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== 概要 ==
 
== 概要 ==
2008年(平成20年)6月13日夜、[[神幸祭]]の慰労会で[[権禰宜]]が巫女に約2時間[[飲酒]]を強要した挙げ句、その後に[[社務所]]地下二階にある[[男子禁制]]の女子参篭室(女子更衣室)に侵入して、彼女を脅して強姦した<ref name="asahi">[http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10243 赤坂・日枝神社「神職の巫女レイプ事件」, 週刊朝日 2009年3月27日号]</ref>。強姦犯は[[逮捕]]されることなく、[[警視庁]]から[[東京地方検察庁]]に[[書類送検]]されたが、その後に[[強姦罪]]で[[起訴]]された<ref name="asahi"/>。
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2008年(平成20年)6月13日夜、[[神幸祭]]の慰労会で[[権禰宜]]広瀬正周が巫女に約2時間[[飲酒]]を強要した挙げ句、その後に[[社務所]]地下二階にある[[男子禁制]]の女子参篭室(女子更衣室)に侵入して、彼女を脅して強姦した。広瀬正周は[[逮捕]]されることなく、[[警視庁]]から[[東京地方検察庁]]に[[書類送検]]されたが、その後に[[強姦罪]]で[[起訴]]された。
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== 事件詳細 ==
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九州地方の由緒ある神社の、還暦を迎えた神主・廣瀬の父親が、目を潤ませてこう訴えた。
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「この神社は300年の歴史を持ち、私が十数代目の神主です。神社を継承すべき息子は『有罪になれば、もう実家には戻らない』と言ってる。このままだと神社はつぶれかねません」
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神主のひとり息子・廣瀬正周(まさかね)被告(31)は[[国学院大学]]を卒業後、2001年ごろから東京・赤坂の日枝神社で神職として働いてきた。いずれは実家の神社を継ぐための修行だったが、昨年6月13日夜に強姦し、今年1月に東京地検に強姦罪で起訴されている。
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被害を受けたのは、日枝神社に勤めていた20代前半の元巫女・Aさん。正月に初詣でのアルバイトをしたのをきっかけに神社の仕事に興味を抱き、昨年4月に正規の巫女として採用された。わずか2カ月後に、その悲劇は起きた。
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Aさんがこう振り返る。
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「神幸祭(じんこうさい)という日枝神社の最大のお祭りの日の夜でした。上司の指示で境内の仮設テントに行くと、数十人の神職や氏子が酒を飲んでいました。手伝いの巫女は私ひとりで、それまでほとんど話したことのなかった廣瀬が、私に『酒を注げ』『さっさと飲め』などと命じてきました」
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巫女にとっては神職の言うことが絶対で、返杯は必ず飲まなければならないと、日ごろから教えられていたとAさんは言う。
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もとより酒の弱いAさんは、2時間ほどホステスのように働かされてからようやく解放され、クラクラする頭を抱えて社務所地下2階の女子参篭室(さんろうしつ)に入った。元来は神聖な祈願の場である10畳ほどの部屋が、通勤する巫女らの更衣室として利用されていたからだ。もちろん、男子禁制である。
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Aさんは目をつぶりながら、こう述懐する。
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「参篭室で巫女服から私服に着替えて休んでいたら、割烹着姿の廣瀬が『いるか?』と入ってきて、いきなり抱きついてきて畳に押し倒された。『いいだろ?』『言うことをきかないと言いふらすぞ』とか言われて、何度も『やめてください』と言って抵抗したのに、強い力でワンピースをたくし上げられて、上から襲われた。10分くらいの行為だったと思いますが、思い出すだけで気持ち悪い」
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己の欲望だけ満たし終えると、廣瀬被告はそそくさと出ていったという。
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「呆然として挨拶もせず社務所を出ようとして、別の神職に怒られました。それを見た同期の神職が心配して声をかけてきた。起きたことを話し、諭されて警察に通報しました。『大事にしないで』と頼んだけど、パトカーが何台も神社に来て、そのまま警察署に連れていかれた」
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その後は言われるまま麹町署から病院に行き、体液を採取されてから体内を洗浄され、避妊薬を飲まされた。ここまですれば、当然、警察が容疑者の逮捕に向けて捜査するかと思っていた。
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だが、翌日午前に麹町署で受けた事情聴取は、実に簡素でお粗末な内容だった。
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「相手は若い女性刑事で、私の話を聞かずに質問ばかりしてきた。『廣瀬とホテルに行ったでしょ?』『ふたりで食事したでしょ?』とありもしないことばかり。人形を使った体位の再現では、『騎乗位だったでしょ?』と何度もしつこく聞かれた。事情聴取は3時間で終わり、調書は数枚だけ。『無理やり』『脅迫』といった側面が弱まっていたけど、早く終わらせたくて捺印しました」(Aさん)
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恐らくは廣瀬被告が「性行為は合意の上だった」と主張したのだろう。廣瀬被告の父親も、いまだ息子が無実だと信じていると語る。
