伍'''(よしだ とうご、[[1864年]][[5月19日]] -[[1918年]][[1月22日]])は[[日本]]の[[歴史学者|歴史]][[地理学者]]。[[新潟県]]出身。『大日本地名辞書』の編纂者として知られる。[[日本歴史地理学会]]の創設者の一人。
  
[[新潟県]]出身。「[[大日本地名辞書]]」の編纂者として知られる。[[日本歴史地理学会]](日本歴史地理研究会)の創設者の一人。
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== 経歴 ==
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[[元治]]元年4月14日(1864年5月19日)<ref>4月10日との説もある(千田,2003,p.16)</ref>、[[越後国]][[蒲原郡]]保田村(現[[阿賀野市]]安田村)の豪農・旗野家に、父・木七と母・園子の子(三男)として生まれる。1873年、叔父である旗野十一郎らが熱心に運動して設立された必勤舎(のちの保田小学校)に入学。翌1874年に親元を離れ、[[新潟町]]にあった県営の新潟学校(旧英学校)へ転校。同年10月に母・園子が死去。1876年、新潟英語学校へ転校。1877年に同校が新潟学校に併合され、新潟学校中等部に在籍したが、同年12月に中退。以後学校教育を受けずに独学を続ける。1881年に、出身地である新潟県安田町の歴史をまとめた『安田志料』を作り始める。同年、父・木七が死去。
  
== 概説 ==
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1883(明治16)年、20歳の時に新潟県小学校教員検定に合格し、[[中蒲原郡]]大鹿小学校の教員となる。1884年、中蒲原郡大鹿新田の吉田家の長女カツミと結婚し、同家の養子となる。同年12月から養子先の吉田姓を名乗った<ref>千田,2003,p.17</ref>。新潟学校師範部に入学するも、まもなく中退。1885年、1年志願兵として[[仙台兵学校]]に入営する。休日に、旧仙台藩の図書を収蔵していた[[仙台師範学校]]の図書館に通う。翌年、帰郷。
元治元(1864)年4月14日(4月10日との説もある<ref>千田稔 2003年 16ページ</ref>)、[[越後国]][[蒲原郡]]保田村(現:[[阿賀野市]]安田村)の豪農<ref>田畑350町歩ほど、山林370町歩を所有(千田稔 2003年 20ページ)</ref>旗野家の子(三男)としてに生まれる。吉田姓は[[養子]]先であり、明治17(1884)年12月から名乗った<ref>千田稔 2003年 17ページ</ref>。明治8(1875)年、11歳の時から新潟学校(後の新潟英語学校)中学部を3年ほどで中退後、学校教育を受けずに独学で[[小学校]][[教員]]となる<ref>1883年、20歳の時に新潟県教員検定に合格し、中蒲原郡大鹿小学校の教員となる(岡田俊裕『日本地理学人物事典[近世編]』原書房 2011年 136ページ)</ref>。1884(明治17)年、中蒲原大鹿新田(新潟市秋葉区)の吉田家の養子となり結婚する。1885(明治18)年、1年志願兵として仙台兵学校に入営する。休日には仙台師範学校の図書館(旧仙台藩の図書を収蔵)に通う。翌年、帰郷する。1887(明治20)年、24歳の時、小学校正教員の検定に合格し、北蒲原郡水原小学校訓導となった。この頃、歴史・地理・天文のほか考古学・人類学に関心をもつ。1889年(明治22年)水原小学校を辞職。<ref>岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近世編 1 ] 原書房 2011年 136ページ</ref>。
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1890年(明治23年)、27歳での[[結婚]]後に単身[[北海道]]に渡り、そこから『史学雑誌』に寄稿した「古代半島興廃概考」が学者の注意を引き、落後生という筆名で続々史論を発表し注目された。特に『史海』への投書論考が主筆田口卯吉らの注目をひき、学界への登竜門となった。1891年(明治24年)郷土に帰り、親戚の[[市島謙吉]]を頼って上京し、市島が主筆を務める[[読売新聞社]]に入社し、「徳川政教考」を『読売新聞』に連載。また、2年足らずで膨大な『日韓古史断』(1893年、30歳)を書き上げ、翌年『徳川政教考』を出版し、歴史家としての地位を固めた。
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1887(明治20)年、24歳の時、小学校正教員の検定に合格し、[[北蒲原郡]]水原小学校訓導となった。この頃、歴史・地理・[[天文学]]のほか[[考古学]][[文化人類学|人類学]]に関心をもつ。1889年、同小学校を辞職<ref>岡田,2011,p.136</ref>。
  
