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+ | 1953年7月27日:「北進統一」に固執した李承晩大韓民国大統領を排除した形で、支朝連合軍代表の南日朝鮮人民軍大将と国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr(英語版)アメリカ軍中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名される。 | ||
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+ | 1953年10月1日:米国と南朝鮮の間にて、相互防衛条約が署名され、南朝鮮にて米軍駐留公式化。 | ||
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+ | 1954年:南朝鮮、沿岸警備隊を竹島派遣したと発表。 | ||
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+ | 1955年8月18日:日本との経済関係断絶。 | ||
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+ | 1959年12月4日:新潟日赤センター爆破未遂事件。 | ||
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+ | 1964年 - 1973年:ベトナム戦争に参戦。 | ||
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+ | 1965年6月22日:朴正煕大統領と日本国の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日南基本条約)を批准。日本との国交を回復する。 | ||
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+ | 1968年:青瓦台襲撃未遂事件。 | ||
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+ | 1971年8月23日:実尾島(シルミド)事件。 | ||
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+ | 1973年8月8日:大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日本との関係が悪化。 | ||
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+ | 1974年8月15日:朴正煕大統領の陸英修夫人が在日南朝鮮人の文世光によって暗殺される(文世光事件)。 | ||
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+ | 1976年8月18日:ポプラ事件。 | ||
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+ | 1970年代:コリアゲート事件発覚。 | ||
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+ | 2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領が朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長と南北首脳会談を実施、6月15日に6.15南北共同宣言を締結。 | ||
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+ | 2003年:イラク戦争に参戦(2004年9月、イラクのアルビール県にザイトゥーン部隊を派遣)。 | ||
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+ | 2007年10月:盧武鉉大統領と金正日国防委員長の間で第2回南北首脳会談が行われる。 | ||
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+ | 2008年:ザイトゥーン部隊をイラクから撤収する。 | ||
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+ | 2010年3月26日:南朝鮮哨戒艦沈没事件。 | ||
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+ | 2010年11月23日:延坪島砲撃事件。 | ||
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+ | 2014年4月16日:2014年南朝鮮フェリー転覆事故。 | ||
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+ | 2015年3月5日 : リッパート駐南朝鮮米国大使、暴漢に襲撃される(リッパート事件)。 | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
* [[北鮮金王朝]] - 双子の兄弟。 | * [[北鮮金王朝]] - 双子の兄弟。 | ||
+ | * [[大韓民国]] - ほぼ同じ内容。 | ||
* [[嫌韓]] | * [[嫌韓]] | ||
* [[反韓]] | * [[反韓]] |
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大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語:대한민국、大韓民國 )通称南朝鮮(みなみちょうせん)は、朝鮮半島南部を実効統治する東アジアの共和制国家であり、戦後の冷戦で誕生した分断国家。同国政府は「朝鮮半島全体を領土とし、現在は南半部を統治する」と主張しているが、事実上、北緯38度付近の軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮の統治下にあり施政権は及んでおらず、1953年の休戦以来国交もなく、お互いの政府を承認せず、あらゆる面で対峙した状態が続いている。海上では南と東に日本、西に中華人民共和国(支那)と国境を接する。英名のKoreaは、高麗(現代朝鮮語読み: 고려、コリョ)を由来とする。5千万人の人口のうちおおよそ半数が、世界第5位の人口を有するソウル首都圏に居住する。また、支那とは間島の領有権について、領土問題がある。
目次
歴史[編集]
大韓民国の歴史はその政治体制の相違により、8つの時代に区分される。
連合国による軍政[編集]
1948年:済州島4・3事件。
1948年5月10日 : 南朝鮮単独での総選挙が実施される。
1948年7月12日 : 大韓民国憲法が制定、7月17日に公布される。
李承晩政権(第一共和国)[編集]
1948年8月15日:米国の承認を得て李承晩が大韓民国の独立を宣言。
1948年:麗水・順天事件。
1949年:聞慶虐殺事件。
1950年1月12日:米国務長官、ディーン・アチソンが「アチソンライン」(千島ー日本ー沖縄ーフィリピン)を表明する。
1950年6月25日:朝鮮人民軍(北朝鮮軍)が南進を開始し、朝鮮戦争が勃発する。
1950年:保導連盟事件。
1952年1月18日:李承晩ライン宣言により竹島を占領。
1953年:竹島近海の日本巡視船への銃撃開始。
1953年7月27日:「北進統一」に固執した李承晩大韓民国大統領を排除した形で、支朝連合軍代表の南日朝鮮人民軍大将と国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr(英語版)アメリカ軍中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名される。
1953年10月1日:米国と南朝鮮の間にて、相互防衛条約が署名され、南朝鮮にて米軍駐留公式化。
1954年:南朝鮮、沿岸警備隊を竹島派遣したと発表。
1955年8月18日:日本との経済関係断絶。
1959年12月4日:新潟日赤センター爆破未遂事件。
1960年4月27日:四月革命によって李承晩初代大統領が失脚、第二共和国へ移行。
張勉政権(第二共和国)[編集]
1960年6月15日:第一共和国憲法に代わり、民主的な第二共和国憲法が制定される(議院内閣制、大統領は儀礼的役割のみ)。
1960年7月29日:新憲法制定後初の総選挙にて民主党が第1党とり、尹ボ善が大統領に就任。張勉内閣発足。
国軍再建最高会議・第三共和国[編集]
1964年 - 1973年:ベトナム戦争に参戦。
1965年1月:竹島密約。
1965年6月22日:朴正煕大統領と日本国の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日南基本条約)を批准。日本との国交を回復する。
1968年:青瓦台襲撃未遂事件。
1971年8月23日:実尾島(シルミド)事件。
1972年10月17日:十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
朴正煕政権(第四共和国、「維新体制」)[編集]
1973年8月8日:大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日本との関係が悪化。
1974年8月15日:朴正煕大統領の陸英修夫人が在日南朝鮮人の文世光によって暗殺される(文世光事件)。
1976年8月18日:ポプラ事件。
1970年代:コリアゲート事件発覚。
1979年10月26日:朴正煕暗殺事件によって崔圭夏が後継の大統領となり、第五共和国が始まる(ソウルの春)。
崔圭夏・全斗煥・盧泰愚政権(第五共和国)[編集]
1980年:5・17非常戒厳令拡大措置。
1980年5月18日 - 5月27日:光州事件。
1983年9月1日 - 大韓航空機撃墜事件。
1983年10月 - ラングーン事件。
1987年6月29日:盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
民政復帰後(第六共和国)[編集]
1987年11月29日:大韓航空機爆破事件。
1988年 : ソウルオリンピック。
1991年:湾岸戦争に参戦。
2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領が朝鮮民主主義人民共和国の金正日国防委員長と南北首脳会談を実施、6月15日に6.15南北共同宣言を締結。
2002年:アフガニスタンに出兵。
2003年:イラク戦争に参戦(2004年9月、イラクのアルビール県にザイトゥーン部隊を派遣)。
2007年10月:盧武鉉大統領と金正日国防委員長の間で第2回南北首脳会談が行われる。
2008年:ザイトゥーン部隊をイラクから撤収する。
2010年3月26日:南朝鮮哨戒艦沈没事件。
2010年11月23日:延坪島砲撃事件。
2014年4月16日:2014年南朝鮮フェリー転覆事故。
2015年3月5日 : リッパート駐南朝鮮米国大使、暴漢に襲撃される(リッパート事件)。