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安房神社(あわじんじゃ)は、千葉県館山市にある神社式内社名神大社)、安房国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

別称として「大神宮」とも。神話の時代に阿波国より渡ってきた忌部氏による創建とされる。

祭神

本宮は摂社の下の宮に対して「上の宮」と呼ばれる。安房国は忌部氏が開拓した土地であり、上の宮はその祖神を祀っている。また相殿神として、主祭神の妃神と忌部五部神を祀っている。

主祭神
  • 天太玉命 (あめのふとだまのみこと) - 忌部氏祖神
相殿神

境内摂社「下の宮」に対し本宮を「上の宮」と呼ぶのは、伊勢神宮内宮外宮に倣ったものといわれる[2]

歴史

創建

大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、開拓したとされる。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸、その周辺を安房郡と名附けて天太玉命を祀る社を創建した。さらに続けて、その社が今は安房社と呼ばれており、神戸には斎部氏が住んでいると書かれている。

館山市布良(めら)にある布良崎神社の『郷社布良崎神社略誌』では、天富命は上陸した房総半島南端の布良にある男神山へ天太玉命、女神山へ天乃比理刀咩命を祀り、その後さらに上ノ谷に天太玉命、下ノ谷に天忍日命の仮宮を建てたのが当社の「上の宮」と「下の宮」の起源だとしている。やがて布良を出発点として半島開拓を進めた天富命は、宮ノ谷(みやのやつ)に「太玉命ノ社」(当社)を創建したのだという。『安房忌部家系之図』によれば、養老元年(717年)に布良から西へ数百メートルの現在地に遷座し、同時に天富命を下の宮に祀ったとしている。また、周辺の地は神部とされ、全国八神郡の一つとなった。『新抄格勅符抄』によれば大同元年(806年)に神封94戸が充てられ、さらに10戸が加増されている。これについて、神郡が定められたのは大化5年(649年)で、その後当地は『和名類聚抄』にある神戸郷に属することになったのではないかと推測されている[2]

概史

平安時代から室町時代

当社は度々六国史に登場し、神階の陞叙を受けている(後述)。また『続日本後紀』承和14年(847年)7月9日の条には、祭祀料として正税穀100を加えると記されている。

延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では「安房国安房郡 安房坐神社 名神大 月次新嘗」と記載され、名神大社に列格された。この「坐」は、忌部氏の総氏神たる大和国天太玉命神社を意識してのものとされる[2]。また、『延喜式』の「民部式」には安房郡を神郡となす旨が記載され、安房郡全体が神領とされた。しかし、この神郡も中世以降は有名無実となったのだと考えられている[2]

平安時代以降は安房国一宮とされ、朝廷・武門から篤い崇敬を受けた。治承4年(1180年)に源頼朝が当社に参籠、その後神田8を寄進し、文治2年(1186年)には安房判官代高重の訴えにより社殿の造営修復を厳命したとされる[3]。さらに、明応8年(1499年)6月の大地震で社殿全てが倒壊したことから、文亀3年(1503年)に前在庁安西氏の推挙で当国領主の里見義成が本殿・瑞垣を造営、天文5年(1536年)に改めて里見義弘が造営したとされる[3]。この他にも領主里見氏は社領の寄進や社殿の修造を行い、その寄進状などが残っている。

室町時代以降、下の宮は廃絶して社家岡嶋家の邸宅となった。その後、数百年にわたって途絶えたが大正時代に復活している。

江戸時代

江戸時代に入り、元和2年(1616年幕府代官中村吉繁より社領の安堵状が出された。また、寛永13年(1637年)には徳川家光朱印状により社領30余を安堵するなど幕府より保護を受け、これが明治まで続いた。

明治以後

明治6年(1873年近代社格制度が制定されると、当社は官幣大社に列せられた。

戦後は神社本庁が包括する別表神社となった。平成21年(2009年)初頭より拝殿および本殿の大修造が行われ、同年6月21日に完工している。

神階

境内

社殿

洞窟遺跡

昭和7年(1932年)、井戸の掘削工事の際に地下1mほどのところで見つかった海食洞窟の遺跡。発掘調査の結果、人骨22体、貝製の腕輪193個、石製の丸玉3個、縄文土器・古墳時代の土師器など弥生時代のものと推定される品々が出土した。洞窟は現在は埋め戻されているが、昭和42年に千葉県史跡に指定された[4]

出土した人骨22体のうち15体には抜歯が見られ、縄文時代の未開時代の風習が弥生時代頃まで続いていることを示している。人骨は当社祭祀に関係した安房忌部の一族と推測され、当社の創始は弥生時代に遡るものと考える説があるが[2]、社頭にある館山市教育委員会の案内板では弥生時代とされる時期については再検討が必要と慎重な考えを示している。人骨の一部は近くの宮ノ谷に丁重に埋葬され、忌部氏に仮託され「忌部塚」として祀られている。忌部塚は、二の鳥居前の階段の手前を左に道なりに行った場所にある。

