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(人物)
(なぜ市会議員になったのか 本田リエ公式サイト「なぜ市会議員になったのか」)
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=== なぜ市会議員になったのか <ref name="なぜ市会議員になったのか">[http://honda-ishin.com/policy.html 本田リエ公式サイト「なぜ市会議員になったのか」]</ref>===   
 
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[[ファイル:橋下徹images.jpg|thumb|240px|left|福島区の路上で「外郭団体全廃!!」と街頭演説をしている大阪維新の会補欠選挙を知る。]]
 
高校卒業後、建築業で20年も仕事をしてきた本田は、この間、バブル期ではない厳しい時代を見てきた。[[2004年]]1月から大阪市民として仕事をしてきましたが、実は関市長の出直し選挙は覚えていない。建築業界も結果前例主義、おかみ優先の[[確認申請]]、法的根拠より調査結果に基づくものが多く、役所での衝突は当たり前。確認申請業務は民間移管になっても融通は利かないことに変わりはなかった。変わったことは申請料のポイント割引、土曜日対応くらいで、今までに比べると雲泥の比ではあるが、まだまだ民間企業と比べるとサービス感覚がない、二言目には「役所の監査が入るので…」と言った決まり文句が。
 
高校卒業後、建築業で20年も仕事をしてきた本田は、この間、バブル期ではない厳しい時代を見てきた。[[2004年]]1月から大阪市民として仕事をしてきましたが、実は関市長の出直し選挙は覚えていない。建築業界も結果前例主義、おかみ優先の[[確認申請]]、法的根拠より調査結果に基づくものが多く、役所での衝突は当たり前。確認申請業務は民間移管になっても融通は利かないことに変わりはなかった。変わったことは申請料のポイント割引、土曜日対応くらいで、今までに比べると雲泥の比ではあるが、まだまだ民間企業と比べるとサービス感覚がない、二言目には「役所の監査が入るので…」と言った決まり文句が。
  

2014年11月8日 (土) 01:03時点における版

本田リエ近影(2014年4月16日)

本田 リエ(ほんだ りえ、1973年 - )は、日本政治家大阪維新の会所属の大阪市会議員2級建築士車両系建設機械運転者(整地・解体)、移動式クレーン運転士玉掛作業者などの資格を保有。大阪維新の会[2]市議員団総務委員、大阪市会市政改革特別委員[3]副委員長などを歴任[1][2]

大阪が元気を取り戻すことが、日本の変革に繋がると強く確信しており、設計士として働いて来た大阪を「ビフォーアフターします!」をキャッチフレーズにしている。

来歴

当選翌年2012年当時の本田リエ(2012年9月15日)
  • 京都府京都市生まれ[3]
  • 大分県立大分工業高等学校、建築科卒業。建築士として建築業界で働く[4]
  • 30歳になるころ、大分県内ではよい働き口が見つからなくなり、大阪の建築会社に就職するが、リーマン・ショックのあおりで倒産。その後、大阪市の外郭団体派遣社員として働く。
  • 2010年5月 派遣社員として働いていた大阪市の外郭団体を退職。直後に、橋下徹と出会う。「外郭団体を廃止します」-街を歩く本田の耳に飛び込んできたのはそんな一声だった。大阪維新の会が設立された2010年4月直後の、初陣となる大阪市議選補選(福島区)での応援演説の一コマである。天下り職員の怠慢ぶりや経営者感覚のなさをつぶさに見てきた本田にとって橋下の言葉は、強くリアルに響いた。以降、橋下の発言や論文を意識的に読むようになる[4]
  • 2011年4月 統一地方選挙に大阪維新の会、城東区より出馬。大阪市議会議員(城東区)初当選。同年、計画消防常任委員、市政改革特別委員副委員長を務める[1]
  • 2012年 建設港湾常任委員、市政改革特別委員就任[1]

政策

都構想へ進行中!本田リエ

待機児童問題

  • 大阪に限らず、経済を活性化させるためには女性の社会進出が重要と考え、自身が建築士をしながら子育てをした経験から、待機児童問題に熱心に取り組んでいる。大阪市の公立保育園の受け入れ定員数が約8500人。働きたいが子供を預ける保育所が常に満員状態でなかなか見つからないという声がある一方で、子供の入所がなく廃園になる保育所がある矛盾に対し、定員いっぱいの保育所から定員割れ保育所への移動が、市の公務員気質等がネックとなり、できない現状の打開策を模索している。大阪市の保育所民営化や保育ママなどの施策をはじめ、子育ては閉鎖的な空間で1対1で長時間面倒を見ることでストレスが溜まると考えられるが、この問題に対し本田は、行政が公共施設や保育園、廃校、公園を開放し、市民の身近な生活を地域で助け合う方法などを提案している。こうした方法を地域だけでなく、国策として行わないと少子高齢社会における労働生産力の低下に歯止めはかからないと考えており、「子ども手当」に象徴されるばら巻き施策より、教科書給食の無料化などを唱える。
また、大阪市では毎年2万人の子供が生まれる一方で0歳児が5歳になるまでに4000人が大阪市を離れている実態があるなど、大阪が子育てをしにくい街になっている。この問題に対し、本田は保育士介護士をはじめ、社会が資格にとらわれ過ぎていると感じている。むしろ「保育や介護の心」を持っているか否かが重要ととらえ、義務教育に保育や介護のを取り入れることなどを提案している。さらに具体的な方法として、保育の資格がなくてもできる家政婦の仕事を30分500円のワンコインでサポートするNPO法人の設立を、議員になる以前から夢として抱いている[2]
大阪市の収支の推移を説明する本田リエ