1895年、[[日清戦争]]に記者として従軍した頃から、1893年に官撰日本地誌の編纂事業が中止されており、その事業を独力で継ごうという意思の表れでもあり<ref>岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近世編 1 ] 原書房 2011年 137ページ</ref>、また、日本の地名の変遷を記した研究がないことに気付き、13年かかって『大日本地名辞書』11冊を完成した。原稿の厚さ5mに及ぶ質量とも古今未曾有の大地誌で、今日でも刊行されている。
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1890(明治23)年、27歳で結婚(再婚?)した後、単身[[北海道]]に渡り、翌年11月まで滞在。この頃、新聞・雑誌に「落後生」などの筆名で史論の投稿を始め、『[[史学雑誌]]』に「古代半島興廃概考」を寄稿した。1891年に帰郷。1892年に雑誌『史海』に投稿した[[田口卯吉]]に対する反論が主筆・[[田口卯吉]]らの注目を惹いた。同年、親戚の[[市島謙吉]]を頼って上京し、市島が主筆を務める[[読売新聞社]]に入社。1893年に『読売新聞』紙上で「徳川政教考」を連載し、同年『日韓古史断』を刊行。翌1894年には『徳川政教考』の単行本を出版した。
  
歴史地理学のほか日本音楽史の造詣も深く、とくに[[能楽]]研究に意を注ぎ、『世子六十以後申楽談儀』(『申楽談儀』)を校訂、これが世阿弥伝書の発見につながる契機となった。その後、吉田が『花伝書』と命名した『[[風姿花伝]]』をはじめ,当時発見された世阿弥の著書16部を収めた『世阿弥十六部集』を校注し、従来の観阿弥・世阿弥像を一新させ,近代能楽研究の出発点となった。
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1895(明治28)年、[[日清戦争]]に特派記者として従軍。この頃、日本の地名の変遷を記した研究がないことに気付き、1893年に官撰日本地誌の編纂が中止されていたことから、編纂事業を独力で引き継ぐ意思を持って『大日本地名辞書』を起稿した<ref>岡田,2011,p.137</ref>。同書は1899年から刊行が開始され、1907年に全11冊が完成した。
  
晩年は宴曲(早歌(そうが))研究に努め,東儀鉄笛(とうぎてつてき)の協力で宴曲再興を試み,私財を投じて『宴曲全集』を公刊して研究の基礎を築いた。
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1899(明治32)年、東京専門学校(翌年[[早稲田大学]]と改称)の文学部史学科の講師となり、[[国史]]、日本地誌、明治史、日本地理を担当。のちに教授となり、さらに維持員、理事に就任した。
  
他にも、社会経済史の分野では『庄園制度之大要』が、近代史の分野では『維新史八講』があり、現代より過去にさかのぼるという歴史的視野の問題を含む通史『倒叙日本史』(全12巻)もある。
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吉田は歴史・地理学のほか日本音楽史、特に[[能楽]]の研究に意を注ぎ、『世子六十以後申楽談儀』(『申楽談儀』)を校訂、これが[[世阿弥]]伝書の発見につながる契機となった。1909年に、吉田が『花伝書』と命名した『[[風姿花伝]]』をはじめ、当時発見された世阿弥の著書16部を収めた『世阿弥十六部集』(校註)を刊行。同年、文学博士となる。1911年から『世阿弥十六部集註解』の連載を開始した。晩年は宴曲([[早歌]])研究に努め,[[東儀鉄笛]]の協力で宴曲再興を試み,私財を投じて『宴曲全集』を公刊して研究の基礎を築いた。
  
東京専門学校(早稲田大学の前身)文学部史学科講師となり、以後、[[国史]]、日本地誌、明治史、日本地理を担当、のちに教授となり、さらに維持員、理事に就任したが、1918年(大正7年)[[尿毒症]]のため急死した。
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1918(大正7)年1月22日、[[千葉県]][[本銚子町]]で[[尿毒症]]のため急死、享年53。1914年に編集を開始した『国史百科事典』は未完に終った。
  
