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2014年12月6日 (土) 12:29時点における版
吉田有希ちゃん殺害事件は、2005年12月に、栃木県今市市(現:日光市)に住む7歳の小学1年生・吉田有希ちゃんが行方不明となり、茨城県常陸大宮市の山林で刺殺体となって発見された事件。
関与をほのめかしていた勝又拓哉(32)が2014年6月3日に逮捕された。勝又拓哉は2014年1月、ブランド品の偽者を所持したとする別件の商標法違反で、勝又拓哉の実母(55)共々逮捕され、この事件により既に起訴されていた。
目次
捜索状況
- 2005年12月1日
- 栃木県今市市(現:日光市)の大沢小学校に通う小学1年生の吉田有希ちゃんが、下校途中に行方不明となった。
- 家族が駐在所に捜索願を提出した。捜索が開始されたが、発見に至らなかった。
- 12月2日
- 栃木県警が、公開捜査を開始。
- 自宅から60kmも離れた茨城県常陸大宮市の山林で、遺体が発見される。遺棄現場周辺は人通りが少なく、人目につかない場所であった。
- 死体発見以降
- 胸を数カ所刺されていたことなどから、栃木県警は殺人と断定、県境を跨いだことから茨城県警との合同捜査本部が設置され、捜査が開始された。
- 吉田有希ちゃんのランドセルや衣服などの遺留品が見当たらず、捜索が行われたが、見つかったという報道はない。
- 連れ去り現場・遺体遺棄現場周辺などでの聞き込みや、学校からの情報提供で、多くの不審者情報が寄せられたものの、有力な情報には乏しい。
- 今市市から常陸大宮市へ至るルートにあたる国道293号や国道123号、日光宇都宮道路では、検問やコンビニエンスストア・インターチェンジの料金所の防犯カメラ・監視カメラの映像チェックなども行われたが、それらしい人物や車は撮影されていなかった。
- 両県警は、フリーダイヤルを設置し、電話での情報提供を呼びかけている。また、配布されたポスター・チラシは両県内はじめ、多くの駅やショッピングセンターなどに貼られている。宇都宮駅や水戸駅では巨大モニターでも情報提供を求めている。2006年8月1日より、犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられている。現在は特大のポスターはないものの吉田有希ちゃんのコラージュ写真は初代を除いて現在まで続いている。加えて犯人像が特定できない点や女児の遺留品が見つからない点から当時の服装をした女児の等身大パネルが日光市や常陸大宮市などの交番で多く見られる(パネルは指名手配者や加害者、行方不明者の捜索で使われることはあるが、すでに遺体が発見されている被害者を模することはまれである)。
経過
- 12月1日 -吉田有希ちゃんが下校途中に行方不明。近くの駐在所に家族が捜索願。捜索開始。
- 12月2日 - 公開捜査開始。茨城県常陸大宮市の山林で遺体で発見される。両県警が合同捜査開始。
- 12月3日 -吉田有希ちゃんが通っていた小学校で緊急の保護者会。児童は車での送り迎えへ。
- 12月6日 -吉田有希ちゃんの告別式。
- 12月7日 - 両親が、初めて遺棄現場へ。今市市教育委員会が、公立小中学校への児童・生徒の携帯電話持ち込み解禁。
- 12月8日 -吉田有希ちゃんの通っていた小学校で、集団登校が再開。国道293号や国道123号などで一斉検問。
- 12月10日 - 両県警が、情報提供を呼びかけるポスターとチラシ一万枚を作成。首都圏内はじめ、関東地方から東北地方にかけての広い範囲に配布。
- 12月11日 - 両県警が初めての合同捜査会議。
- 1月28日 - 沓掛哲男国家公安委員長が、連れ去り現場を視察。
- 8月1日 - 犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられる。
- 11月2日 - 週刊新潮が、「警察が8月頃に秋葉原に潜入捜査を行い、フィギュア愛好家のリストを作成しようとした」ことを報道。
- 3月9日 - 遺体の複数箇所から同じの男のDNA型が検出されたことが報道される。
- 9月20日 - 3月に報道されたDNAが栃木県警の元捜査幹部のものであったと報道される。
- 4月17日 - 栃木県警より栃木県鹿沼市内の勝又拓哉が事件への関与を認め、裏付け捜査中との発表。
- 6月3日 - 先述の栃木県鹿沼市内の勝又拓哉が逮捕される。
事件による影響