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「息子は正義感の強い子で、子どものときにはイジメっ子を呼び出してやっつけたこともあります。もともと日枝神社を6月末で辞めて実家に戻る予定で、予定どおり円満に退職している。事件の話はあまりしませんが、相手を傷つけておらず、強姦ではなかったような説明もしていた。もちろん(性交)したこと自体は悪い。息子は一昨年に神社の事務の子と結婚し、事件当時は実家に住むかどうかで嫁とモメて別居していた。神社を継ぐには同居するのが当然で、息子は私と嫁の間で板ばさみになってたんじゃないかな。事件後に妻と離婚して帰郷すると、この神社で毎日、夜遅くまで懸命に働いていました」
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廣瀬被告は周囲に強姦事実を「否認」する一方で、被害者に対しては弁護士を通じて500万円余りの示談金を提示していた。
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警視庁広報課は、
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「本件は必要な捜査を行い、東京地検に送致した」
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としか語らないが、当時、麹町署は廣瀬被告を逮捕することもなく書類送検した。これを受けて7月初め、東京地検にAさんが呼び出されたときには、担当するY検事に突き放すようにこう言われたという。
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「なんですか、この調書は。こんなんじゃあ、起訴なんかできませんよ」
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Aさんは親とともに厳罰を求め、以来、改めて半年にわたって地検の聴取に応じてきた。地検は廣瀬被告や神社側からも事情を聴き、今年1月下旬にようやく廣瀬被告を強姦罪で起訴し、同日から勾留している。
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Aさんと父親は、廣瀬被告の起訴後、地検の公判検事からこう言われたという。
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「起訴が遅くなり、申し訳ありません。神社が捜査に協力的でなかったもので」
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事件が公になることを嫌ったのか、さも日枝神社が捜査協力を拒んだかのような発言にも聞こえる。だが、日枝神社は本誌の取材に、代理人弁護士を通じて文書でこうコメントした。
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〈加害者が現職の神職で、被害者が現職の巫女という異常事態に接しまして、非常に驚き、困惑しております。神社をお預かりしている責任者として、本件事件の発生は、大変遺憾なことであり、関係者の皆様に御心配と御迷惑をおかけし、大変申し訳なく思っています〉
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〈廣瀬氏に対する身柄拘束や処分に関しましては、当神社は、警察ないし検察庁に対し、直接にも間接にも、一切要望や働きかけは行っていません(略)「非協力的」との評価を受ける心当たりはございません〉
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〈平成20年6月21日付けで、退職願を受理し、廣瀬氏は、同日付けで、当神社を退職しました。(略)責任を取って、辞職に至ったもので、いわゆる「円満」退職ではなく、退職金も一切支給していません〉
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〈廣瀬被告からは、本件事件の直後、当神社の職員が、「自分は上位ではなかった」「無理やりではない」などと、「性行為はあったが、強姦ではない」という趣旨の弁解を聞いています(略)しかしながら、いずれの説明も極めて簡単で、断片的なもので、内容自体、にわかに納得できるものではありません〉
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ただ、Aさんとは異なる主張も記されていた。
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〈その日以前に、被害者の方が自ら積極的に飲酒されて、複数の職員から過度に酔っていると心配されることが、しばしばあったようです。しかしながら、本件事件の直前、その日以前いずれにおいても、被害者の方が、廣瀬被告その他の者から飲酒を強要されるところを目撃した職員はおりません〉
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〈職員に聴取したところでは、日常の雑談の中で、被害者の方から廣瀬被告について、「かっこいい」など言うようなこともあったとの情報は得ています〉
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日枝神社の主張に、Aさんは呆れながら反論する。
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「私はお酒が嫌いで、飲めば湿疹が出ることもある。自ら進んで飲むことはあり得ないし、事件当日まで廣瀬のことをほとんど認識もしてなかった。神職や巫女は、奉納された酒を境内で飲んだり、赤坂で飲み歩いたりする機会があり、新人は先輩の返杯を飲むのが絶対だと教えられる。私もウーロン茶を飲んで怒られたり、飲みつぶされた揚げ句に『飲み方が悪い』と注意されたりした。同期には高卒で18歳の巫女や神職もいたけど、同じ席で同様に飲酒を強要されていた。寮住まいの未成年の職員がよく『昨日もつぶされて大変だったよ』などとぼやくのも聞いています」
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具体的な日付や場所、名前も交えて説明してくれたのだが、これまた日枝神社のコメントを引用すれば、
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〈当神社では、宴席でも、未成年者である職員には、ウーロン茶などのノン・アルコール飲料を飲み、飲酒することがないよう、指導しています〉
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とのことだった。
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廣瀬被告の弁護士は、
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「裁判の前に、私から話すことは特にありません」
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と話すのみだ。初公判は3月17日、東京地裁で開かれる。
  
