「錦織圭」の版間の差分
(→外部リンク) |
|||
665行目: | 665行目: | ||
** {{Facebook|keinishikori|錦織圭}} | ** {{Facebook|keinishikori|錦織圭}} | ||
** {{twitter|keinishikori}}(同上) | ** {{twitter|keinishikori}}(同上) | ||
− | * | + | * [http://www.atpworldtour.com/Tennis/Players/Top-Players/Kei-Nishikori.aspx 錦織圭] - [[ATPツアー]]のプロフィール (英語)(スペイン語)(中国語) |
− | * | + | * [http://www.daviscup.com/en/players/player/profile.aspx?playerid=100029697 錦織圭] - [[デビスカップ]]のプロフィール (英語)(スペイン語) |
− | * | + | * [http://www.itftennis.com/procircuit/players/player/profile.aspx?playerid=100029697 錦織圭] - [[国際テニス連盟]]のプロフィール (英語) |
− | * | + | * [http://www.jta-tennis.or.jp/players_manage/male/jta_player_disp.php?procid=1&seq_id=19 錦織圭] - [[日本テニス協会]]のプロフィール |
* [http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4244 データで見る錦織圭の強さ] | * [http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4244 データで見る錦織圭の強さ] | ||
2015年1月22日 (木) 10:45時点における版
錦織 圭(にしこり けい、1989年12月29日 - )は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。日清食品所属。乃木小学校、開星中学校、青森山田高等学校卒業生。身長178cm、体重74kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ATPランキング自己最高位はシングルス5位、ダブルス167位。これまでにATPツアーでシングルス7勝を挙げている。男女通じて日本人初、男子アジア出身選手初のグランドスラム4大大会シングルスファイナリスト。
選手経歴
ジュニア時代
5歳からテニスを始め、2001年に全国小学生テニス選手権大会で優勝。2003年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに日本テニス協会会長・盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド」対象選手となり留学するため渡米。以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。
2003年はオレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝。2004年には男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップに三橋淳・喜多文明と共に日本代表として出場。前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。2005年には10月の世界スーパージュニアテニス選手権大会でジェレミー・シャルディーとの準決勝まで進出。この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。
2006年はピーター・ポランスキー(カナダ)と組んで出場した1月の全豪オープン男子ジュニアダブルスでベスト4進出の好成績を収めるとエミリアノ・マサ(アルゼンチン)と組んで出場した6月の全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、この大会の男子シングルス決勝に進んだラファエル・ナダル(スペイン)が、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラー(スイス)として錦織を指名し話題を呼んだ[1]。またこの年からジュニアサーキットと並行して本格的にシニア大会にも出場するようになり、この年はフューチャーズ大会で1優勝、2ベスト4の成績を収め、シングルス年度末ランキングを603位で終了。この時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。
2007年
3月のマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテン(ブラジル)と組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されているルキシロンカップに第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーンを 6-7(2), 6-4, 6-1 で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めた。4月にはヒューストンで行われた全米男子クレーコート選手権シングルス予選でツアーシングルス予選初出場。ここでは予選1回戦でトラビス・パロットに 3-6, 5-7 のストレートで敗れた。5月にはノーシードで出場したLAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャーシングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。予選から出場した7月第2週のLAテニス・オープンシングルスでは見事予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。ここでは1回戦でウェスリー・ムーディ(南アフリカ)と対戦し、3-6, 2-6 のストレートで敗れた。