「高橋祐也」の版間の差分
(新しいページ: '{{DEFAULTSORT:たかはし ゆうや}} Category:覚せい剤常用者 Category:蛆虫') |
(→三度目の覚せい剤) |
||
(4人の利用者による、間の4版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
+ | '''高橋 祐也'''(たかはし ゆうや、本名;'''髙橋 祐也'''、[[1979年]][[12月9日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]、[[ミュージシャン]]。母は[[俳優|女優]]の[[三田佳子]]、父は元[[日本放送協会|NHK]][[プロデューサー]]の[[高橋康夫]]、兄は俳優の[[森宮隆]]である。 | ||
+ | |||
+ | ==来歴== | ||
+ | ===芸能活動前=== | ||
+ | NHKプロデューサーの父と女優の母の次男として1979年に産まれる。幼少時代は、仕事に忙しい両親に代わり、同居していた祖父母や[[家政婦]]の手により育てられる。育児に構ってあげられない両親の、お金に物を言わせる[[過保護]]な養育方針がのちに明らかになる。 | ||
+ | |||
+ | [[学校法人森村学園|森村学園]]高等部在学中の1998年1月7日、18歳の時、[[覚せい剤取締法]]違反で逮捕される。初犯かつ未成年ということもあり、1998年2月9日には[[保護観察]]処分が下された。[[高等学校|高校]]は[[退学]]処分となった。この時、母、三田佳子が行なった記者会見において、「母が女優ということで未成年である息子の事件が報道されて可哀想」、「次男のこづかいは月50万円」などと、普通の高校生とはかけ離れた私生活が明らかになり、三田は世間から猛烈な批判を受けた。三田はこの後、7社あったCMをすべて降板し、女優活動を10ヶ月自粛した。 | ||
+ | |||
+ | その年の[[大学入学資格検定|大検]]受験を経て、[[1999年]]4月、[[東海大学]][[教養学部]]に入学。 | ||
+ | |||
+ | しかし、その後もトラブルは絶えなかった。2000年5月17日に起こった、[[指定暴力団]]・[[住吉会]]系組員もからんだ[[暴走族]]同士の抗争に伴う一般人誤認集団暴行殺人事件においては、犯人の暴走族が犯行時に使用した犯行車両が三田佳子名義のもので、高橋祐也が犯人に貸したものだったことが発覚。三田は釈明会見で「逮捕されたほうの発言ですから」と関与を否定したが、事件から1年後、被害者遺族から責任逃れしていると高橋と三田を相手とする民事訴訟を起こされた。 | ||
+ | |||
+ | 続けざまに、高橋が自宅の地下室で「覚せい剤パーティー」を行なっていたことが発覚し、2000年10月25日、再び覚せい剤取締法違反で、友人の17~20歳の男3人、女1人と一緒に逮捕される。このとき、三田邸の地下室では芸能人も招いての薬物乱交パーティーが開かれていたことも発覚。大学から[[退学]]処分を受け、三田佳子も再び、1年間女優活動を自粛した。裁判では起訴事実を全面的に認め、2001年4月25日、懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受けた。 | ||
+ | |||
+ | ===1回目の逮捕=== | ||
+ | 「高校生なのに女の子をナンパしては、クスリに明け暮れている男がいる」 | ||
+ | |||
+ | 元麻薬取締官の耳に入ってきた噂は、相当タチの悪いものだった。取締官たちはまず、証拠を集めるため自宅から朝に出されるゴミを一週間ぐらい集めて詳細に調べた。まだ高校生だった高橋は薬物の扱いがずさんだった為、ゴミの中に覚せい剤やマリファナのカスが交じっていた。この証拠を元に令状をとり、現場に踏み込むこととなった。正月明けの捜査で逮捕されたのは、家出中の女子中学生2名を含む10名。現場では、覚せい剤やマリファナが使用されていた。 | ||
+ | |||
+ | ===芸能人として=== | ||
+ | 有罪判決を受けた後、[[演出家]]である[[唐十郎]]が身元引受人となり、彼の主宰する「劇団唐組」にて舞台俳優として芸能界デビュー。その後も数本の舞台に出演し、2003年、「劇団唐組」を退団。2004年、[[オリジナルビデオ|Vシネマ]]に主演。[[2005年]]には'''YUYA'''として([[インディーズ]]ではあるが)歌手デビューするなど、活躍する。 | ||
+ | |||
+ | ===三度目の覚せい剤=== | ||
