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この[[デウス・エクス・マキナ]]的な舞台装置としての天才は、場合によっては[[マッドサイエンティスト]]のように、滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある。また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない[[劣等感]]から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い。
 
この[[デウス・エクス・マキナ]]的な舞台装置としての天才は、場合によっては[[マッドサイエンティスト]]のように、滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある。また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない[[劣等感]]から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い。
  
その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げた[[サイエンス・フィクション|SF]]作品も多い。代表的なところとしては『[[アルジャーノンに花束を]]』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が、愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から、知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり[[孤独]]に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている。
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その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げた[[SF]]作品も多い。代表的なところとしては『[[アルジャーノンに花束を]]』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が、愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から、知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり[[孤独]]に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている。
  
 
== 高校3年でグーグルをソデにしたルーマニアの怪童イオヌッツ。世界が欲しがる頭の中 ==
 
== 高校3年でグーグルをソデにしたルーマニアの怪童イオヌッツ。世界が欲しがる頭の中 ==

2017年9月27日 (水) 15:52時点における最新版

天才の1人として挙げられることの多い物理学者アルベルト・アインシュタイン

天才(てんさい)とは、から与えられたような、人の努力では至らないレベルの才能・その人を指し、主にきわめて独自性の高い能力的業績を示した人を評価したり、年若いのにあまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる。

一般に天才といえば革命的な発想からの業績を上げた人を指し、それが歴史社会に影響を残すに至ったレベルの人物を指すことが多いが、「○○の天才」といったように芸術スポーツ等様々な分野に一見限定した用法もある。

類似表現として、ギフテッド神童に愛された人。

概要[編集]

能力の多寡によって、天才と一般人とを分類することは非常に困難である。折角素晴らしい能力を持ちながらも、それを発揮する機会もほとんどなく「偏屈人間」として生涯を閉じる者や、病気、事故などの不幸により能力を失う、能力を発揮する前に亡くなる者、たとえ才能を存分に発揮しても時流に受け入れられず、生前に評価されずに不遇の人生を閉じるゴッホシューベルトのような天才もたくさんいる。

有名な言葉として「神に愛された人は夭折する」と言うレトリックがある(ただし元々のこの言葉は「耄碌したり才能が枯渇したりしないうちに死ねる」という意図である。渡部昇一「ローマ人の知恵」より)。これはその才能が惜しまれながらも失われたことによる評価も含むのであろうが、後述するように奇人・変人の域にある彼等は家族等周囲にとっても世話のやける、厄介な存在であることが多い。

その非常識な感性のため一旦夢中になると常軌を逸して猛突突進してしまい健康を省みないで容易に病死、或いは実質的自殺行為に至ってしまう、といった破滅型天才の宿命という事情も絡む。幼少時に周囲からは変人扱いされる問題児で、しかも一般に感受性が豊かであるが故に傷付き易く、また天才の側からは一般の人々が馬鹿に見えるため周囲を見下すような態度を取ることも多く、対人関係における摩擦から孤独な人生を送る場合も多い。また、天才は男性であれば、生涯を通して独身で子を残さなかったり、結婚して子をなしても子育てに無関心であったり浮気を繰り返したり家庭内暴力をふるったりし、一般的に良き家庭人ではない。勿論、様々なケースがあり、型破りな奇人であるにもかかわらず理解ある配偶者に恵まれ家庭人として平穏な生活を送る者、婚姻を繰り返して子孫を沢山残す者、私生活では犯罪的性行為に異常な情熱を注ぐ反面ロマン主義の詩や音楽に傑出した才能を発揮し、一方で理想社会探究の志に燃え共産主義と近代教育思想の嚆矢となったジャン=ジャック・ルソーのような多重人格的な天才もいる。要するに、天才とは、非常識で型破りな変人で、本人や周囲の者は不幸ではあるが、人類にとっては幸運にも、たまたま彼等の秀でた才能が社会に発揮された人物といえる。もちろん、必ずしも天才の全てが奇人・変人で夭折というわけではなく、ゲーテのように天才でありながらバランスのとれた良識に恵まれたために晩年まで活躍し傑出した業績を残す者もいる。

また、近年の脳科学研究では、天才と一般人とで、トータルすれば能力量に差は無いが、天才の場合「一般人であれば誰でも出来ることが出来ない反面、一般人には困難なことをた易くこなしてしまう」という、アンバランスに偏った才能の持ち主であるという説が有力となっている。好きな小説などに関しては一字一句間違えず暗唱できたフォン・ノイマンは、何十年も居住している家の棚の食器の位置すら覚えられなかった。電気工学で傑出した業績を残したエジソンは、微分積分などの高等数学を知らなかった(このため、交流の原理を理解できず電流戦争に敗北したといわれている)史実は有名である。

