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*{{Aya|林政研|year=2013}} [http://www.tokugawa.or.jp/institute/002.0000-rekishi.htm 徳川林政史研究所ホーム > 徳川林政史研究所の歴史] 2013年7月31日更新版、2017年8月30日閲覧。 | *{{Aya|林政研|year=2013}} [http://www.tokugawa.or.jp/institute/002.0000-rekishi.htm 徳川林政史研究所ホーム > 徳川林政史研究所の歴史] 2013年7月31日更新版、2017年8月30日閲覧。 | ||
*{{Aya|大石|year=1994}} 大石勇『伝統工芸の創生‐北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親』吉川弘文館、1994年、ISBN 4642036563 | *{{Aya|大石|year=1994}} 大石勇『伝統工芸の創生‐北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親』吉川弘文館、1994年、ISBN 4642036563 | ||
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=== 外部リンク === | === 外部リンク === | ||
− | * [ | + | * [https://rinseishi.tokugawa.or.jp/ 公式サイト] |
− | ** [ | + | ** [https://rinseishi.tokugawa.or.jp/history/ 徳川林政史研究所について] |
− | ** [ | + | ** [https://rinseishi.tokugawa.or.jp/kiyou/ 研究紀要] |
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2021年10月4日 (月) 02:21時点における最新版
徳川林政史研究所(とくがわりんせいしけんきゅうじょ)は、東京都豊島区目白にある財団法人徳川黎明会に属する研究機関。日本の林業の歴史に関する研究や、尾張徳川家所蔵だった文献資料の保存・公開などを行なっている。尾張徳川家・19代当主徳川義親が1923年に私邸内に設置した林政史研究室に由来し、1931年に徳川黎明会の蓬左文庫附属歴史研究室に改組され、1950年に蓬左文庫から独立した徳川林政史研究所となった。
沿革[編集]
設置の経緯[編集]
1908年に尾張徳川家の養嗣子となり、同年9月に東京帝国大学文科大学史学科に無試験で入学した徳川義親は、尾張藩が領地としていた木曾(長野県西筑摩郡)の経営史(主に林政史)について研究し、1911年7月に「木曾山」と題した卒業論文[1]を執筆した[2][3][4][5](が、学位は得られなかった[6])。
その後、義親は1923年7月に私邸(東京・麻布区の富士見邸)内に林政史研究室を設置し、木曾林政の研究調査、資料収集を再開した[7][8][9]。
設置の動機については諸説あり、
- 徳川 (1963 101)は、貴族院議員として多忙になり、生物学研究所での研究が継続できなくなったため、「理科を思い切って、また歴史に逆戻り」し、木曾の林政について研究することにした
- 中野 (1977 40-41,47)は、尾張徳川家を継いだ後、同家の古文書類を調べていて資料の欠落・空白から青松葉事件の存在に気付いたことが端緒となり、歴史研究を継続するためだった。義親は1908年に事件の存在に気付いて以来、事件の研究をライフワークとしていた
- 大石 (1994 91)は、藩史研究の念頭にあり、実践の場となったのは、既に官有となっていた木曾のことではなく、八雲町の徳川農場の運営のことだった
としている。
展開[編集]
1931年に義親が財団法人徳川黎明会を設立して尾張徳川家伝来の什宝・美術品・文献資料を同財団に寄付した際、林政史研究室は同財団の一機関として位置づけられることになり、蓬左文庫附属歴史研究室と改称した[7]。
1950年に蓬左文庫は、戦後の社会的混乱と経済的困窮を背景に愛知県名古屋市に移譲されることになり、その際に附属歴史研究室は独立して豊島区目白の義親邸内に残され、徳川林政史研究所と改称した[7]。
