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+ | 東島(女島)、西島(男島)と呼ばれるふたつの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で、東京の[[日比谷公園]]と同程度の島である。最頂部は西島が海抜168m、東島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で通常は人の住むことができる環境ではないが、[[領土問題]]により現在は、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官([[独島警備隊]])40名などが常駐している。 | ||
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+ | [[日本]]は'''竹島'''と呼称し、自国の領土であるとしている。[[ヨーロッパ]]や[[北アメリカ]]は'''リアンクール岩礁''' (Liancourt Rocks)と呼称している。 | ||
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+ | [[1954年]]7月に韓国軍がこの島を占拠し、それ以来[[実効支配]]を続けている。そのため独島には[[日本]]政府の[[施政権]]は及んでおらず、日本は韓国による不法占拠として抗議し続けている。 | ||
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+ | [[日本]]と韓国、北朝鮮が領有権を主張している。日本は国際法上も適法な固有の領土であるとして、[[島根県]][[隠岐郡]][[隠岐の島町]]に属させている。韓国、北朝鮮側では'''独島'''(<strong lang="ko">독도</strong>、'''獨島'''、'''トクド'''/'''トクト'''/'''ドクト''','''Dokdo'''/'''Tokto'''/'''Dokto''')と呼称する。なお、韓国側の行政区画としては、[[慶尚北道]][[鬱陵郡]]鬱陵邑独島里に編入されており、実質的には[[海洋警察庁]]を傘下にもつ[[大韓民国海洋水産部]]の管理下にある。 | ||
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+ | 独島は、険しい岩山で面積も狭く島自体から得られる利益はほとんど無いが、周囲の広大な[[排他的経済水域]]の[[漁業権]]や[[海底資源]]が獲得できるため日韓双方がこの島の領有をめぐって対立している。 | ||
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+ | 特に韓国側は武力による実効支配に加え、この島に守備隊を常駐させ日本側の接近を警戒している。日本政府の再三の抗議にもかかわらず、ヘリポートや船舶の接岸場、灯台などを設置、島の断崖絶壁には宿泊施設を建設している。また独島の切手発行したり、独島を紹介するインターネットサイトにおいては、独島と同様の韓国の島では考えられないほど島の地質や環境の情報を英語や日本語で紹介。その中では、領土問題について極力触れないようにするなど明らかな領有の既成事実化をはかっている。日本政府の抗議に対して韓国側は、日本による独島編入が後の[[韓国併合]]の始まりであると主張し、日本の主張は「歴史の歪曲」「妄言」であるとして交渉する姿勢すら見せていない。 | ||
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+ | 韓国の中高歴史教科書においては、17世紀末に韓国の漁民[[安龍福]]が松島(現在の独島)が朝鮮の領土であることを認めさせるため日本に渡った事を大きく記すなど、中高生に独島領有の正当性を教育している。 | ||
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+ | 北朝鮮も、この島を朝鮮民族固有の領土と主張し、北南共同の歴史学者討論会を開いたり、韓国での対日抗議行動を好意的に報道している。 | ||
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+ | == 経緯 == | ||
+ | 日本政府は、独島問題は、1952年1月18日に韓国大統領・[[李承晩]]の海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる[[李承晩ライン]])によって独島が韓国の支配下にあると一方的に宣言したことで始まったと認識している。 | ||
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+ | これに対し韓国政府は、1905年1月28日に日本政府が独島を自国に編入すると閣議で一方的に決めたことで始まったと認識している。 | ||
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+ | * [[1618年]]:[[伯耆国]][[米子市|米子]]の[[町人]][[大谷甚吉]]、[[村川市兵衛]]ら[[幕府]]から許可を得て独島(当時は松島と言った)に渡航。 | ||
