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2014年5月18日 (日) 13:19時点における最新版

ハインリヒ・ホフマンHeinrich Hoffman1885年9月12日 - 1957年12月16日)は、ドイツ写真家アドルフ・ヒトラー専属の写真家として知られる。

経歴[編集]

ドイツ帝国領邦バイエルン王国フュルトに生まれる。父は成功した写真家ローベルト・ホフマン(Robert Hoffmann )、母はその妻マリア(Maria )で旧姓はカルグル(Kargl[1]

父の写真店で働き、父から写真を学んだ[2][3]。ほのかに褐色に光る銅版画に似た彼の写真は、前衛的な芸術家グループから高く評価された。1911年には名のある写真家となっており、当時バイエルン王家やロシア皇帝ニコライ2世マルセル・デュシャンなどが彼の顧客となっていた[4]

彼の写真モデルだったテレーゼ・バウマンと結婚し、彼女との間に長女ヘンリエッテ(1913年生)と長男ハインリヒ(1916年)を儲けた[5]。1915年にはミュンヘンのマックスフォアシュタット地区シェリング通りに写真アトリエを構えた[5]

第一次世界大戦ではバイエルン軍の従軍カメラマンを務めた[2]。国粋主義者で反ユダヤ主義者であったホフマンは戦後すぐに右翼団体に所属しするようになった。1919年にアドルフ・ヒトラーと出会い、交友関係を結んだ。以降ヒトラーはホフマンの家に足繁く通うようになった[2]。ヒトラーはホフマンの家の芸術的な雰囲気を気に入っており、「第二の我が家」と呼んでいた[6]。なおエヴァ・ブラウンはホフマンの写真スタジオで働いていたところをヒトラーと出会っている[2][3]

1920年4月に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し[1][7]、1923年からヒトラーの写真を撮ることを許可された[8]。以降ヒトラーの行く場所どこにでも同行して彼の写真を撮った。ホフマンが残した写真数は250万枚にも及ぶという[7]

1932年3月31日には長女ヘンリエッテがナチ党全国青少年指導者バルトゥール・フォン・シーラッハと結婚した[9]ナチ党の政権掌握後の1933年には最初のヒトラー写真集『誰も知らないヒトラー』 (Hitler,wie ihn keiner Kennt) を出版し、ベストセラーになった。その後もヒトラーの写真集を続々と出版し[7][3]、ホフマンは莫大な富を築いた[8]。1940年1月には国会議員となった[7]

ナチ党政権崩壊後の1947年ナチ党政権の不当利得者として西ドイツの裁判にかけられ、財産のほとんどを没収された。また10年の実刑判決を受け投獄された。後に3年に減刑されたが、1950年に5年に増やされた[7][3]。1957年12月16日、西ドイツバイエルン州ミュンヘンで死去した[7][3]

使用カメラ[編集]

ライカを愛用したことで知られ、使用した皮鞄入りのセットは偽物が多く出回っていることでも有名である[10]

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 LeMO
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 ヴィストリヒ、258頁
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 Hamilton,p151
  4. ジークムント、283-284頁
  5. 5.0 5.1 ジークムント、284頁
  6. ジークムント、285頁
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 ヴィストリヒ、259頁
  8. 8.0 8.1 ジークムント、289頁
  9. ジークムント、296頁
  10. 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』p.115。
アドルフ・ヒトラー
経歴 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - 国家社会主義ドイツ労働者党 - ミュンヘン一揆 - ヒトラー内閣 - ナチス・ドイツ - 権力掌握 - 長いナイフの夜 - ベルリンオリンピック - ミュンヘン会談 - 第二次世界大戦 - ヒトラー暗殺計画 - ベルリン市街戦 -
尊属 父・アロイス・ヒトラー - 母・クララ・ヒトラー - 祖母・マリア・シックルグルーバー
兄弟 異母姉・アンゲラ・ヒトラー - 異母兄・アロイス・ヒトラー - 妹・パウラ・ヒトラー
親族 姪・ゲリ・ラウバル - 甥・レオ・ラウバル - 甥・ウィリアム・パトリック・ヒトラー - 義姉・ブリジット・ダウリング
女性関係 妻・エヴァ・ブラウン - ヴィニフレート・ワーグナー - ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード - エルナ・ハンフシュテンゲル - レナーテ・ミュラー - マリア・ロイター
副官 フリッツ・ヴィーデマン - ヴィルヘルム・ブリュックナー - ユリウス・シャウブ - フリードリヒ・ホスバッハ - ルドルフ・シュムント - ハインツ・ブラント - ヴィルヘルム・ブルクドルフ - カール=イェスコ・フォン・プットカマー - オットー・ギュンシェ
側近 ルドルフ・ヘス - マルティン・ボルマン - エミール・モーリス - ハインツ・リンゲ - ヘルマン・フェーゲライン - ゲルダ・クリスティアン - トラウデル・ユンゲ - クリスタ・シュレーダー - エーリヒ・ケンプカ - コンスタンツェ・マンツィアリ
主治医 テオドール・モレル - カール・ブラント - ヴェルナー・ハーゼ - エルンスト=ギュンター・シェンク - ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー
影響を受けた人物 ディートリヒ・エッカート - フリードリヒ2世 - ルートヴィヒ2世 - リヒャルト・ワーグナー - アルトゥル・ショーペンハウアー - フィヒテ - シェリング - ヘーゲル - カール・マルクス - ニーチェ - カール・ルエーガー - ゲオルク・フォン・シェーネラー - ヒューストン・ステュアート・チェンバレン - ヘンリー・フォード
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関連項目 ヴァイマル共和政 - 非ナチ化 - ネオナチ - 総統閣下シリーズ