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自分はあくまでもボクサーだからと言ってリング外での活動を苦手とし、タイトル獲得直後には「地味なチャンピオンでいい。チャンピオンっぽくないチャンピオンに」と話していた長谷川だが<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sport05/0418jf60360.html 「努力の結果」 ボクシング新王者長谷川] 神戸新聞 2005年4月18日</ref>、V10成功後はテレビ出演や雑誌の取材に応じ、正月を除けば家で一日休めた日は2日しかなかった<ref name="boxmaga201004hasegawa">『ボクシング・マガジン』2010年4月号、6頁</ref>。内藤大助も防衛戦で引き分けたポンサクレック<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20080309-333148.html ポンサクが内藤に辛口エール] 日刊スポーツ 2008年3月9日</ref>やファン<ref>田口潤 [http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20080119-309045.html 内藤マシントレ解禁!肉体改造スピード増] 日刊スポーツ 2008年1月19日</ref>に「テレビに出過ぎ」と窘められたことがあるが、これは長谷川が「皆さんの前に出させてもらうから知名度が上がる。知名度が上がるから、会場に人が来てくれるし、テレビで試合も見てくれる。そしてきちんと勝っていけば、自分の望む試合もできる」と考えてのことであった<ref name="boxmaga201004hasegawa" />。この頃、フェザー級ではボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアのメガファイトをまとめようとしており(実現には至らなかったが)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え<ref name="boxmaga201004hasegawa" />(本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し<ref name="honda">『ボクシング・マガジン』2010年4月号、10頁</ref>、モンティエル招聘のために5000万円を支払ったとも言われる<ref name="kishi1" />)、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。状況はだいぶ異なるが、こういった切実な(心境を生み出す)環境を内藤の場合は日刊スポーツが「弱小ジムの悲哀」と表現していた<ref>[http://web.archive.org/web/20071014002836/http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20070811-239959.html 「大毅vs内藤」へ宮田ジム会長が悲壮決意] 日刊スポーツ 2007年8月11日</ref>{{#Tag:ref|ゴールデンボーイ・プロモーションのアミール・カーンがTwitterでボクシングモバイル(東日本ボクシング協会)に向かって、モハメド・アリが娘との共著 ''The Soul of a Butterfly: Reflections on Life's Journey'' の中に書いた言葉「チャンピオンはジムでつくられるものじゃない。欲望だったり夢だったり幻想だったり──彼らの奥深くにあるものからつくられるんだ」(アリはさらに「最後の瞬間のスタミナがなくてはだめだし、速さで上回らなければならないし、技術と意志は欠かせない。だが、最後に必要なのは技よりも意志だ」と続けている)<ref>[http://www.islamicbulletin.com/free_downloads/new_muslim/muhammad_ali.pdf The Soul of a Butterfly] The Islamic Bulletin {{En icon}}</ref>をそのまま書いてスルーされていたが、日本のジム制度下のジムは時としてその欲望や夢や幻想を潰してしまうこともある。だが、そんなことをわざわざボクモバの目の前で説明する者はいなかった。|group="*"}}。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き<ref>『ボクシング・マガジン』2010年4月号、7頁。</ref>、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめた<ref name="honda">「本田明彦 史上最高決戦の演出者に聞く」『ボクシング・マガジン』2010年4月号、10頁</ref>。