「横粂勝仁」の版間の差分
細 (→エピソード) |
細 (→エピソード) |
||
(2人の利用者による、間の3版が非表示) | |||
10行目: | 10行目: | ||
* [[2008年]] - 神奈川11区の民主党候補に決定。次期総選挙出馬のため、同事務所を辞職し、プレミア法律事務所として登録。その後、[[横浜弁護士会]]へ移籍。 | * [[2008年]] - 神奈川11区の民主党候補に決定。次期総選挙出馬のため、同事務所を辞職し、プレミア法律事務所として登録。その後、[[横浜弁護士会]]へ移籍。 | ||
* [[2009年]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]に出馬し、[[神奈川県第11区|神奈川11区]](小選挙区)では落選するも比例南関東ブロックで当選。 | * [[2009年]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]に出馬し、[[神奈川県第11区|神奈川11区]](小選挙区)では落選するも比例南関東ブロックで当選。 | ||
+ | *2009年12月 - [[小沢一郎]][[幹事長]]とともに訪中。議員仲間と一緒に全身マッサージを受けたと2009年[[12月11日]]放送の[[テレビ朝日]]『[[スーパーJチャンネル]]』のインタビューに答える。 | ||
== エピソード == | == エピソード == | ||
[[Image:横粂勝仁 2.jpg|thumb|300px|小沢朝貢外交団にてご満悦の横粂]] | [[Image:横粂勝仁 2.jpg|thumb|300px|小沢朝貢外交団にてご満悦の横粂]] | ||
+ | [[Image:横粂勝仁 3.jpg|thumb|400px|横粂勝仁]] | ||
+ | [[Image:横粂勝仁 4.jpg|thumb|400px|横粂勝仁]] | ||
− | 父は[[トラック]][[運転手]]、母は[[非正規雇用|パートタイマー]]という普通の家庭に生まれ、[[奨学金]]とアルバイトで学費をまかなって[[東京大学]] | + | 父は[[トラック]][[運転手]]、母は[[非正規雇用|パートタイマー]]という普通の家庭に生まれ、[[奨学金]]とアルバイトで学費をまかなって[[東京大学]]で学び司法試験に最終合格、弁護士となった。 |
− | 東大在学中の2006年、[[フジテレビ]]系[[恋愛バラエティ番組]]『[[あいのり]] | + | 東大在学中の2006年、[[フジテレビ]]系[[恋愛バラエティ番組]]『[[あいのり]]』に出演。当時から政治家を志していたこともあり、ニックネームは「総理」とされた。 |
− | 当初は郷里の愛知県からの出馬を模索し、2007年11月に[[自由民主党]]愛知2区と5区の公募に応募した経験もある。面接では「自民党を変えていかなければいけない」「若い力を生かすべきだ」と訴えたが、このときは選に漏れた。引き続き政界入りを視野に弁護士仲間と参院を見学した際の案内役であった[[簗瀬進]] | + | 当初は郷里の愛知県からの出馬を模索し、2007年11月に[[自由民主党]]愛知2区と5区の公募に応募した経験もある。面接では「自民党を変えていかなければいけない」「若い力を生かすべきだ」と訴えたが、このときは選に漏れた。引き続き政界入りを視野に弁護士仲間と参院を見学した際の案内役であった[[簗瀬進]]を通じて、民主党の公認を得た。 |
2009年の第45回衆議院議員総選挙においては、神奈川県第11区から立候補、[[自民党]]の[[小泉進次郎]](当区前職の元[[内閣総理大臣|首相]]・[[小泉純一郎]]の次男)との対決が話題となった。世襲候補への厳しい視線を背景に奮闘し、54262票差の次点で敗れたが、比例南関東ブロックで当選することとなった。 | 2009年の第45回衆議院議員総選挙においては、神奈川県第11区から立候補、[[自民党]]の[[小泉進次郎]](当区前職の元[[内閣総理大臣|首相]]・[[小泉純一郎]]の次男)との対決が話題となった。世襲候補への厳しい視線を背景に奮闘し、54262票差の次点で敗れたが、比例南関東ブロックで当選することとなった。 | ||
− | == 「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」出演による評価 == | + | 『横粂!!あかんっ!!こっち来いっ!!』 |
+ | [[小沢一郎]]の[[陸山会]]の土地取引を巡る問題について2010年[[1月18日]]テレビ出演し、現時点では説明責任を果たしているとした上で、国民の納得が得られるまで説明を重ねるべきだと述べた。 | ||
+ | しかし、翌日の民主党国対全体会議後、この行為について国対幹部から叱責を受けた。 | ||
+ | |||