更に翌週インディアナポリスで行われたRCA選手権シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でアレハンドロ・ファジャ(コロンビア)を 6-4, 6-3 で、2回戦でミヒャエル・ベラーを 6-3, 3-6, 6-1 のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のATPツアーシングルスベスト8を決める。続く準々決勝では当時世界ランキング27位、大会第3シードのドミトリー・トゥルスノフ(ロシア)と対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。この活躍により翌7月第4週のレッグ・メーソン・テニス・クラシックではシングルス本戦SEを与えられ本戦出場。2回戦のジュリアン・ベネトー戦まで進出した。8月には全米オープンでグランドスラム予選に初挑戦。ここでは予選2回戦でビョルン・ハウに 2-6, 4-6 のストレートで敗退。9月のチャイナ・オープンシングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。1回戦で当時世界ランク12位、大会第4シードのイワン・リュビチッチ(クロアチア)に 3-6, 4-6 のストレートで敗れた。同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向[2]。翌10月のジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、添田豪と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。
2008年
2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでのデルレイビーチ国際テニス選手権で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレーク(アメリカ)を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に韓国オープンを制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。
4月に男子国別対抗戦デビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。
全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダル(スペイン)と対戦、4-6, 6-3, 3-6 と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(直接出場)を果たす。マルク・ジケル(フランス)との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった[3]。
6月末には日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、アトランタオリンピックの松岡以来12年振りとなる[4]。 オリンピックでは、1回戦でライナー・シュットラー(ドイツ)に、4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。
全米オープンでは世界ランク32位、第29シードのフアン・モナコ(アルゼンチン)を途中インジャリータイムをとりながらも 6-2, 6-2, 5-7, 6-2 で破り、2005年の鈴木貴男以来の日本人4大大会1回戦突破となった。続く2回戦はロコ・カラヌシッチ(クロアチア)を相手に2セット先取の後に相手選手棄権で突破、日本人では神和住純以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では当時世界ランク4位のダビド・フェレール(スペイン)を相手に 6-4, 6-4 で2セット先取、その後 4-6, 2-6 と2セットを挽回されるが、第5セットを 7-5 で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。日本人では1937年の山岸二郎・中野文照以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった[5]。しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、アルゼンチンの新鋭、19歳のフアン・マルティン・デル・ポトロに 3-6, 4-6, 3-6 とストレートで敗北し、95年の松岡以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。
その後、日本に凱旋した錦織は、AIGオープンに出場、1回戦でランキング102位のロバート・ケンドリック(アメリカ)を 7-6(3), 6(5)-7, 6-2 のフルセットで、2回戦でランキング60位のギリェルモ・ガルシア=ロペス(スペイン)を 6-4, 6-4 のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。3回戦ではフランスの世界ランク13位リシャール・ガスケと対戦。試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど[6] 終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6 と大敗を喫した。翌週に出場したストックホルム・オープンでは棄権を考えたほどの連戦の疲労から1~2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手のマリオ・アンチッチ(クロアチア)が試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。
2009年
全豪オープンは1回戦で第31シードユルゲン・メルツァーに 5-7, 2-6, 1-6 で敗退したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。なおこの賞はATPツアーに参加している全選手の投票による。 5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕のウィンブルドン選手権、8月開幕の全米オープンと連続して欠場した。また同8月には右肘の内視鏡手術を受け、残りのツアーを欠場。
2010年