子孫を残した天才につき、後年子孫の動向を追跡調査したところ、一定の確率にて、やはり型破りな人物が産れることが多い。しかし、彼等の多くは犯罪者や精神病院で生涯を過ごす等、単なる奇人・変人としての不遇な生涯を過ごすことが多い。そのようなことから、天才は、たまたま秀でた才能と、時代の要請や与えられた環境とが、幸運にも合致した者であり、遺伝学的にはむしろ劣性であるとする説すらある(遺伝学的劣性とは非顕在性を指し、社会的「劣等」とは異なるものである)。

そのようなアンバランスに偏った才能のため、天才は、特定分野や一定範囲内に限って優れた才覚を発揮し、芸術音楽美術文学)やスポーツ政治科学数学哲学ほか、様々な分野毎に天才と称される人が見られる。ただし、スポーツなどでの「天才」には「(努力というよりも)持って生まれた才能で成功した人物」というニュアンスもあるため、横綱大鵬のように「私は天才でなく努力家」と天才と言われるのを強く嫌う者も存在する。また、将棋界で「神武以来の天才」といわれながらも盤上の勝負ではついに17歳年長の大山康晴を越えられなかった将棋棋士加藤一二三のように、秀才タイプに勝てずに終わる天才も存在する。

天才の成り立ち[編集]

天才とは一般に、天性の素質に恵まれて才能を発揮する者とされる。しかし知的活動分野における天才の成り立ちを伝記などから紐解く限りでは、必ずしも彼らが幼時から天才として認知されているとは限らない。幼少時の教育は、大人社会での一般常識を身に付けるための訓練が主要であるため、むしろ問題児であるケースの方が圧倒的に多い

実際に「神童(総合的な学業成績に秀でた子供)も、大人になればただの人」などという警句にみられるように、幼い頃に学業成績に秀でたからといっても、それが大人になっても続くとは限らない。確かに、一部の芸術や多くのスポーツの世界では、努力を怠らなければ幼少時の才能が大人になって開花する相関性がある。しかし規律と型にはまった知識を身に付けることを要求される学校教育では、単に学業成績に秀でた秀才と、斬新な着眼力や独創性を発揮する天才とは、皮肉にも相反する傾向がある。幼少時のエジソンが質問魔故に問題児扱いされたように、学問的分野での天才肌の児童は、深い理解に伴う疑問や批判精神が湧き出ることから、扱い難い生徒として教師に敬遠される傾向がある。ただし少数派ではあるが、幼少時からの学校教育の秀才かつ学者として大成した天才であったニコラ・テスラマリー・キュリーのような人物も存在する。

天才は、同じ事項をマスターしたときの理解の深さでは、秀才タイプを圧倒的に凌駕する才能を発揮する。しかし、その特異性ゆえに周囲からのいじめも受けやすく、自らの才能を恥じて潰してしまうケースも多い。

一方、周囲のサポート等により、子供の頃から問題行動を含めて特異性の見られた人が、挫折せずに努力を続けることにより後年になって高く評価されるケースも多く、そのような特異性を持つ子供を幼い頃から専門的に養育することで、その才能を伸ばそうとする取り組みも古くから行われている。ノーバート・ウィーナーはハーバード大学講師の父に特別な英才教育を授けられ、11歳で大学に入学している。ガウスは小学校に入学した時、彼に数学を教えられる人物がいなかったため、校長がハンブルクから数学の本を取り寄せ自習させた。米国などではギフテッド(意訳すれば「神に祝福された者」)と呼ばれる、専門の教育で才能を開花する余地のある子供らが見出されている。アメリカ教育省は1993年に定義を発表、これに合致する児童に特別な教育(特別支援教育の一種)を与え、その才能を育てようという模索が続けられている。これらでは従来、いわゆる学習障害とみなされていた者も部分的に含まれる場合もある。欠点に着目してそこをカバーするのか、長所を見出してそこを集中的に伸ばすかという問題も絡む。同様に扱われる存在として芸術性を発揮するタレンテッドがある。なお詳しくはギフテッドを参照。

天才的素養を持つ児童の思考特性例[編集]

幼いエジソンは、1+1=1と主張した。2つの泥団子に、片方をもう片方の団子と混ぜれば1である、という考えで、教師を悩ませた。教師は「お前の脳ミソは腐っている」とエジソン少年に発言し、理解出来ないエジソン少年は教師に向かって石版を投げつけた。その他の逸話として、リトマス紙は、一体なぜでは赤色を呈しアルカリでは青色を呈するのか、と、大学の専門課程レベルの疑問或いは、プラスとマイナスの電気量からなるクーロン力、S極とN極とからなる磁力、ではいずれも引力の他に斥力(反発力)を有するのに、なぜ万有引力には斥力が無いのか、そもそも一体全体なぜ全ての物体には引力というものが存在するのかと言う。

