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大師線(だいしせん)は、京急川崎駅と小島新田駅を結ぶ、京浜急行電鉄が運営する鉄道路線である。全線が神奈川県川崎市川崎区に属する。英語表記は、Keikyu Daishi Line。
目次
路線データ[編集]
- 路線距離:4.5km
- 軌間:1435mm
- 駅数:7駅(起・終点駅含む)
- 複線区間:全線(ただし産業道路駅 - 小島新田駅間は単線並列)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 最高速度:60km/h
- 保安装置:C-ATS
沿線概況(現ルート)[編集]
大師線は多摩川の南側を大師道(国道409号)に沿って東西方向に走っている。
京急川崎駅1階の大師線ホームを発車すると、直進して本線への連絡線および川崎変電所へ至る車両基地を右折し、東方へ直進して大師道(国道409号)を平面交差する。やがてカーブで減速し六郷橋(および旧六郷橋駅)の下をくぐる。そのまま徐行運転を続け、東南東方向にカーブし港町駅に至る。そして、ほぼ東へ直進し、運河橋梁付近を高架で通過し鈴木町駅付近で地上に戻る。そのまま地上を直進し川崎大師最寄りの川崎大師駅を出た付近で再び大師道(国道409号)と平面交差する。川崎大師駅からは東北東方向に約0.2kmほど進み、国道と並行して東方へ直進する。そのまま東門前駅および産業道路駅を通過し、ここで単線となり産業道路(神奈川県道6号線)を平面交差で、首都高速道路横羽線を立体交差で通過する。現在この道路の踏切を解消するために地下化事業が進行中である。産業道路踏切を過ぎると、東南東方向に向きを変え単線並列となり、小島新田駅に達する。
大師線沿線を含む大師道(国道409号)よりも北側の地域は多摩川リバーサイド地区、また大師河原・殿町地区として大師線地下化事業や首都高速道路の整備とともに都市再整備が進められており、現在も工場跡地を利用した大規模なマンション建設や複合商業施設の建設が進められている。
川崎大師で有名な大師線ではあるが、浮島の工業地帯の通勤路線でもあるため、全線に渡り利用客が多い。これは産業道路駅で浮島地区のバスが多数発着しているため。
運行形態[編集]
普通列車のみ運行されている。全列車が起終点間を往復する運用で、他路線との直通や途中駅での折り返しはない。毎年大晦日から元日にかけては川崎大師参拝客のため終夜運転が行われる。1970年代や2000年代初頭の正月ダイヤでは本線からの直通列車が運転されたことがある。
基本的に平日ラッシュ時5分毎、日中は10分毎の運転となっているが、1月の土日、港町駅近隣にある川崎競馬場でのレース開催時などには増発される。
一時期、ワンマン運転も検討されていたが、設備改良が困難だったことから見送られた。
使用車両[編集]
4両編成で運用されている。
1500V昇圧以降は140形、230形、400形、500形、700形、1000形などが使用された。
正月ダイヤで運転されていた本線直通列車で600形が大師線に入線した例があり、同じく正月ダイヤで新1000形が運用されたこともある。なお、800形は6両固定編成のみ、2100形は8両固定編成しかないため、入線できない。
歴史[編集]
大師線は京浜急行電鉄のルーツである。当初は川崎大師への参詣路線として建設され、1899年に開業した。営業運転を行う鉄道としては日本で初めて標準軌を採用し、また電車による運行は関東で初めてのものである。人力車組合の反対で遅れていた現在の京急川崎駅への乗り入れも3年後の1902年に果たした。なお、大師駅から先、総持寺駅(京急本線の京急鶴見駅 - 花月園前駅間にあった駅)まで当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で建設されることになり、子会社の海岸電気軌道の手で1926年10月16日に大師 - 総持寺間が全通した。海岸電気軌道は鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)に買収された上に1937年12月1日に廃止となった。海岸電気軌道線の大師 - 大師河原間は現在の川崎大師駅 - 産業道路駅間とほぼ一致しているが、産業道路駅からは産業道路に並行して総持寺へ向かっていた。同駅の手前から産業道路横浜方面へ伸びる細い道が海岸電気軌道線の跡である。