前年の怪我が長引き年初を棒に振り一時はランキングを失ったが、復帰後は下部大会で好成績を収め順調にランキングを回復。 4大大会では、プロテクトランキングを使用して全仏オープンに繰り上げでストレートインを果たし初出場。初戦でサンティアゴ・ヒラルドを2セットダウンからの逆転で下したあと、2回戦でノバク・ジョコビッチにストレートで敗れた。 全仏後はクイーンズの大会に出場したが、初戦でリシャール・ガスケに敗れた。 ウィンブルドンには主催者推薦で出場。優勝したラファエル・ナダルに初戦でストレート負けした。 その後全米オープンに予選から出場、見事に突破し2年ぶりの出場を果たし、2回戦で第11シードのマリン・チリッチを 5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 6-1 で4時間59分の激闘の末破った。 東京で行われた楽天オープンでは初戦でビクトル・トロイツキに敗北した。
2011年
ブラッド・ギルバートをトラベリング・コーチに迎え、15トーナメントに帯同する。1月3日にユニクロと契約。エアセル・チェンナイ・オープンから使用。1月17日から全豪オープンに出場。初戦で世界ランク58位のファビオ・フォニーニ(イタリア)を 6-1, 6-4, 6-7(4), 6-4 で下し、同大会初勝利をあげた。続く2回戦で世界ランク36位フロリアン・マイヤー(ドイツ)を 6-4, 6-3, 0-6, 6-3 で破り、日本男子では46年ぶりの3回戦進出を果たしたが、3回戦で第9シードのフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に 2-6, 4-6, 3-6 のストレートで破れた。2月に行われたSAPオープンでは第8シードで出場し、1回戦でヤン・ハジェク(チェコ)をストレートで下した。2月14日付の世界ランキングが発表され68位に浮上。デルレイビーチ国際テニス選手権にも出場し、2回戦で2008年決勝の相手であるジェームズ・ブレークと対戦し 6-3, 6-4 のストレートで下した。準々決勝でライアン・スウィーティング(米国)に 6-7, 6-2, 6-4で勝ち、2008年以来の準決勝進出をしたがヤンコ・ティプサレビッチ(セルビア)に 4-6, 4-6 で敗れ、決勝進出は逃した。
3月のソニー・エリクソン・オープンでは1回戦でジェレミー・シャルディー(フランス)に 7-6(5), 6-2 で勝利し、ATPワールドツアー・マスターズ1000大会の初勝利を挙げた。2回戦では3度目の対戦となったラファエル・ナダルに 4-6, 4-6 で敗れた。4月の全米男子クレーコート選手権では世界ランク11位のマーディ・フィッシュ(米国)を 6-3, 6-2 のストレートで、準決勝では第7シードのパブロ・クエバス(ウルグアイ)を 6-3, 7-5 のストレートで下し決勝進出したが、ライアン・スウィーティング(米国)に 4-6, 6-7(3) で惜敗し、準優勝。ATPツアー2勝目は逃したが、自己最高ランクの48位に浮上した。バルセロナオープンでは3回戦でフェリシアノ・ロペスに敗れたが世界ランキングを自己最高の47位に浮上し、松岡修造が持つ日本人最高ランクの更新まで2と迫った。
全仏オープンでは1回戦で世界ランク56位の盧彦勲を6-1, 6-3, 6-4のストレートで勝利し、2年連続で2回戦へ駒を進めた。2回戦で第31シードのセルジー・スタホフスキー(ウクライナ)に 1-6, 6-3, 3-6, 6-7(3) で敗れた。グランドスラムでは初出場のダブルスではマクシモ・ゴンサレスと組んだ1回戦は勝利したが、二回戦で第3シードのロハン・ボパンナ(インド)、アイサム・クレシ(パキスタン)組に7-6, 3-6, 4-6で敗れた。
デビス杯のウズベキスタン戦に2年ぶり出場。初日のシングルスは格下相手に1セットを落とすが勝利。2日目のダブルスは添田豪と組み、イストミン、イノヤトフ組を7-5, 7-6, 7-5で勝利。そして3日目のシングルスもエースのイノヤトフに 6-7, 7-5, 6-4, 6-3 で勝利し、入れ替え戦進出に大きく貢献した。入れ替え戦のインド戦でも招集され、シングルスの2試合に出場してともに勝ち日本のワールドグループ昇格に大きく貢献した。
10月に行われた上海マスターズでは2回戦で世界ランク8位のジョー=ウィルフリード・ツォンガと対戦し2‐1で勝利。3回戦では同48位サンチアゴ・ヒラルドと対戦。接戦の末勝利し、松岡修造の持つ日本人最高ランクである46位を超えることが確実となると、10月17日に発表された世界ランキングでは30位にランクアップ、日本人男子選手最高を更新した[7]。
11月にスイス・バーゼルで行われたスイス・インドアでは、1回戦で世界ランク7位のトマーシュ・ベルディハを、 3-6, 6-3, 6-2 の逆転で下し、先の上海マスターズに続き世界トップ10選手に再び勝利。さらに準決勝では同1位のノバク・ジョコビッチを 2-6, 7-6(4), 6-0 で破る大金星を挙げ、ATPツアー3度目となる決勝進出。日本の男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利したのは史上初である[8]。決勝では地元スイスの英雄にして、兼ねてより熱望していたロジャー・フェデラーとの対戦が実現するも、 1-6, 3-6 で敗れ、準優勝となる。11月に2008年4月から所属契約を結んでいたソニーとの契約が終了した。
2012年
年度最初のブリスベン国際では2回戦で敗れたが、全豪オープンでは現行ランキング制度導入の1973年以降の4大大会で、日本人男子シングルス選手として初めて上位32名に与えられるシード権を得て、第24シードとして大会に挑むこととなった[9]。前哨戦では世界ランク6位のジョー=ウィルフリード・ツォンガと同16位のアンディ・ロディックといった強豪相手に勝利。本大会では2回戦で地元オーストラリアの同94位のマシュー・エブデンを 3-6, 1-6, 6-4, 6-1, 6-1 のフルセットで破った。2セットダウンからの大逆転であった。3回戦では同39位のジュリアン・ベネトーに 4-6, 7-6, 7-6, 6-3 で勝利、続く4回戦でツォンガを 2-6, 6-2, 6-1, 3-6, 6-3 のフルセットで破り、ベスト8に進出した。全豪で日本男子がベスト8入りしたのは、佐藤次郎、布井良助以来80年ぶり、4大大会での日本男子のベスト8入りは、1995年のウィンブルドン選手権の松岡修造のベスト8以来17年ぶりである[10]。このベスト8入りはオーストラリアの地元紙のトップで報じられた[11]。準々決勝では世界ランク4位のアンディ・マレーに、3-6, 3-6, 1-6 のストレートで敗れ、ベスト4入りは逃した。混合ダブルスではクルム伊達公子とペアを組み、1回戦で昨年の全米オープンで準優勝したエドゥアルド・シュワンク、ヒセラ・ドゥルコ組を破ったが[12]、2回戦で敗退。
