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** [[10月1日]] - 貨物営業廃止。ただし、実際の貨物列車運行最終日は[[9月23日]]。 | ** [[10月1日]] - 貨物営業廃止。ただし、実際の貨物列車運行最終日は[[9月23日]]。 | ||
2015年12月10日 (木) 23:51時点における最新版
北館林荷扱所(きたたてばやしにあつかいしょ)は、群馬県館林市の東武鉄道佐野線渡瀬 - 田島間にあった貨物駅である。
概要[編集]
北館林荷扱所は、カルピス食品工業(現・カルピス)が当荷扱所付近の館林北部工業団地に新工場を建設することになり、製品輸送に対応するために新設した。一時期は、カルピスの他に正田卯平商店、東武運輸、両毛丸善の計4社の専用線があったが、1986年に両毛丸善以外の3社の専用線が廃止された。2003年9月限りで、最後まで残っていた両毛丸善の石油輸送終了に伴い東武の貨物輸送は廃止された。その後は渡瀬駅構内の扱いとなり、廃車車両および休車(保留)車両が留置される。現在の正式名は資材管理センター北館林解体所。
2003年9月20日、9月21日の2日間のみ、「さようなら貨物列車記念イベントツアー」のために旅客営業を行った。この際は浅草 - 当荷扱所間で臨時「りょうもう」が1往復運行された。
歴史[編集]
周辺[編集]
廃車車両の解体について[編集]
かつて、東武鉄道では廃車となった車両の解体は、東武動物公園駅隣接の杉戸工場北側にある杉戸倉庫(扱いは杉戸検車区)で行っていた。
1987年から3000系列の廃車が始まったが、これらは1本の編成が4 - 6両と長く、杉戸では編成単位で収容できないため、解体作業場の移転が行われることになったが、解体場の移転先が決まるまでの数か月間、解体待ちの編成が東武動物公園駅構内に留置されていた。
解体場の移転先として北館林荷扱所を使用することになり、1987年夏から北館林荷扱所での解体作業が始まった。当初、廃車車両は東武動物公園駅までは自力回送、同駅からは電気機関車牽引により回送されていた。1990年以降、廃車車両の機関車牽引回送は廃止となり、廃車車両は直接北館林荷扱所まで自力回送とされた。ただし、検査期限切れなどで単独走行が不能な場合は、他の車両に牽引されて回送される。
北館林荷扱所では、3000系列の他、2000系・2080系、1700系・1720系、5700系、ED5060形、貨車などが解体された。2000年代に入ると、5000系列、8000系、1800系通勤化改造車・ED5080形も解体された。
当地では京王電鉄や小田急電鉄、東京地下鉄、都営地下鉄その他地方私鉄で廃車となった車両も解体されており、これらは車体のみが大型トラックで陸送されてくる。 なお、解体作業は杉戸時代から高田産業に委託されている。
参考文献[編集]
- ↑ 「鉄道記録帳2003年9月」、『RAIL FAN』第50巻第12号、鉄道友の会、2003年12月1日、 22頁。