次男の吉田千秋(1895-1919)は[[琵琶湖周航の歌]]の原曲の作曲者。三男の吉田冬蔵は英文学者で[[新潟大学]]文学部教授を務めた。
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== 家族 ==
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* 次男の吉田千秋(1895-1919)は[[琵琶湖周航の歌]]の原曲の作曲者。
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* 三男の吉田冬蔵は英文学者で、[[新潟大学]]文学部教授を務めた。
  
== 年譜 ==
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== 著書等 ==
* 元治元年4月14日(1864年5月19日) - [[越後国]][[蒲原郡]]保田村(現在の[[阿賀野市]])保田に旗野木七の三男として生まれる。
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歴史・地理学、日本音楽史(能楽研究)に関する編著書の他、社会経済史の分野では『庄園制度之大要』が、近代史の分野では『維新史八講』があり、現代より過去に遡るという歴史的視野の問題を含む通史『倒叙日本史』(全12巻)がある。
* [[1873年]]([[明治]]6年) - 叔父である旗野十一郎らが熱心に運動して設立された必勤舎(のちの保田小学校)へ入学。
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*1893年『日韓古史断』富山房、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993752 NDLJP:993752]
* [[1874年]](明治7年) - 親元から離れて新潟町にあった県営の新潟学校(旧英学校)へ転校。10月母園子死去。
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*1894年『徳川政教考』富山房
* [[1876年]](明治9年) - 新潟英語学校へ転校。
+
**上 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773040 NDLJP:773040]
* [[1877年]](明治10年) - 新潟英語学校が新潟学校に合併されたのに伴い新潟学校中等部に在籍するも、12月に退学。
+
**下 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773041 NDLJP:773041]
* [[1881年]](明治14年) - 出身地である新潟県安田町の歴史をまとめた「安田志料」を作り始める。この年、父木七死去。
+
*『大日本地名辞書』冨山房
* [[1883年]](明治16年) -独学で小学校教員検定合格。中蒲原郡大鹿小学校教員となる。
+
**上巻 1907年 2版 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937057 NDLJP:2937057]  
* [[1884年]](明治17年) - 吉田家の長女カツミと結婚し、養子となる。新潟学校師範部に入学するも、まもなく退学。
+
**中巻 1907年 2版 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937058 NDLJP:2937058]
* [[1885年]](明治18年) - 一年志願兵として仙台兵営に入る。
+
**下巻 1907年 2版 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937059 NDLJP:2937059]
* [[1890年]](明治23年) - 北海道に渡る。翌年11月まで滞在。新聞・雑誌に「落後生」などの筆名で投稿を始める。
+
**汎論索引 1907年 2版 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937061 NDLJP:2937061]
* [[1892年]](明治25年) - [[田口卯吉]]に対する反論を雑誌『史海』に投稿。北海道から上京、市島謙吉のところに身を寄せ、[[読売新聞]]入社。
+
**続編 1909年 初版 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937060 NDLJP:2937060]
* [[1893年]](明治26年) - [[読売新聞]]に『徳川政教考』を連載。『日韓古史断』出版。
+
*1909年(校注)『能楽古典 世阿弥十六部集』能楽会、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/859394 NDLJP:859394]
* [[1894年]](明治27年) -『徳川政教考』を刊行。
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*1910年(述)『維新史八講』富山房、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773192 NDLJP:773192]
* [[1895年]](明治28年) -[[日清戦争]]特派員。『[[大日本地名辞書]]』を起稿。
+
*1910年『利根治水論考』日本歴史地理学会、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846020 NDLJP:846020]
* [[1899年]](明治32年) - 『大日本地名辞書』の刊行が始まる。
+
*1913年 - 1914年『倒叙日本史』早稲田大学出版部
* [[1899年]](明治32年) - 東京専門学校(翌年[[早稲田大学]]と改称)の講師となる。
+
**第1冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950650 NDLJP:950650]
* [[1907年]](明治40年) -『大日本地名辞書』完成。
+
**第2冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950651 NDLJP:950651]
* [[1909年]](明治42年) - 『能楽古典世阿弥十六部集』(校註)刊行。文学博士となる。すでに[[早稲田大学]]で教鞭を取ってはいたが、学歴のない博士であった。
+
**第3冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950652 NDLJP:950652]
* [[1911年]](明治44年) - 『世阿弥十六部集註解』の連載始まる。
+
**第4冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950653 NDLJP:950653]
* [[1914年]](大正3年) - 『国史百科事典』(未完)の編集開始。横井春野編(著者名は東伍)『地理的日本歴史』出版。
+
**第5冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950654 NDLJP:950654]
* [[1918年]](大正7年)[[1月22日]] - [[千葉県]][[本銚子町]](現在の[[銚子市]])にて死去。
+
**第6冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950655 NDLJP:950655]
 +
**第7冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950656 NDLJP:950656]
 +
**第8冊 1913年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950657 NDLJP:950657]
 +
**第9冊 1914年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950658 NDLJP:950658]
 +
**第10冊 1914年 [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950659 NDLJP:950659]
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*1915年(校注)『能楽古典 禅竹集』能楽会、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953829 NDLJP:953829]
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*1915年『日本文明史話』広文堂書店、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980699 NDLJP:980699]
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*1917年(編)『中古歌謡 宴曲全集』早稲田大学出版部、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968919 NDLJP:968919]
 +
*1923年『日本歴史地理之研究』富山房、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978683 NDLJP:978683]
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*1925年(著)高橋義彦(校訂)『越後之歴史地理』万松堂新潟支店、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918636 NDLJP:1918636]
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*1935年 (著)[[蘆田伊人]](補修)『大日本読史地図』冨山房、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920697 NDLJP:1920697]
  