先に発生した広島小1女児殺害事件とともに、子どもの安全への関心がより一層高まり、子ども自身や通学路の安全確保などへさまざまな影響があった。特に広島市の事件の犯人が逮捕された直後に同様の事件が発生したことの衝撃は大きく、事件が発生した栃木県では県教育委員会が全県民に対し緊急アピールを行ったほか、防犯ブザーの再点検、通学路の見回りも強化された。茨城県では、インターネット上で、不審者情報を掲載する県警と県教委による掲示板がスタートし、県内の小・中・高から多くの情報が寄せられた。文部科学省は、「通学路への防犯カメラ設置を検討」した。
報道
事件発生から半年が経過した2006年5月末に、捜査担当者がマスメディアに対して「猟奇的なアダルトゲームやフィギュア愛好者による犯行の可能性が高い」と発言したことに対し、サブカルチャー愛好者から「確たる根拠もなく、特定趣味者を犯罪者予備軍扱いするな」という批判が相次いだ。これは本事件を含め、平成時代に発生した女児の誘拐・殺害事件において、しばしば同様の報道が行われていたことも少なからず影響している。また、このような隔たった観点から作り出された犯人像に基づく初動捜査が、事件の解決を遅らせているのではないかという指摘もある。
週刊新潮2006年11月9日号が報じたところによると、この事件の情報提供に懸賞金が掛けられたのと時を同じくして、警察は東京都千代田区外神田周辺のいわゆる秋葉原電気街に、数人の捜査員に秋葉系の扮装をさせて潜入捜査を行い、人形愛好家のリストの入手を試みたが、成果が出なかったとのことである。週刊新潮は「捜査関係者の談話」として、「犯人が被害女児の遺体を隠そうとせずに遺棄していたことから、犯人がフィギュア愛好家ではないかという見方が出た」ということを報じた。なお、2007年初頭には「DNAなどから犯人は男性」であるという報道がなされたが、情報を求めるポスターでは、それ以前から犯人を「冷酷で残忍な男」と断定していた(その根拠については不明)。しかしその後、2009年になってこのDNAは当時の捜査関係者のものであることが判明したため、犯人が男性であると断定しうる根拠がなくなったためか、新しく作られたチラシから「男」の文字は除去された。
被害女児の両親、逮捕を願い続け(2010年)
吉田有希ちゃんの両親は2006年11月、一周忌の法要に合わせた手記で「あの日の朝、有希を家から送り出した時、『行ってきます』と言って笑顔で手をふっていた姿が今も目に焼きついています。誰が何の目的で、わずか7歳という有希の短い生涯を閉じる必要があったのか知りたいのです」と訴えていた。
発生から5年目を迎えた2010年には「犯人が捕まらない事はとても残念です。私達は、なぜ有希がこんなひどい目にあったのか、どうしても知りたいのです」として犯人逮捕への協力を呼びかけていた。
勝又拓哉、逮捕(2014年6月)
2005年、栃木県旧今市市(現日光市)の小学1年生の吉田有希ちゃんが殺害された事件で、警察は3日午後1時過ぎ、32歳の男を逮捕した。男のパソコンからは、有希ちゃんに似た少女の遺体のような画像が見つかったことが新たにわかった。男は捜査本部のある栃木・今市警察署の2階に留置されていて、4日朝から本格的な取り調べが行われることになる。
勝又容疑者は「有希ちゃんを自宅に連れて行き、別の場所で刺した」などと供述し、容疑を認めている。「有希ちゃんが夢に出てくるから自供した」などと話している。
また、事件当時、勝又が所有していた白い車が栃木県内と茨城県内の防犯カメラに映っており、勝又は車の走行ルートについても具体的に話をしている。
さらに、勝又の自宅から押収したパソコンを解析し、消されていた画像を復元したところ、有希ちゃんに似た少女の遺体のような画像が見つかった。画像には女の子の上半身が映っていたが鮮明ではないため、警察は有希ちゃんの遺体の画像か鑑定を進めている。
捜査8年半、決め手となったPC画像
事件から8年半。難航していた事件は、2014年1月に偽ブランド品を販売した商標法違反容疑で栃木県警が勝又拓哉を逮捕したことで流れが変わった。
「性犯罪前歴者、女児愛好者、猟奇・アダルトビデオやナイフのマニア」「連れ去り現場から半径5キロの範囲に住む20~40代の男」…。県警は事件直後から、プロファイリング(犯人像推定)をしていた。
勝又が捜査線上に浮上したのは、事件から数カ月後と早い段階だった。現場で目撃された白いセダンタイプの車を所有するなど捜査の網に入っていた。その後も「無職で引きこもりの男が連れ去り現場付近に住んでいる」との不審者情報が地元住民から寄せられたが、「相当数いた捜査対象者の一人にすぎなかった」。
