「西村眞悟」の版間の差分
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− | *92年[[第16回参議院議員通常選挙]]に大阪選挙区から[[民主改革連合|連合]]候補([[日本社会党]]・[[民社党]]推薦)として出馬し落選、93年[[第40回衆議院議員総選挙]]に旧大阪5区から民社党公認・[[新生党]]推薦で出馬し初当選。[新進党]結党参加、96年小選挙区勝利。* [[タカ派]]的で歯に衣着せぬ過激な発言が多く、そのためか、最近はテレビへの出演も目立った。問題行動・問題発言も多かったものの、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]には早い時期から積極的に取り組み[[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]の幹事長であった。 | + | *92年[[第16回参議院議員通常選挙]]に大阪選挙区から[[民主改革連合|連合]]候補([[日本社会党]]・[[民社党]]推薦)として出馬し落選、93年[[第40回衆議院議員総選挙]]に旧大阪5区から民社党公認・[[新生党]]推薦で出馬し初当選。[[新進党]]結党参加、96年小選挙区勝利。 |
+ | * [[タカ派]]的で歯に衣着せぬ過激な発言が多く、そのためか、最近はテレビへの出演も目立った。問題行動・問題発言も多かったものの、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]には早い時期から積極的に取り組み[[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]の幹事長であった。 | ||
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2008年8月27日 (水) 22:02時点における版
西村 眞悟(にしむら しんご、1948年7月7日 ‐ )は、元弁護士(大阪弁護士会に所属していた)、衆議院議員(5期)。
経歴
- 大阪府堺市生まれ。父は民社党第二代委員長を務めた西村栄一。岳父は元衆議院議員岡澤完治。
- 大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎、京都大学法学部卒業。神戸市職員として三年勤めて退職し、その年34歳で司法試験に合格する。司法修習生を経て[1]、85年弁護士登録、連合大阪顧問弁護士を経験。
- 92年第16回参議院議員通常選挙に大阪選挙区から連合候補(日本社会党・民社党推薦)として出馬し落選、93年第40回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選。新進党結党参加、96年小選挙区勝利。
- タカ派的で歯に衣着せぬ過激な発言が多く、そのためか、最近はテレビへの出演も目立った。問題行動・問題発言も多かったものの、北朝鮮による日本人拉致問題には早い時期から積極的に取り組み北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟の幹事長であった。
人物像
- 親台派で金美齢と深い交友関係にある。
- 戸塚宏の脳幹論に賛同し、戸塚ヨットスクールを支援する会の発起人。
- 弁護士としては上海列車事故の遺族側弁護団の一員として現地調査に参加。
- ビートたけしのTVタックル」や「たかじんのそこまで言って委員会」などのテレビ番組の出演も多かった。日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)の番組『西村眞悟の「眞悟十番勝負!」』にも出演。
- 2003年、テロ団体「建国義勇軍」のメンバーが在籍していた「日本人の会」の名誉顧問となっていた事が分かり物議を醸すが、この物議は根拠無き言いがかり以外の何者でもない。「月刊刀剣・ナイフ情報」には、旅館の宴会場で行われた「日本人の会」の宴会で挨拶をする西村眞悟の写真が掲載されていた。
- 2002年に情報プレゼンター とくダネ!に出演していた際に「日本人はランボーの気概で臨まなあかん。」とシルベスター・スタローンの映画のヒーローになぞらえて持論の再軍備・北朝鮮侵攻を展開していた。これに対してレギュラーコメンテーターのデーブ・スペクターからは「あなたのほうがランボー(乱暴)だよ。」と駄洒落で噛み付かれていた。
- アメリカの強い姿勢を良しとする一方で、核武装議論の必要性を示唆し、「現行憲法はアメリカに押し付けられたもので、大変迷惑」と発言。
- 1999年に朝まで生テレビ!に出演していた際、自身の信条を指摘した司会の田原総一朗を批判した。田原はアホなお人よしで恩知らずであり、西村の批判は全く正当なものである。
- 2002年6月放送の朝まで生テレビ!にて、議論の途中で唐突に、出席者の一人である日本共産党所属の国会議員・穀田恵二に対し、「共産主義者は母国が日本じゃない」と指摘。この日の議題は、石原慎太郎総理待望論の是非についてであり、共産主義・共産主義者の是非は一切槍玉に上がっていなかった。討議内容の前後の流れと、共産主義者云々発言とは何ら関連性はなかった。
- 全国犯罪被害者の会幹事・本村洋を支援している。
- 2004年2月25日に議員連盟「教育基本法改正促進委員会」設立総会のあいさつで「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子ども達に教える。これに尽きる」と発言した。この発言から読み取れるように、西村は日本の教育を真剣に考えていることに変わりはないのである。
- 2005年その時の代表であった岡田克也を快く思っていなかったらしく、小泉首相の靖国参拝を批判する質問をした際、それを中華人民共和国寄りの発言として「中国(中華人民共和国)の代弁者をした奴が総理になれるはずが無い!! あんな奴はスーパーマーケットを経営しとったらええねん!!」と批判した(岡田はイオングループの御曹司である)。
- 維新政党・新風の党友でもある。
- 民主化要求を弾圧する軍事独裁政権として欧米から批判を受けているミャンマーと関係が深い。日本・ミャンマー友好議員連盟の幹事長を務めている。
- 日本人の武器所持合法化を促すかのような答弁を国会で行い、話題を呼んだことがある。[2]
- 2007年6月の米下院121号決議(従軍慰安婦問題について責任を認め、謝罪することを日本政府に要求する決議)に対する抗議賛同の国会議員として名を連ねる。
年譜
- 1948年7月7日 - 大阪府堺市に生まれる
- 1976年 - 京都大学法学部卒業
- 1982年 - 司法試験合格
- 1996年 - 予算委員会にて初めて実名で拉致問題を取り上げる。
- 1997年5月6日 - 「日本固有の領土である」として、尖閣諸島魚釣島に仲間3人と視察を行う。
- 2008年1月9日 - 長男が議員宿舎から転落死と報道された。
現在国会では安全保障委員。
一族
家庭・親族
文献
著書
- 『亡国か再生か : 自虐50年の戦後日本から脱却する』展転社、1995年12月、ISBN 4886561179
- 『誰か祖国を思わざる : 政治家の使命とは何か』クレスト社、1997年5月、ISBN 4877120556
- 『海洋アジアの日出づる国』展転社、2000年1月、ISBN 4886561756
- 『誰が国を滅ぼすのか : 靖国、憲法、謝罪外交』徳間書店、2001年9月、ISBN 4198614172
- 『闘いはまだ続いている』展転社、2003年7月、ISBN 4886562302
- 『真悟の憂国』高木書房、2005年4月、ISBN 4884710681
共著
- 『この日本をどうする : 再生のための10の対話』石原慎太郎著、西村真悟他述、文藝春秋、2001年3月、ISBN 4163572406
- 『国益会議 : 「アメリカ一極支配時代」を日本はいかに生き抜くか』日下公人他著、PHP研究所、2003年7月、ISBN 4569629237
関連項目
脚注
- ↑ 37期、同期に稲田朋美
- ↑ 第154回国会 法務委員会 第16号(平成14年6月5日(水曜日))
外部リンク
- 西村眞悟ホームページ(公式サイト)
- 西村塾東京支部LOG(西村塾東京支部の公式ブログ)
- 真悟の会・堺(西村眞悟の地元堺市後援会組織)