デビスカップ・ワールドグループ1回戦(日本対クロアチア)では世界ランク43位のイボ・カロビッチや同55位のイワン・ドディグと対戦。ドディグには7-5, 7-6, 6-3のストレートで勝利をしたが、カロビッチには身長208cmから繰り出されるサーブに苦しみ、4-6, 4-6, 3-6のストレートで敗れた。なお、日本はクロアチアに2-3で敗戦。
インディアンウェルズ・マスターズでは一回戦負けだったが、ソニー・エリクソン・オープンでは日本男子初のベスト16入りを果たした。しかし、4回戦で世界ランク2位のラファエル・ナダルに 4-6, 4-6 で敗れた。 バルセロナ・オープン・バンコ・サバデルでは準々決勝まで進出。世界ランク20位のフェルナンド・ベルダスコとの対戦中、腹筋を痛め途中棄権。回復に1ヶ月ほどかかると診断され、その後の全仏オープンの欠場を余儀なくされた。
その後エキシビションマッチで復帰。レイトン・ヒューイットやマーディ・フィッシュとの対戦で手応えを掴んだ後、ウィンブルドン選手権に第19シードとして出場。 1、2回戦ともにストレートで勝利し、松岡修造以来17年ぶりに日本人として3回戦に進出するも、世界ランク9位のフアン・マルティン・デル・ポトロに 3-6, 6-7, 1-6 のストレートで敗れた。
アトランタ選手権では3回戦で添田豪との日本人対決が実現し、 2-6, 1-6 で敗れた。
第15シードとして挑んだロンドンオリンピック男子シングルス1回戦でバーナード・トミックを7-6, 7-6で下して、日本の男子シングルス選手としては1924年パリオリンピックベスト8の原田武一以来88年ぶりとなるオリンピックでの勝利をあげた[13]。2回戦ではニコライ・ダビデンコに 4-6, 6-4, 6-1 で勝利し、3回戦では世界ランク5位のダビド・フェレールに対し 6-0, 3-6, 6-4 で勝利しベスト8に進出。準々決勝では先月のウィンブルドン選手権の3回戦で対戦した同9位のフアン・マルティン・デル・ポトロに 4-6, 6-7 のストレートでまたしても敗退した。
全米オープンでは第17シードとして出場。1, 2回戦ともにストレートで快勝したが、3回戦で世界ランク13位のマリン・チリッチに 3-6, 4-6, 7-6, 3-6 で敗れた。
デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフ(日本対イスラエル)ではシングルス2試合に出場予定だったが、初日は肩の痛みを訴え欠場。最終日には復活し、世界ランク98位のドゥディ・セラと対戦。途中左脹脛が痙攣しつつも、6-3, 3-6, 4-6, 6-4, 7-5のフルセットで勝利した。この錦織の勝利で両チーム2勝2敗となったが、最後に添田豪が敗れ、日本はイスラエルに2-3で敗戦。日本はワールドグループからアジア・オセアニアゾーン1部に降格した。
楽天ジャパン・オープンでは、1回戦では添田豪を4-6, 6-2, 6-3 で、準々決勝で世界ランク6位のトマーシュ・ベルディハをストレートで下し、決勝で同15位のミロシュ・ラオニッチを 7-6, 3-6, 6-0 で破り、ツアー2勝目を飾った。ツアー優勝は2008年デルレイビーチ国際テニス選手権以来で、錦織は日本人として初めてツアー2勝をした選手となった。また、この優勝により大会後のランキングで自己最高の15位を記録した。2012年最後の出場大会となったパリ・マスターズではジル・シモンとの3回戦を右足首痛のため棄権した。
2013年
ウィンブルドン選手権、1回戦(マシュー・エブデンとの対戦)]] ブリスベン国際を第5シードで出場し単複ベスト4初進出。日本男子で同時に単複ベスト4に進んだのは、1974年フィリピン選手権の九鬼潤以来。シングルス準決勝のアンディ・マレー戦で左膝を悪化、4-6, 0-2時点で途中棄権。同じくグリゴール・ディミトロフと組んでいたダブルス準決勝も棄権。
全豪オープンでは日本人初の2年連続ベスト16に進出。しかし、4回戦で世界ランキング5位のダビド・フェレールに2-6, 1-6, 4-6で完敗。
2月に開催された全米国際インドアテニス選手権では、準々決勝で昨年の全米オープンで敗れた第1シードのマリン・チリッチに勝利し、決勝でフェリシアーノ・ロペスを6-2, 6-3で下し全試合ストレート勝ちでツアー3勝目を挙げた。その後のデルレイビーチ国際テニス選手権では1回戦で棄権。インディアンウェルズ・マスターズ、ソニー・エリクソン・オープンはそれぞれ3回戦と4回戦で敗退した。
欧州クレーコートシーズンでは、5月初旬に開催されたマドリード・マスターズ3回戦で、第2シードで前年度チャンピオンのロジャー・フェデラーを6-4, 1-6, 6-2で破る大金星を挙げる。全仏オープンでは日本人選手として75年ぶりにベスト16に進出するも、4回戦で第3シードのラファエル・ナダルに4-6, 1-6, 3-6のストレートで敗退。昨年欠場していた全仏オープンで4回戦進出しポイントを獲得したため、大会後のランキングでは8ヶ月ぶりに自己最高ランクを更新し13位に上昇。
翌週開催のゲリー・ウェバー・オープンに第4シードで出場するも、初戦で準優勝者ミハイル・ユージニーに惜敗。しかし、昨年度の優勝者トミー・ハースが準決勝で敗退するなどして、シングルス自己最高ランキングを2週連続で更新し11位に浮上した。
2014年
全豪オープンではマリンコ・マトセビッチ、ドゥサン・ラヨビッチ、ドナルド・ヤングを破り3年連続の16強入り。4回戦では第1シードのラファエル・ナダルと対戦してストレート負けだったが、スコアは6-7、5-7、6-7と3セットとも接戦を演じた[15]。
2月、カナダと対戦したデビスカップ2014の1回戦ではシングルスで2勝、ダブルス(内山靖崇とペア)で1勝して、日本初の準々決勝進出に貢献した[16]。全米国際インドアテニス選手権では、イボ・カルロビッチを破って優勝し、前年からの2連覇を達成し、ツアー通算4勝目、今季初の優勝を果たした。
3月、マイアミ・マスターズに出場。3回戦でグリゴール・ディミトロフ、4回戦でダビド・フェレールといった世界ランキング上位者に勝利。準々決勝ではロジャー・フェデラーと対戦し、3-6、7-5、6-4で2度目の勝利を挙げた。準決勝ではノバク・ジョコビッチと対戦する予定だったが、左股関節の痛みにより棄権している。