 
== 判決 ==
 
== 判決 ==
[[2009年]](平成21年)[[5月19日]]、[[東京地方裁判所]]で[[被告]]に[[懲役]]3年の[[実刑]][[判決]](求刑は懲役5年)が下された。[[裁判長]]は判決理由で「[[上司]]としての立場に乗じた卑劣な犯行で、女性の精神的衝撃や身体的苦痛は大きく、被害後に女性が[[自殺]]を図ろうとした事実もあり、[[刑事責任]]は重い。」と述べた<ref>判決当日(2009年5月19日)の各紙報道</ref>。
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[[2009年]](平成21年)[[5月19日]]、[[東京地方裁判所]]で広瀬正周に[[懲役]]3年の[[実刑]][[判決]](求刑は懲役5年)が下された。
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[[裁判長]]は判決理由で「[[上司]]としての立場に乗じた卑劣な犯行で、女性の精神的衝撃や身体的苦痛は大きく、被害後に女性が[[自殺]]を図ろうとした事実もあり、[[刑事責任]]は重い。」と述べた。
  
 
== 補足 ==
 
== 補足 ==
犯行の現場となった赤坂日枝神社は旧[[官幣大社]]かつ現在は[[別表神社]]で、[[江戸時代]]には[[山王権現|江戸山王大権現]]として[[徳川将軍家]]を始めとして[[江戸]]で広く信仰を集め、[[明治維新]]以降は皇城之鎮と称された全国有数の名門神社であり、その神職が地位を悪用して弱者的な立場の巫女を神聖な場所で強姦という凶行に及んだことや、警察・検察の不自然な姿勢、被害者に対する誹謗・中傷等から、[[テレビ朝日]]のワイドショー番組[[スーパーモーニング]]は本事件を「'''心の殺人'''」と評して報道する<ref>「性的暴行事件 被害者の苦悩」, 2009年4月1日放送, スーパーモーニング, テレビ朝日</ref>等、社会的な衝撃は少なくなかった。
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犯行の現場となった赤坂日枝神社は旧[[官幣大社]]かつ現在は[[別表神社]]で、[[江戸時代]]には[[山王権現|江戸山王大権現]]として[[徳川将軍家]]を始めとして[[江戸]]で広く信仰を集め、[[明治維新]]以降は皇城之鎮と称された全国有数の名門神社であり、その神職が地位を悪用して弱者的な立場の巫女を神聖な場所で強姦という凶行に及んだことや、警察・検察の不自然な姿勢、被害者に対する誹謗・中傷等から、[[テレビ朝日]]のワイドショー番組[[スーパーモーニング]]は本事件を「'''心の殺人'''」と評して報道する等、社会的な衝撃は少なくなかった。
  