== 主要編著書 ==
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== 付録 ==
[[画像:Dainippon_chimei_dict.jpg|thumb|right|200px|大日本地名辞書]]
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=== 関連文献 ===
*「日韓古史断」[[1893年]]
+
* 高橋源一郎『故文学博士吉田東伍先生略伝』私家版、1919年、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960891 NDLJP:960891]
*「徳川政教考」[[1894年]]
+
* 市島春城「吉田東伍博士を憶ふ」『春城筆語』早稲田大学出版部、1928年、pp.49-56、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1177503/33 NDLJP:1177503/33]-37、
*「能楽古典世阿弥十六部集」[[1909年]]
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=== 関連リンク ===
*「維新史八講」[[1910年]]
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* [http://www.city.agano.niigata.jp/site/togomuseum/ 阿賀野市 > 吉田東伍記念博物館]
*「利根治水論考」[[1910年]]
+
* [http://wind.ap.teacup.com/chimei/ 世紀をまたぐ『大日本地名辞書』] 吉田東伍記念博物館友の会
*「倒叙日本史」[[1913年]] - [[1914年]]
+
=== 脚注 ===
*「能楽古典禅竹集」[[1915年]]
+
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*「日本文明史話」[[1915年]]
+
=== 参考文献 ===
*「中古歌謡宴曲全集」[[1917年]]
+
* 高橋(1919) 高橋源一郎(編)『吉田東伍博士追懐録』私家版、1919年、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960889 NDLJP:960889] (閉)
*「日本歴史地理之研究」[[1923年]]
+
* 紀田(1995) 紀田順一郎『日本博覧人物史 - データベースの黎明』[[ジャストシステム]]、1995年、ISBN 4883090779
*「大日本地名辞書」[[1899年]] - [[1907年]] [[冨山房]]
+
* 日本ナショナルトラスト(1998) 「[http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/00415/contents/003.htm 特集 風土を読む。吉田東伍]」日本ナショナルトラスト(編)『季刊 自然と文化』No.58、1998年、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6067765 NDLJP:6067765] (閉)、pp.4-59
** 第一巻 「汎論・索引」 ISBN 978-4-572-000859
+
* 千田(2003) 千田稔『地名の巨人 吉田東伍 - 大日本地名辞書の誕生』〈角川叢書〉角川書店、2003年、ISBN 4047021261
** 第二巻 「上方」 ISBN 978-4-572-000866
+
* 千田・渡辺(2003) 千田稔・渡辺史生(編)『吉田東伍前期論考・随筆選』〈日文研叢書〉国際日本文化研究センター、2003年、ISBN 4901558188
** 第三巻 「中国・四国」 ISBN 978-4-572-000873
+
* 紀伊國屋書店(2006) 紀田順一郎(監修)、都憲雄(演出)『DVD 甦る名著5 吉田東伍と「大日本地名辞書」』紀伊國屋書店映像情報部、2006年、ISBN 9784877669430
** 第四巻 「西国」 ISBN 978-4-572-000880
+
* 岡田(2011) 岡田俊裕 『日本地理学人物事典 近世編』原書房、2011年、ISBN 9784562046942
** 第五巻 「北国・東国」 ISBN 978-4-572-000897
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** 第六巻 「坂東」 ISBN 978-4-572-000903
+
** 第七巻 「奥羽」 ISBN 978-4-572-000910
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** 第八巻 「(続編)北海道・樺太・琉球・台湾」 ISBN 978-4-572-000927
+
* [[蘆田伊人]]との共編「大日本讀史地図」 [[1935年]] [[冨山房]] ISBN 978-4-572-00094-1
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== 脚注 ==
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<references />
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== 参考文献 ==
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* 高橋源一郎(編)「吉田東伍博士追懐録」[[1919年]]
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* [[千田稔 (歴史地理学者)|千田稔]]「地名の巨人 吉田東伍 - 大日本地名辞書の誕生」[[角川書店|角川叢書]] ISBN 4047021261
+
* 千田稔, 渡辺史生(共編)「吉田東伍前期論考・随筆選 」[[国際日本文化研究センター|日文研叢書]] ISBN 4901558188
+
* [[谷川健一]],渡辺史生,井上慶隆,他「特集 風土を読む。吉田東伍」 季刊自然と文化 58[[日本ナショナルトラスト]]
+
* [[紀田順一郎]]「日本博覧人物史 - データベースの黎明」[[ジャストシステム]] ISBN 4883090779
+
*DVD「甦る名著5 吉田東伍と『大日本地名辞書』」[[紀田順一郎]](監修)/都憲雄(演出)[[紀伊國屋書店]] ISBN 9784877669430
+
 