天才と凡人(常識)[編集]

天才といえば聞こえが良いが、上述のように、アンバランスに偏った才能の持ち主であるため、芸術スポーツ学問いずれの分野でも、価値観も非常識であるケースが多い。天才芸術家による薬物中毒汚染や金銭感覚の逸脱は余りにも有名であるが、道徳的にも法的にも非常識で、故に善悪の価値観すら欠如している者も多く、結果として、天才による、周囲からの物笑いとなるような「奇行」は、数多い。

良く知られている「天才の奇行」の逸話には、ゴッホが、自画像を描く際に「自分の耳が邪魔だ」と言って自ら耳を切り落とした、といったものがある。サルバドール・ダリは1936年のロンドン講演にて演壇に潜水ヘルメットを被って登場するも呼吸できずに卒倒、居合わせた聴衆は彼の「息が出来ない!」とする仕草を含め、唯のジョークだと勘違いしていたという逸話が伝えられている。ジミ・ヘンドリックスは所属していた軍で自慰行為と薬物、ギターにしか興味を示さない劣等兵で、ある日トイレの個室で自慰行為をしていた所を上官に目撃され、除隊処分にされている。更に、1960年代の時点でアフリカ系アメリカ人であるにも拘らず、専用の自家用飛行機を所有する程の成功を修めた「ソウルミュージックの父」ジェームス・ブラウンは、或る晩自宅でコカイン吸引中に、3人目となる妻とケンカをし、公園のトイレ内で「便所でクソしたヤツは誰だ~っ!!」と怒鳴って便器に向かってマシンガンを乱射し、駆け付けたパトカーから逃れるために車でカーチェースの挙句、ジョージア州から隣のサウスカロライナ州まで逃走したもののガス欠で捕まり、その後1991年までの3年弱を刑務所で過ごす。

しかし「天才の奇行」の逸話が広まるにつれ、わざと意味不明な行為や言動で“天才”と自称する者も少なからず見受けられる。

定義と評価[編集]

クレッチマーは天才の定義を「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」とした。チェーザレ・ロンブローゾは「天才は狂気だ」といった。トーマス・エジソンは「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」と述べている。ただしこの言葉は現在一般で言われている意味とは別の意味があることは余り知られていない(後述)。

中には生前には狂人扱いされながらも、後年になってその功績が評価され、天才扱いされるに至った人すら見られる(→ゴッホ)。この辺りは、「ナントカと天才は紙一重」という慣用句が如実に物語っている。なおこの「ナントカ」の部分は馬鹿(片仮名で「バカ」とも)ないし気違い差別用語に注意)という語になる場合もある。

知能指数(IQ)で、ある程度の区分をもうける向きもあり、知能指数が130(標準偏差15の場合、またその中央値は100)ないし所定の値を上げ、これを超える辺りから知能面での天才という風潮もかつては見られたが、近年では知能指数の高低は必ずしも客観的に人の知力のすべての側面を包含し数値化できないという見方も出ており、同指標による分類には限界がある。これには、同値が、検査年齢や状況・出題傾向やIQテストに対する慣れなどによっても大きく差が出る点も含まれる。

なお、知能指数の高さは必ずしも天才性(創造性など)とは結びつかない。日本で有名な人物では山下清のように、知的障害があっても芸術面で高い評価を得ている人物も存在する。彼のように特異な一分野でのみ異常ともいえる才能を発揮する人たちも見られる。(→サヴァン症候群

天才の努力とひらめき[編集]

エジソンの言葉として知られている「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」だが、この霊感とも呼べる「ひらめき(閃き:inspiration)」が一般に軽視される傾向もままある。99%までもの弛まぬ努力(原文ではperspiration-「流汗」)も確かに必須なのではあるが、1%のひらめきを大切にし、これを生かす事が出来なければ天才ではなく、エジソンは自身を指して自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していた。

1%のひらめきを生かすことが出来るか否かは諸説あるが、一般論として「出発点が正しいか否か」が挙げられている。エジソンによって爆発的に普及した白熱電球の発明を例に挙げると、ガラス球内部のフィラメントに電流を導通させて発光させる技術は、エジソンが研究に着手する際には、実は既に完成していた。だが、フィラメントが2時間程度で焼き切れてしまい、商品として実用化出来るものではなかった。一方、エジソンは、世界最大の総合電機メーカGEの創業者の一人であり、当時ニューヨークのマンハッタンに、世界で最初の送電インフラを施設していた事業家としての面もある。

