「豊田薫 (外交官)」の版間の差分
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*在[[ハーグ]]公使館書記官{{Sfn|The Straits Times|1939-07-13}}。 | *在[[ハーグ]]公使館書記官{{Sfn|The Straits Times|1939-07-13}}。 | ||
*1937年 外務省調査部第4課長{{Sfn|The Straits Times|1939-07-13}}。 | *1937年 外務省調査部第4課長{{Sfn|The Straits Times|1939-07-13}}。 | ||
− | *1939年9月 [[シンガポール]]総領事{{Sfn|Bridges|1986|p=24}} | + | *1939年9月-1940年11月 [[シンガポール]]総領事{{Sfn|Bridges|1986|p=24}}{{Sfn|The Straits Times|1939-09-14}}。 |
+ | **1940年11月10日にシンガポール・セレギー路{{Refmap|url = https://www.google.co.jp/maps/place/Selegie+Rd,+Singapore/@1.302442,103.8478385/ | title = Google maps - セレギー路}}の日本人クラブで豊田と後任の[[鶴見憲]]の歓送迎会が開かれた{{Sfn|The Straits Times|1940-11-11}}。 | ||
*1940年11月 外務省[[南洋局]]第1課長{{Sfn|The Straits Times|1940-11-15}}。 | *1940年11月 外務省[[南洋局]]第1課長{{Sfn|The Straits Times|1940-11-15}}。 | ||
*1942年2月 [[マレー作戦]]を行った[[第25軍 (日本軍)|日本軍(第25軍)]]に軍政要員として随行、占領直後のシンガポールに入り、シンガポール総領事時代に旧知の間柄だった英[[海峡植民地]]政府の民政長官代理・[[ワイスバーグ]]と会見{{Sfn|シンガポール市政会|1986|pp=39-40}}。同年3月の[[大達茂雄]]昭南特別市長着任まで、代理市長的な立場にあった{{Sfn|シンガポール市政会|1986|pp=39-40}}。 | *1942年2月 [[マレー作戦]]を行った[[第25軍 (日本軍)|日本軍(第25軍)]]に軍政要員として随行、占領直後のシンガポールに入り、シンガポール総領事時代に旧知の間柄だった英[[海峡植民地]]政府の民政長官代理・[[ワイスバーグ]]と会見{{Sfn|シンガポール市政会|1986|pp=39-40}}。同年3月の[[大達茂雄]]昭南特別市長着任まで、代理市長的な立場にあった{{Sfn|シンガポール市政会|1986|pp=39-40}}。 | ||
*同月 軍政本部から市政庁へ移り、昭南特別市政庁総務部長<ref>{{Harvtxt|シンガポール市政会|1986|pp=44,52}}。2月下旬の軍政部会議で決定した、とされている({{Harvnb|シンガポール市政会|1986|p=44}})。{{Harvtxt|篠崎|1976|p=72}}では、同年3月に就任、としている。</ref>。 | *同月 軍政本部から市政庁へ移り、昭南特別市政庁総務部長<ref>{{Harvtxt|シンガポール市政会|1986|pp=44,52}}。2月下旬の軍政部会議で決定した、とされている({{Harvnb|シンガポール市政会|1986|p=44}})。{{Harvtxt|篠崎|1976|p=72}}では、同年3月に就任、としている。</ref>。 | ||
− | *1943年6月 [[上海]]総領事<ref>{{Harvtxt|シンガポール市政会|1986|p=97}}。同書では、時期については同年5月に大達が帰国し、7月1日に東京都の初代長官に就任、[[内藤寛一]]が昭南特別市長に就任した後、間もなく、とされている。</ref>{{Sfn|篠崎|1976|pp=90-91}} | + | *1943年6月 [[上海]]総領事<ref>{{Harvtxt|シンガポール市政会|1986|p=97}}。同書では、時期については同年5月に大達が帰国し、7月1日に東京都の初代長官に就任、[[内藤寛一]]が昭南特別市長に就任した後、間もなく、とされている。</ref>{{Sfn|篠崎|1976|pp=90-91}}。 |
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− | + | 1946年5月24日に豊田は米軍[[OCCIO]]で、1939年9月から1940年10月までの[[英領マラヤ]]総領事時代に日本領事館員が行っていたスパイ活動について尋問を受けた{{Sfn|山本|2000|p=20}}。その際に豊田は、自身が情報工作を行っていたことは否定したが<ref>自身の総領事着任前に情報工作実施の指示は受けなかったとし、また1940年9月に[[日独伊三国同盟|枢軸同盟]]が締結された後、[[外務省]]本省から英領マラヤの英軍が増強されているとの噂が本当か確認するよう指示があったが、軍事情報は確認する術がないと返答した、スパイは使っていなかったと証言した({{Harvnb|山本|2000|pp=20-21}})</ref>、自身の知らないところで領事館員が情報工作のためにスパイを使っていたかもしれない、と証言した{{Sfn|山本|2000|pp=20-21}}。豊田の在任期間中、駐[[英領マラヤ]]日本総領事館には以下の職員が勤務しており、OCCIOは無線通信を行う篠崎と海軍予備士官の永山が机を並べていた点に着目していた{{Sfn|山本|2000|pp=20-21}}。 | |
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+ | * {{Cite book|和書|author = シンガポール市政会|year = 1986 |title = 昭南特別市史-戦時中のシンガポール|publisher = 日本シンガポール協会|id= {{JPNO|87031898}} |date = 1986-8 |ref= harv}} | ||
+ | *{{Cite book|和書|last = 篠崎|year = 1976|first = 護|authorlink = 篠崎護|title = シンガポール占領秘録―戦争とその人間像|id= {{JPNO|73016313}} |publisher = 原書房|ref = harv}} | ||