この試合は日本で年間最高試合となり、WBCのThe Most Dramatic Fight of the Year にも選ばれたが、長谷川は黒星に終わった。 | 自分はあくまでもボクサーだからと言ってリング外での活動を苦手とし、タイトル獲得直後には「地味なチャンピオンでいい。チャンピオンっぽくないチャンピオンに」と話していた長谷川だが<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sport05/0418jf60360.html 「努力の結果」 ボクシング新王者長谷川] 神戸新聞 2005年4月18日</ref>、V10成功後はテレビ出演や雑誌の取材に応じ、正月を除けば家で一日休めた日は2日しかなかった<ref name="boxmaga201004hasegawa">『ボクシング・マガジン』2010年4月号、6頁</ref>。内藤大助も防衛戦で引き分けたポンサクレック<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20080309-333148.html ポンサクが内藤に辛口エール] 日刊スポーツ 2008年3月9日</ref>やファン<ref>田口潤 [http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20080119-309045.html 内藤マシントレ解禁!肉体改造スピード増] 日刊スポーツ 2008年1月19日</ref>に「テレビに出過ぎ」と窘められたことがあるが、これは長谷川が「皆さんの前に出させてもらうから知名度が上がる。知名度が上がるから、会場に人が来てくれるし、テレビで試合も見てくれる。そしてきちんと勝っていけば、自分の望む試合もできる」と考えてのことであった<ref name="boxmaga201004hasegawa" />。この頃、フェザー級ではボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアのメガファイトをまとめようとしており(実現には至らなかったが)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え<ref name="boxmaga201004hasegawa" />(本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し<ref name="honda">『ボクシング・マガジン』2010年4月号、10頁</ref>、モンティエル招聘のために5000万円を支払ったとも言われる<ref name="kishi1" />)、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。状況はだいぶ異なるが、こういった切実な(心境を生み出す)環境を内藤の場合は日刊スポーツが「弱小ジムの悲哀」と表現していた<ref>[http://web.archive.org/web/20071014002836/http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20070811-239959.html 「大毅vs内藤」へ宮田ジム会長が悲壮決意] 日刊スポーツ 2007年8月11日</ref>{{#Tag:ref|ゴールデンボーイ・プロモーションのアミール・カーンがTwitterでボクシングモバイル(東日本ボクシング協会)に向かって、モハメド・アリが娘との共著 ''The Soul of a Butterfly: Reflections on Life's Journey'' の中に書いた言葉「チャンピオンはジムでつくられるものじゃない。欲望だったり夢だったり幻想だったり──彼らの奥深くにあるものからつくられるんだ」(アリはさらに「最後の瞬間のスタミナがなくてはだめだし、速さで上回らなければならないし、技術と意志は欠かせない。だが、最後に必要なのは技よりも意志だ」と続けている)<ref>[http://www.islamicbulletin.com/free_downloads/new_muslim/muhammad_ali.pdf The Soul of a Butterfly] The Islamic Bulletin {{En icon}}</ref>をそのまま書いてスルーされていたが、日本のジム制度下のジムは時としてその欲望や夢や幻想を潰してしまうこともある。だが、そんなことをわざわざボクモバの目の前で説明する者はいなかった。|group="*"}}。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き<ref>『ボクシング・マガジン』2010年4月号、7頁。</ref>、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめた<ref name="honda">「本田明彦 史上最高決戦の演出者に聞く」『ボクシング・マガジン』2010年4月号、10頁</ref>。この試合は日本で年間最高試合となり、WBCのThe Most Dramatic Fight of the Year にも選ばれたが、長谷川は黒星に終わった。 | ||