+ | [[2007年]]11月15日、[[コンビニエンスストア]]のトイレで覚せい剤を吸引していたことが店員の通報により発覚し、かけつけた警察官が路上で職務質問したところ、覚せい剤約0.1グラムを所持していたため、三たび覚せい剤取締役法違反で現行犯逮捕される。三田佳子は記者会見において、「すべては私たち夫婦の教育の失敗」と全面的に謝罪した上で、2006年までは一人暮らしをするほど精神状態が安定したものの、2007年に入り[[鬱病]]にかかって入院。逮捕前には鬱病が再び悪化したため再度入院させようとしていたことを明らかにした。但し3度目の同じ犯行ということもあり、三田は女優活動の自粛はせず、「彼も少年ではないので親としてかかわれる限界はあります。心の中では放り出して当然という気持ちもある」と息子を突き放すとも受け取れる発言をした一方で、現在も月70万円のこづかいを渡していたことが発覚する。また、かつては身元引受人であった唐十郎は、3年以上会っていないことを明らかにした上で「自分で痛みを感じるしかないでしょう」とコメントを残している(事実上「破門」の烙印を押した)。さらに、逮捕前に、力士暴行死事件を起こし、逮捕された元時津風親方こと双津竜順一に覚醒剤を勧めた事実を梨元勝に暴露していた。 | ||
+ | |||
+ | 2008年1月28日、懲役1年6ヶ月の実刑判決を言い渡され、薬物依存治療に専念するために即日[[控訴]]したものの、治療の目途がたった4月に控訴を取り下げて実刑が確定。薬物依存治療の区切りを待って収監され、2009年6月25日、仮釈放。その後はアルコール・[[薬物依存症|薬物依存]]リハビリセンター「[[琉球ガイア]]」に入所して社会復帰を目指しているという。 | ||
+ | |||
+ | ===結婚=== | ||
+ | [[2010年]][[2月2日]]、26歳の一般女性と結婚。3,4年前に知り合い、昨秋から交際を始め入籍。高橋の両親からの庇護の下、2人はすでに新しい生活を送っている。その後、9月30日に、第一子となる男児が誕生。 | ||
+ | |||
+ | ==出演== | ||
+ | ===舞台=== | ||
+ | *2001年 - 「水中花」、「赤い靴」 | ||
+ | *2002年 - 「糸女郎」、「虹屋敷」 | ||
+ | *2003年 - 「泥人魚」 | ||
+ | ===映画=== | ||
+ | *2003年 - 「ワル~序章~」 | ||
+ | *2005年 - 「[[スペクター (映画)|スペクター]]」 | ||
+ | *2005年 - 「渋谷物語」 | ||
+ | ==作品== | ||
+ | ===著作=== | ||
+ | *手記「YUYA」 (創出版、2001年12月) | ||
+ | ===音楽アルバム=== | ||
+ | *ミニアルバム「time goes by」 (ゲートレコーズ、2004年12月) | ||
+ | ==受賞== | ||
+ | *DVシネマ大賞 最優秀新人賞(「ワル~序章~」主演) | ||
+ | ==外部リンク== | ||
+ | *[http://ameblo.jp/yu-yat/ 高橋祐也の真実真正日記 ] | ||
+ | |||
+ | ==関連項目== | ||
+ | *[[嘉門洋子]]、[[吉田里深]] - 嘉門洋子と吉田里深の2人は2000年10月に発覚した三田佳子邸地下室での薬物乱交パーティーに参加していた疑惑が持ち上がった。当初は、交友関係自体を否定していたが、警察の捜査が進展し、交友関係及び地下室に行ったことを認めるに至った。しかし、嘉門と吉田は口を揃えて、地下室に行ったことは認めたが普通のパーティーだったと違法行為を否認している。 | ||
+ | *[[木村一八]] - 親が大物芸能人と言われており、また数度の逮捕歴があることなど高橋と似た境遇である。尚、二人は[[サイゾー]]誌上で対談している。 | ||
+ | |||
+ | |||
{{DEFAULTSORT:たかはし ゆうや}} | {{DEFAULTSORT:たかはし ゆうや}} | ||
− | [[Category: | + | [[Category:日本の俳優]] |
− | [[Category: | + | [[Category:日本の歌手]] |
+ | [[Category:東京都出身の人物]] | ||
+ | [[Category:1979年生]] | ||
+ | [[Category:転落人生]] |
2018年4月5日 (木) 15:02時点における最新版
高橋 祐也(たかはし ゆうや、本名;髙橋 祐也、1979年12月9日 - )は、日本の俳優、ミュージシャン。母は女優の三田佳子、父は元NHKプロデューサーの高橋康夫、兄は俳優の森宮隆である。
目次
来歴[編集]
芸能活動前[編集]
NHKプロデューサーの父と女優の母の次男として1979年に産まれる。幼少時代は、仕事に忙しい両親に代わり、同居していた祖父母や家政婦の手により育てられる。育児に構ってあげられない両親の、お金に物を言わせる過保護な養育方針がのちに明らかになる。