事件が大きく動き出したのは2014年に入ってからだ。勝又が商標法違反事件の起訴後の取り調べで、「有希ちゃんを連れ去って刺して、茨城の山林に遺棄しました」と供述した。
しかし、数日後には事件について話さなくなり、核心部分にも「忘れた」「記憶がない」などと繰り返した。具体的な供述が払底した苦しい状況のもとで、捜査本部は“決定打”となる物証を捜した。
捜査本部は自宅の捜索に活路を求めた。部屋からはナイフが押収され、「ナイフマニア」の一面が浮かび上がった。有希ちゃんの遺体にある十数カ所の傷は、特殊なナイフで刺されたもので、ナイフ収集は犯人像とも合致した。
そして、捜査本部が、勝又がパソコンに保存していたビデオ画像を解析したところ、ついに有希ちゃんとみられる女児の画像を見つけた。8年半もつながらなかった有希ちゃんと勝又。2者を結びつける決め手を、捜査本部は初めて引き寄せた。
犯人は台湾からの帰化人
逮捕された勝又拓哉(32)。人前では話がうまくできなくなるタイプで、話し掛けても「はい、はい」としか返事をしなかったといい、人付き合いが不得手だったという。
知人らによると、勝又は少年時代、後に有希ちゃんが通った同市立小学校に転入した。外国籍でいったん日本を離れたが、1996年8月、台湾の学校から同市立中学に移り、2009年5月、日本に帰化した。小中学校の同級生には「中国から転校してきた」と語り、校内の廊下で友人とアニメの話題で談笑することも。
「人を見て、話しやすそうな人を選んで話し掛けていた」という。転居を繰り返し、2014年1月、偽ブランド品事件で現行犯逮捕されたときは、鹿沼市の一軒家で生活していた。近隣住民らによると、Tシャツやジーンズなどの普段着姿でいることが多く、毎日のように、未明に近くのコンビニ店で1人分の弁当を購入していたという。
勝又は容疑を認め、「今言えるのは、有希ちゃんにごめんなさいという気持ちです」と供述している。凶器や有希ちゃんの遺品については「捨てた」と話しており、有希ちゃんとは面識がなかったという。
捜査本部は「ビデオの画像」が逮捕の決め手の一つになったと説明。勝又の関係先から猟奇的なものや幼女関連の画像が多数押収されたことも明らかにした。
「本当に良かった」手記で心境つづってきた有希ちゃん両親
容疑者逮捕の一報を受け、吉田有希ちゃんの母、洋子さんは捜査本部に「本当に良かったです」と語った。平成17年12月の事件発生以降、8年半にわたり苦しくつらい思いを抱えてきた有希ちゃんの両親。心境は折に触れ、手記として公表されてきた。
いつも明るい笑顔であふれていた有希ちゃん。「ゆうえんちをつくりたい」。事件があった年の3月まで通っていた保育園の卒園文集には、丸く大きな字で、一生懸命こう書いていた。
小学校では図工が得意で、跳び箱ではクラスのお手本になっていたほど運動も大好きだった。3姉妹の次女で、自宅前では姉妹仲良くサッカーをする姿がよく見られていたという。
「あの日の朝、有希を家から送り出した時、『行ってきます』と言って、私のほうを振り返りながら、笑顔で手をふっていた姿が今も目に焼き付いています」。有希ちゃんの一周忌法要が営まれた平成18年11月25日に公表された手記。両親は有希ちゃんの最後の思い出をつづり、「一体、誰が何の目的で、わずか7歳という有希の短い生涯を閉じる必要があったのか私達は知りたいです」と訴えた。
この日納骨された墓には、有希ちゃんが好きだったクマとキリンの絵や有希ちゃんが体操着姿でほほえむ写真が焼き付けられた。
翌平成19年は「犯人は、今どこで何をしているのでしょうか。絶対許せません」と怒りをあらわに。事件から5年となる平成22年には、有希ちゃんが生きていれば小学6年生だったことに触れ、「春には中学校の制服を着た有希が見られるはずでした」と、思いをはせる一方、「犯人が捕まらないことはとても残念です」「皆さんのご協力をお願いします」と呼び掛けていた。
「学校が好きだったので、ランドセルが見つかったら、ランドセルをお棺に入れてあげたい」。自宅に遺体が戻った後、涙ながらにこう語っていた洋子さん。しかし、逮捕された勝又拓哉は、有希ちゃんの所持品について「捨てた」と供述。今もランドセルは見つかっていない。
関連項目
外部リンク
- 栃木・茨城にまたがる女子児童殺害・死体遺棄事件 - 栃木県警察
- 栃木・茨城にまたがる女子児童殺人・死体遺棄事件 - 茨城県警察