大阪都構想の実現

大阪都構想=今まで誰もなしえなかった日本の統治機構の改革

  • 政令指定都市である大阪市が欲張って広域の仕事まで行ってきたために、府と市の二重行政の弊害でWTCりんくうゲートタワーなどに代表される箱モノの無駄が多く1兆6千万円もの破たんした事業を抱えている現状を打開するために大阪市と大阪府がバラバラに行っている広域行政、成長戦略を1本化する[1]。そのほかにも大阪市は関西国際空港や明石海峡大橋にまで大阪府とほぼ同額の出資を行ってきた。財政に余裕があるのなら市民の理解も得られるが、これにより政令市で1位の市債残高になり東京都と比較してもかなり多い現状がある。大阪市と大阪府バラバラで行っている広域行政と成長戦略を一つにまとめる必要がある。
  • 地方自治の自立、各都市の仕組みのデザインの方法、法に則って正しいことを正しいといえる社会の実現、ヒト・モノ・カネを呼び込み大阪を盛り上げてゆく仕組みづくり、さらにはそれが地方自治の仕組みづくりのヒントたらんとするための、大阪からの変革の実現=”大阪を地方自治の先例に”を訴えている[2][1][2]

 

  • 大阪市は基礎自治としての基本的な行政をこなし教育・福祉・医療に力を入れる。298の小学校を1つ6人の教育委員で話し合った結果、学力も体力も下位の大阪

対策を打つにもどこから手を付けてよいのかが分からない現状がある。区民ニーズはあっても声が大きな人が勝ってしまう正当ではない民主主義がはびこる。高齢者の福祉、子供の医療、多種多様な住民ニーズにこたえていくためには、市長の権限をもつ公選の区長を選挙で選び声を実現していける制度が必要だ。このために現在の大阪市(24区)の「5ブロック案」を提案している。

世界に通用する文化の掘り起し

愛犬家でもある。本田リエの愛犬。
  • 大阪市内には80基ものだんじりがあるが、だんじり祭りが岸和田以上の観光文化ととなりうる可能性を指摘。こうした世界に通用する地方文化の掘り起しに力を入れる[2]

その他

  • 本田自身が建築士であった経歴を生かし「大阪をビフォーアフターします。」をキャッチフレーズにしている。
  • 2011年8月には、同年3月に続き2度目の東日本大震災被災地を訪問。「移動式理美容車」を搬入し、現地で活用されている[5]

人物

趣味はカメラ。ダイヤモンド富士の撮影に行ったこともある。
トワイライトエクスプレスには3度も乗るほどの鉄道ファンでもある。

趣味

思い! [6]

  • 大阪維新の会 城東区市政対策委員のホンダリエが、城東区のいろいろな情報をお届けしています。
  • 城東区のだんじり祭りを日本一にしたい!
  • 待機児童をなくし学童保育を充実させたい!
  • 敬老パスを継続したい!
  • 地域コミュニティのしっかりした、やさしくてつよい城東区を創りたい!


なぜ市会議員になったのか [7]

福島区の路上で「外郭団体全廃!!」と街頭演説をしている大阪維新の会補欠選挙を知る。

高校卒業後、建築業で20年も仕事をしてきた本田は、この間、バブル期ではない厳しい時代を見てきた。2004年1月から大阪市民として仕事をしてきましたが、実は関市長の出直し選挙は覚えていない。建築業界も結果前例主義、おかみ優先の確認申請、法的根拠より調査結果に基づくものが多く、役所での衝突は当たり前。確認申請業務は民間移管になっても融通は利かないことに変わりはなかった。変わったことは申請料のポイント割引、土曜日対応くらいで、今までに比べると雲泥の比ではあるが、まだまだ民間企業と比べるとサービス感覚がない、二言目には「役所の監査が入るので…」と言った決まり文句が。

建設業は忙しくて当たり前の社会で、政治経済に興味が持てないくらい忙しく毎日終電の日々を過ごしていた。

そんなある日、橋下知事が誕生し「行列…で出ていた弁護士が知事になった?」くらいの出来事だったが、ある日全国ニュースで「国が動いてくれないと何も変わらない・・・」橋下知事が涙している様子を見て「私たちの業界も国の制度で不便を感じるけど、政治家にも何か不便があるのかな?」と感じた。

その後、派遣会社に登録したところ紹介された会社が大阪市の外郭団体だった。外郭団体とは何ぞや?から始まったが、仕事の説明、雇い側の説明もすべてが上から目線の説明に驚愕、仕事にマニュアルもなく説明もなく、出来て当たり前的に仕事を振られる、言われるがままにこなして終わらせても、働かない市役所定年後のOBの仕事が回ってくる、派遣社員に重要な仕事が回る何とも理不尽な会社で本田はギブアップしてしまい、同期の派遣全員も不満を感じて契約期間の延長を誰も希望しない状況だった。

その年の5月、福島区の路上で「外郭団体全廃!!」と街頭演説をしている大阪維新の会補欠選挙を知る。外郭団体はいらないと思いつつも、当該区でもなかったために心の中で応援するにとどまった。しかし、その後、大阪維新の会の政策にふれて「大阪が変われば日本が変わる!」建築業界の屈辱であった結果前例主義により新規のものを認めてもらえない、既得権による利権がらみの社会の矛盾それらを払しょくする、新しい日本の歴史が始まると強く実感して大阪維新の会へ。

本田リエ ギャラリー

出演

脚注

関連項目

外部リンク

ウィキペディア無し small.png ウィキペディアにも「本田リエ」の項目が執筆されていましたが、削除されてしまいました