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− | [[ファイル:ドネア2.jpg|thumb|{{small|ビッグマッチを渇望し<ref>Dan Rafael [http://sports.espn.go.com/sports/boxing/columns/story?columnist=rafael_dan&id=5876969 Donaire out to make a statement] ESPN 2010年12月3日 {{En icon}}</ref>、2010年12月にバンタム級へ階級を上げたプロボクシングの[[#ノニト・ドネアの場合|ノニト・ドネア]](2010年撮影)}}]] | + | [[ファイル:ドネア2.jpg|thumb|{{small|ビッグマッチを渇望し<ref>Dan Rafael [http://sports.espn.go.com/sports/boxing/columns/story?columnist=rafael_dan&id=5876969 Donaire out to make a statement] ESPN 2010年12月3日 {{En icon}}</ref>、2010年12月にバンタム級へ階級を上げたプロボクシングのノニト・ドネア(2010年撮影)}}|link=http://www.youtube.com/user/TheOfficialFlash]] |
| '''バンタム級'''(英:bantamweight)は、[[ボクシング]]などの[[格闘技]]で用いられる階級の1つである。 | | '''バンタム級'''(英:bantamweight)は、[[ボクシング]]などの[[格闘技]]で用いられる階級の1つである。 |
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| == ボクシング == | | == ボクシング == |
| + | {{独自研究2}} |
| プロボクシングでの契約ウェートは、115〜118ポンド(52.2〜53.5kg)である。 | | プロボクシングでの契約ウェートは、115〜118ポンド(52.2〜53.5kg)である。 |
| [[スーパーフライ級]]と[[スーパーバンタム級]]の間の階級であり、全17階級中5番目に軽い階級である。 | | [[スーパーフライ級]]と[[スーパーバンタム級]]の間の階級であり、全17階級中5番目に軽い階級である。 |
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| 日本人として初めて同級世界王座を獲得したのは[[ファイティング原田]]で、[[フライ級]]に続き2階級制覇を成し遂げた。日本ボクシングコミッション非公認の団体[[日本IBF]]でも[[新垣諭]]が[[国際ボクシング連盟|IBF]]初代世界チャンピオンに。アマチュアでは[[東京オリンピック]]で[[桜井孝雄]]が金メダルを獲得した階級であり、プロでも東洋太平洋王座を獲得し、世界タイトルにも挑戦した。[[1994年]]12月には[[薬師寺保栄]]と[[辰吉丈一郎]]による史上初の日本人世界チャンピオン同士の統一戦が行われた。 | | 日本人として初めて同級世界王座を獲得したのは[[ファイティング原田]]で、[[フライ級]]に続き2階級制覇を成し遂げた。日本ボクシングコミッション非公認の団体[[日本IBF]]でも[[新垣諭]]が[[国際ボクシング連盟|IBF]]初代世界チャンピオンに。アマチュアでは[[東京オリンピック]]で[[桜井孝雄]]が金メダルを獲得した階級であり、プロでも東洋太平洋王座を獲得し、世界タイトルにも挑戦した。[[1994年]]12月には[[薬師寺保栄]]と[[辰吉丈一郎]]による史上初の日本人世界チャンピオン同士の統一戦が行われた。 |
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− | この階級の日本ジム所属最多防衛世界王者は[[#長谷川穂積の場合|長谷川穂積]](真正、2005年4月16日〜2010年4月30日)、最新世界王者は、WBCの山中慎介(帝拳、2011年11月6日〜)。
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| ボクシング漫画[[あしたのジョー]]の主人公矢吹丈もこの階級である。 | | ボクシング漫画[[あしたのジョー]]の主人公矢吹丈もこの階級である。 |
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− | === 元バンタム級選手たちの混迷 ===
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− | ==== ノニト・ドネアの場合 ====
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− | ノニト・ドネアはバンタム級への転級2戦目に衝撃的なKOでWBC・WBOの両世界タイトルを獲得。しかし、6000人収容のワム・シアターで行われたニューヨークお披露目の初防衛戦では<ref>Joaquin Henson [http://www.philstar.com/thedeanscorner/articlescontent.aspx?articleid=728715&publicationsubcategoryid=69 Donaire could be next Pacquiao] ''The Philippine Star'' 2011年9月19日 {{En icon}}</ref>相手が防御に徹し、好試合を演出できなかった<ref>Dan Rafael [http://espn.go.com/boxing/story/_/id/7138699/nonito-donaire-wins-fight-omar-narvaez-no-new-fans Donaire wins fight, but no new fans] ESPN 2011年10月23日 {{En icon}}</ref>。2012年2月には[[スーパーバンタム級]]への転級初戦で空位のWBO世界タイトルを獲得するが、基本に背いたスタイルとしてさらに不評を買った<ref>Kieran Mulvaney [http://espn.go.com/blog/boxing/post/_/id/956/5-things-we-learned-in-san-antonio 5 things we learned in San Antonio] ESPN 2012年2月5日 {{En icon}}</ref>。
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− | ドネアをプロモートするボブ・アラムはスーパーバンタム級に経済的な潜在価値を期待するが、米国における軽量級市場は依然として厳しい。2011年7月頃からアラム、ドネア両名を始めとするドネア陣営がこぞって執拗なまでにドネアの対戦相手として西岡の名を挙げながらも<ref>Ronnie Nathanielsz [http://sports.inquirer.net/10291/nonito-donaire%E2%80%99s-nov-5-unfication-fight-with-anselmo-moreno-off Nonito Donaire's Nov. 5 unfication fight with Anselmo Moreno off] ''Philippine Daily Inquirer'' 2011年8月5日 {{En icon}}</ref>、西岡 vs. マルケスの前には、「西岡が多くのラスベガスのボクシングファンを魅了することはないだろう」とのたまったアラムだが<ref>Steve Carp [http://www.lvrj.com/sports/arum-expects-mgm-card-to-boost-economy-130901023.html?ref=023 Arum expects MGM card to boost economy] ''Las Vegas Review-Journal'' 2011年10月1日 {{En icon}}</ref>、その試合後の記者会見ではいけしゃあしゃあと「西岡は素晴らしい。これからも米国で闘って、第二のホームリングにしてほしい」と述べている(西岡が素晴らしいのはアラムに言われるまでもないが、海千山千の古狸の本心は不明であり、西岡も途中から苦笑している)<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/2011/10/02/0004519836.shtml 世界的プロモーターがV7西岡を絶賛] デイリースポーツ 2010年10月2日</ref><ref>[http://www.youtube.com/watch?v=q1nIKyszuCg&feature=plcp&context=C322bb18UDOEgsToPDskKiTehEQIjh1C7IMuibM1IM Nishioka vs Marquez Post Fight Presscon] アラムが主宰するトップランク社によるYouTube動画 2011年10月2日 {{En icon}}</ref>。実際にドネア陣営の西岡へのラブコールは、ドネアが2試合連続の判定試合で彼の試合を中継するHBOを失望させる<ref name="abs20120208">[http://www.abs-cbnnews.com/sports/02/08/12/merchant-donaire-didnt-live-hype Merchant: Donaire didn't live up to the hype] ABS CBN News 2012年2月8日 {{En icon}}</ref>直前まで、半年以上も続いていたのである<ref>Keith Idec [http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=49175 Donaire is Targeting Nishioka Unification For The Spring] BoxingScene.com 2012年2月2日 {{En icon}}</ref>。にもかかわらず、ドネアの初防衛戦の相手としてアラムがよりイージーな相手を選ぼうとし始めたのは<ref>Nick Giongco [http://www.mb.com.ph/articles/352029/donaire-battles-mexican-in-texas Donaire Battles Mexican In Texas] ''Manila Bulletin'' 2012年2月20日 {{En icon}}</ref>、HBOで30年以上も解説を務めるラリー・マーチャントら同局の圧力が介在しているからである<ref name="abs20120208" /><ref>[http://www.abs-cbnnews.com/sports/02/09/12/no-demand-donaire-rigondeaux-bout-merchant No demand for Donaire-Rigondeaux bout: Merchant] ABS CBN News 2012年2月9日 {{En icon}}</ref>。ニューヨークデビューに失敗した後、試合開催地がテキサス、メキシコ(予定)と下り続けるドネア陣営も(亀田やアスロウムのようなテレビスターと同様に)追い詰められてはいるのだ。
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− | HBOの公式サイト内で、同局ボクシング解説者であり殿堂入りトレーナーでもあるエマヌエル・スチュワードらが繰り返し語るドネアの武器はバランスと強打<ref>Kieran Mulvaney [http://www.hbo.com/boxing/fights/2011/10-22-nonito-donaire-vs-omar-narvaez/article/overview-mulvaney.html Nonito Donaire vs Omar Narvaez: Fight Overview] HBO公式サイト 2011年11月14日 {{En icon}}</ref>。ドネア自身が最重要視しているのもバランスである。西岡の最大の武器は肝の据わった左ストレートだが、頑強なガルシア相手のV1戦ではラウンド間にイラついた様子も見せていたし、リナレスがKOされた直後のV3戦では硬さも見られた。彼が(おそらくは特にV5戦あたりから常に拳に爆弾を抱えているにも関わらず、)V4戦から飛躍的に進化したのは、体幹トレーニングによるバランスの強化が奏功してきたからで<ref>[http://web.archive.org/web/20100426205631/http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/04/24/02.html 4戦連続KOだ! サウスポー西岡“右でぶっ倒す”] スポーツニッポン 2010年4月24日</ref>、同時に強靭なメンタルが備わってきたからだ。 ドネアのバランスと強打を際立たせてKO勝利を演出するための相手としては、西岡は確かにふさわしくない。
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− | WBO王座決定戦の直前、ロベルト・ガルシア・ボクシング・アカデミー(元IBFジュニアライト級チャンピオンのロベルト・ガルシア・コルテスが2009年12月からドネアのトレーナーを務めている<ref>Ronnie Nathanielsz [http://philboxing.com/news/story-31555.html Donaire’s new trainer is Robert Garcia] PhilBoxing.com 2009年12月23日 {{En icon}}</ref>)での練習中に、ドネアは手を負傷した。試合においてドネアは10回か11回まで手が痛むことを告げずによく頑張っていたが、相手を見過ぎて単発で手数の少ないドネアにガルシアが12回開始前のインターバル中「もっとジャブを出せ」と指示すると、「手を怪我してるんだよ? 僕できないよ」(''You know what I hurt my hand. I can't.'') と答えた。ガルシアはやっていることを続けろとしか言えなくなり、試合後も自分たちはもっとうまくやれたが、手を怪我していたのだから仕方ないと話している<ref>Igor Frank [http://www.examiner.com/boxing-in-glendale-ca/coach-garcia-gives-nonito-donaire-a-good-grade Coach Garcia gives Nonito Donaire a good grade] Examiner.com 2012年2月8日 {{En icon}}</ref><ref>[http://www.philstar.com/sportsarticle.aspx?articleid=775484&publicationsubcategoryid=69 Donaire marches on] ''The Philippine Star'' 2012年2月8日 {{En icon}}</ref>。(ドネアとの関係は良好と伝えられるガルシアだが、切羽詰まった状況にあればこそ、なぜこのようなエピソードを公表したのか謎である。)2012年2月現在、ドネアはこのような試合をひとつこなしただけで、リング誌のパウンドフォーパウンド4位を維持しながらも同誌のスーパーバンタム級ランキングでは西岡・リゴンドーに続いて3位にとどまっており、同級での評価はいまだ勝ち得ていない。
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− | スーパーバンタム級の雄・西岡利晃は、ヘナロ・ガルシアを迎えた初防衛戦では両拳を痛めながらもセコンドについていた田中繊大に「逃げて勝つのかよ!」と発破をかけられてTKO勝利(2009年1月)<ref>[http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=2390 西岡、TKO防衛 小堀は判定で王座陥落 〜ボクシングW世界タイトルマッチ〜] スポーツコミュニケーションズ 2009年1月3日</ref>、レンドール・ムンロー戦では序盤に両拳を痛め、左中指からは出血もしたが<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20101025-694130.html 西岡V5最強の挑戦者を圧倒] 日刊スポーツ 2010年10月25日</ref>、12回開始前には田中に「痛くねーんだよ! 倒してこい!!」と送り出されて<ref>水野光博 [http://wpb.shueisha.co.jp/2011/04/08/3592/ 【4・8ボクシング3大世界戦】WBC世界スーパーバンタム級チャンピオン 西岡利晃「被災者の方々と一緒に前に進んでいきたい」] 週プレNEWS(集英社)2011年4月8日</ref>鬼気迫るコンビネーションでポイント差を広げ(2010年10月)、マウリシオ・ムニョス戦では試合前に左脇腹の肉離れに加えて左中指の骨を痛め<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20110409-OHT1T00015.htm 西岡ど根性の左でV6! 痛めていた拳で9回KO!…WBC世界Sバンタム級戦] スポーツ報知 2011年4月9日</ref>、勝負を賭けたはずの右は相手がカウンターを狙っていることに気づいたために頼ることをやめ、衝撃を直接中指に受けないようにパンチの種類や拳の向きを変えながら左拳主体の攻撃に切り替えて後半の全力勝負でKO勝利(2011年4月)<ref>込山駿 [http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnsports/20110520-OYT8T00862.htm 欺き通した痛めた左拳] 読売新聞 2011年5月20日</ref>、ラファエル・マルケス戦ではレイジェスのグローブをグラントに変えて臨んだものの<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20111002-OHO1T00107.htm 西岡異例の「1億円マッチ」…WBC世界Sバンタム級] スポーツ報知 2011年10月2日</ref>(エクスキューズ代わりに血に染まったバンデージをテレビカメラに向けたドネアは、まだエバーラストのグローブで頑張ると話している<ref>Dennis 'D Source' Guillermo [http://www.examiner.com/filipino-sports-in-national/nonito-donaire-jr-updates-regarding-his-left-fist-says-he-won-t-change-gloves Nonito Donaire, Jr. updates regarding his left fist; says he won't change gloves] Examiner.com 2012年2月9日 {{En icon}}</ref>)、痛めた拳に細菌が入り込んで手の甲を腫らし、しばらく点滴治療を受けたが(2011年10月)<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2011/10/06/kiji/K20111006001764870.html 西岡 負傷の左拳診察、上京して点滴治療へ] スポーツニッポン 2011年10月6日</ref>、なおもドネアが最強と評価されるのであれば彼を倒すと言い、その全力で狩る姿が支持される理由のひとつとなっているのだ<ref>Lawrence Donnelly [http://bleacherreport.com/articles/1033746-boxing-pound-for-pound-rankings-is-manny-pacquiao-or-floyd-mayweather-on-top#/articles/1033746-boxing-pound-for-pound-rankings-is-manny-pacquiao-or-floyd-mayweather-on-top/page/19 Boxing Pound-for-Pound Rankings: Is Manny Pacquiao or Floyd Mayweather on Top - 18. Toshiaki Nishioka] Bleacher Report 2012年1月23日 {{En icon}}</ref>。
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− | ==== 長谷川穂積の場合 ====
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− | WBC世界バンタム級チャンピオン当時の長谷川は、2006年5月に渡米して以来、米国でのビッグマッチを望むようになっていた。当時のバンタム級にはビッグマッチの相手となりうる選手が不在で、長谷川がスーパーバンタム級へ移るか、もしくはスーパーフライ級の選手がバンタム級へ移ってくるのを待つ状態であった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/osaka/spor/200806/11/spor211808.html 王者・長谷川“次戦かも?”10月米国進出プラン浮上] 日刊スポーツ 2008年6月11日</ref>。しかし、軽量級では特に相応のパフォーマンスができないと米国へ進出するのは難しいため、2008年1月の対マルドロットV5戦の次戦とも予定されていた米国デビューは、長谷川の流血を伴うV5判定防衛によって、彼のすべての世界戦を手がける帝拳プロモーションの本田明彦の判断の下、保留となる<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20080111-305661.html 長谷川の米国進出は“追試”] 日刊スポーツ 2008年1月11日</ref>。2008年6月のV6戦から長谷川はKO防衛を続けるが、同年9月には帝拳生え抜きではないもののその所属選手である西岡利晃がWBCスーパーバンタム級暫定タイトルを勝ち取り、イスラエル・バスケスの眼疾により正規チャンピオンに昇格、そのV1戦で長谷川の判定防衛の相手であったへナロ・ガルシアにTKO防衛、さらにV2戦では指名挑戦者・ジョニー・ゴンサレスを相手に、ほとんど日本人初となる海外防衛を成功させ、連続KO防衛記録を伸ばしていた。「[[フェザー級]]なら(減量が)3.6キロも楽」<ref name="kishi1">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101026ddm035050044000c.html 来住 1頁]、2010年10月26日</ref>と言って長谷川は2階級上げることを決意するが、同じ本田にプロモートされる選手として西岡との対戦実現の見込みはなく、長谷川陣営がWBCは裏切れないと考える以上は<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20100112-584879.html 長谷川、プーン戦に慎重] 日刊スポーツ 2010年1月12日</ref>、スーパーバンタム級へ移るという選択肢は実質的に閉ざされていた。
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− | 自分はあくまでもボクサーだからと言ってリング外での活動を苦手とし、タイトル獲得直後には「地味なチャンピオンでいい。チャンピオンっぽくないチャンピオンに」と話していた長谷川だが<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sport05/0418jf60360.html 「努力の結果」 ボクシング新王者長谷川] 神戸新聞 2005年4月18日</ref>、V10成功後はテレビ出演や雑誌の取材に応じ、正月を除けば家で一日休めた日は2日しかなかった<ref name="boxmaga201004hasegawa">『ボクシング・マガジン』2010年4月号、6頁</ref>。内藤大助も防衛戦で引き分けたポンサクレック<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20080309-333148.html ポンサクが内藤に辛口エール] 日刊スポーツ 2008年3月9日</ref>やファン<ref>田口潤 [http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20080119-309045.html 内藤マシントレ解禁!肉体改造スピード増] 日刊スポーツ 2008年1月19日</ref>に「テレビに出過ぎ」と窘められたことがあるが、これは長谷川が「皆さんの前に出させてもらうから知名度が上がる。知名度が上がるから、会場に人が来てくれるし、テレビで試合も見てくれる。そしてきちんと勝っていけば、自分の望む試合もできる」と考えてのことであった<ref name="boxmaga201004hasegawa" />。この頃、フェザー級ではボブ・アラムがWBOのファン・マヌエル・ロペスとWBAのユーリオルキス・ガンボアのメガファイトをまとめようとしており(実現には至らなかったが)、長谷川にバンタム級タイトルを保持させたまま、その相手として対戦交渉がまとまりそうな選手はなかった。フェルナンド・モンティエル陣営とは2009年に一度合意に至っており、これを再交渉してバンタム級残留での事実上の統一戦が決定に至るのだが、長谷川は「自分のファイトマネーを削ってもいいから」とその対戦実現を訴え<ref name="boxmaga201004hasegawa" />(本田は「その熱意に応えなければ。実際、ファイトマネーを下げるなんてことはできませんけど」と話し<ref name="honda">『ボクシング・マガジン』2010年4月号、10頁</ref>、モンティエル招聘のために5000万円を支払ったとも言われる<ref name="kishi1" />)、「それもオレが10度防衛できたからこそ言えることです」とも話していた。状況はだいぶ異なるが、こういった切実な(心境を生み出す)環境を内藤の場合は日刊スポーツが「弱小ジムの悲哀」と表現していた<ref>[http://web.archive.org/web/20071014002836/http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20070811-239959.html 「大毅vs内藤」へ宮田ジム会長が悲壮決意] 日刊スポーツ 2007年8月11日</ref>{{#Tag:ref|ゴールデンボーイ・プロモーションのアミール・カーンがTwitterでボクシングモバイル(東日本ボクシング協会)に向かって ''Champions aren´t made in the gyms. Champions are made from something they have deep inside them - a desire, a dream, a vision.'' と言ってスルーされていたが、日本のジム制度下のジムは特殊である。|group="*"}}。『ボクシング・マガジン』2010年4月号は「日本ボクシング界の浮沈をかけた大一番」と書き<ref>『ボクシング・マガジン』2010年4月号、7頁。</ref>、本田は「長谷川くんに勝負をかけてもらいたい。私にとってももちろん勝負です」と気迫をこめた<ref name="honda">「本田明彦 史上最高決戦の演出者に聞く」『ボクシング・マガジン』2010年4月号、10頁</ref>。この試合は日本で年間最高試合となり、WBCのThe Most Dramatic Fight of the Year にも選ばれたが、長谷川は黒星に終わった。
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− | 長谷川最愛の母親は2006年10月に大腸がんの診断を受け<ref name="kishi2">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101027ddm035050104000c.html 来住 2頁]、 2010年10月27日</ref>、大腸・卵巣がんの手術や肺がんの粒子線治療など800万円を超える費用のうち700万円以上を長谷川が負担していたが、モンティエルにタイトルを明け渡したV11戦を最後に、2010年10月に他界する<ref>[http://web.archive.org/web/20101027090348/http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2010/10/25/03.html 11月の再起戦を前に…長谷川の母、死去] スポーツニッポン 2010年10月25日</ref>。V10成功後には、「今まで泣いたことないのに。相手のパンチが当たっているように見えたので」と涙を流した強く優しい母親で<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/special/boxing_titlematch/2009_1218/KFullNormal20091219178.html 闘病中の母が初めて泣いた…父は辛口批評] スポーツニッポン 2009年12月19日</ref>、苦痛の極みの中で息を引き取る瞬間にも笑顔をつくっていた<ref name="kishi2" />。この後2011年にかけての長谷川は、フェザー級で空位のタイトルこそ獲得したものの、自らのスタイルの崩壊とモチベーションの停滞に苦戦して初防衛戦で失冠、米国進出は棚上げしている<ref name="kishi5" />。
