「乾浩明」の版間の差分
(ページの作成:「{{基礎情報 アナウンサー |名前=乾 浩明 |ふりがな=いぬい ひろあき |画像ファイル= |画像サイズ= <!--ある場合のみ、220px以内--> |...」) |
細 |
||
36行目: | 36行目: | ||
== エピソード == | == エピソード == | ||
− | |||
*ABC主催のお笑いコンクールで司会を務めた時、審査の合間に[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]がゲスト歌手として登場したが、岩崎の歌が終わっても声援を止めない[[親衛隊 (アイドル)|親衛隊]]に対し、「もう、ええかぁ?」とリラックスした口調の大阪弁で静止を求めると、声援はピタッと止まったという。 | *ABC主催のお笑いコンクールで司会を務めた時、審査の合間に[[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]がゲスト歌手として登場したが、岩崎の歌が終わっても声援を止めない[[親衛隊 (アイドル)|親衛隊]]に対し、「もう、ええかぁ?」とリラックスした口調の大阪弁で静止を求めると、声援はピタッと止まったという。 | ||
*また[[西川きよし]]が参議院選挙当選後に初めて[[横山やすし]]と対面する『[[水曜スペシャル]]』の特番では、過激な発言を繰り出すやすしに対して、「えらい過激なことを言いまんなぁ、それはどういう意味でっか?」と逆に柔らかに問い返してやすしからコメントを引き出すなど独特な進行を展開した。 | *また[[西川きよし]]が参議院選挙当選後に初めて[[横山やすし]]と対面する『[[水曜スペシャル]]』の特番では、過激な発言を繰り出すやすしに対して、「えらい過激なことを言いまんなぁ、それはどういう意味でっか?」と逆に柔らかに問い返してやすしからコメントを引き出すなど独特な進行を展開した。 |
2013年3月21日 (木) 16:38時点における最新版
いぬい ひろあき | |
---|---|
乾 浩明 | |
[[画像:|0|]] | |
プロフィール | |
本名 | |
愛称 | |
出身地 | 大阪府大阪市阿倍野区 |
国籍 | |
生年月日 | 1938年11月2日((2024-1938)+((11-11)*100+(16-2)>=0)-1歳) |
没年月日 | |
血液型 | |
最終学歴 | 関西学院大学 |
勤務局 | |
所属事務所 | フリー |
部署 | |
職歴 | 元朝日放送アナウンサー、アナウンス部長、ラジオ局長、テレビ制作局長 元ホテルプラザ代表取締役社長 元ABCリブラ代表取締役社長・副社長 |
活動期間 | 1962年~2007年 |
ジャンル | 情報・バラエティ番組 |
配偶者 | |
家族 | |
公式サイト | |
出演/担当番組・活動 | |
現在 | |
過去 | |
その他 | |
備考: | |
テンプレートを表示 |
乾 浩明(いぬい ひろあき、1938年11月2日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。大阪府大阪市阿倍野区出身。2007年6月までABCリブラの代表取締役社長を務めていたが、退任後はフリーアナウンサー、ナレーター。長年奈良県北葛城郡王寺町に在住。
来歴・人物[編集]
大阪府立阿倍野高等学校(逸見政孝は同校の後輩に当たる)、関西学院大学を卒業後、1962年、朝日放送(ABC)にアナウンサーとして入社。数々のテレビ番組・ラジオ番組等を担当した。
標準語が求められるアナウンサーの世界において、生まれ育った大阪弁で喋ることを武器に、バラエティ番組や演芸番組の司会を数多く担当した。そのためお笑いタレントと間違われることもあったが、様々な番組で活躍し、また奔放な司会が視聴者からの支持を集めた。とりわけ関西ローカルから全国ネットにまでなったクイズ番組『世界一周双六ゲーム』が乾の代表番組といえ、素人解答者への情け容赦ないツッコミや、強引ながらも解答者を応援する司会進行ぶりは当時の視聴者の間で伝説になった。他の代表番組に『ワイドショー・プラスα』『わいわいサタデー』などがある。
アナウンス部長、ラジオ局長、テレビ制作局長などの管理職を歴任した後、役員待遇となり1997年にABCの関連会社であったホテルプラザへ出向をし、代表取締役社長となった。同ホテルが1999年3月に廃業した際は、社長として従業員の再就職先探しに尽力した。その後、同じく関連会社・ABCリブラで副社長を経て代表取締役社長に就任。社長業の傍ら、『土曜ワイド劇場』の自社製作シリーズ作品『新・赤かぶ検事奮戦記』や『京都の芸者弁護士事件簿』でナレーションを担当し、また2003年に死去した漫才師・夢路いとしの追悼番組では、久々に司会を務めた。