+ | * [[1692年]]:[[鬱陵島]](当時は竹島と言った)に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人と遭遇。翌年にも遭遇し、[[安龍福]]と[[朴於屯]]の2名を[[米子市|米子]]に連行したのを契機に、日本と朝鮮との間に紛争が発生([[竹島一件]])。 | ||
+ | * [[1696年]]:幕府が鬱陵島への渡航を禁止する。朝鮮の漁民安龍福が鬱陵島・[[于山島]](韓国では于山島を独島と解釈している)は朝鮮領であると訴えるため、[[伯耆国]]へやって来る。 | ||
+ | * [[1849年]]:[[フランス]]の[[捕鯨船]]Liancourt号が竹島を発見し、リアンクール島と名付ける(以後、日本では、りゃんこ島、リアンクール岩とも呼ばれる)。 | ||
+ | * [[1877年]][[3月29日]]:「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が内務省に伝達。 | ||
+ | * [[1900年]][[10月25日]]:[[大韓帝国]][[勅令]]41号で鬱陵島を[[江原道]]の[[郡]]に昇格、同時に石島(=独島?)も韓国領とした。 | ||
+ | * [[1904年]][[2月6日]]:[[日露戦争]]が始まる。 | ||
+ | * [[1904年]][[8月23日]]:[[第一次日韓協約]]が締結される。 | ||
+ | * [[1904年]][[9月29日]]:島根県の[[中井養三郎]]が、[[内務省]]・[[外務省]]・[[農商務省]]に「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を提出する。 | ||
+ | * '''[[1905年]][[1月28日]]:日本政府、閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする。''' | ||
+ | * [[1905年]][[5月27日]]-[[5月28日]]:日露間で[[日本海海戦]]が行われる。 | ||
+ | * [[1905年]][[11月17日]]:[[第二次日韓協約]]が締結される(韓国が、事実上、日本の[[保護国]]となる)。 | ||
+ | * [[1910年]][[8月22日]]:[[韓国併合ニ関スル条約]]に基づき、日本が大韓帝国を併合する([[韓国併合]])。 | ||
+ | * [[1914年]]:鬱陵島を江原道から慶尚北道に移管。 | ||
+ | * [[1940年]][[8月17日]]:海軍用地として独島を島根県から海軍省(舞鶴鎮守府)に移管。 | ||
+ | * [[1945年]][[9月2日]]:日本政府、[[ポツダム宣言]]を受諾。 | ||
+ | * [[1945年]][[11月1日]]:海軍省廃止により、独島を大蔵省に移管。 | ||
+ | * [[1946年]][[1月29日]]:[[連合国軍最高司令官総司令部]]覚書<i>[[SCAPIN]](SCAP Institutions)677</i>号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」 | ||
+ | * 1946年[[6月22日]]:<i>[[SCAPIN]]1033</i>号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」(マッカーサー・ライン) | ||
+ | * [[1948年]][[8月13日]]:大韓民国建国。初代大統領に李承晩就任。 | ||
+ | * [[1951年]]8月10日:[[ラスク書簡]]により「独島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示される。 | ||
+ | * '''[[1952年]][[1月18日]]:韓国政府は李承晩ラインを一方的に宣言。以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となる(詳しくは[[李承晩ライン]]、[[第一大邦丸事件]]を参照)。''' | ||
+ | * 1952年[[4月28日]]午後10時30分(日本時間):[[日本国との平和条約]]発効 | ||
+ | * [[1953年]][[1月12日]]:韓国政府、「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示。 | ||
+ | * 1953年[[2月4日]]:[[第一大邦丸事件]]。[[済州島]]付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。 | ||
+ | * 1953年[[4月20日]]:[[独島義勇守備隊]]、独島に初めて駐屯。 | ||
+ | * 1953年[[6月27日]]:日本国海上保安庁と島根県が独島の調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建てる。難破後、独島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させる。 | ||
+ | * 1953年[[7月12日]]:独島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲する。以後、韓国は独島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による独島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。 | ||