− | 長谷川最愛の母親は2006年10月に大腸がんの診断を受け<ref name="kishi2">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101027ddm035050104000c.html 来住 2頁]、 2010年10月27日</ref>、大腸・卵巣がんの手術や肺がんの粒子線治療など800万円を超える費用のうち700万円以上を長谷川が負担していたが、モンティエルにタイトルを明け渡したV11戦を最後に、2010年10月に他界する<ref>[http://web.archive.org/web/20101027090348/http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/10/25/03.html 11月の再起戦を前に…長谷川の母、死去] スポーツニッポン 2010年10月25日</ref>。V10成功後には、「今まで泣いたことないのに。相手のパンチが当たっているように見えたので」と涙を流した強く優しい母親で<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/special/boxing_titlematch/2009_1218/KFullNormal20091219178.html 闘病中の母が初めて泣いた…父は辛口批評] スポーツニッポン 2009年12月19日</ref>、苦痛の極みの中で息を引き取る瞬間にも笑顔をつくっていた<ref name="kishi2" />。この後2011年にかけての長谷川は、フェザー級で空位のタイトルこそ獲得したものの、自らのスタイルの崩壊とモチベーションの停滞に苦戦して初防衛戦で失冠、米国進出は棚上げしている<ref name="kishi5" />。 | + | 長谷川最愛の母親は2006年10月に大腸がんの診断を受け<ref name="kishi2">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101027ddm035050104000c.html 来住 2頁]、 2010年10月27日</ref>、大腸・卵巣がんの手術や肺がんの粒子線治療など800万円を超える費用のうち700万円以上を長谷川が負担していたが、モンティエルにタイトルを明け渡したV11戦を最後に、2010年10月に他界する<ref>[http://web.archive.org/web/20101027090348/http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/10/25/03.html 11月の再起戦を前に…長谷川の母、死去] スポーツニッポン 2010年10月25日</ref>。V10成功後には、「今まで泣いたことないのに。相手のパンチが当たっているように見えたので」と涙を流した強く優しい母親で<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/special/boxing_titlematch/2009_1218/KFullNormal20091219178.html 闘病中の母が初めて泣いた…父は辛口批評] スポーツニッポン 2009年12月19日</ref>、苦痛の極みの中で息を引き取る瞬間にも笑顔をつくっていた<ref name="kishi2" />。この後2011年にかけての長谷川は、フェザー級で空位のタイトルこそ獲得したものの、自らのスタイルの崩壊とモチベーションの停滞に苦戦して初防衛戦で失冠、米国進出は棚上げしている<ref name="kishi5" />{{#Tag:ref|だが無論、長谷川をひたすら信じることに決めて期待しているボクシングファンは日本人だけではない<ref>[http://aznbadger.wordpress.com/?s=hozumi+hasegawa Azn Badger's Blog] {{En icon}}</ref>。|group="*"}}。 |