4月、バルセロナ・オープン・バンコ・サバデルに出場。決勝でサンティアゴ・ヒラルドと対戦し、6-2、6-2で今大会初、ツアー通算5勝目、今季2度目の優勝を果たした[17]。同大会のシングルスは、2003年から2013年まで、開催国のスペインの選手が優勝し続けていた。
5月、マドリード・マスターズに出場。準々決勝でフェリシアーノ・ロペスに6-4、6-4で勝利し、念願の世界ランキングトップ10入りを果たした。準決勝ではダビド・フェレールに7-6、5-7、6-3で勝利し、日本人初のマスターズ決勝に進出。決勝では第1シードのラファエル・ナダルと対戦し健闘するも、6-2、4-6、0-3(途中棄権)で惜しくも敗れる。ナダル戦初勝利、マスターズ初優勝、初の2大会連続優勝の3つを同時に達成するという快挙はならなかった[18]。大会後のランキングで自己最高位を更新し、アジア出身男子最高位に並ぶ9位となった。
ランキングを10位に落とし第9シードとして出場した全仏オープンでは、マドリード・マスターズで負った怪我の影響もあり、1回戦でマルティン・クリザンに6-7(4)、1-6、2-6で敗退した。
6月、ゲリー・ウェバー・オープンに出場。今大会初の準決勝に進出し、ロジャー・フェデラーと対決する。錦織はフェデラーに2度のブレークを許し、3-6, 6-7 (4-7)のストレートで破れ、フェデラーとの対戦結果を2勝2敗とした。
第10シードとして出場したウィンブルドンでは、3回戦でシモーネ・ボレリと対戦。第5セットを3-3にしたところで日没順延となり、翌週の月曜日に再開された試合で第10ゲームをブレークして自身初となるウィンブルドンでの3回戦突破を決めた。しかし続く4回戦で第8シードのミロシュ・ラオニッチに6-4、1-6、6-7、3-6で破れ、松岡修造以来19年ぶりのベスト8とはならなかった。
7月29日より全米オープンの前哨戦であるシティ・オープンに第4シードで出場。初戦の2回戦で世界ランク63位のサム・クエリーと対戦し6-4、5-7、6-4で勝利をおさめた。3回戦のルカシュ・ラツコ戦も6-2、2-6、6-3で勝利してベスト8に進出したが、大会初のベスト4をかけた準々決勝では第6シードで世界ランク14位のリシャール・ガスケに1-6、4-6で敗れ、またもガスケに対し初勝利とならなかった。
シティ・オープン終了後、右足親指の故障のため、同じく全米前哨戦のロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場して親指の嚢胞手術をし治療に専念した[19]。
治療明けで出場した全米オープンでは、1回戦でウェイン・オデスニクに6-2、6-4、6-2で勝利、2回戦でパブロ・アンドゥハールに6-4、6-1(第3セットは相手が棄権)で勝利した時点で4大大会通算33勝となり、佐藤次郎が持っていた日本人男子記録を更新した[20]。3回戦は第23シードのレオナルド・マイエルに6-4, 6-2, 6-3でストレート勝ちし、初出場だった2008年大会以来6年ぶり2度目のベスト16進出が決定[21]。4回戦では第5シードのミロシュ・ラオニッチを4-6、7-6(7-4)、6-7(6-8)、7-5、6-4のフルセットの末に下し、全米オープンでは自身初、日本人男子選手では1922年大会の清水善造以来92年ぶりのベスト8進出を決めた[22]。ナイトセッションで行われたこの試合の試合時間は4時間19分に渡り、終了時刻は全米オープン史上最も遅い午前2時26分だった[23]。準々決勝も試合時間4時間15分の2試合連続フルセットの末に第3シードのスタニスラス・ワウリンカを3-6、7-5、7-6(9-7)、6-7(5-7)、6-4で下し、4大大会では自身初、日本人男子選手としては1918年大会の熊谷一弥以来96年ぶり、4大大会でも1933年ウィンブルドンの佐藤次郎以来81年ぶりとなるベスト4進出を決めた[24][25]。準決勝では世界ランク1位で第1シードのノバク・ジョコビッチを相手に、6-4、1-6、7-6(7-4)、6-3で勝利し、4大大会シングルスでは男女通じて日本人初、男子に限ればアジア出身選手初の決勝進出を果たす。その決勝は第14シードのマリン・チリッチと対戦したが3-6, 3-6, 3-6のストレートで敗退。優勝は逃したものの、自身が同年5月に記録したアジア出身選手の世界ランク最高位記録9位を超え8位以上となることが確定した[26][27]。
全米オープン後、初のツアー大会となったマレーシア・オープン・クアラルンプールでは第1シードで出場。順当に決勝まで勝ち進み、決勝では第4シードのジュリアン・ベネトー相手に7-6(7-4)、6-4で勝利、大会初優勝またシーズン3勝目、ツアー通算6勝目を達成し、翌週に発表されたランキングでは自己最高位を更新する7位に浮上した。
そして、初の2週連続優勝がかかった母国開催の楽天ジャパン・オープンでは初戦からシード勢が次々と敗退していくなか、第4シードの錦織は1セットも落とさず準決勝に進出。その準決勝ではベンジャミン・ベッカーに4-6、6-0、7-6(7-2)で勝利し決勝に進出。決勝では第3シードのミロシュ・ラオニッチと今季4度目の対戦。7-6(7-5)、4-6、6-4で勝って2年ぶり2度目の優勝を果たした。これによりマレーシア・オープン・クアラルンプールから2週連続の大会制覇となり日本男女を含めても初の快挙となり10月6日発表の自己の世界ランキングを再び更新する6位となった。
10月、上海マスターズの怪我と連日の疲れからバレンシア・オープンも欠場し、迎えたBNPパリバ・マスターズ準々決勝では第4シードのダビド・フェレールと対戦し、3-6、7-6(7-5)、6-4で勝利してアジア男子初のATPワールドツアー・ファイナルに出場権を獲得した。準決勝では第1シードのノバク・ジョコビッチに2-6、3-6のストレートで破れ、大会初の決勝進出とはならなかった。しかしながら、翌週発表のATPランキングではノバク・ジョコビッチ、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、スタニスラス・ワウリンカに次ぐ自己最高位更新の5位に位置付けた。
2014年ATPレース・ランキングにおいて、グランドスラム準優勝、マスターズ1000準優勝とベスト4が2回、500シリーズ優勝2回に250シリーズ優勝2回など合計4625ポイント獲得し、世界第5位の成績でアジア出身男子初のATPワールドツアー・ファイナル出場が決まった。