同線の開通以降川崎大師へは毎年各地からの参詣客で大いに賑わうこととなり、それまで初詣といえば地元の神社仏閣へ参拝するのが習慣であったものを、各地の有名社寺まで電車に乗って初詣をするという習慣に変えた歴史的にも意義のある路線である[3]。開業後、会社の予想を大幅に超える収益を上げたことから京浜間に路線網を拡大する基礎を築くとともに、各地の電気軌道計画に影響を与えることとなった[4]。
太平洋戦争中は陸上交通事業調整法により東京急行電鉄の運営となり、防諜上の理由により一部駅名を変更した。また、工業地帯への通勤輸送を担うため、海岸電気軌道の廃線跡を一部活用して桜本駅まで延伸された。戦後、京浜急行電鉄として独立後の1952年に塩浜駅 - 桜本駅間を川崎市交通局(当時は交通部)に譲渡し、1964年には国鉄塩浜操車場駅(現在の川崎貨物駅)建設のため小島新田駅 - 塩浜駅が休止され、1970年に正式に廃止、現在の路線が確定した。
1949年より鈴木町駅 - 桜本駅間で下り線が1067mm軌間との三線軌条となり、沿線の味の素川崎工場と、日本冶金工業から国鉄の貨物線への貨物輸送が行われた(さらに三線軌条の内側の1067mm軌間は川崎市電日本鋼管前電停まで繋がっていた)。その後、前述の線路変更の結果、1964年以降は塩浜操車場駅から川崎大師駅先にある味の素川崎工場までに短縮され、大師線の旅客列車終車後に味の素へ出入りする貨物列車が運転されていた(運行は神奈川臨海鉄道が請け負っていた。1960年代の最盛期には1日2便運行されたが、トラック輸送およびコンテナへの移行により貨物列車の運行が減り(末期は不定期に週2日程度)、1997年に貨物輸送が廃止されたため、現在は通常の二線軌条となっている。
年表[編集]
- 1899年(明治32年)
- 1902年(明治35年)9月1日 本線の一部として川崎駅(現・京急川崎駅) - 六郷橋駅間開業。これまでの川崎駅を六郷橋駅に改称。
- 1904年(明治37年)3月1日 全線を1372mmに改軌
- 1906年(明治39年)10月1日 本線の川崎駅 - 六郷橋駅間を編入し起点駅を川崎駅に変更
- 1918年(大正7年) 発電所前駅を久根崎駅に改称
- 1925年(大正14年)11月 川崎駅を京浜川崎駅、大師駅を川崎大師駅に改称
- 1926年(大正15年)12月24日 京浜国道(現・国道15号)の改築に伴い六郷橋駅が新線上に移転し、京浜川崎駅 - 六郷橋駅間経路変更・専用軌道化。旧線上の新宿駅廃止。
- 1928年(昭和3年)12月28日 六郷橋駅 - 川崎大師駅間経路変更・専用軌道化。旧線上の久根崎駅、池端駅廃止
- 1929年(昭和4年)
- 六郷橋駅 - 川崎大師駅間に(臨)河川事務所前駅開業
- 12月10日 味の素前駅開業
- 1931年(昭和6年) 六郷橋駅 - 味の素前駅間の(臨)河川事務所前駅廃止
- 1932年(昭和7年)3月21日 コロムビア前駅開業
- 1933年(昭和8年)4月1日 全線を1435mmに再改軌
- 1942年(昭和17年)5月1日 京浜電気鉄道は東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄となる
- 1943年(昭和18年)6月30日 コロムビア前駅休止
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)1月7日 入江崎駅 - 桜本駅間開通。大師線全通
- 1948年(昭和23年)6月1日 東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離発足
- 1949年(昭和24年)7月1日 休止中の京浜川崎駅 - 港町駅間の六郷橋駅廃止
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)1月1日 塩浜駅 - 桜本駅間を川崎市交通局へ譲渡し、川崎市電路線の一部となる
- 1956年(昭和31年)
- 1964年(昭和39年)3月25日 小島新田駅 - 塩浜駅間が塩浜操駅(現・川崎貨物駅)建設のため休止。小島新田駅は京浜川崎駅寄りに300m移転
- 1970年(昭和45年)
- 1987年(昭和62年)6月1日 京浜川崎駅を京急川崎駅に改称
- 2009年(平成21年)2月14日 保安装置をC-ATSに更新
- 2010年(平成22年)3月14日 小島新田駅が1面2線化
駅一覧[編集]
全駅が神奈川県川崎市川崎区に所在する。ホーム有効長は4両編成分となっている。
駅番号 | 駅名 | 駅間営業キロ | 通算営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|---|---|
KK20 | 京急川崎駅 | - | 0.0 | 京浜急行電鉄:本線 東日本旅客鉄道:東海道線・京浜東北線・南武線(川崎駅[* 1]) |