長谷川の特長はハンドスピードとフェイントのテクニック<ref name="kishi4">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101029ddm035050097000c.html 来住 4頁]、 2010年10月29日</ref>(かつて暴力団対策担当の兵庫県警捜査4課刑事だったトレーナー山下正人が逮捕術を応用して主に相手の呼吸を読むことで長谷川のインターバル中にフェイントのタイミングを指示してきた<ref name="kishi3">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101028ddm035050045000c.html 来住 3頁]、2010年10月28日</ref>。しかし2度の初回KO防衛が示すように自らもタイミングを図ることに長けていた)、そして優れた防御勘だった<ref name="kishi1" /><ref name="kishi3" />。階級を上げたことで減量の影響なく足を使えるようになるはずだったが<ref name="kishi5">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101030ddm035050095000c.html 来住 5頁]、 2010年10月30日</ref>、フェザー級では完全にフットワークを失い<ref name="kobe20110510">[http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sports/201104slow/02.shtml 兵庫アスリートの深層 スローモーション その一瞬 – (2) 真正ボクシングジム 山下正人会長 (49) 心の揺れ 足が止まった] 神戸新聞 2011年5月10日</ref>、距離をコントロールすることもできずに<ref>原功 [http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2010/11/27/article46/ 長谷川穂積の2階級制覇を手放しで喜んではいけない] スポルティーバ 2010年11月27日</ref>足を止めての打ち合いに終始している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/special/boxing_titlematch/2010_1126h/KFullNormal20101128128.html 長谷川、心晴れ晴れ…防衛戦は「本来のスタイルで」] スポーツニッポン 2010年11月28日</ref><ref>大池和幸 [http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110409-758760.html 長谷川TKO負け今後は白紙] 日刊スポーツ 2011年4月9日</ref>。しかしそもそもスタイル以前に、母親の死から半年足らずで日本は大地震に見舞われたが、(ゴンサレスが日本に向けて発つ前にメキシコで、「西岡に負けて僕がどれだけ苦しみ抜いて這い上がってきたか、ボクシングファンのみんなはわかってくれるよね? 絶対に勝って帰ります」と話していたのに対し<!--スペイン語資料散逸-->、)「この状況で試合をしてもいいのか」<ref name="kobe20110510" />という迷いの中で勝てるはずがなく、フェザー級での実力はいまだ図れる状態にない。 | 長谷川の特長はハンドスピードとフェイントのテクニック<ref name="kishi4">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101029ddm035050097000c.html 来住 4頁]、 2010年10月29日</ref>(かつて暴力団対策担当の兵庫県警捜査4課刑事だったトレーナー山下正人が逮捕術を応用して主に相手の呼吸を読むことで長谷川のインターバル中にフェイントのタイミングを指示してきた<ref name="kishi3">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101028ddm035050045000c.html 来住 3頁]、2010年10月28日</ref>。しかし2度の初回KO防衛が示すように自らもタイミングを図ることに長けていた)、そして優れた防御勘だった<ref name="kishi1" /><ref name="kishi3" />。階級を上げたことで減量の影響なく足を使えるようになるはずだったが<ref name="kishi5">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101030ddm035050095000c.html 来住 5頁]、 2010年10月30日</ref>、フェザー級では完全にフットワークを失い<ref name="kobe20110510">[http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sports/201104slow/02.shtml 兵庫アスリートの深層 スローモーション その一瞬 – (2) 真正ボクシングジム 山下正人会長 (49) 心の揺れ 足が止まった] 神戸新聞 2011年5月10日</ref>、距離をコントロールすることもできずに<ref>原功 [http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2010/11/27/article46/ 長谷川穂積の2階級制覇を手放しで喜んではいけない] スポルティーバ 2010年11月27日</ref>足を止めての打ち合いに終始している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/special/boxing_titlematch/2010_1126h/KFullNormal20101128128.html 長谷川、心晴れ晴れ…防衛戦は「本来のスタイルで」] スポーツニッポン 2010年11月28日</ref><ref>大池和幸 [http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110409-758760.html 長谷川TKO負け今後は白紙] 日刊スポーツ 2011年4月9日</ref>。