「望月圭介」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(49.212.107.54 (トーク) による編集を 小西規勝 による直前の版へ差し戻しました)
(画像追加、関連文献追加。)
 
1行目: 1行目:
 +
[[ファイル:望月圭介翁.jpg|thumb|望月圭介、『望月圭介伝』より]]
 
'''望月 圭介'''(もちづき けいすけ、[[1867年]][[4月1日]]([[慶応]]3年[[2月27日_(旧暦)|2月27日]]) - [[1941年]]([[昭和]]16年)[[1月1日]])は[[日本]]の[[政党]][[政治家]]。[[広島県]]出身。
 
'''望月 圭介'''(もちづき けいすけ、[[1867年]][[4月1日]]([[慶応]]3年[[2月27日_(旧暦)|2月27日]]) - [[1941年]]([[昭和]]16年)[[1月1日]])は[[日本]]の[[政党]][[政治家]]。[[広島県]]出身。
  
19行目: 20行目:
 
*[[瀬越憲作]]
 
*[[瀬越憲作]]
 
*[[水野文相優諚問題]]
 
*[[水野文相優諚問題]]
 +
 +
== 関連文献 ==
 +
*望月圭介伝刊行会(編)『望月圭介伝』羽田書店、1945年、[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908669 NDLJP:1908669]
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
27行目: 31行目:
 
{{内務大臣}}
 
{{内務大臣}}
  
{{DEFAULTSORT:もちつきけいすけ}}
+
{{DEFAULTSORT:もちつき けいすけ}}
 
[[Category:1867年生]]
 
[[Category:1867年生]]
 
[[Category:1941年没]]
 
[[Category:1941年没]]

2018年3月22日 (木) 18:12時点における最新版

望月圭介、『望月圭介伝』より

望月 圭介(もちづき けいすけ、1867年4月1日慶応3年2月27日) - 1941年昭和16年)1月1日)は日本政党政治家広島県出身。

生涯[編集]

1867年(慶応3年)瀬戸内海竹原市沖に浮かぶ大崎上島東野村の生まれ。生家は廻船問屋で、13歳の時上京して、攻玉社、共立学校、明治英学校に学んだが17歳で帰郷し、家業を手伝う傍ら自由党に近づき1898年明治31年)初当選、以来衆議院議員に13回連続当選した。

明治30年代は日清戦争の勝利で急速に成長した日本の資本主義が、帝国主義へ移って行く時期で、藩閥政府と政党との提携がはじまり、政党の力が次第に強まって行く時代であった。

衆議院議員となった望月は自由党に属したが、同党が1900年(明治33年)、伊藤博文総裁で立憲政友会となってこれに属しのち1918年大正7年)、米騒動で倒れた寺内内閣のあとをうけ、原敬の日本初の本格的政党内閣が誕生すると幹事長に就任。のちの政治活動の基盤を作った。その後総務などで同党の重鎮として活躍、1927年(昭和2年)田中義一内閣逓信大臣、翌年には内務大臣に転じた。大臣就任中治安維持法の改正を行い、それまで最高刑が十年であったものを改正により死刑をも課す事が出来るようにした。官僚から猛反対を受けたがこれを断行、官僚独善を強く訴え人々の支持を得た。

その後、政友会にあって、鈴木総裁を中心とする主流への反感を強め、1934年(昭和9年)政友会の反対を押し切って岡田内閣内閣審議会に入ったため長年尽くしてきた政友会から除名され、他の政友会脱退者と昭和会を結成。翌1935年(昭和10年)岡田内閣で再び逓信大臣に就任。1939年(昭和14年)、政友会が分裂すると昭和会のうち山崎達之輔らの政友会出身者とともに中島知久平率いる政友会革新同盟(革新派、中島派とも呼ばれる)に復党。1940年(昭和15年)、米内内閣内閣参議に就任、同年政友会は大政翼賛会に合流。望月は太平洋戦争勃発年の1941年(昭和16年)1月没した。

人情大臣として敬慕されたが一面、息子が忠海町長だったため郷里に近い大久野島毒ガス工場を誘致した史実もある。

同郷の池田勇人の生家・池田家は望月の支援者であり、また宮澤喜一の父・宮澤裕は望月の秘書官を務めるなどの関係があった。自身は総理大臣になれなかったが、門下から二人の総理を出したことになる。

現在、大崎上島の生家は保存改修し、資料館として一般公開されている。 

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • 望月圭介伝刊行会(編)『望月圭介伝』羽田書店、1945年、NDLJP:1908669

外部リンク[編集]

先代:
安達謙蔵
岡田啓介
逓信大臣
1927 - 1928
1935 - 1936
次代:
久原房之助
頼母木桂吉
先代:
田中義一
内務大臣
第46代:1928 - 1929
次代:
安達謙蔵
 
歴代の内務大臣
内務卿
大久保利通 - 木戸孝允 - 大久保利通 - 伊藤博文 - 大久保利通 - 伊藤博文 - 松方正義 - 山田顯義 - 山縣有朋
内務大臣
山縣有朋 - 西郷從道 - 品川弥二郎 - 副島種臣 - 松方正義 - 河野敏鎌 - 井上馨 - 野村靖 - 芳川顯正 - 板垣退助 - 樺山資紀 - 芳川顯正 - 板垣退助 - 西郷從道 - 末松謙澄 - 大隈重信 - 内海忠勝 - 兒玉源太郎 - 桂太郎 - 芳川顯正 - 清浦奎吾 - 原敬 - 平田東助 - 原敬 - 大浦兼武 - 原敬 - 大隈重信 - 大浦兼武 - 大隈重信 - 一木喜德郎 - 後藤新平 - 水野錬太郎 - 床次竹二郎 - 水野錬太郎 - 後藤新平 - 水野錬太郎 - 若槻禮次郎 - 濱口雄幸 - 鈴木喜三郎 - 田中義一 - 望月圭介 - 安達謙蔵 - 中橋徳五郎 - 犬養毅 - 鈴木喜三郎 - 山本逹雄 - 後藤文夫 - 潮恵之輔 - 河原田稼吉 - 馬場鍈一 - 末次信正 - 木戸幸一 - 小原直 - 兒玉秀雄 - 安井英二 - 平沼騏一郎 - 田辺治通 - 東條英機 - 湯沢三千男 - 安藤紀三郎 - 大逹茂雄 - 安倍源基 - 山崎巌 - 堀切善次郎 - 三土忠造 - 大村清一 - 植原悦二郎 - 片山哲 - 木村小左衛門 - <廃止>