11月のツアー・ファイナルはラファエル・ナダルが欠場したため第4シードで出場。ラウンドロビンB組第1戦では、過去の対戦で1度も勝利がなかったアンディ・マレーに6-4,6-4で初勝利。第2戦ではロジャー・フェデラーに3-6,2-6で敗れたものの、ダビド・フェレール(第8シードのミロシュ・ラオニッチの棄権による代替出場)に4-6,6-4,6-1で勝利し、B組2位で準決勝に進出。準決勝ではA組を3戦全勝で1位通過した世界ランキング1位ノバク・ジョコビッチと対戦。この大会全試合ストレート勝ちしていたジョコビッチから1セットをとり健闘したが、1-6,6-3,0-6で敗れファイナル初出場での決勝進出とはならなかった。この結果、シーズン通算54勝14敗(勝率.794)で年内の世界ランキング5位が確定。2014年の獲得賞金額は443万9218ドルで世界6位となる。[28]
2015年
1月、ブリスベン国際ではアレクサンドル・ドルゴポロフとダブルスに出場し、ダブルスでは初のATPツアー決勝進出を果たした。
プレースタイル
身長178センチとテニス選手としては小柄ながら、世界屈指と言われるリターン、足の速さ、スイングスピードなどを持つ。最終セットの勝率に関しては、2014年は9割以上、キャリアを通しても79.1%で 歴代選手トップの記録を誇る[29]。
新たなウイニングショットとも言える、バックスピンかけたほとんどバウンドしないドロップショットも武器。サービスリターンではベースライン上から鋭く一歩前に踏み出し、強烈なダウンザラインでリターンエースを奪う[30]。
バリエーション豊かな多彩なショット、相手との間合いを詰め返球を速くすることで、相手の考える時間、予備動作の時間、スイングの準備時間をどんどん奪っていき、ストロークを重ねるごとに有利な形を作り出し、後手に回った相手を精神的に追い詰めていく。[31]。
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 11回 (7勝4敗)
|
|
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 1. | 2008年2月17日 | デルレイビーチ | ハード | ジェームズ・ブレーク | 3–6, 6–1, 6–4 |
準優勝 | 1. | 2011年4月10日 | ヒューストン | クレー | ライアン・スウィーティング | 4–6, 6–7(3) |
準優勝 | 2. | 2011年11月6日 | バーゼル | ハード (室内) | ロジャー・フェデラー | 1–6, 3–6 |
優勝 | 2. | 2012年10月7日 | 東京 | ハード | カナダ ミロシュ・ラオニッチ | 7–6(5), 3–6, 6–0 |
優勝 | 3. | 2013年2月24日 | メンフィス | ハード (室内) | フェリシアーノ・ロペス | 6–2, 6–3 |
優勝 | 4. | 2014年2月16日 | メンフィス | ハード (室内) | クロアチア イボ・カルロビッチ | 6–4, 7–6(0) |
優勝 | 5. | 2014年4月27日 | バルセロナ | クレー | コロンビア サンティアゴ・ヒラルド | 6–2, 6–2 |
準優勝 | 3. | 2014年5月11日 | マドリード | クレー | ラファエル・ナダル | 6–2, 4–6, 0-3 途中棄権 |
準優勝 | 4. | 2014年9月8日 | 全米オープン | ハード | クロアチア マリン・チリッチ | 3-6, 3-6, 3-6 |
優勝 | 6. | 2014年9月28日 | マレーシア クアラルンプール | ハード | ジュリアン・ベネトー | 7-6(4), 6-4 |
優勝 | 7. | 2014年10月5日 | 東京 | ハード | カナダ ミロシュ・ラオニッチ | 7–6(5), 4–6, 6–4 |
ダブルス: 1回(0勝1敗)
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 1. | 2015年1月10日 | ブリスベン国際 | ハード | アレクサンドル・ドルゴポロフ | ジェイミー・マレー ジョン・ピアース |
3-6、6-7(4) |
成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | WG | Z# | PO | SF-B | S | G | NMS | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
4大大会
大会 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | A | A | 1R | A | 3R | QF | 4R | 4R | 12–5 |
全仏オープン | A | LQ | A | 2R | 2R | A | 4R | 1R | 5–4 |
ウィンブルドン | A | 1R | A | 1R | 1R | 3R | 3R | 4R | 7–6 |
全米オープン | LQ | 4R | A | 3R | 1R | 3R | 1R | F | 13–6 |
オリンピック
大会 | 2008 | 2012 | 通算成績 |
---|---|---|---|
夏季オリンピック | 1R | QF | 3-2 |
ATPワールドツアー・ファイナル
大会 | 2014 | 通算成績 |
---|---|---|
ATPワールドツアー・ファイナル | SF | 2-2 |
ATPワールドツアー・マスターズ1000
大会 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | W–L | 勝率 |
インディアンウェルズ・マスターズ | A | 1R | 1R | A | 1R | 2R | 3R | 3R | 2–6 | 25% |
マイアミ・マスターズ | A | 1R | A | A | 2R | 4R | 4R | SF | 9–4 | 69% |
モンテカルロ・マスターズ | A | A | A | A | A | 3R | A | A | 2–1 | 67% |
マドリード・マスターズ | A | A | A | A | 1R | A | QF | F | 8–3 | 73% |
ローマ・マスターズ | A | A | A | A | Q2 | A | 2R | A | 1–1 | 50% |