+ | * [[1954年]][[8月15日]]:朝鮮戦争を共に戦った[[ジェームズ・ヴァン・フリート]]が大統領特命大使として使節団を率いて極東各国を歴訪し、[[ヴァン・フリート特命報告書]]を作成。非公式に竹島問題は[[国際司法裁判所]]を通じて解決されることが望まれるというアメリカの意向を韓国に伝達した等の事を大統領に報告。詳細[[ヴァン・フリート特命報告書]]参照。 | ||
+ | * [[1954年]][[9月25日]]:日本政府は領有問題を[[国際司法裁判所]]に付託することを韓国側に提案。韓国政府はこれに応じず。 | ||
+ | * [[1954年]][[11月30日]]:韓国側が独島に近づいた日本警備艇に砲撃をくわえる。 | ||
+ | * [[1956年]]4月:[[韓国警察]]鬱陵警察署警官8名が島に常駐。 | ||
+ | * 1956年[[12月25日]]:独島義勇守備隊解散 | ||
+ | * [[1965年]]:[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約]]調印、李承晩ライン廃止。独島問題は紛争処理事項とされる。しかしその後韓国は独島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉のテーブルに着いていない。 | ||
+ | * [[1977年]][[2月5日]]:福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言。 | ||
+ | * [[1982年]][[11月16日]]:韓国、独島を天然保護区域に指定(独島天然保護区域)。 | ||
+ | * [[1997年]][[11月]]:韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。日本政府は抗議。 | ||
+ | * [[1998年]][[12月]]:韓国、有人灯台設置。日本政府は抗議。 | ||
+ | * [[2004年]][[1月]]:韓国、独島を図柄にした切手を発行。日本政府は抗議。 | ||
+ | * 2004年[[2月17日]]:日本郵政公社、独島の写真付き切手の発行を拒否。 | ||
+ | * 2004年[[3月1日]]:「我が国最東端の領土」と韓国側がテレビ中継を実施。 | ||
+ | * 2005年[[3月16日]]:島根県議会が、[[竹島の日]]条例を可決。 | ||
+ | * 2005年[[6月9日]] : [[慶尚北道]]議会が10月を[[独島の月]]とし、日本との交流を制限する条例を制定。 | ||
+ | * 2006年[[4月6日]]: [[ウリ党|ヨルリン・ウリ党]]の金元雄(キム・ウォヌン)議員がラジオ放送にて国際法上で領土紛争地域化する戦略を発表。 | ||
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+ | == 争点 == | ||
+ | 独島を巡る争点は以下のように整理される。 | ||
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+ | # 誰が最初に発見し、実効支配をしたか | ||
+ | # 1905年の日本による独島編入の有効性 | ||
+ | # 戦後のGHQによる独島処分の解釈 | ||
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+ | == ニホンアシカ == | ||
+ | 独島は[[伊豆諸島]]と並んで[[ニホンアシカ]](Zalophus californianus japonicus)の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。独島における絶滅の原因の一つとしては、実効支配している韓国による独島の要塞化に伴う自然破壊があるとする説がある。 | ||
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+ | == 関連項目 == | ||
+ | * [[李承晩ライン]] | ||
+ | * [[日本とコリアの論争]] | ||
+ | * [[日韓基本条約]] | ||
+ | * [[朝鮮の歴史]] | ||
+ | * [[于山島]] | ||
+ | * [[竹島の日]] | ||
+ | * [[隠岐の歴史]] | ||
+ | * [[大韓民国独島郷友会]] | ||
+ | * [[独島義勇守備隊]] | ||
+ | * [[独島の月]] | ||
+ | * [[竹嶼]] | ||
+ | * [[国際司法裁判所]] | ||
+ | * [[日本国との平和条約]] | ||
+ | * [[領土問題]] | ||
+ | * [[北方領土]] | ||
+ | * [[尖閣諸島]] | ||
+ | * [[対馬島]] | ||
+ | * [[独島級揚陸艦]] | ||
+ | * [[ラスク書簡]] | ||
+ | * [[ヴァン・フリート特命報告書]] | ||
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+ | == 外部リンク == | ||
+ | === 公的機関のサイト === | ||
+ | * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html 竹島問題] (日本国外務省) | ||
+ | * [http://www.pref.shimane.jp/section/takesima/top.html かえれ!竹島] ([[島根県]]) | ||
+ | * [http://www.jacar.go.jp/ アジア歴史資料センター] | ||
+ | ** 『隠岐島ヲ距ル西北八十五哩ニ在ル無人島ヲ竹島ト名ヶ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為ス』] レファレンスコード:A01200222600 | ||
+ | ** 『リャンコ島領土編入並ニ貸下ケ方島根県民中井善三郎ヨリ願出ノ件』] レファレンスコード:B03041153100 | ||
+ | * [http://www.momaf.go.kr/japan/issue01.asp 海洋水産部] (韓国) | ||
+ | * [http://old.dokdo.go.kr/japanese/html/territory/info_district.html サイバー独島] ([[慶尚北道]]) | ||
+ | |||
+ | === その他のサイト === | ||
+ | * [http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/ 竹島問題] (田中邦貴氏) | ||
+ | * [http://toron.pepper.jp/jp/take/index.html 竹島(独島)メモ] | ||
+ | * [http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#dokto 半月城通信 竹島=独島] | ||
+ | * [http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19611226.O1J.html 韓国の竹島占領に関する抗議(東京大学 東洋文化研究所 田中明彦研究室データベース)] | ||
+ | * [http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=104155145 発信竹島 ~真の日韓親善に向けて~] (山陰中央新報) | ||
+ | |||
+ | * [http://www.truthofdokdo.or.kr/jpn/main.html 独島の真実] | ||
+ | *[http://museum.dokdo.go.kr/japanese/asp/museum/dokdo.html 独島博物館] | ||
+ | * [http://japanese.chosun.com/site/data/category/dokdo/dokdo-0.html 『朝鮮日報』ニュース特集・日本島根県の「竹島の日」条例案波紋] | ||
+ | * [http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74243&servcode=100§code=100&p_no=&comment_gr=article_74243&pn=2 精密性が要求される独島研究](中央日報) | ||
+ | * [http://www.prkorea.com バーンク](韓国語) | ||
+ | * [http://www.nongsimga.pe.kr/dokdo.html 独島は我が領土](「李進賀のインターネット明心宝鑑」内)(韓国語) | ||
+ | * [http://tokdo.kordi.re.kr/ 獨島ホームページ](韓国語) | ||
+ | * [http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001267089 竹島を巡るオンラインゲームが原因で小学生が殺人未遂事件を起こす](韓国語) |
2007年5月5日 (土) 22:54時点における版
独島(ドクト、(독도, 獨島))は、北緯37度15分、東経131度52分の東海にある島。
東島(女島)、西島(男島)と呼ばれるふたつの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園と同程度の島である。最頂部は西島が海抜168m、東島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で通常は人の住むことができる環境ではないが、領土問題により現在は、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官(独島警備隊)40名などが常駐している。
日本は竹島と呼称し、自国の領土であるとしている。ヨーロッパや北アメリカはリアンクール岩礁 (Liancourt Rocks)と呼称している。
1954年7月に韓国軍がこの島を占拠し、それ以来実効支配を続けている。そのため独島には日本政府の施政権は及んでおらず、日本は韓国による不法占拠として抗議し続けている。
領土問題
日本と韓国、北朝鮮が領有権を主張している。日本は国際法上も適法な固有の領土であるとして、島根県隠岐郡隠岐の島町に属させている。韓国、北朝鮮側では独島(독도、獨島、トクド/トクト/ドクト,Dokdo/Tokto/Dokto)と呼称する。なお、韓国側の行政区画としては、慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里に編入されており、実質的には海洋警察庁を傘下にもつ大韓民国海洋水産部の管理下にある。