わずか2時間の寿命では電球はガス灯に劣るものの、寿命を延長出来れば商品化が可能となって、しかもエジソン自ら施設済の送電インフラをもって、夜のニューヨークに太陽をもたらすことが出来る、というのが、この場合の「出発点である1%」といえる。つまり、エジソンはビジネス的な成功チャンスに賭けたのである。しかし、当時の「常識的」科学者達は、誰も電球の長寿命化に興味を持たなかった。というのは、「発光するほどの高温状態では、フィラメントが直ぐに燃え尽きてしまう(酸化)ことが当然である」と考えたからである。

エジソンには科学技術の教養が欠けていたため、この賭けに打って出た。果たして7千種類もの材料で延々と試行錯誤を続ける「99%の努力」の末、偶然日本製の扇子から抽出した竹を材料としたカーボンファイバーによって寿命が300時間延長出来、白熱電球の商品化が実現し、結果としてエジソンは大成功出来た。しかし、現実には物理的には発光現象かつ長寿命化を同時に満たすことは極めて困難である。

またエジソンはペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた事が知られており、またレオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインもメモ魔としてつとに有名であった。余録としては、双方とも研究以上にジョークを作ることに没頭したことでも知られている。過去の偉人の例においても、アイザック・ニュートン等メモ魔として「思い付き」を忘れないうちに、きちんと残していた者は少なくない。文豪で知られたヘミングウェイもメモ魔で、メモした事を端から忘れてしまうため、彼の鞄が1922年にメモごと盗難にあった際には、その時多くの長編・短編のプロットも同時に失われたという。

架空の天才[編集]

天才は古くより、人類の歴史において文明の発展に大きく寄与してきた。このため尊敬と羨望を集める存在としても扱われ、架空の作品中でもしばしば登場する。身近な例では漫画などの大衆娯楽にもしばしばストックキャラクターの類型として登場する。もっとも、作中で「天才少年」などといわれていても、上記の天才の特徴には必ずしも当てはまらない例や、正確には秀才ではないかと思われる例も多い。また、デウス・エクス・マキナ的に「最終的には彼のアイデアで解決」というパターンになることもよくある(たとえば「ひょっこりひょうたん島」の博士)。

このデウス・エクス・マキナ的な舞台装置としての天才は、場合によってはマッドサイエンティストのように、滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある。また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない劣等感から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い。

その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げたSF作品も多い。代表的なところとしては『アルジャーノンに花束を』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が、愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から、知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり孤独に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている。

高校3年でグーグルをソデにしたルーマニアの怪童イオヌッツ。世界が欲しがる頭の中[編集]

ルーマニアの天才イオヌッツ

イオヌッツが、PCに出合ったのは3歳のときだ。両親に借金をした人物が返済できず、その代わりにインテルの「ペンティアム386」をくれたのだ。

「当時、PCなんてこの町にはほとんどありませんでした」。

生まれ育ったルムニク・ヴルチャ(ルーマニア中南部の都市)では当時、PCに詳しい人はおらず、イオヌッツは独学でその使い方を学んだ。

そのうちに、中学校で天才少年として名を馳せるようになった。どんどん学び、どんどんプログラミングをした。全国のITコンテストに参加し始め、専門性を深めていった。同級生がまったく興味をもたないようなITの学術論文や著書も読んで独学した。9歳ごろからだろうか、いつの間にか団地で遊ぶことはなくなっていた。PCがあるだけで十分満たされていたのだ。

「PCのキーボードに突っ伏したまま翌朝まで寝てしまうこともよくありました」。

PCをやりすぎて、両親にしかられなかったのかと訊ねると、

「しかられませんでした。ぼくが遊んでいるのではなく、時間を有効に使っていることをわかっていてくれたみたいです」。

高校1年生のときに、初めて訪れたアメリカでは自分の能力を向上させる機会に恵まれた。アメリカで、IT分野最大の学術協会である ACM(計算機械学会)の最優秀賞を受賞したのだ。ACMは、情報学におけるノーベル賞といわれる「チューリング賞」を主催する団体だが、イオヌッツはその受賞者12人のうちのひとりで、最も若く、IT研究経験のない唯一の受賞者だった。

アメリカのコンテストで賞を得たことから、イオヌッツはIT業界の世界一の団体であるACMとIEEE(電気電子学会)の会員となった。インテルの賞を何度も受賞し、高校3年の時にはスイスのグーグルからも誘いを受けたが、「凡庸なプログラマー7,000人のうちのひとりになりたくない」という理由で断った。

彼の発明のなかで最も知名度が高く、最も多くの賞を勝ち取ったのが、視覚障害者が物体を識別するのをサポートするプログラムだ。 彼は、数年前に失明した叔父の役に立ちたいという思いから、目を患っている人々の役に立つ装置をつくろうと思い立った。

関連文献[編集]

関連項目[編集]