[[日本の警察]]が強姦犯を逮捕しなかったのは異例なことであり、また東京地方検察庁が起訴に消極的であったため、赤坂日枝神社<ref>当時の宮司は東京都神社庁長かつ[[日本会議]]代表委員でもあった。</ref>から捜査当局に圧力がかかったとの見方も一部で報じられた。検察側は「起訴が遅くなり、申し訳ありません。神社が捜査に協力的でなかったもので。」と釈明したが、赤坂日枝神社は「当神社は、警察ないし検察庁に対し、直接にも間接にも一切要望や働きかけは行っていません。(検察から)非協力的との評価を受ける心当たりはございません。」と否定した<ref name="asahi"/>。
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[[日本の警察]]が強姦犯を逮捕しなかったのは異例なことであり、また東京地方検察庁が起訴に消極的であったため、赤坂日枝神社から捜査当局に圧力がかかったとの見方も一部で報じられた。検察側は「起訴が遅くなり、申し訳ありません。神社が捜査に協力的でなかったもので。」と釈明したが、赤坂日枝神社は「当神社は、警察ないし検察庁に対し、直接にも間接にも一切要望や働きかけは行っていません。(検察から)非協力的との評価を受ける心当たりはございません。」と否定した。
 
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== 関連項目 ==
 
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*[[セクシャルハラスメント]]
 
*[[セクシャルハラスメント]]
 
*[[神道政治連盟]]
 
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2016年6月18日 (土) 13:52時点における最新版

赤坂日枝神社内巫女強姦事件(あかさかひえじんじゃないみこごうかんじけん)は、2008年平成20年)6月13日東京都港区赤坂日枝神社内で巫女神職の広瀬正周に強姦された事件である。

概要[編集]

2008年(平成20年)6月13日夜、神幸祭の慰労会で権禰宜広瀬正周が巫女に約2時間飲酒を強要した挙げ句、その後に社務所地下二階にある男子禁制の女子参篭室(女子更衣室)に侵入して、彼女を脅して強姦した。広瀬正周は逮捕されることなく、警視庁から東京地方検察庁書類送検されたが、その後に強姦罪起訴された。

事件詳細[編集]

九州地方の由緒ある神社の、還暦を迎えた神主・廣瀬の父親が、目を潤ませてこう訴えた。

「この神社は300年の歴史を持ち、私が十数代目の神主です。神社を継承すべき息子は『有罪になれば、もう実家には戻らない』と言ってる。このままだと神社はつぶれかねません」

神主のひとり息子・廣瀬正周(まさかね)被告(31)は国学院大学を卒業後、2001年ごろから東京・赤坂の日枝神社で神職として働いてきた。いずれは実家の神社を継ぐための修行だったが、昨年6月13日夜に強姦し、今年1月に東京地検に強姦罪で起訴されている。

被害を受けたのは、日枝神社に勤めていた20代前半の元巫女・Aさん。正月に初詣でのアルバイトをしたのをきっかけに神社の仕事に興味を抱き、昨年4月に正規の巫女として採用された。わずか2カ月後に、その悲劇は起きた。

Aさんがこう振り返る。

「神幸祭(じんこうさい)という日枝神社の最大のお祭りの日の夜でした。上司の指示で境内の仮設テントに行くと、数十人の神職や氏子が酒を飲んでいました。手伝いの巫女は私ひとりで、それまでほとんど話したことのなかった廣瀬が、私に『酒を注げ』『さっさと飲め』などと命じてきました」

巫女にとっては神職の言うことが絶対で、返杯は必ず飲まなければならないと、日ごろから教えられていたとAさんは言う。

もとより酒の弱いAさんは、2時間ほどホステスのように働かされてからようやく解放され、クラクラする頭を抱えて社務所地下2階の女子参篭室(さんろうしつ)に入った。元来は神聖な祈願の場である10畳ほどの部屋が、通勤する巫女らの更衣室として利用されていたからだ。もちろん、男子禁制である。