しかしそもそもスタイル以前に、母親の死から半年足らずで日本は大地震に見舞われたが、(ゴンサレスが日本に向けて発つ前にメキシコで、「西岡に負けて僕がどれだけ苦しみ抜いて這い上がってきたか、ボクシングファンのみんなはわかってくれるよね? 絶対に勝って帰ります」と話していたのに対し<!--スペイン語資料散逸-->、)「この状況で試合をしてもいいのか」<ref name="kobe20110510" />という迷いの中で勝てるはずがなく、フェザー級での実力はいまだ図れる状態にない。 |
2012年3月11日 (日) 03:45時点における版
バンタム級(英:bantamweight)は、ボクシングなどの格闘技で用いられる階級の1つである。
なお、「バンタム」とは「チャボ」という意味である。「バンダム級」は誤用。
ボクシング
プロボクシングでの契約ウェートは、115〜118ポンド(52.2〜53.5kg)である。 スーパーフライ級とスーパーバンタム級の間の階級であり、全17階級中5番目に軽い階級である。
アマチュアボクシングでは、112〜119ポンド(51〜54kg)である。
日本人として初めて同級世界王座を獲得したのはファイティング原田で、フライ級に続き2階級制覇を成し遂げた。日本ボクシングコミッション非公認の団体日本IBFでも新垣諭がIBF初代世界チャンピオンに。アマチュアでは東京オリンピックで桜井孝雄が金メダルを獲得した階級であり、プロでも東洋太平洋王座を獲得し、世界タイトルにも挑戦した。1994年12月には薬師寺保栄と辰吉丈一郎による史上初の日本人世界チャンピオン同士の統一戦が行われた。
この階級の日本ジム所属最多防衛世界王者は長谷川穂積(真正、2005年4月16日〜2010年4月30日)、最新世界王者は、WBCの山中慎介(帝拳、2011年11月6日〜)。
ボクシング漫画あしたのジョーの主人公矢吹丈もこの階級である。
元バンタム級選手たちの混迷
ノニト・ドネアの場合
ノニト・ドネアはバンタム級への転級2戦目に衝撃的なKOでWBC・WBOの両世界タイトルを獲得。しかし、6000人収容のワム・シアターで行われたニューヨークお披露目の初防衛戦では[2]相手が防御に徹し、好試合を演出できなかった[3]。2012年2月にはスーパーバンタム級への転級初戦で空位のWBO世界タイトルを獲得するが、基本に背いたスタイルとしてさらに不評を買った[4]。
ドネアをプロモートするボブ・アラムはスーパーバンタム級に経済的な潜在価値を期待するが、米国における軽量級市場は依然として厳しい。2011年7月頃からアラム、ドネア両名を始めとするドネア陣営がこぞって執拗なまでにドネアの対戦相手として西岡の名を挙げながらも[5]、西岡 vs. マルケスの前には、「西岡が多くのラスベガスのボクシングファンを魅了することはないだろう」とのたまったアラムだが[6]、その試合後の記者会見ではいけしゃあしゃあと「西岡は素晴らしい。これからも米国で闘って、第二のホームリングにしてほしい」と述べている(西岡が素晴らしいのはアラムに言われるまでもないが、海千山千の古狸の本心は不明であり、西岡も途中から苦笑している)[7][8]。実際にドネア陣営の西岡へのラブコールは、ドネアが2試合連続の判定試合で彼の試合を中継するHBOを失望させる[9]直前まで、半年以上も続いていたのである[10]。にもかかわらず、ドネアの初防衛戦の相手としてアラムがよりイージーな相手を選ぼうとし始めたのは[11]、HBOで30年以上も解説を務めるラリー・マーチャントら同局の圧力が介在しているからである[9][12]。ニューヨークデビューに失敗した後、試合開催地がテキサス、メキシコ(予定)と下り続けるドネア陣営も(亀田やアスロウムのようなテレビスターと同様に)追い詰められてはいるのだ。
HBOの公式サイト内で、同局ボクシング解説者であり殿堂入りトレーナーでもあるエマヌエル・スチュワードらが繰り返し語るドネアの武器はバランスと強打[13]。ドネア自身が最重要視しているのもバランスである。西岡の最大の武器は肝の据わった左ストレートだが、頑強なガルシア相手のV1戦ではラウンド間に苛立ちも見せていたし、リナレスがKOされた直後のV3戦では硬さも見られた。彼が(おそらくは特にV5戦あたりから常に拳に爆弾を抱えているにも関わらず、)V4戦から飛躍的に進化したのは、体幹トレーニングによるバランスの強化が奏功してきたからで[14]、同時に強靭なメンタルが備わってきたからだ。 ドネアのバランスと強打を際立たせてKO勝利を演出するための相手としては、西岡は確かにふさわしくない。