森村学園高等部在学中の1998年1月7日、18歳の時、覚せい剤取締法違反で逮捕される。初犯かつ未成年ということもあり、1998年2月9日には保護観察処分が下された。高校は退学処分となった。この時、母、三田佳子が行なった記者会見において、「母が女優ということで未成年である息子の事件が報道されて可哀想」、「次男のこづかいは月50万円」などと、普通の高校生とはかけ離れた私生活が明らかになり、三田は世間から猛烈な批判を受けた。三田はこの後、7社あったCMをすべて降板し、女優活動を10ヶ月自粛した。
その年の大検受験を経て、1999年4月、東海大学教養学部に入学。
しかし、その後もトラブルは絶えなかった。2000年5月17日に起こった、指定暴力団・住吉会系組員もからんだ暴走族同士の抗争に伴う一般人誤認集団暴行殺人事件においては、犯人の暴走族が犯行時に使用した犯行車両が三田佳子名義のもので、高橋祐也が犯人に貸したものだったことが発覚。三田は釈明会見で「逮捕されたほうの発言ですから」と関与を否定したが、事件から1年後、被害者遺族から責任逃れしていると高橋と三田を相手とする民事訴訟を起こされた。
続けざまに、高橋が自宅の地下室で「覚せい剤パーティー」を行なっていたことが発覚し、2000年10月25日、再び覚せい剤取締法違反で、友人の17~20歳の男3人、女1人と一緒に逮捕される。このとき、三田邸の地下室では芸能人も招いての薬物乱交パーティーが開かれていたことも発覚。大学から退学処分を受け、三田佳子も再び、1年間女優活動を自粛した。裁判では起訴事実を全面的に認め、2001年4月25日、懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受けた。
1回目の逮捕[編集]
「高校生なのに女の子をナンパしては、クスリに明け暮れている男がいる」
元麻薬取締官の耳に入ってきた噂は、相当タチの悪いものだった。取締官たちはまず、証拠を集めるため自宅から朝に出されるゴミを一週間ぐらい集めて詳細に調べた。まだ高校生だった高橋は薬物の扱いがずさんだった為、ゴミの中に覚せい剤やマリファナのカスが交じっていた。この証拠を元に令状をとり、現場に踏み込むこととなった。正月明けの捜査で逮捕されたのは、家出中の女子中学生2名を含む10名。現場では、覚せい剤やマリファナが使用されていた。
芸能人として[編集]
有罪判決を受けた後、演出家である唐十郎が身元引受人となり、彼の主宰する「劇団唐組」にて舞台俳優として芸能界デビュー。その後も数本の舞台に出演し、2003年、「劇団唐組」を退団。2004年、Vシネマに主演。2005年にはYUYAとして(インディーズではあるが)歌手デビューするなど、活躍する。
三度目の覚せい剤[編集]
2007年11月15日、コンビニエンスストアのトイレで覚せい剤を吸引していたことが店員の通報により発覚し、かけつけた警察官が路上で職務質問したところ、覚せい剤約0.1グラムを所持していたため、三たび覚せい剤取締役法違反で現行犯逮捕される。三田佳子は記者会見において、「すべては私たち夫婦の教育の失敗」と全面的に謝罪した上で、2006年までは一人暮らしをするほど精神状態が安定したものの、2007年に入り鬱病にかかって入院。逮捕前には鬱病が再び悪化したため再度入院させようとしていたことを明らかにした。但し3度目の同じ犯行ということもあり、三田は女優活動の自粛はせず、「彼も少年ではないので親としてかかわれる限界はあります。心の中では放り出して当然という気持ちもある」と息子を突き放すとも受け取れる発言をした一方で、現在も月70万円のこづかいを渡していたことが発覚する。また、かつては身元引受人であった唐十郎は、3年以上会っていないことを明らかにした上で「自分で痛みを感じるしかないでしょう」とコメントを残している(事実上「破門」の烙印を押した)。さらに、逮捕前に、力士暴行死事件を起こし、逮捕された元時津風親方こと双津竜順一に覚醒剤を勧めた事実を梨元勝に暴露していた。
2008年1月28日、懲役1年6ヶ月の実刑判決を言い渡され、薬物依存治療に専念するために即日控訴したものの、治療の目途がたった4月に控訴を取り下げて実刑が確定。薬物依存治療の区切りを待って収監され、2009年6月25日、仮釈放。その後はアルコール・薬物依存リハビリセンター「琉球ガイア」に入所して社会復帰を目指しているという。
結婚[編集]
2010年2月2日、26歳の一般女性と結婚。3,4年前に知り合い、昨秋から交際を始め入籍。高橋の両親からの庇護の下、2人はすでに新しい生活を送っている。その後、9月30日に、第一子となる男児が誕生。
出演[編集]
舞台[編集]
- 2001年 - 「水中花」、「赤い靴」
- 2002年 - 「糸女郎」、「虹屋敷」
- 2003年 - 「泥人魚」
映画[編集]
- 2003年 - 「ワル~序章~」
- 2005年 - 「スペクター」
- 2005年 - 「渋谷物語」
作品[編集]
著作[編集]
- 手記「YUYA」 (創出版、2001年12月)
音楽アルバム[編集]
- ミニアルバム「time goes by」 (ゲートレコーズ、2004年12月)
受賞[編集]
- DVシネマ大賞 最優秀新人賞(「ワル~序章~」主演)