Aさんは目をつぶりながら、こう述懐する。

「参篭室で巫女服から私服に着替えて休んでいたら、割烹着姿の廣瀬が『いるか?』と入ってきて、いきなり抱きついてきて畳に押し倒された。『いいだろ?』『言うことをきかないと言いふらすぞ』とか言われて、何度も『やめてください』と言って抵抗したのに、強い力でワンピースをたくし上げられて、上から襲われた。10分くらいの行為だったと思いますが、思い出すだけで気持ち悪い」

己の欲望だけ満たし終えると、廣瀬被告はそそくさと出ていったという。

「呆然として挨拶もせず社務所を出ようとして、別の神職に怒られました。それを見た同期の神職が心配して声をかけてきた。起きたことを話し、諭されて警察に通報しました。『大事にしないで』と頼んだけど、パトカーが何台も神社に来て、そのまま警察署に連れていかれた」

その後は言われるまま麹町署から病院に行き、体液を採取されてから体内を洗浄され、避妊薬を飲まされた。ここまですれば、当然、警察が容疑者の逮捕に向けて捜査するかと思っていた。

だが、翌日午前に麹町署で受けた事情聴取は、実に簡素でお粗末な内容だった。

「相手は若い女性刑事で、私の話を聞かずに質問ばかりしてきた。『廣瀬とホテルに行ったでしょ?』『ふたりで食事したでしょ?』とありもしないことばかり。人形を使った体位の再現では、『騎乗位だったでしょ?』と何度もしつこく聞かれた。事情聴取は3時間で終わり、調書は数枚だけ。『無理やり』『脅迫』といった側面が弱まっていたけど、早く終わらせたくて捺印しました」(Aさん)

恐らくは廣瀬被告が「性行為は合意の上だった」と主張したのだろう。廣瀬被告の父親も、いまだ息子が無実だと信じていると語る。

「息子は正義感の強い子で、子どものときにはイジメっ子を呼び出してやっつけたこともあります。もともと日枝神社を6月末で辞めて実家に戻る予定で、予定どおり円満に退職している。事件の話はあまりしませんが、相手を傷つけておらず、強姦ではなかったような説明もしていた。もちろん(性交)したこと自体は悪い。息子は一昨年に神社の事務の子と結婚し、事件当時は実家に住むかどうかで嫁とモメて別居していた。神社を継ぐには同居するのが当然で、息子は私と嫁の間で板ばさみになってたんじゃないかな。事件後に妻と離婚して帰郷すると、この神社で毎日、夜遅くまで懸命に働いていました」

廣瀬被告は周囲に強姦事実を「否認」する一方で、被害者に対しては弁護士を通じて500万円余りの示談金を提示していた。

警視庁広報課は、

「本件は必要な捜査を行い、東京地検に送致した」

としか語らないが、当時、麹町署は廣瀬被告を逮捕することもなく書類送検した。これを受けて7月初め、東京地検にAさんが呼び出されたときには、担当するY検事に突き放すようにこう言われたという。

「なんですか、この調書は。こんなんじゃあ、起訴なんかできませんよ」

Aさんは親とともに厳罰を求め、以来、改めて半年にわたって地検の聴取に応じてきた。地検は廣瀬被告や神社側からも事情を聴き、今年1月下旬にようやく廣瀬被告を強姦罪で起訴し、同日から勾留している。

Aさんと父親は、廣瀬被告の起訴後、地検の公判検事からこう言われたという。

「起訴が遅くなり、申し訳ありません。神社が捜査に協力的でなかったもので」

事件が公になることを嫌ったのか、さも日枝神社が捜査協力を拒んだかのような発言にも聞こえる。だが、日枝神社は本誌の取材に、代理人弁護士を通じて文書でこうコメントした。

〈加害者が現職の神職で、被害者が現職の巫女という異常事態に接しまして、非常に驚き、困惑しております。神社をお預かりしている責任者として、本件事件の発生は、大変遺憾なことであり、関係者の皆様に御心配と御迷惑をおかけし、大変申し訳なく思っています〉