WBO王座決定戦の直前、ロベルト・ガルシア・ボクシング・アカデミー(元IBFジュニアライト級チャンピオンのロベルト・ガルシア・コルテスが2009年12月からドネアのトレーナーを務めている[15])での練習中に、ドネアは手を負傷した。試合においてドネアは10回か11回まで手が痛むことを告げずによく頑張っていたが、相手を見過ぎて単発で手数の少ないドネアにガルシアが12回開始前のインターバル中「もっとジャブを出せ」と指示すると、「手を怪我してるんだよ? 僕できないよ」(You know what I hurt my hand. I can't.) と答えた。ドネアが「彼は的確な指示をくれる」と全幅の信頼を置いているにもかかわらず[16]、ガルシアはやっていることを続けろとしか言えなくなり、試合後も自分たちはもっとうまくやれたが、手を怪我していたのだから仕方ないと話している[17][18]。(ドネアとの関係は良好と伝えられるガルシアだが[19]、切羽詰まった状況にあればこそ、なぜこのようなエピソードを公表したのか謎である。ドネアは幼少期に典型的な真ん中っ子症候群を経験しており、現在も情緒不安定な面がある。)2012年2月現在、ドネアはこのような試合をひとつこなしただけで、リング誌のパウンドフォーパウンド4位を維持しながらも同誌のスーパーバンタム級ランキングでは西岡・リゴンドーに続いて3位にとどまっており[* 1]、同級での評価はいまだ勝ち得ていない。
スーパーバンタム級の雄・西岡利晃は、ヘナロ・ガルシアを迎えた初防衛戦では両拳を痛めながらもセコンドについていた田中繊大に「逃げて勝つのかよ!」と発破をかけられてTKO勝利(2009年1月)[21]、レンドール・ムンロー戦では序盤に両拳を痛め、左中指からは出血もしたが[22]、12回開始前には田中に「痛くねーんだよ! 倒してこい!!」と送り出されて[23]鬼気迫るコンビネーションでポイント差を広げ(2010年10月)、マウリシオ・ムニョス戦では試合前に左脇腹の肉離れに加えて左中指の骨を痛め[24]、勝負を賭けたはずの右は相手がカウンターを狙っていることに気づいたために頼ることをやめ、衝撃を直接中指に受けないようにパンチの種類や拳の向きを変えながら左拳主体の攻撃に切り替えて後半の全力勝負でKO勝利(2011年4月)[25]、ラファエル・マルケス戦ではレイジェスのグローブをグラントに変えて臨んだものの[26](エクスキューズ代わりに血に染まったバンデージをテレビカメラに向けたドネアは、まだエバーラストのグローブで頑張ると話している[27])、痛めた拳に細菌が入り込んで手の甲を腫らし、しばらく点滴治療を受けたが(2011年10月)[28]、なおもドネアが最強と評価されるのであれば彼を倒すと言い、その全力で狩る姿が支持される理由のひとつとなっているのだ[29]。
長谷川穂積の場合
WBC世界バンタム級チャンピオン当時の長谷川は、2006年5月に渡米して以来、米国でのビッグマッチを望むようになっていた。当時のバンタム級にはビッグマッチの相手となりうる選手が不在で、長谷川がスーパーバンタム級へ移るか、もしくはスーパーフライ級の選手がバンタム級へ移ってくるのを待つ状態であった[30]。しかし、軽量級では特に相応のパフォーマンスができないと米国へ進出するのは難しいため、2008年1月の対マルドロットV5戦の次戦とも予定されていた米国デビューは、長谷川の流血を伴うV5判定防衛によって、彼のすべての世界戦を手がける帝拳プロモーションの本田明彦の判断の下、保留となる[31]。2008年6月のV6戦から長谷川はKO防衛を続けるが、同年9月には帝拳生え抜きではないもののその所属選手である西岡利晃がWBCスーパーバンタム級暫定タイトルを勝ち取り、イスラエル・バスケスの眼疾により正規チャンピオンに昇格、そのV1戦で長谷川の判定防衛の相手であったへナロ・ガルシアにTKO防衛、さらにV2戦では指名挑戦者・ジョニー・ゴンサレスを相手に、ほとんど日本人初となる海外防衛を成功させ、連続KO防衛記録を伸ばしていた。「フェザー級なら(減量が)3.6キロも楽」[32]と言って長谷川は2階級上げることを決意するが、同じ本田にプロモートされる選手として西岡との対戦実現の見込みはなく、長谷川陣営がWBCは裏切れないと考える以上は[33]、スーパーバンタム級へ移るという選択肢は実質的に閉ざされていた。