1950年代に同研究所は、義親を著者とする『木曾の村方の研究』[10]、『尾張藩石高考』[11]などを出版している[12]。
近況[編集]
1988年当時、林政史研究所は、近世経済史研究の基礎的な資料を保存・公開する活動をしている、と紹介されていた[12]。
林政研 (2013 )は、所蔵する藩政資料の特徴を活かして、江戸時代の尾張藩の林政史を中心に、尾張藩や江戸幕府に関する研究も行ない、史料の整理・公開の充実に注力しているほか、豊島区教育委員会との共催で公開講座を開催するなど教育・普及活動にも参画している、としていた。
所蔵資料[編集]
2.26事件関連文書[編集]
1936年2月の二・二六事件の際に、義親は反乱軍の将校を連絡をとって宮中への参内を仲介しようとしたことから事件後警察の取り調べを受けることになり[13]、また同事件の軍事裁判で法務官を務めた小川関治郎は旧尾張藩士の出身で、事件後しばしば義親邸を訪問し、事件の軍事裁判の情報を伝えていた[13]。この関係から、1939年末から1940年にかけて、小川は2.26事件の裁判関係資料を義親邸に持ち込んで保管を依頼したとされ、1973年当時、資料は未公開のまま徳川林政史研究所に保管されている、とされている[14][15]。
機関誌[編集]
1967年3月以来、年1回、機関誌である『徳川林政史研究所紀要』を刊行している[7][12](#外部リンク参照)。2015年3月発行の第49号からは、徳川美術館の論考・研究と併せて『金鯱叢書』[16]に収載する形式で刊行されるようになった[17]。
関連項目[編集]
付録[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1915年に刊行(林政研 2013 )。徳川 (1915) 徳川義親 [ 木曽山 ] 私家版 1915 NDLJP 950927
- ↑ 科学朝日 1991 192
- ↑ 小田部 1988 28
- ↑ 中野 1977 39
- ↑ 徳川 1963 99-100
- ↑ 徳川 1971 。詳細は、徳川義親#学位を参照。
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 林政研 2013
- ↑ 小田部 1988 18,29。同書は、同年「林政史研究所」を設置、としている。
- ↑ 徳川 1963 101 は、1927年4月に設立した、としている。
- ↑ 徳川 (1958) 徳川義親 [ 木曽の村方の研究 ] 徳川林政史研究所 1958 NDLJP 3008795
- ↑ 徳川 (1959a) 徳川義親 [ 尾張藩石高考 ] 徳川林政史研究所 1959a NDLJP 2490629
- ↑ 12.0 12.1 12.2 小田部 1988 29
- ↑ 13.0 13.1 小田部 1988 87
- ↑ 小田部 1988 87-88
- ↑ 中野 1977 178-179
- ↑ 徳川美術館 (2016) 徳川美術館 徳川美術館 > 調査・研究・教育 > 出版・刊行物 > 金鯱叢書 2016 [ arch. ] 2020-04-30
- ↑ 林政研 2021
参考文献[編集]
- 林政研 (2021) 徳川林政史研究所ホーム > 研究紀要 2021年10月3日閲覧
- 林政研 (2013) 徳川林政史研究所ホーム > 徳川林政史研究所の歴史 2013年7月31日更新版、2017年8月30日閲覧。
- 大石 (1994) 大石勇『伝統工芸の創生‐北海道八雲町の「熊彫」と徳川義親』吉川弘文館、1994年、ISBN 4642036563
- 科学朝日 (1991) 科学朝日編『殿様生物学の系譜』朝日新聞社、1991年、ISBN 4022595213
- 小田部 (1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192
- 中野 (1977) 中野雅夫『革命は芸術なり‐徳川義親の生涯』学芸書林、1977年、JPNO 78013751
- 徳川 (1971) 徳川義親「びっくりした話」名古屋郷土文化会『郷土文化』vol.26、no.1、通巻100号、1971年6月、pp.4-5、NDLJP 6045131/4
- ― (1963) ――(述)「私の履歴書‐徳川義親」日本経済新聞社『私の履歴書 文化人 16』1984年、pp.85-151、ISBN 4532030862 初出は1963年12月。