2007年6月末にABCリブラの代表取締役社長を退任、同時に46年間勤務した朝日放送を退職した。現在はフリーランスであるが「オファーがあれば子どもたちに日本語の話し方を教えたい」と語っている。
エピソード[編集]
- ABC主催のお笑いコンクールで司会を務めた時、審査の合間に岩崎良美がゲスト歌手として登場したが、岩崎の歌が終わっても声援を止めない親衛隊に対し、「もう、ええかぁ?」とリラックスした口調の大阪弁で静止を求めると、声援はピタッと止まったという。
- また西川きよしが参議院選挙当選後に初めて横山やすしと対面する『水曜スペシャル』の特番では、過激な発言を繰り出すやすしに対して、「えらい過激なことを言いまんなぁ、それはどういう意味でっか?」と逆に柔らかに問い返してやすしからコメントを引き出すなど独特な進行を展開した。
- ニュース原稿も滅多なことが無い限り読まなかったため、芸能畑がほとんどであった。
- ラジオ番組の担当中にも関わらず白のエナメルの靴を履くなど、ファッションにおいても独特の個性がある。宮根誠司曰く、局内では「エナメルの乾、ベルベットの道上(洋三)」と言われたという。
- アナウンス部長在任時代、宮根をはじめ、三代澤康司・岡元昇・芦沢誠などの若手アナウンサーを育て上げ、鳥木千鶴・中村智子ら女子アナも育て上げた。その反面、部下に対しては厳しい上司であったと巷間伝えられている。宮根が近年テレビで語ったところによると、ニュースを読み終えた後アナウンス室に帰ってきた宮根に対し、乾は「ちゃんと標準語で話せや!」と怒鳴り散らし灰皿を投げつけたという。宮根の1回目の結婚の仲人は乾だった。(ただし、乾本人も別に標準語が得意なアナウンサーというわけでもなく、宮根自身も『おはよう朝日です』で岡元が司会を務めた時代に岡元が休みの時、かわりにニュースを読んだ事もある)
- やしきたかじんが帯番組『晴れ時々たかじん』を始めてもなかなか視聴率は上向きにならず悩んでいたときに、馴染みの鉄板焼屋で乾と遭遇した。たかじんは「視聴率が全然上がりません。番組やめたほうがよろしいですかね?」と相談したら、乾から「そやそや君には荷が重すぎるんやで、早よ辞めた方が君のためやで」と言われたという。その言葉を聞いてたかじんは内心憤慨し、「乾を見返してやる」と奮起し、番組は高視聴率を獲得するようになったという(もちろん両者の仲が悪いというわけではなく、立ち上げ時の苦労話をたかじんが面白おかしく話しているだけ)。
- 笑福亭鶴瓶と乾は番組の企画で占い師に守護霊を見てもらったところ、鶴瓶は「若武者の守護霊」がいると言われたが、 乾は「死んだお婆さんの霊」が憑いていると言われた。乾は「なんでやねん! オマエが若武者で何で俺がオバンやねん!」と憤慨したという(1989年放送『パペポTV』での鶴瓶の証言)。
- 1990年頃、『探偵!ナイトスクープ』で「乾アナウンサーはカツラですか?」という依頼があり、探偵の北野誠が乾の髪を掴み、乾が激怒する映像が放送された。因みに調査の結果は「乾アナウンサーはカツラじゃなかった」だった。
過去の出演番組[編集]
テレビ[編集]
- ワイドショー・プラスα
- バラエティワイド こんな時α
- 世界一周双六ゲーム - 司会
- わいわいサタデー(1983年 - 1990年9月) - 初代司会者
- 夫婦でドンピシャ!
- 乾・鶴瓶の電話でドン!
- 生クイズ・夫婦でドン!
- ホリデーワイド
- 西部警察 PART-III 第49話「京都・幻の女殺人事件 -京都篇-」(1984年)
- 霊感ヤマカン第六感-霊感ゲームの問題で乾に対して『双六』が出された。
- 水曜スペシャル
- 新・赤かぶ検事奮戦記 - ナレーション担当
- 京都の芸者弁護士事件簿 - ナレーション担当
ラジオ[編集]
関連人物[編集]
ABC時代[編集]
- 上司
- 後輩
- 道上洋三(現在、顧問兼エグゼクティブアナウンサー)
- 部下
- 安部憲幸(現在、フリー)
- 乾龍介(現在、顧問兼フリー)
- 村田好夫(現在、フリー)
- 林伸一郎(現在、監査役会事務局事務長)
- 西野義和(2012年3月で定年退職、最後の役職はアナウンスセンター長)
- 太田元治(現在、スポーツ局次長兼業務担当部長)
- 和沙哲郎(現在、ゼネラルアナウンサー)
- 宮根誠司(現在、フリー)
- 岡元昇(現在、アナウンスセンターアナウンス担当部長)
- 三代澤康司(現在、ゼネラルアナウンサー)
- 芦沢誠
- 加瀬征弘(2010年11月までスカイA出向)
- 堀江政生(現在、報道局報道課長兼報道記者)
- 柴田博(現在、アナウンスセンター課長)
- 鳥木千鶴
- 中村智子(現在、編成局番組宣伝部)
タレント[編集]
|