自分はあくまでもボクサーだからと言ってリング外での活動を苦手とし、タイトル獲得直後には「地味なチャンピオンでいい。チャンピオンっぽくないチャンピオンに」と話していた長谷川だが[34]、V10成功後はテレビ出演や雑誌の取材に応じ、正月を除けば家で一日休めた日は2日しかなかった[35]。内藤大助も防衛戦で引き分けたポンサクレック[36]やファン[37]に「テレビに出過ぎ」と窘められたことがあるが、これは長谷川が「皆さんの前に出させてもらうから知名度が上がる。知名度が上がるから、会場に人が来てくれるし、テレビで試合も見てくれる。そしてきちんと勝っていけば、自分の望む試合もできる」と考えてのことであった[35]。この頃、フェザー級ではボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユリオルキス・ガンボアのメガファイトをまとめようとしており(実現には至らなかったが)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え[35](本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し[38]、モンティエル招聘のために5000万円を支払ったとも言われる[32])、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。状況はだいぶ異なるが、こういった切実な(心境を生み出す)環境を内藤の場合は日刊スポーツが「弱小ジムの悲哀」と表現していた[39][* 2]。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き[41]、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめた[38]。この試合は日本で年間最高試合となり、WBCのThe Most Dramatic Fight of the Year にも選ばれたが、長谷川は黒星に終わった。
長谷川最愛の母親は2006年10月に大腸がんの診断を受け[42]、大腸・卵巣がんの手術や肺がんの粒子線治療など800万円を超える費用のうち700万円以上を長谷川が負担していたが、モンティエルにタイトルを明け渡したV11戦を最後に、2010年10月に他界する[43]。V10成功後には、「今まで泣いたことないのに。相手のパンチが当たっているように見えたので」と涙を流した強く優しい母親で[44]、苦痛の極みの中で息を引き取る瞬間にも笑顔をつくっていた[42]。この後2011年にかけての長谷川は、フェザー級で空位のタイトルこそ獲得したものの、自らのスタイルの崩壊とモチベーションの停滞に苦戦して初防衛戦で失冠、米国進出は棚上げしている[45][* 3]。
長谷川の特長はハンドスピードとフェイントのテクニック[47](かつて暴力団対策担当の兵庫県警捜査4課刑事だったトレーナー山下正人が逮捕術を応用して主に相手の呼吸を読むことで長谷川のインターバル中にフェイントのタイミングを指示してきた[48]。しかし2度の初回KO防衛が示すように自らもタイミングを図ることに長けていた)、そして優れた防御勘だった[32][48]。階級を上げたことで減量の影響なく足を使えるようになるはずだったが[45]、フェザー級では完全にフットワークを失い[49]、距離をコントロールすることもできずに[50]足を止めての打ち合いに終始している[51][52]。しかしそもそもスタイル以前に、母親の死から半年足らずで日本は大地震に見舞われたが、(ゴンサレスが日本に向けて発つ前にメキシコで、「西岡に負けて僕がどれだけ苦しみ抜いて這い上がってきたか、ボクシングファンのみんなはわかってくれるよね? 絶対に勝って帰ります」と話していたのに対し、)「この状況で試合をしてもいいのか」[49]という迷いの中で勝てるはずがなく、フェザー級での実力はいまだ図れる状態にない。
関連リンク
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ネバダ州アスレチック・コミッションでは125〜135ポンド(56.7〜61.2kg)と規定している。
注釈
- ↑ したがって西岡 vs. ドネアが早急に実現しないのであれば、西岡 vs. リゴンドーを実現させれば、勝者は原則としてリング誌のチャンピオンに認定されるし、西岡が認定されればリング誌の格付け基準が整備された2002年以降、初の日本人チャンピオンになるはずであるが、そのことには両陣営とも関心を示していない。五十嵐俊幸がソニー・ボーイ・ハロに勝利してリング誌のタイトルも奪えば、少なくとも米国では日本の大躍進と話題になるかもしれないにも関わらず。亀田興毅 vs. ポンサクレックが開催された時、1位選手と2位選手の対戦ということで勝者には同誌のタイトルが与えられると事前に公表されていたが[20]、リング誌のタイトルに手をかけた日本人として日本では全く話題にならなかった。
- ↑ ゴールデンボーイ・プロモーションのアミール・カーンがTwitterでボクシングモバイル(東日本ボクシング協会)に向かって、モハメド・アリが娘との共著 The Soul of a Butterfly: Reflections on Life's Journey の中に書いた言葉「チャンピオンはジムでつくられるものじゃない。欲望だったり夢だったり幻想だったり──彼らの奥深くにあるものからつくられるんだ」(アリはさらに「最後の瞬間のスタミナがなくてはだめだし、速さで上回らなければならないし、技術と意志は欠かせない。だが、最後に必要なのは技よりも意志だ」と続けている)[40]をそのまま書いてスルーされていたが、日本のジム制度下のジムは時としてその欲望や夢や幻想を潰してしまうこともある。だが、そんなことをわざわざボクモバの目の前で説明する者はいなかった。