*{{Cite news |author = The Straits Times |year= 1940-11-15 |date= 1940-11-15 |title= NEW POST FOR MR. KAORU TOYODA |newspaper= The Straits Times |url= http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Page/straitstimes19401115-1.1.11.aspx |page= 11 |agency= [[東方通信社 (シンガポール)|Eastern News]] |accessdate= 2016-06-05 |ref=harv}} | *{{Cite news |author = The Straits Times |year= 1940-11-15 |date= 1940-11-15 |title= NEW POST FOR MR. KAORU TOYODA |newspaper= The Straits Times |url= http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Page/straitstimes19401115-1.1.11.aspx |page= 11 |agency= [[東方通信社 (シンガポール)|Eastern News]] |accessdate= 2016-06-05 |ref=harv}} | ||
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豊田 薫(とよだ かおる)は、戦前日本の外交官。太平洋戦争開戦前の1939年9月から1940年10月まで在シンガポール日本総領事を務め、在任期間中に領事館「嘱託」職員による情報工作を指揮、領事館職員がコックス事件や篠崎スパイ事件に関連して英海峡植民地警察当局に相次いで逮捕された。日本占領時期にはシンガポール(当時の昭南特別市)政庁の総務部長を務めた。
経歴[編集]
- 東京商科大学卒[1]。外務省入省後、在ワシントンD.C.日本大使館付、在ロサンゼルス副領事[1]。
- 在上海大使館書記官[1]。
- 在ハーグ公使館書記官[1]。
- 1937年 外務省調査部第4課長[1]。
- 1939年9月-1940年11月 シンガポール総領事[2][3]。
- 1940年11月 外務省南洋局第1課長[5]。
- 1942年2月 マレー作戦を行った日本軍(第25軍)に軍政要員として随行、占領直後のシンガポールに入り、シンガポール総領事時代に旧知の間柄だった英海峡植民地政府の民政長官代理・ワイスバーグと会見[6]。同年3月の大達茂雄昭南特別市長着任まで、代理市長的な立場にあった[6]。
- 同月 軍政本部から市政庁へ移り、昭南特別市政庁総務部長[7]。
- 1943年6月 上海総領事[8][9]。
豊田薫調書[編集]
1946年5月24日に豊田は米軍OCCIOで、1939年9月から1940年10月までの英領マラヤ総領事時代に日本領事館員が行っていたスパイ活動について尋問を受けた[10]。その際に豊田は、自身が情報工作を行っていたことは否定したが[11]、自身の知らないところで領事館員が情報工作のためにスパイを使っていたかもしれない、と証言した[12]。豊田の在任期間中、駐英領マラヤ日本総領事館には以下の職員が勤務しており、OCCIOは無線通信を行う篠崎と海軍予備士官の永山が机を並べていた点に着目していた[12]。
- 橋詰某:副領事
- 島貫某:商務嘱託
- 永山某:海軍予備士官
- 斎藤某ほか数名:一等書記官
- 篠崎護:無線操作員
- 小林猪四郎:同盟通信従業員
- 柏原某:『シンガポール日日新聞』編集長
家族[編集]
- 1939年9月当時、妻1人、娘2人[3]。
付録[編集]
地図[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 The Straits Times 1939-07-13
- ↑ Bridges 1986 24
- ↑ 3.0 3.1 The Straits Times 1939-09-14
- ↑ The Straits Times 1940-11-11
- ↑ The Straits Times 1940-11-15
- ↑ 6.0 6.1 シンガポール市政会 1986 39-40
- ↑ シンガポール市政会 (1986 44,52)。2月下旬の軍政部会議で決定した、とされている(シンガポール市政会 1986 44)。篠崎 (1976 72)では、同年3月に就任、としている。
- ↑ シンガポール市政会 (1986 97)。同書では、時期については同年5月に大達が帰国し、7月1日に東京都の初代長官に就任、内藤寛一が昭南特別市長に就任した後、間もなく、とされている。
- ↑ 篠崎 1976 90-91
- ↑ 山本 2000 20
- ↑ 自身の総領事着任前に情報工作実施の指示は受けなかったとし、また1940年9月に枢軸同盟が締結された後、外務省本省から英領マラヤの英軍が増強されているとの噂が本当か確認するよう指示があったが、軍事情報は確認する術がないと返答した、スパイは使っていなかったと証言した(山本 2000 20-21)
- ↑ 12.0 12.1 山本 2000 20-21
参考文献[編集]
- 山本 (2000) 山本武利 [ 第2次世界大戦期 日本の諜報機関分析 ] 6 南方編 柏書房 2000-04-15 ISBN 4760118969
- Bridges (1986) BridgesBrian Britain and Japanese Espionage in Pre-War Malaya: The Shinozaki Case Journal of Contemporary History 21 1 1986-1 23-35
- シンガポール市政会 (1986) シンガポール市政会 [ 昭南特別市史-戦時中のシンガポール ] 日本シンガポール協会 1986-8 JPNO 87031898
- 篠崎 (1976) 篠崎護 [ シンガポール占領秘録―戦争とその人間像 ] 原書房 1976 JPNO 73016313
- The Straits Times (1940-11-15) The Straits Times NEW POST FOR MR. KAORU TOYODA The Straits Times Eastern News 11 [ arch. ] 2016-06-05
- The Straits Times (1940-11-11) The Straits Times JAPANESE CELEBRATE The Straits Times 8 [ arch. ] 2016-06-05
- The Straits Times (1939-09-14) The Straits Times New Japanese Consul-General The Straits Times 11 [ arch. ] 2016-06-06
- The Straits Times (1939-07-13) The Straits Times JAPANESE CONSUL HERE TO BE REPLACED The Straits Times 12 [ arch. ] 2016-06-06
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