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2023年1月31日 (火) 12:07時点における最新版

松永 光(まつなが ひかる、1928年11月23日 - 2022年10月11日)は、日本政治家自由民主党の元衆議院議員文部大臣通商産業大臣大蔵大臣を歴任した。第45代衆議院議長・文部大臣を務めた松永東の養子。勲一等

来歴・人物[編集]

長崎県南高来郡南串山村(現:雲仙市)出身。1947年東京都立九段中学校を卒業し、中央大学法学部昼間部に入学。

その後、早稲田大学法学部夜間部に移り、1951年に卒業する。同年、司法試験に合格し、1954年に福岡地方検察庁検事に就任するが、翌1955年に退官し、弁護士を開業する。養父の秘書を務めるうちに政界を志し、1969年第32回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。以降、連続当選10回。

1984年第2次中曽根内閣の文部大臣として初入閣。1989年第1次海部内閣の通産大臣[1]を経て、1998年1月30日第2次橋本内閣改造内閣において、大蔵省金融検査官汚職事件で監督責任をとって辞任した三塚博蔵相の後任として大蔵大臣に就任する。三塚の後任蔵相候補には、梶山静六森喜朗亀井静香など、派閥の大幹部や実力者たちの名が挙がっていたが、不良債権問題などの難題に加え、相次ぐ汚職への対処も期待され、衆議院予算委員長で法律家出身の松永が浮上した。しかし、必ずしも金融通でなかった松永にとって、不良債権問題などは荷が重すぎた感が否めず、大蔵省不祥事の解決でも存在感が希薄であった。同年7月の第18回参議院議員通常選挙で自民党が敗北したため、橋本内閣は総辞職し、それに伴って退任した。

所属派閥は、中曽根派・渡辺派を経て、志帥会。親族にも政治家が多く、「高潔な法律家」というイメージを押し出し選挙には比較的強かったが、1991年地元の浦和市において自身が支持しなかった相川宗一(当時自由民主党埼玉県議会議員)が市長に当選して以降、相川及び相川を支持した浜田卓二郎との泥沼の政争が続いた。その後の浦和市長選挙に際しては相川に対して自身の系列市議らを対抗馬として擁立し、保守分裂選挙を招くなどしたため次第に信望を失っていった。その結果自身の支持基盤も弱まり、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では若手の武正公一民主党)に敗れることになった。2003年10月の第43回衆議院議員総選挙では新設された選挙区に移って返り咲きを目指したが、再び落選した。

その後自ら選挙に立候補することはなくなったが、「松永系」と呼ばれる自民党系さいたま市議会議員のグループの要として、「反相川」を掲げて政治活動を行った。2001年のさいたま市長選挙では旧大宮市新藤享弘を支援。更に2005年の市長選挙では自民党県議中森福代を支援し、相川批判を続けた。選挙時には国会議員時代と同様自らマイクを握って街頭に立ち、意気軒昂な様子を見せた。2001年・2005年の市長選挙ではいずれも相川の当選となったが、2009年の市長選挙では衆議院議員を辞職して立候補した中森を再び支援。中森は落選となったが、相川も落選(当選は清水勇人)。長年の宿願を達成する形となった。また衆議院議員選挙では相川と縁の深い武正に対抗し、自民党の金子善次郎を支援している。

栄典[編集]

1999年11月、勲一等旭日大綬章受章。

家族・親族[編集]

脚注[編集]

  1. 1990年2月の第39回衆議院総選挙には現職の通産大臣で出馬して当選なるも定数3名で1位が社会党の和田静夫であった。
先代:
森喜朗
文部大臣
第105代:1984年 - 1985年
次代:
海部俊樹
先代:
梶山静六
通商産業大臣
1989 - 1990
次代:
武藤嘉文
先代:
橋本龍太郎(兼任)
大蔵大臣
第104代:1998
次代:
宮澤喜一