+
== 外部リンク ==
+
* [http://www.city.agano.niigata.jp/site/togomuseum/ 阿賀野市立 吉田東伍記念博物館]
+
* [http://www.lib.fukuoka-u.ac.jp/annai/kanpo/no091/9105.html 福岡大学 図書館報No.91 ご存知ですか?吉田東伍「大日本地名辞書」を……]
+
* [{{NDLDC|993752/1}} 日韓古史斷]国会図書館近代デジタルライブラリ
+
* [http://wind.ap.teacup.com/chimei/ 世紀をまたぐ『大日本地名辞書』]
+
* [http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/00415/contents/003.htm 風土を読む 吉田東伍]日本財団図書館
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吉田東伍

吉田 東伍(よしだ とうご、1864年5月19日 -1918年1月22日)は日本歴史地理学者新潟県出身。『大日本地名辞書』の編纂者として知られる。日本歴史地理学会の創設者の一人。

経歴[編集]

元治元年4月14日(1864年5月19日)[1]越後国蒲原郡保田村(現阿賀野市安田村)の豪農・旗野家に、父・木七と母・園子の子(三男)として生まれる。1873年、叔父である旗野十一郎らが熱心に運動して設立された必勤舎(のちの保田小学校)に入学。翌1874年に親元を離れ、新潟町にあった県営の新潟学校(旧英学校)へ転校。同年10月に母・園子が死去。1876年、新潟英語学校へ転校。1877年に同校が新潟学校に併合され、新潟学校中等部に在籍したが、同年12月に中退。以後学校教育を受けずに独学を続ける。1881年に、出身地である新潟県安田町の歴史をまとめた『安田志料』を作り始める。同年、父・木七が死去。

1883(明治16)年、20歳の時に新潟県小学校教員検定に合格し、中蒲原郡大鹿小学校の教員となる。1884年、中蒲原郡大鹿新田の吉田家の長女カツミと結婚し、同家の養子となる。同年12月から養子先の吉田姓を名乗った[2]。新潟学校師範部に入学するも、まもなく中退。1885年、1年志願兵として仙台兵学校に入営する。休日に、旧仙台藩の図書を収蔵していた仙台師範学校の図書館に通う。翌年、帰郷。

1887(明治20)年、24歳の時、小学校正教員の検定に合格し、北蒲原郡水原小学校訓導となった。この頃、歴史・地理・天文学のほか考古学人類学に関心をもつ。1889年、同小学校を辞職[3]