〈廣瀬氏に対する身柄拘束や処分に関しましては、当神社は、警察ないし検察庁に対し、直接にも間接にも、一切要望や働きかけは行っていません(略)「非協力的」との評価を受ける心当たりはございません〉

〈平成20年6月21日付けで、退職願を受理し、廣瀬氏は、同日付けで、当神社を退職しました。(略)責任を取って、辞職に至ったもので、いわゆる「円満」退職ではなく、退職金も一切支給していません〉

〈廣瀬被告からは、本件事件の直後、当神社の職員が、「自分は上位ではなかった」「無理やりではない」などと、「性行為はあったが、強姦ではない」という趣旨の弁解を聞いています(略)しかしながら、いずれの説明も極めて簡単で、断片的なもので、内容自体、にわかに納得できるものではありません〉

ただ、Aさんとは異なる主張も記されていた。

〈その日以前に、被害者の方が自ら積極的に飲酒されて、複数の職員から過度に酔っていると心配されることが、しばしばあったようです。しかしながら、本件事件の直前、その日以前いずれにおいても、被害者の方が、廣瀬被告その他の者から飲酒を強要されるところを目撃した職員はおりません〉

〈職員に聴取したところでは、日常の雑談の中で、被害者の方から廣瀬被告について、「かっこいい」など言うようなこともあったとの情報は得ています〉

日枝神社の主張に、Aさんは呆れながら反論する。

「私はお酒が嫌いで、飲めば湿疹が出ることもある。自ら進んで飲むことはあり得ないし、事件当日まで廣瀬のことをほとんど認識もしてなかった。神職や巫女は、奉納された酒を境内で飲んだり、赤坂で飲み歩いたりする機会があり、新人は先輩の返杯を飲むのが絶対だと教えられる。私もウーロン茶を飲んで怒られたり、飲みつぶされた揚げ句に『飲み方が悪い』と注意されたりした。同期には高卒で18歳の巫女や神職もいたけど、同じ席で同様に飲酒を強要されていた。寮住まいの未成年の職員がよく『昨日もつぶされて大変だったよ』などとぼやくのも聞いています」

具体的な日付や場所、名前も交えて説明してくれたのだが、これまた日枝神社のコメントを引用すれば、

〈当神社では、宴席でも、未成年者である職員には、ウーロン茶などのノン・アルコール飲料を飲み、飲酒することがないよう、指導しています〉

とのことだった。

廣瀬被告の弁護士は、

「裁判の前に、私から話すことは特にありません」

と話すのみだ。初公判は3月17日、東京地裁で開かれる。

判決[編集]

2009年(平成21年)5月19日東京地方裁判所で広瀬正周に懲役3年の実刑判決(求刑は懲役5年)が下された。

裁判長は判決理由で「上司としての立場に乗じた卑劣な犯行で、女性の精神的衝撃や身体的苦痛は大きく、被害後に女性が自殺を図ろうとした事実もあり、刑事責任は重い。」と述べた。

補足[編集]

犯行の現場となった赤坂日枝神社は旧官幣大社かつ現在は別表神社で、江戸時代には江戸山王大権現として徳川将軍家を始めとして江戸で広く信仰を集め、明治維新以降は皇城之鎮と称された全国有数の名門神社であり、その神職が地位を悪用して弱者的な立場の巫女を神聖な場所で強姦という凶行に及んだことや、警察・検察の不自然な姿勢、被害者に対する誹謗・中傷等から、テレビ朝日のワイドショー番組スーパーモーニングは本事件を「心の殺人」と評して報道する等、社会的な衝撃は少なくなかった。

日本の警察が強姦犯を逮捕しなかったのは異例なことであり、また東京地方検察庁が起訴に消極的であったため、赤坂日枝神社から捜査当局に圧力がかかったとの見方も一部で報じられた。検察側は「起訴が遅くなり、申し訳ありません。神社が捜査に協力的でなかったもので。」と釈明したが、赤坂日枝神社は「当神社は、警察ないし検察庁に対し、直接にも間接にも一切要望や働きかけは行っていません。(検察から)非協力的との評価を受ける心当たりはございません。」と否定した。

関連項目[編集]