- ↑ だが無論、長谷川をひたすら信じることに決めて期待しているボクシングファンは日本人だけではない[46]。
出典
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- ↑ Ronnie Nathanielsz Nonito Donaire's Nov. 5 unfication fight with Anselmo Moreno off Philippine Daily Inquirer 2011年8月5日 (英語)
- ↑ Steve Carp Arum expects MGM card to boost economy Las Vegas Review-Journal 2011年10月1日 (英語)
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- ↑ Nishioka vs Marquez Post Fight Presscon アラムが主宰するトップランク社によるYouTube動画 2011年10月2日 (英語)
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- ↑ Nick Giongco Donaire Battles Mexican In Texas Manila Bulletin 2012年2月20日 (英語)
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- ↑ 4戦連続KOだ! サウスポー西岡“右でぶっ倒す” スポーツニッポン 2010年4月24日
- ↑ Ronnie Nathanielsz Donaire’s new trainer is Robert Garcia PhilBoxing.com 2009年12月23日 (英語)
- ↑ Karl Freitag Donaire aims to KO Sidorenko Fightnews.com 2010年11月23日 (英語)
- ↑ Igor Frank Coach Garcia gives Nonito Donaire a good grade Examiner.com 2012年2月8日 (英語)
- ↑ Donaire marches on The Philippine Star 2012年2月8日 (英語)
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- ↑ Doug Fischer Ring Ratings Update: Flyweight title to be filled The Ring 2010年3月15日 (英語)
- ↑ 西岡、TKO防衛 小堀は判定で王座陥落 〜ボクシングW世界タイトルマッチ〜 スポーツコミュニケーションズ 2009年1月3日
- ↑ 西岡V5最強の挑戦者を圧倒 日刊スポーツ 2010年10月25日
- ↑ 水野光博 【4・8ボクシング3大世界戦】WBC世界スーパーバンタム級チャンピオン 西岡利晃「被災者の方々と一緒に前に進んでいきたい」 週プレNEWS(集英社)2011年4月8日
- ↑ 西岡ど根性の左でV6! 痛めていた拳で9回KO!…WBC世界Sバンタム級戦 スポーツ報知 2011年4月9日
- ↑ 込山駿 欺き通した痛めた左拳 読売新聞 2011年5月20日
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- ↑ Dennis 'D Source' Guillermo Nonito Donaire, Jr. updates regarding his left fist; says he won't change gloves Examiner.com 2012年2月9日 (英語)
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- ↑ 王者・長谷川“次戦かも?”10月米国進出プラン浮上 日刊スポーツ 2008年6月11日
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- ↑ 原功 長谷川穂積の2階級制覇を手放しで喜んではいけない スポルティーバ 2010年11月27日
- ↑ 長谷川、心晴れ晴れ…防衛戦は「本来のスタイルで」 スポーツニッポン 2010年11月28日
- ↑ 大池和幸 長谷川TKO負け今後は白紙 日刊スポーツ 2011年4月9日
参考資料
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- 来住哲司 インサイド:再び「絶対王者」へ 長谷川穂積の復活ロード 毎日jp 2010年10月26–30日 1–5頁