1890(明治23)年、27歳で結婚(再婚?)した後、単身北海道に渡り、翌年11月まで滞在。この頃、新聞・雑誌に「落後生」などの筆名で史論の投稿を始め、『史学雑誌』に「古代半島興廃概考」を寄稿した。1891年に帰郷。1892年に雑誌『史海』に投稿した田口卯吉に対する反論が主筆・田口卯吉らの注目を惹いた。同年、親戚の市島謙吉を頼って上京し、市島が主筆を務める読売新聞社に入社。1893年に『読売新聞』紙上で「徳川政教考」を連載し、同年『日韓古史断』を刊行。翌1894年には『徳川政教考』の単行本を出版した。

1895(明治28)年、日清戦争に特派記者として従軍。この頃、日本の地名の変遷を記した研究がないことに気付き、1893年に官撰日本地誌の編纂が中止されていたことから、編纂事業を独力で引き継ぐ意思を持って『大日本地名辞書』を起稿した[4]。同書は1899年から刊行が開始され、1907年に全11冊が完成した。

1899(明治32)年、東京専門学校(翌年早稲田大学と改称)の文学部史学科の講師となり、国史、日本地誌、明治史、日本地理を担当。のちに教授となり、さらに維持員、理事に就任した。

吉田は歴史・地理学のほか日本音楽史、特に能楽の研究に意を注ぎ、『世子六十以後申楽談儀』(『申楽談儀』)を校訂、これが世阿弥伝書の発見につながる契機となった。1909年に、吉田が『花伝書』と命名した『風姿花伝』をはじめ、当時発見された世阿弥の著書16部を収めた『世阿弥十六部集』(校註)を刊行。同年、文学博士となる。1911年から『世阿弥十六部集註解』の連載を開始した。晩年は宴曲(早歌)研究に努め,東儀鉄笛の協力で宴曲再興を試み,私財を投じて『宴曲全集』を公刊して研究の基礎を築いた。

1918(大正7)年1月22日、千葉県本銚子町尿毒症のため急死、享年53。1914年に編集を開始した『国史百科事典』は未完に終った。

家族[編集]

  • 次男の吉田千秋(1895-1919)は琵琶湖周航の歌の原曲の作曲者。
  • 三男の吉田冬蔵は英文学者で、新潟大学文学部教授を務めた。

著書等[編集]

歴史・地理学、日本音楽史(能楽研究)に関する編著書の他、社会経済史の分野では『庄園制度之大要』が、近代史の分野では『維新史八講』があり、現代より過去に遡るという歴史的視野の問題を含む通史『倒叙日本史』(全12巻)がある。

付録[編集]

関連文献[編集]

  • 高橋源一郎『故文学博士吉田東伍先生略伝』私家版、1919年、NDLJP:960891
  • 市島春城「吉田東伍博士を憶ふ」『春城筆語』早稲田大学出版部、1928年、pp.49-56、NDLJP:1177503/33-37、

関連リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 4月10日との説もある(千田,2003,p.16)
  2. 千田,2003,p.17
  3. 岡田,2011,p.136
  4. 岡田,2011,p.137

参考文献[編集]

  • 高橋(1919) 高橋源一郎(編)『吉田東伍博士追懐録』私家版、1919年、NDLJP:960889 (閉)
  • 紀田(1995) 紀田順一郎『日本博覧人物史 - データベースの黎明』ジャストシステム、1995年、ISBN 4883090779
  • 日本ナショナルトラスト(1998) 「特集 風土を読む。吉田東伍」日本ナショナルトラスト(編)『季刊 自然と文化』No.58、1998年、NDLJP:6067765 (閉)、pp.4-59
  • 千田(2003) 千田稔『地名の巨人 吉田東伍 - 大日本地名辞書の誕生』〈角川叢書〉角川書店、2003年、ISBN 4047021261
  • 千田・渡辺(2003) 千田稔・渡辺史生(編)『吉田東伍前期論考・随筆選』〈日文研叢書〉国際日本文化研究センター、2003年、ISBN 4901558188
  • 紀伊國屋書店(2006) 紀田順一郎(監修)、都憲雄(演出)『DVD 甦る名著5 吉田東伍と「大日本地名辞書」』紀伊國屋書店映像情報部、2006年、ISBN 9784877669430
  • 岡田(2011) 岡田俊裕 『日本地理学人物事典 近世編』原書房、2011年、ISBN 9784562046942