「高島孝之」の版間の差分
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* 1955年10月24日:長男・[[高島義彦|義彦]]([[高島美紀子]]の父、元[[麒麟麦酒]]東京中央統括支社長)誕生。 | * 1955年10月24日:長男・[[高島義彦|義彦]]([[高島美紀子]]の父、元[[麒麟麦酒]]東京中央統括支社長)誕生。 | ||
* 1964年2月:三菱石油を退社して小岩井農牧に取締役営業部長として入社。小岩井農牧は[[三菱グループ|三菱系企業]]であるが三菱財閥の傘下ではなく[[岩崎家]]が独自に出資・経営にあたった企業であり、高島が小岩井農牧に転じたのも岩崎彦弥太の娘婿になったことが関係していると思われる。 | * 1964年2月:三菱石油を退社して小岩井農牧に取締役営業部長として入社。小岩井農牧は[[三菱グループ|三菱系企業]]であるが三菱財閥の傘下ではなく[[岩崎家]]が独自に出資・経営にあたった企業であり、高島が小岩井農牧に転じたのも岩崎彦弥太の娘婿になったことが関係していると思われる。 | ||
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なお高島の姪・美砂子(父は孝之の長兄・[[高島信之]])は鉄鋼ビルディング専務・[[増岡隆一]](元[[増岡組]]社長・[[増岡重昂]]の子)と結婚したが、増岡隆一の従姉・真理子([[政治家]]・[[増岡博之]]の娘)が三菱鉛筆社長・[[数原英一郎]]に嫁いでいる。 | なお高島の姪・美砂子(父は孝之の長兄・[[高島信之]])は鉄鋼ビルディング専務・[[増岡隆一]](元[[増岡組]]社長・[[増岡重昂]]の子)と結婚したが、増岡隆一の従姉・真理子([[政治家]]・[[増岡博之]]の娘)が三菱鉛筆社長・[[数原英一郎]]に嫁いでいる。 |
2013年6月6日 (木) 18:31時点における最新版
高島 孝之(たかしま たかゆき、1931年12月14日 - 1981年10月21日)は、日本の実業家で、元小岩井農牧常務、元博報堂取締役。
略歴[編集]
- 1931年12月14日:高島文雄・純子夫妻の次男として東京府(現・東京都)に生まれる。父・文雄は弁護士で母・純子は日本カーボンや眞崎大和鉛筆(三菱鉛筆の前身)の社長を務めた近藤賢二の次女。
- 1954年:慶應義塾大学法学部法律学科を卒業して三菱石油(現・新日本石油)に入社。三菱石油では本社販売部、大阪営業所、本社市場調査部に勤務した後再び本社販売部に戻った。その間に岩崎彦弥太の三女・美智子と結婚。彦弥太は岩崎久弥の長男で財閥解体がなければ三菱財閥の5代目総帥になっていたであろう人物である。
- 1955年10月24日:長男・義彦(高島美紀子の父、元麒麟麦酒東京中央統括支社長)誕生。
- 1964年2月:三菱石油を退社して小岩井農牧に取締役営業部長として入社。小岩井農牧は三菱系企業であるが三菱財閥の傘下ではなく岩崎家が独自に出資・経営にあたった企業であり、高島が小岩井農牧に転じたのも岩崎彦弥太の娘婿になったことが関係していると思われる。
- 1965年9月:ハワイ、北米、カナダに出張。
- 1966年2月:小岩井農牧常務に就任。
- 1967年7月:米国、ブラジル、北欧に出張。
- 1967年10月18日:長女・富美子誕生。
- 1969年9月:北米に出張。
- 1970年7月5日:次女・恵美子誕生。
- 1973年4月:小岩井農牧を退社して博報堂に秘書役として入社。その後広報室長となった。
- 1973年11月:博報堂取締役に就任。その後第二本部副本部長を経て再び広報室長となった。
- 1977年10月:博報堂取締役第二本部長に就任。
- 1981年10月21日:急性心不全のため49歳の若さで死去。実業家として将来を期待されていた矢先でのあまりにも早すぎる死だった。
高島は読書とスポーツ、とりわけアメリカンフットボールを好み、母校・慶大のアメリカンフットボール部監督も務めた。
家族・親族[編集]
高島孝之は三菱石油に勤務していたときに結婚した。高島は名門家系の子息である上三菱系企業に勤務していたので岩崎彦弥太(岩崎弥太郎の嫡孫)の目に留まり、彦弥太の三女・美智子と結婚し、間に長男・義彦(元麒麟麦酒東京中央統括支社長)、長女・富美子、次女・恵美子の1男2女をもうけた。モデルの高島美紀子は義彦の娘。
なお高島の姪・美砂子(父は孝之の長兄・高島信之)は鉄鋼ビルディング専務・増岡隆一(元増岡組社長・増岡重昂の子)と結婚したが、増岡隆一の従姉・真理子(政治家・増岡博之の娘)が三菱鉛筆社長・数原英一郎に嫁いでいる。