カナダ・マスターズ | Q1 | A | A | A | A | 2R | 3R | A | 2–2 | 50% |
シンシナティ・マスターズ | A | A | A | A | 1R | 3R | 1R | A | 2–3 | 40% |
上海マスターズ | NM1 | NM1 | A | Q1 | SF | 2R | 3R | 2R | 7–4 | 64% |
パリ・マスターズ | A | A | A | A | 1R | 3R | 3R | SF | 6–3 | 67% |
Win–Loss | 0–0 | 0–2 | 0–1 | 0–0 | 5–6 | 8–6 | 13–8 | 13–4 | 39–27 | 59% |
---|
世界ランクトップ10の選手との対戦勝利記録
年 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 合計 |
勝利数 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2 | 11 | 20 |
No. | 対戦相手 | ランク | 大会 | サーフェス | ラウンド | スコア | 錦織 ランク |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2008 | |||||||
1. | ダビド・フェレール | 4 | 全米オープン | ハード | 3回戦 | 6–4, 6–4, 3–6, 2–6, 7–5 | 126 |
2011 | |||||||
2. | ジョー=ウィルフリード・ツォンガ | 8 | 上海マスターズ | ハード | 2回戦 | 6–7(1–7), 6–4, 6–4 | 47 |
3. | トマーシュ・ベルディハ | 7 | スイス・インドア | ハード (室内) | 1回戦 | 3–6, 6–3, 6–2 | 32 |
4. | セルビア ノバク・ジョコビッチ | 1 | スイス・インドア | ハード (室内) | 準決勝 | 2–6, 7–6(7–4), 6–0 | 32 |
2012 | |||||||
5. | ジョー=ウィルフリード・ツォンガ | 6 | 全豪オープン | ハード | 4回戦 | 2–6, 6–2, 6–1, 3–6, 6–3 | 26 |
6. | ダビド・フェレール | 5 | ロンドン五輪 | 芝 | 3回戦 | 6–0, 3–6, 6–4 | 17 |
7. | トマーシュ・ベルディハ | 6 | ジャパン・オープン・テニス選手権 | ハード | 準々決勝 | 7–5, 6–4 | 17 |
2013 | |||||||
8. | ロジャー・フェデラー | 2 | マドリード・マスターズ | クレー | 3回戦 | 6–4, 1–6, 6–2 | 16 |
9. | ジョー=ウィルフリード・ツォンガ | 9 | パリ・マスターズ | ハード (室内) | 2回戦 | 1–6, 7–6(7–4), 7–6(9–7) | 19 |
2014 | |||||||
10. | ダビド・フェレール | 4 | マイアミ・マスターズ | ハード | 4回戦 | 7–6(9–7), 2–6, 7–6(11–9) | 21 |
11. | ロジャー・フェデラー | 5 | マイアミ・マスターズ | ハード | 準々決勝 | 3–6, 7–5, 6–4 | 21 |
12. | カナダ ミロシュ・ラオニッチ | 9 | マドリード・マスターズ | クレー | 3回戦 | 7–6(7–5), 7–6(7–5) | 12 |
13. | ダビド・フェレール | 5 | マドリード・マスターズ | クレー | 準決勝 | 7–6(7–5), 5–7, 6–3 | 12 |
14. | カナダ ミロシュ・ラオニッチ | 6 | 全米オープン | ハード | 4回戦 | 4–6, 7–6(7–4), 6–7(6–8), 7–5, 6–4 | 11 |
15. | スタニスラス・ワウリンカ | 4 | 全米オープン | ハード | 準々決勝 | 3–6, 7–5, 7–6(9–7), 6–7(5–7), 6–4 | 11 |
16. | セルビア ノバク・ジョコビッチ | 1 | 全米オープン | ハード | 準決勝 | 6–4, 1–6, 7–6(7–4), 6–3 | 11 |
17. | カナダ ミロシュ・ラオニッチ | 8 | ジャパン・オープン・テニス選手権 | ハード | 決勝 | 7–6(7–5), 4–6, 6–4 | 7 |
18. | ダビド・フェレール | 6 | パリ・マスターズ | ハード (室内) | 準々決勝 | 3–6, 7–6(7–5), 6–4 | 7 |
19. | アンディ・マレー | 6 | ATPワールドツアー・ファイナル | ハード (室内) | ラウンドロビン | 6–4, 6–4 | 5 |
20. | ダビド・フェレール | 10 | ATPワールドツアー・ファイナル | ハード (室内) | ラウンドロビン | 4–6, 6–4, 6–1 | 5 |
スポンサー
- 日清食品(所属契約)
- ウイルソン(ラケット)
- アディダス(シューズ)
- ユニクロ(ウェア)
- ウイダーinゼリー(トレーニング・栄養)
- カップヌードル(パッチスポンサー)
- タグ・ホイヤー(時計)
- ジャックス(クレジットカード)
- デルタ航空(航空)
その他・エピソード
- 錦織の姓の読みは全国的には「にしきおり」が多いが、島根県では「にしこおり」(同県出身の錦織良成など)またはそれを略した「にしこり」が多い。
- 母方筋の親戚に俳優の渡哲也・渡瀬恒彦兄弟がいる[32]。
- 同郷出身である俳優の佐野史郎、元サッカー選手の小村徳男は小学校の先輩である。また、現在福岡ソフトバンクホークスに所属する白根尚貴は小学校の後輩に当たる。
- テニス以外でやっていたスポーツはサッカーで小学校の1年生から6年生までは本格的にやっていた。今でもサッカーが好きでテニスボールでリフティングをするのが得意である[33]。
- 好きな女性のタイプはタレントで言うと夏帆[34]。
- 好きなアーティストはキリンジ、ASIAN KUNG-FU GENERATION、nujabes。
- 漫画『テニスの王子様』を愛読していたという。2014年8月放送の青春!アリスポ〜SPORTS×MANGA〜「テニスを変えた“王子様”」のなかで漫画に出てくる技や練習を真似たこともあると語った[35]。