+ | [[5月11日]]の民主党代議士会で小沢幹事長と執行部に対する発言をすると予告していたが、発言機会を与えられながら結局何も発言しなかった。その後、報道陣には「私の思いは変わっていないが、諸先輩方や地元・横須賀の人々のアドバイスに従い、しかるべきときに、しかるべき方法で行動できるように準備している」と撤退理由を語り、「圧力が掛かったのか」という質問に対しては「『言っていることは分かるが、先に街頭やメディアで言うのは問題がある。もっと違うやり方があるのでは』といった建設的なもので、圧力はない」と否定した。 | ||
+ | |||
+ | == '''「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」出演による評価''' == | ||
2009年10月16日に日テレで放映された「[[太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中]]」で、「新たに借金をしないと子ども手当てができないなら、子ども手当は廃止、鳩山首相に辞職していただく」という太田マニフェストについて与野党議員らが激論を交わした。 | 2009年10月16日に日テレで放映された「[[太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中]]」で、「新たに借金をしないと子ども手当てができないなら、子ども手当は廃止、鳩山首相に辞職していただく」という太田マニフェストについて与野党議員らが激論を交わした。 | ||
59行目: | 68行目: | ||
== ネット献金 == | == ネット献金 == | ||
− | 2009年3月、[[クレジットカード]]を利用し、[[インターネット]]上で手続きが完了するシステムとしては日本初の「[[ネット献金]]」を導入した([[PayPal]] | + | 2009年3月、[[クレジットカード]]を利用し、[[インターネット]]上で手続きが完了するシステムとしては日本初の「[[ネット献金]]」を導入した([[PayPal]]を利用)。これにより、導入後8月までの5ヶ月間に全国から約100万円のネット献金を集めた。 |
== ツイッター(twitter) == | == ツイッター(twitter) == | ||
− | 2009年の総選挙に向けて、後援会が「よこくめ勝仁後援会公式[[ツイッター]]」([[twitter]])を導入し、ミニ集会のリアルタイム[[中継]] | + | 2009年の総選挙に向けて、後援会が「よこくめ勝仁後援会公式[[ツイッター]]」([[twitter]])を導入し、ミニ集会のリアルタイム[[中継]]などを行った。 |
== 脚注 == | == 脚注 == | ||
{{脚注ヘルプ}}{{Reflist}} | {{脚注ヘルプ}}{{Reflist}} | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
{{DEFAULTSORT:よこくめ かつひと}} | {{DEFAULTSORT:よこくめ かつひと}} | ||
81行目: | 83行目: | ||
[[Category:愛知県出身の人物]] | [[Category:愛知県出身の人物]] | ||
[[Category:1981年生]] | [[Category:1981年生]] | ||
− | |||
[[Category:あいのり]] | [[Category:あいのり]] |
2010年11月13日 (土) 23:45時点における最新版
横粂 勝仁(よこくめ かつひと、1981年9月10日 - )は、日本の政治家、弁護士。民主党所属の衆議院議員(1期)。
経歴[編集]
- 1981年 - 愛知県に生まれる。
- 2000年 - 愛知県立岡崎高等学校卒業。
- 2005年 - 東京大学法学部卒業。司法試験合格。
- 2007年 - 司法修習修了(旧60期)、弁護士登録(第二東京弁護士会)、アンダーソン・毛利・友常法律事務所入所。
- 2008年 - 神奈川11区の民主党候補に決定。次期総選挙出馬のため、同事務所を辞職し、プレミア法律事務所として登録。その後、横浜弁護士会へ移籍。
- 2009年 - 第45回衆議院議員総選挙に出馬し、神奈川11区(小選挙区)では落選するも比例南関東ブロックで当選。
- 2009年12月 - 小沢一郎幹事長とともに訪中。議員仲間と一緒に全身マッサージを受けたと2009年12月11日放送のテレビ朝日『スーパーJチャンネル』のインタビューに答える。
エピソード[編集]
父はトラック運転手、母はパートタイマーという普通の家庭に生まれ、奨学金とアルバイトで学費をまかなって東京大学で学び司法試験に最終合格、弁護士となった。
東大在学中の2006年、フジテレビ系恋愛バラエティ番組『あいのり』に出演。当時から政治家を志していたこともあり、ニックネームは「総理」とされた。
