「立川あすか」の版間の差分
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+ | 「両親の顔を知らないんです。生まれは東京都の足立区らしいんですが、すぐに捨てられて乳児院に預けられたそうです。そのまま高校を卒業するまで、杉並区の児童養護施設で過ごしました」 | ||
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+ | その美貌に見惚れていた記者に向けて、元モデルの26歳は、自身の半生を訥々と語り始めた。 | ||
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+ | 立川明日香、2月19日に行われた新座市議選(定数26)で初当選を果たした、現役の市議会議員である。いわゆる“美人すぎる議員"として巷間を騒がせた存在といえば青森県八戸市議の[[藤川優里]]氏(32)が余りにも有名だが、この立川氏はただの美人センセイではない。特筆すべきは、その〝激動すぎる半生〟なのだ。 | ||
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+ | 冒頭の発言の通り、生まれて間もなく親に捨てられたという彼女は、3歳から18歳まで養護施設で暮らしている。 | ||
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+ | 「身近な人がいなくなるのには慣れっこでした。昨日まで一緒だった仲間がある日突然引き取られたり、他の施設に移ったり・・・・・・。職員の交代も頻繁でしたね」 また、施設の厳しい規則にも嫌気がさしていたという。 | ||
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+ | 「朝6時に起きてランニング、掃除、朝食の準備、後片付け。登下校中の寄り道なんて厳禁で、帰ったら夕食の準備に食堂の掃除。とにかく窮屈な毎日でしたね」 | ||
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+ | 早く施設を出たい。高校を卒業したらすぐ就職しよう。そう思い商業高校に進学した彼女だが、ひょんなことから語学に興味を持つことになる。 | ||
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+ | 「施設にボランティアで英語を教えに来てくれる女性がいたんですが、その人に『あなたは巻き舌が上手いから英語を話せばサマになるよ』って褒められたんです。それで、その気になっちゃって(笑)」 | ||
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+ | 奨学金を利用して国際短期大学(東京都中野区)に進学すると、ピザ屋や工場でのバイトに明け暮れる日々。せっせと資金を稼ぎ、米テネシー州の大学に1年間留学。帰国後は、渋谷でスカウトされたのをきっかけにモデル活動を開始する。 | ||
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+ | 「しばらくは広告や通販雑誌のモデルを続けていたんですが、23歳で結婚して、女の子を産んだんです」 | ||
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+ | ちなみに〝デキ婚〟ではなかったとのこと。その後は宅地建物取引主任者の資格を取得し、不動産管理会社に入社する。 | ||
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+ | 「その会社で担当したお客様が、たまたま今の芸能事務所の関係者で、またモデルとして誘われたんです。でも、その時の私は『私のような子供をこれ以上増やしたくない。社会的弱者を救うようなお仕事がしたい』と考えるようになっていました。そこで事務所の社長に相談したら、『じゃあ政治やってみるか?やるんならバックアップするぞ』『やります!』という流れで、市議選に出ることになったんです(苦笑)」 | ||
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+ | もちろん政治に関してはまったくの素人だった彼女だが、辻立ちなどの懸命な選挙活動が実を結び、2067票を獲得して堂々の5位当選を果たす。そんな立川市議に今後の目標を聞いてみた。 | ||
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+ | 「里親制度の充実などを目指して、子供の権利に関する条例づくりを進めたいです。親の愛情を知らずに育った自分だからこそ、できることがあると思うんです」 | ||
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+ | 〝超美人センセイ〟はキッパリと述べた。 | ||
== 立川あすかの画像 == | == 立川あすかの画像 == | ||