- 全米オープン準優勝後、英国の自動車メーカー、ジャガー日本法人のアンバサダー(大使)に任命された。
- 2014年11月20日、錦織選手をイメージした『Fタイプ KEI NISHIKORI EDITION』を発表。発売記念イベントに於いて、上記『テニスの王子様』の作者・許斐剛が描きおろしたイラスト『ジャガーの王子様』(KEI NISHIKORI EDITIONをバックに錦織選手がショットを決めているイラスト)を贈呈された。また許斐自身もサプライズ登場し錦織を喜ばせた[36]。
出演
バラエティ番組
- 夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル「テニス対決」(2012年1月2日‐現在、テレビ朝日)
- 炎の体育会TV「テニス対決」(2012年4月6日、TBS)
- 青春!アリスポ〜SPORTS×MANGA〜「テニスを変えた“王子様”」(2014年8月10日、NHKBS1)
CM
- サントリー食品『ゲータレード』(2009年)
- ユニクロ
- 日清食品『日清麺職人』「生めんにきびしくて篇」(2013年)
- 日清食品『日清カップヌードル』「Samurai in NewYork編」(2015年)
- 森永製菓『ウイダー』inゼリーテニス篇 (2014年)
- JACCS「その買い物には、未来がある。」(2014年)
- WOWOW「TOUCH!WOWOW 2014」(2014年)
脚注
- ↑ テニスジャパン (2006年6月11日) テニスジャパン 五輪=ナダル、決勝前の練習相手に錦織圭を!!錦織圭フレンチ・オプーンJR優勝。 2006年6月11日 [ arch. ] 2010年5月11日
- ↑ 錦織圭、プロ転向を宣言!.(2007年9月29日).2010年5月11日閲覧、日本テニス協会
- ↑ 錦織 四大大会デビューは途中棄権.(2008年6月24日).2008年10月4日閲覧、AFPBB News
- ↑ 五輪=男子テニスの錦織が北京切符を獲得、国際テニス連盟推薦枠で.(2008年6月29日).2008年10月4日閲覧、ロイター
- ↑ 錦織、71年ぶり4回戦進出 全米テニス.2008年10月4日閲覧、(2008年8月30日).日経ネット
- ↑ 男子シングルス3回戦 リシャール・ガスケ(フランス) vs 錦織 圭(ソニー).2008年12月11日閲覧、(2008年10月2日).AIGオープンニュース
- ↑ 錦織、日本男子史上最高30位「大きな一歩踏み出せた」 スポーツニッポン 2011年10月18日閲覧
- ↑ 日本男子史上初!錦織、世界1位破り決勝へ…スイス室内 スポーツ報知 2011年11月7日閲覧
- ↑ 錦織、全豪テニス第24シード/73年以降、日本男子初
- ↑ 錦織が全豪テニス8強…四大大会で松岡修造以来 読売新聞 2012年1月23日閲覧
- ↑ 「旭日の勢い」錦織をトップ報道/全豪テニスで地元紙
- ↑ 錦織・クルム伊達組2回戦へ/全豪テニス第7日
- ↑ 日本男子88年ぶり!錦織 歴史的白星にびっくり「今知った」スポーツニッポン2012年7月30日
- ↑ 2013年12月11日マネジメント会社発表。錦織のコーチにマイケル・チャン氏 精神面を指導
- ↑ 錦織、ナダル戦で見せた確かな成長 全豪オープンテニススポーツナビ2014年1月21日
- ↑ 日本初8強、エース錦織「信じられない気持ち」<デビスカップ>tennis365.net 2014年2月2日
- ↑ 【速報】錦織圭、大会初優勝、今季2勝目<バルセロナ・オープン・サバデル>tennis365.net 2014年4月28日
- ↑ 【速報】錦織、無念の途中棄権で準優勝<ムチュア・マドリッド・オープン男子>tennis365.net 2014年5月12日
- ↑ テニス錦織、足指痛で2大会欠場 「治療に専念」日本経済新聞2014年8月4日
- ↑ 錦織 日本人最多4大大会33勝 相手棄権で3回戦進出スポーツニッポン2014年8月29日
- ↑ 錦織 「体力的に温存できた」
- ↑ 錦織 92年ぶり快挙達成tennis365.net2014年9月2日
- ↑ 【全米テニス】錦織、日本男子92年ぶり8強!深夜の決着2時26分スポーツ報知2014年9月3日
- ↑ 錦織、もつれるほど燃える男 また4時間超え死闘制す - 稲垣康介、朝日新聞デジタル、2014年9月4日
- ↑ 錦織、大接戦制し4強 日本男子96年ぶり 全米テニス - CNN Japan、2014年9月4日
- ↑ “錦織 アジア人初の8位確定”. Fubic Corporation (2014年9月7日). 2014年9月8日閲覧。
- ↑ アジア人女子選手では中国の李娜が2014年2月に2位にランキングされている
- ↑ | 錦織圭の獲得賞金。~日本人史上最高の400万ドル超え~
- ↑ 錦織圭、小さな体で世界を魅了した1年テクニック、勝負強さ――躍進の要因は?.(2014年11月16日).2014年11月18日閲覧、山口奈緒美
- ↑ 技術面から見る錦織圭の強さの秘密もはや常識となったテニスの新潮流とは?.(2014年11月18日).2014年11月18日閲覧、坂井利彰
- ↑ 技術面から見る錦織圭の強さの秘密もはや常識となったテニスの新潮流とは?.(2014年11月18日).2014年11月18日閲覧、坂井利彰
- ↑ 渡哲也驚いた錦織圭と親戚だった
- ↑ 錦織圭が超絶テニスボール・リフティングを披露(元サッカー少年)
- ↑ 『錦織圭 15‐0(フィフティーン・ラブ)』(神 仁司、実業之日本社、2008年)より
- ↑ 「青春!アリスポ〜SPORTS×MANGA〜」公式サイト
- ↑ 錦織圭『テニプリ』イラストに感激 ジャガー『Fタイプ KEI NISHIKORI EDITION』発売記念イベント oriconofficial動画ニュース
外部リンク
- 錦織 圭 公式サイト
- 錦織圭 - ATPツアーのプロフィール (英語)(スペイン語)(中国語)
- 錦織圭 - デビスカップのプロフィール (英語)(スペイン語)
- 錦織圭 - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
- 錦織圭 - 日本テニス協会のプロフィール
- データで見る錦織圭の強さ
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・錦織圭を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |