「山本健士」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成: {{Infobox baseball player |選手名 = 山本 健士 |英語表記 = |所属球団 = |背番号 = |選手写真ファイル名 = |…)
 
 
56行目: 56行目:
 
シーズン終了後に[[徳島インディゴソックス]]へ移籍。[[2009年]]は80試合に出場して打率.204、32打点、6本塁打の成績であった。
 
シーズン終了後に[[徳島インディゴソックス]]へ移籍。[[2009年]]は80試合に出場して打率.204、32打点、6本塁打の成績であった。
  
リーグや球団から正式な退団の告知はなかったが、[[2010年]]開幕前にリーグから発表された各チームのメンバーからは名前が消えている。前福岡監督の[[森山良二]]の4月3日のブログには、「開幕前にチームを去ることを決めたみたいです」という記述がある<ref>森山元監督ブログ 福岡公式サイト内</ref>。
+
リーグや球団から正式な退団の告知はなかったが、[[2010年]]開幕前にリーグから発表された各チームのメンバーからは名前が消えている。前福岡監督の[[森山良二]]の4月3日のブログには、「開幕前にチームを去ることを決めたみたいです」という記述がある<ref>[ttp://redwarblers80.yoka-yoka.jp/d2010-04-03.html 森山元監督ブログ]福岡公式サイト内</ref>。
  
 
退団後は、薩摩川内市に帰郷し本格的な野球選手生活から引退した。
 
退団後は、薩摩川内市に帰郷し本格的な野球選手生活から引退した。
105行目: 105行目:
 
*[[福岡レッドワーブラーズの選手一覧]]
 
*[[福岡レッドワーブラーズの選手一覧]]
 
*[[徳島インディゴソックスの選手一覧]]
 
*[[徳島インディゴソックスの選手一覧]]
 +
 +
== 外部リンク ==
 +
* [ttp://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=yamamo001tak Baseball-Reference選手の通算成績] - Takeshi Yamamoto Minor League Statistics & History
  
 
{{DEFAULTSORT:やまもと たけし}}
 
{{DEFAULTSORT:やまもと たけし}}

2011年3月19日 (土) 12:15時点における最新版

山本 健士
 No.
[[画像:|0px|]]
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県薩摩川内市
生没年月日 1980年11月19日(2024-1980)+((11-11)*100+(26-19)>=0)-1歳)
 - 
身長/体重 188cm/ 96kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 一塁手三塁手捕手
プロ入り
出場期間
 - 
年俸
経歴
テンプレート  ウィキプロジェクト

山本 健士(やまもと たけし、1980年11月19日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物[編集]

小学校から野球を始める。

川内高校時代は、三塁手・四番打者として打線の中核を担い、五番のエース・木佐貫洋の控え投手としても活躍した。当時の川内高校は、公立の進学校ながら、鹿児島県大会優勝・九州大会3位などの好成績を残し旋風を巻き起こしていた。

しかしながら、夏の甲子園鹿児島県予選では、決勝で杉内俊哉を擁する鹿児島実業高校に敗れ、甲子園への夢は絶たれた。それでも、県大会や九州大会での活躍からドラフト候補にも挙がり、本人も強いプロ志向を持っていたが、指名は得られなかった。

その後、日本大学に進学し、3年次途中までは投手としてプレーを続けたが、出番に恵まれず。その後打者に転向も、4年次の代打1打席のみの出場にとどまった。2004年は浪人。

2005年はトライアウトを経て、プロ入りを目指して四国アイランドリーグ高知ファイティングドッグスに入団。

入団1年目に打点・本塁打の2冠王となり、一塁手としてベストナインにも選出される活躍を見せたことで、育成選手枠でのドラフト指名も期待されたが、叶わなかった。

2年目の2006年は、一時調子を崩したものの持ち直し、指名打者として前年に続いてベストナイン入りを果たしたが、またもプロ入りは果たせず。

同シーズンで高知を退団・渡米し、2007年にアメリカ独立リーグフロンティアリーグトラバースシティ・ビーチバムスと捕手登録で契約。主に三塁手として9試合に出場、24打数7安打2打点という結果を残したが、守備面での不安や言葉の壁などの問題からか、6月末に解雇された。

2008年1月、非公開のトライアウトに合格し、福岡レッドワーブラーズへ入団。2008年のシーズンは打率.236、35打点、3本塁打の成績であった。

シーズン終了後に徳島インディゴソックスへ移籍。2009年は80試合に出場して打率.204、32打点、6本塁打の成績であった。

リーグや球団から正式な退団の告知はなかったが、2010年開幕前にリーグから発表された各チームのメンバーからは名前が消えている。前福岡監督の森山良二の4月3日のブログには、「開幕前にチームを去ることを決めたみたいです」という記述がある[1]

退団後は、薩摩川内市に帰郷し本格的な野球選手生活から引退した。

プレイスタイル[編集]

恵まれた体格を生かしたパワフルなバッティングと勝負強さが持ち味。打率の面ではやや安定感に欠けるが長打力があり、四国アイランドリーグの初代本塁打・打点王にも輝いている。

守備面では、高校・大学時代から三塁手・一塁手・捕手・投手など複数の役割をこなしていたが、長くポジションが固定されないこともあってか粗さが残り、晩年では指名打者として起用されることが多かった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

四国・九州アイランドリーグ
年度 球団



















2005年 高知 88 310 34 82 - - 6 46 6 2 3 30 5 69 - .265
2006年 89 330 34 93 - - 6 55 6 0 1 30 2 73 - .282
2008年 福岡 80 301 - 71 - - 3 35 - - - - - - - .236
2009年 徳島 80 314 32 64 - - 6 29 4 0 0 25 4 47 - .204
通算成績 337 1255 - 310 47 1 21 165 - - - - - - - .247

各年度の太字はリーグ最高

米独立リーグ
  • 9試合、24打数7安打2打点、打率.292

タイトル・表彰[編集]

  • 最多本塁打(2005年)
  • 最多打点(2005年)
  • ベストナイン:一塁手(2005年)、指名打者(2006年)

背番号[編集]

  • 25(2005年 - 2006年)
  • 66(2008年)
  • 10(2009年)

脚注[編集]

  1. [ttp://redwarblers80.yoka-yoka.jp/d2010-04-03.html 森山元監督ブログ]福岡公式サイト内

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • [ttp://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=yamamo001tak Baseball-Reference選手の通算成績] - Takeshi Yamamoto Minor League Statistics & History