摂末社

下の宮(摂社)

  • 天富命 (あめのとみのみこと) - 天太玉命の孫神
  • 天忍日命 (あめのおしひのみこと) - 天太玉命の弟神

寛永年間1624年-1643年)の当社旧記には祭神が天日鷲命・天神立命・大宮売命・豊磐窓命・櫛磐窓命と記されており、祭神に変遷があったとされる[2]

末社

いずれも境内末社。

  • 厳島社
本宮拝殿前の巨岩をくり貫いて小祠を作っており、古代の磐座ではないかと推察されている[2]
  • 琴平社

祭事

1月 1日   歳旦祭   7月 10日     忌部塚祭
4日   有明祭   8月 10日   例祭
14日     置炭神事   9月 10日     御仮屋祭
15日     粥占神事   14日 ~15日   国司祭
2月 3日     節分祭   27日   琴平社祭
11日     建国祭   10月 上旬   抜穂祭
17日   祈年祭   11月 23日 新嘗祭
4月 初旬     桜花祭   下旬 新穀感謝祭
5月 上旬     御田植祭   12月 26日 神狩祭
10日   下の宮祭   31日 大祓式 除夜祭
6月 10日   厳島社祭
30日   大祓式


上記のほか、毎月1日に月次祭を実施。

文化財

千葉県指定史跡

  • 安房神社洞窟遺跡 - 昭和42年3月7日指定

館山市指定有形文化財

  • 高杯
大正8年(1919年)の下宮再建工事時、現在の社殿の下から出土した土師器の高坏。5世紀初頭の祭祀に使われたものとみられる。昭和44年2月21日指定[5]
  • 双鳥花草文八陵鏡・双鳥花草文円鏡
明治26年(1893年)に東京の装束師から奉納されたもの。八陵鏡は鎌倉時代末期頃、円鏡は南北朝期のものとされる。昭和44年2月21日指定[6]

館山市指定有形民俗文化財

  • 狛犬・燧筐・木椀
木造の狛犬は鎌倉時代末、燧筐(ひうちばこ)は御狩神事における神燈点火用具で鎌倉時代、木椀は神饌を供えるもので鎌倉時代とされている。昭和37年7月23日指定[7]

現地情報

所在地
交通アクセス
  • 最寄駅:館山駅JR東日本内房線) - 神社までは約10km
    • バス:JRバス(神戸経由・安房白浜行き)「安房神社前」バス停下車 (乗車時間約20分、徒歩約10分)

館山駅まで

脚注

  1. 当社では「比理刀」とするが、「比理乃」とする文献もある(洲崎神社#祭神を参照)。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 谷川健一編 『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』(白水社、1984年12月)より。
  3. 3.0 3.1 中世諸国一宮制研究会 編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 (岩田書院、2000年2月)より。
  4. 安房神社洞窟遺跡(南房総データベース)。
  5. 安房神社高杯(南房総データベース)。
  6. 双鳥花草文八陵鏡・双鳥花草文円鏡(南房総データベース)。
  7. 狛犬・燧筐・木椀(南房総データベース)。

参考文献

  • 『安房国一之宮 安房神社略記』(神社由緒書)
  • 黒板勝美、國史大系編修会 編 『國史大系 第27巻 新抄格勅符抄法曹類林類聚符宣抄続左丞抄別聚符宣抄』 (吉川弘文館、1965年1月)
  • 黒板勝美、國史大系編修会 編 『國史大系 第4巻 日本三代実録』 (吉川弘文館、1966年4月)
  • 黒板勝美、國史大系編修会 編 『國史大系 第3巻 日本後紀続日本後紀日本文徳天皇実録』 (吉川弘文館、1966年8月)
  • 全国神社名鑑刊行会史学センター 編 『全国神社名鑑 上巻』 (全国神社名鑑刊行会史学センター、1977年7月)
  • 神道大系編纂会 編 『神道大系 神社編16 駿河・伊豆・甲斐・相模国』 (神道大系編纂会、1980年3月)
  • 君塚文雄「安房神社」(谷川健一 編 『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』 (白水社、1984年12月))
  • 神道大系編纂会 編 『神道大系 古典編5 古語拾遺附注釈』 (神道大系編纂会、1986年3月)
  • 中世諸国一宮制研究会 編 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 (岩田書院、2000年2月)
  • 千葉県神社庁房総の杜編纂委員会 『房総の杜』 (おうふう、2004年9月)
  • 全国一の宮会 編、公式ガイドブック『全国一の宮めぐり』 (全国一の宮会、2008年12月)

関連項目

  • 洲崎神社 - 安房国一宮を称するもう1つの神社

外部リンク

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