KK21 | 港町駅 | 1.2 | 1.2 | |
KK22 | 鈴木町駅 | 0.8 | 2.0 | |
KK23 | 川崎大師駅 | 0.5 | 2.5 | |
KK24 | 東門前駅 | 0.7 | 3.2 | |
KK25 | 産業道路駅 | 0.6 | 3.8 | |
KK26 | 小島新田駅 | 0.7 | 4.5 |
廃駅[編集]
廃止・譲渡区間の駅は「廃止・譲渡区間」の節を参照
- 六郷橋駅
- 京急川崎 - 港町、1899年開業、1949年7月1日廃止
- 池端駅
- 六郷橋 - 川崎大師の旧線上、1899年開業、1928年12月28日廃止
廃止・譲渡区間[編集]
- 塩浜駅 - 桜本駅間 : 架線電圧600Vのまま存置され、大師線の1500V昇圧時に川崎市に譲渡された。
- 小島新田駅 - 塩浜駅間 : 国鉄塩浜操車場の建設に伴い、1964年(昭和39年)に休止、1970年(昭和45年)正式に廃止となった。同時期に川崎市電の塩浜駅 - 池上新田駅間も廃止となっている。
乗降人員[編集]
2008年度の1日平均乗降人員は下記のとおり。
- 京急川崎駅:117,282人(本線の旅客を含む)
- 港町駅:3,539人
- 鈴木町駅:8,058人
- 川崎大師駅:17,295人
- 東門前駅:8,924人
- 産業道路駅:8,505人
- 小島新田駅:21,705人
地下化計画[編集]
川崎市は、大師線と交差する国道や産業道路を始めとする道路における踏切の解消や混雑緩和を図るため、京浜急行電鉄と大師線のルート変更及び地下化計画を協議してきた。一部区間は既に着工している。
実質的には新線建設に近いが、連続立体交差事業を適用し川崎市が工費の大部分を負担する。全15か所の踏切のうち14か所が撤去される予定。特に交通渋滞の要因となっている産業道路と交差する踏切を中心とした3か所を優先的に撤去するため、2006年8月には東門前 - 小島新田間の一部区間 (980m) が先行着工された[5]。
先行着工区間の完成予定は2015年春となっていたが、2012年に用地取得の難航から[6]工期の見直しが行われ、産業道路の立体交差化は2013年度から2018年度に、先行着工区間の完成は2014年度から2019年度にそれぞれ5年遅れることが発表された[6]。
京急川崎駅で建設予定の川崎縦貫高速鉄道と接続し、相互直通運転を行う構想もあったが、2013年に川崎縦貫高速鉄道が事実上の計画断念となったため[7]、この構想も同様に立ち消えとなっている。
新ルート[編集]
大師線京急川崎駅は本線の駅南側の川崎DICE南側付近に移設、地下化して作られる。このため本線との連絡線が設けられる。既にDICEの地下を通過する部分では、ビルと一体的にトンネルが建築されている。ここから国道132号に沿った直下の南東の方角へ出る。宮前駅(仮称)は宮前町交差点(国道15号との交点)付近に新設予定。ここから川崎競馬場の下を抜ける。港町駅 - 産業道路駅間は港町駅付近から大師道(国道409号)の南方に並行して移設され、小島新田駅のみが地上に残される。この結果、延長は現行より0.5km長くなる。
空港アクセス[編集]
大師線を羽田空港まで路線を延長して空港アクセス路線とする構想もあったが中止となった。その後に持ち上がった神奈川口構想(首都圏第3空港構想)では川崎市川崎区の殿町付近(小島新田駅北西)に何らかの空港施設建設を計画しており、延伸構想が再燃する可能性もある。
脚注[編集]
- ↑ 京急新1000形が大師線運用に|鉄道ファンrailf.jp2008年1月9日閲覧
- ↑ 京急2000形が大師線で営業運転を開始|鉄道ファンrailf.jp2010年11月4日閲覧
- ↑ 出典・朝日放送『ビーバップ!ハイヒール』2009年12月17日放送。
- ↑ 開業後の一か月平均の収入が70 - 80円。火力発電などの経費を差し引いた純益が50円前後に上ったが、一因としては運賃が六郷橋 - 大師間で上等8銭・下等5銭と高かったこともある。1932年3月2日、横浜蚕糸外四品取引所に額面20円で株式上場したところ前場で22円80銭、後場で23円まで高騰した。
- ↑ 京浜急行大師線(東門前駅付近-小島新田駅付近)連続立体交差の工事について
- ↑ 6.0 6.1 2-(1)京浜急行大師線連続立体交差事業段階的整備区間の工期延伸についての資料 - 川崎市:平成24年度 まちづくり委員会 8月29日
- ↑ 「川崎地下鉄」計画を断念 - YOMIURI ONLINE 読売新聞社 2013年1月29日
注釈[編集]