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== 関連項目 == | == 関連項目 == |
2012年4月1日 (日) 22:43時点における版
立川 あすか(1985年(昭和60年)3月30日 - )は、日本の女性政治家。
埼玉県新座市議会議員。選挙ポスターやウェブサイト等では立川あすかと記載されている。藤川優里に続く「美人すぎる市議」として有名になった。
来歴
- 昭和60年(1985年)3月30日
- 東京生まれ
- 3歳から18歳まで児童60人態勢の養護施設で育つ。幼いころからの集団生活で、団体行動と、協調性を学ぶ。年上からは可愛がられ、年下には慕われる学生へと成長する。集団生活での矛盾や不便を見つけ、状況改善へ向けて考えるようになる。
- 8歳からバレーボールを始め高校時代は部長を務める。その他に光画部・軽音部に所属。バレーは12年続ける。
- 高校時代に語学に興味を持ち、テレビ朝日福祉文化事業団による「高校生海外生活体験の旅」2002年に選出され、サンフランシスコでホームステイを体験する。
- 平成15年(2003年)
- 国際短期大学 英語コミュニケーション学科入学。日本育英会の奨学金制度で入学し、通学する傍ら毎日アルバイトに励み、留学費用を貯め、翌年米国大学へ入学。
- 平成17年(2005年)
- Martin Methodist College 準学士号 取得
- 地元のアメリカ人・ブラジル人留学生らのいる大学のバレーボールチームに所属。唯一の日本人でピンチサーバーとして活躍。物おじせず人の中に飛び込んでいく性格で、現地の米国人から様々な事を学ぶ。
- 現地の里親制度の認知度の高さに感激する。同年帰国後、モデル・タレント活動を始める。
- 平成20年(2008年)
- 結婚し、女の子を出産。
- 平成22年(2010年)
- 宅地建物取引主任者に合格。不動産管理会社へ入社。語学力が認められ、ヨーロッパ言語課に配属される。営業として来日外国人の入居サポートを担当。(入居先紹介、予算相談、クレーム対応など)
- 専任の主任者として契約業務に携わる。また、T2プランニングにてタレント活動を再開。
- 平成23年(2011年)
- 政治団体「立川あすか街づくりの会」を設立。政治活動に専念するため、会社を退職。
- 平成24年(2012年)
- 埼玉県新座市議会議員一般選挙で初当選。
インタビュー
「両親の顔を知らないんです。生まれは東京都の足立区らしいんですが、すぐに捨てられて乳児院に預けられたそうです。そのまま高校を卒業するまで、杉並区の児童養護施設で過ごしました」
その美貌に見惚れていた記者に向けて、元モデルの26歳は、自身の半生を訥々と語り始めた。
立川明日香、2月19日に行われた新座市議選(定数26)で初当選を果たした、現役の市議会議員である。いわゆる“美人すぎる議員"として巷間を騒がせた存在といえば青森県八戸市議の藤川優里氏(32)が余りにも有名だが、この立川氏はただの美人センセイではない。特筆すべきは、その〝激動すぎる半生〟なのだ。
冒頭の発言の通り、生まれて間もなく親に捨てられたという彼女は、3歳から18歳まで養護施設で暮らしている。
「身近な人がいなくなるのには慣れっこでした。昨日まで一緒だった仲間がある日突然引き取られたり、他の施設に移ったり・・・・・・。職員の交代も頻繁でしたね」 また、施設の厳しい規則にも嫌気がさしていたという。
「朝6時に起きてランニング、掃除、朝食の準備、後片付け。登下校中の寄り道なんて厳禁で、帰ったら夕食の準備に食堂の掃除。とにかく窮屈な毎日でしたね」
早く施設を出たい。高校を卒業したらすぐ就職しよう。そう思い商業高校に進学した彼女だが、ひょんなことから語学に興味を持つことになる。
「施設にボランティアで英語を教えに来てくれる女性がいたんですが、その人に『あなたは巻き舌が上手いから英語を話せばサマになるよ』って褒められたんです。それで、その気になっちゃって(笑)」
奨学金を利用して国際短期大学(東京都中野区)に進学すると、ピザ屋や工場でのバイトに明け暮れる日々。せっせと資金を稼ぎ、米テネシー州の大学に1年間留学。帰国後は、渋谷でスカウトされたのをきっかけにモデル活動を開始する。
「しばらくは広告や通販雑誌のモデルを続けていたんですが、23歳で結婚して、女の子を産んだんです」
ちなみに〝デキ婚〟ではなかったとのこと。その後は宅地建物取引主任者の資格を取得し、不動産管理会社に入社する。
「その会社で担当したお客様が、たまたま今の芸能事務所の関係者で、またモデルとして誘われたんです。でも、その時の私は『私のような子供をこれ以上増やしたくない。社会的弱者を救うようなお仕事がしたい』と考えるようになっていました。そこで事務所の社長に相談したら、『じゃあ政治やってみるか?やるんならバックアップするぞ』『やります!』という流れで、市議選に出ることになったんです(苦笑)」
もちろん政治に関してはまったくの素人だった彼女だが、辻立ちなどの懸命な選挙活動が実を結び、2067票を獲得して堂々の5位当選を果たす。そんな立川市議に今後の目標を聞いてみた。
「里親制度の充実などを目指して、子供の権利に関する条例づくりを進めたいです。親の愛情を知らずに育った自分だからこそ、できることがあると思うんです」
〝超美人センセイ〟はキッパリと述べた。