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− | 長谷川の特長はハンドスピードとフェイントのテクニック<ref name="kishi4">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101029ddm035050097000c.html 来住 4頁]、 2010年10月29日</ref>(かつて暴力団対策担当の兵庫県警捜査4課刑事だったトレーナー山下正人が逮捕術を応用して主に相手の呼吸を読むことで長谷川のインターバル中にフェイントのタイミングを指示してきた<ref name="kishi3">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101028ddm035050045000c.html 来住 3頁]、2010年10月28日</ref>。しかし2度の初回KO防衛が示すように自らもタイミングを図ることに長けていた)、そして優れた防御勘だった<ref name="kishi1" /><ref name="kishi3" />。階級を上げたことで減量の影響なく足を使えるようになるはずだったが<ref name="kishi5">[http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101030ddm035050095000c.html 来住 5頁]、 2010年10月30日</ref>、フェザー級では完全にフットワークを失い<ref name="kobe20110510">[http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sports/201104slow/02.shtml 兵庫アスリートの深層 スローモーション その一瞬 – (2) 真正ボクシングジム 山下正人会長 (49) 心の揺れ 足が止まった] 神戸新聞 2011年5月10日</ref>、距離をコントロールすることもできずに<ref>原功 [http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba_fight/2010/11/27/article46/ 長谷川穂積の2階級制覇を手放しで喜んではいけない] スポルティーバ 2010年11月27日</ref>足を止めての打ち合いに終始している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/special/boxing_titlematch/2010_1126h/KFullNormal20101128128.html 長谷川、心晴れ晴れ…防衛戦は「本来のスタイルで」] スポーツニッポン 2010年11月28日</ref><ref>大池和幸 [http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20110409-758760.html 長谷川TKO負け今後は白紙] 日刊スポーツ 2011年4月9日</ref>。しかしそもそもスタイル以前に、母親の死から半年足らずで日本は大地震に見舞われたが、(ゴンサレスが日本に向けて発つ前にメキシコで、「西岡に負けて僕がどれだけ苦しみ抜いて這い上がってきたか、ボクシングファンのみんなはわかってくれるよね? 絶対に勝って帰ります」と話していたのに対し<!--スペイン語資料散逸-->、)「この状況で試合をしてもいいのか」<ref name="kobe20110510" />という迷いの中で勝てるはずがなく、フェザー級での実力はいまだ図れる状態にない。
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| === 関連リンク === | | === 関連リンク === |
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| == 総合格闘技 == | | == 総合格闘技 == |
| ネバダ州アスレチック・コミッションでは125〜135ポンド(56.7〜61.2kg)と規定している。 | | ネバダ州アスレチック・コミッションでは125〜135ポンド(56.7〜61.2kg)と規定している。 |
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− | == 注釈 ==
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− | <div class="references-small"><references group="*">
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| == 出典 == | | == 出典 == |
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− | *「決定! 日本史上最高の決戦」・「本田明彦 史上最高決戦の演出者に聞く」『ボクシング・マガジン』2010年4月号、6–7・10頁。
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− | *来住哲司 [http://mainichi.jp/newsarchive/news/20101026ddm035050044000c.html インサイド:再び「絶対王者」へ 長谷川穂積の復活ロード] 毎日jp 2010年10月26–30日 1–5頁
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