当初は郷里の愛知県からの出馬を模索し、2007年11月に自由民主党愛知2区と5区の公募に応募した経験もある。面接では「自民党を変えていかなければいけない」「若い力を生かすべきだ」と訴えたが、このときは選に漏れた。引き続き政界入りを視野に弁護士仲間と参院を見学した際の案内役であった簗瀬進を通じて、民主党の公認を得た。
2009年の第45回衆議院議員総選挙においては、神奈川県第11区から立候補、自民党の小泉進次郎(当区前職の元首相・小泉純一郎の次男)との対決が話題となった。世襲候補への厳しい視線を背景に奮闘し、54262票差の次点で敗れたが、比例南関東ブロックで当選することとなった。
『横粂!!あかんっ!!こっち来いっ!!』 小沢一郎の陸山会の土地取引を巡る問題について2010年1月18日テレビ出演し、現時点では説明責任を果たしているとした上で、国民の納得が得られるまで説明を重ねるべきだと述べた。 しかし、翌日の民主党国対全体会議後、この行為について国対幹部から叱責を受けた。
5月11日の民主党代議士会で小沢幹事長と執行部に対する発言をすると予告していたが、発言機会を与えられながら結局何も発言しなかった。その後、報道陣には「私の思いは変わっていないが、諸先輩方や地元・横須賀の人々のアドバイスに従い、しかるべきときに、しかるべき方法で行動できるように準備している」と撤退理由を語り、「圧力が掛かったのか」という質問に対しては「『言っていることは分かるが、先に街頭やメディアで言うのは問題がある。もっと違うやり方があるのでは』といった建設的なもので、圧力はない」と否定した。
「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」出演による評価[編集]
2009年10月16日に日テレで放映された「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」で、「新たに借金をしないと子ども手当てができないなら、子ども手当は廃止、鳩山首相に辞職していただく」という太田マニフェストについて与野党議員らが激論を交わした。
爆笑問題・太田の「民主党は選挙前に『無駄を省けば財源は簡単に捻出できると主張していたのに鳩山首相が赤字国債を発行することに言及しているのはどうか」という指摘から論戦スタート。
民主・しな氏「選挙前に知らせなかったのは申し訳ない」「税収が減ったら、赤字国債はしょうがない」
自民・鴨下氏「だから自民は税収踏みとどまらせる経済政策を取ったのに、民主党は税収減らす政策ばかり」
しな「赤字国債発行については、鳩山首相に責任は無い」
太田「だって今の政権ですよ!?」
自民・田村氏「世界的常識では、『政策をやるときには財源確保してから』なんですよ。政策出してから財源というのは本末転倒」
古市アナ「横粂議員、民主党が先に甘いことを言って、だんだん言い方を変えてきて、ずるいと思いませんか?」
民主・横粂氏「違いますね。これからどうやって国をひっぱっていくのか。7.1兆円は民主党が責任を持って確保します」
太田「ウソつけ。ズルいと思ってるなら、ズルいと言え!」
横粂「いえ、ズルくないです」
後半では、東国原知事で民主党の「最低賃金の1000円」に対して疑問を呈した。
東国原知事「正直言って非常に厳しいでしょ?横粂さんが『できない政策はない』とおっしゃいましたけど、私は4年以内でこれは無理だと思います。627円ぐらいなんです宮崎は。東京でも730円ぐらいですか?1年に2円あげるのが大変なんです。それを1000円ということは300円、400円あげるということじゃないですか。これは日本経済バラバラになりますね」
横粂「現状の経済と、現状の政治を前提にしてませんか?民主党は経済政策、政治体制を変えていくこと…」
全員(ポカーン) ※動画: youtube
「できない政策はない」との発言、その後の喋りに対し多くの視聴者は、東大卒弁護士の横粂に失望。比して関東学院大学留年の小泉進次郎の評価を上げることとなった。2ちゃんねるでは、民主・横粂氏「違いますね。これからどうやって国をひっぱっていくのか。7.1兆円は民主党が責任を持って確保します」の発言に対し「武器弾薬、食料補給もまったく目処が立たないもインパール作戦を私的感情で強行した牟田口軍司令を彷彿とさせる馬鹿だな」「横粂見てるとタイゾーが1000倍マシに見える。タイゾーは若さ相応の馬鹿なだけだが横粂には詐欺師的なものを感じる」「横粂が何故小泉Jr.に負けたのかがよく分かる番組だった」「横粂ってちょっと前ならオウムに入信してそうな感じ。学歴はいいんだろうけど考えが浅い人って印象」との叩かれっぷりであった。
ネット献金[編集]
2009年3月、クレジットカードを利用し、インターネット上で手続きが完了するシステムとしては日本初の「ネット献金」を導入した(PayPalを利用)。これにより、導入後8月までの5ヶ月間に全国から約100万円のネット献金を集めた。
ツイッター(twitter)[編集]
2009年の総選挙に向けて、後援会が「よこくめ勝仁後援会公式ツイッター」(twitter)を導入し、ミニ集会のリアルタイム中継などを行った。