独島は、険しい岩山で面積も狭く島自体から得られる利益はほとんど無いが、周囲の広大な排他的経済水域の漁業権や海底資源が獲得できるため日韓双方がこの島の領有をめぐって対立している。
特に韓国側は武力による実効支配に加え、この島に守備隊を常駐させ日本側の接近を警戒している。日本政府の再三の抗議にもかかわらず、ヘリポートや船舶の接岸場、灯台などを設置、島の断崖絶壁には宿泊施設を建設している。また独島の切手発行したり、独島を紹介するインターネットサイトにおいては、独島と同様の韓国の島では考えられないほど島の地質や環境の情報を英語や日本語で紹介。その中では、領土問題について極力触れないようにするなど明らかな領有の既成事実化をはかっている。日本政府の抗議に対して韓国側は、日本による独島編入が後の韓国併合の始まりであると主張し、日本の主張は「歴史の歪曲」「妄言」であるとして交渉する姿勢すら見せていない。
韓国の中高歴史教科書においては、17世紀末に韓国の漁民安龍福が松島(現在の独島)が朝鮮の領土であることを認めさせるため日本に渡った事を大きく記すなど、中高生に独島領有の正当性を教育している。
北朝鮮も、この島を朝鮮民族固有の領土と主張し、北南共同の歴史学者討論会を開いたり、韓国での対日抗議行動を好意的に報道している。
経緯
日本政府は、独島問題は、1952年1月18日に韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線(いわゆる李承晩ライン)によって独島が韓国の支配下にあると一方的に宣言したことで始まったと認識している。
これに対し韓国政府は、1905年1月28日に日本政府が独島を自国に編入すると閣議で一方的に決めたことで始まったと認識している。
- 1618年:伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛ら幕府から許可を得て独島(当時は松島と言った)に渡航。
- 1692年:鬱陵島(当時は竹島と言った)に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人と遭遇。翌年にも遭遇し、安龍福と朴於屯の2名を米子に連行したのを契機に、日本と朝鮮との間に紛争が発生(竹島一件)。
- 1696年:幕府が鬱陵島への渡航を禁止する。朝鮮の漁民安龍福が鬱陵島・于山島(韓国では于山島を独島と解釈している)は朝鮮領であると訴えるため、伯耆国へやって来る。
- 1849年:フランスの捕鯨船Liancourt号が竹島を発見し、リアンクール島と名付ける(以後、日本では、りゃんこ島、リアンクール岩とも呼ばれる)。
- 1877年3月29日:「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が内務省に伝達。
- 1900年10月25日:大韓帝国勅令41号で鬱陵島を江原道の郡に昇格、同時に石島(=独島?)も韓国領とした。
- 1904年2月6日:日露戦争が始まる。
- 1904年8月23日:第一次日韓協約が締結される。
- 1904年9月29日:島根県の中井養三郎が、内務省・外務省・農商務省に「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を提出する。
- 1905年1月28日:日本政府、閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とする。
- 1905年5月27日-5月28日:日露間で日本海海戦が行われる。
- 1905年11月17日:第二次日韓協約が締結される(韓国が、事実上、日本の保護国となる)。
- 1910年8月22日:韓国併合ニ関スル条約に基づき、日本が大韓帝国を併合する(韓国併合)。
- 1914年:鬱陵島を江原道から慶尚北道に移管。
- 1940年8月17日:海軍用地として独島を島根県から海軍省(舞鶴鎮守府)に移管。
- 1945年9月2日:日本政府、ポツダム宣言を受諾。
- 1945年11月1日:海軍省廃止により、独島を大蔵省に移管。
- 1946年1月29日:連合国軍最高司令官総司令部覚書SCAPIN(SCAP Institutions)677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」
- 1946年6月22日:SCAPIN1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」(マッカーサー・ライン)
- 1948年8月13日:大韓民国建国。初代大統領に李承晩就任。
- 1951年8月10日:ラスク書簡により「独島は日本の領土」という米国政府の意向が韓国政府に示される。
- 1952年1月18日:韓国政府は李承晩ラインを一方的に宣言。以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となる(詳しくは李承晩ライン、第一大邦丸事件を参照)。
- 1952年4月28日午後10時30分(日本時間):日本国との平和条約発効
- 1953年1月12日:韓国政府、「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示。
- 1953年2月4日:第一大邦丸事件。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。
- 1953年4月20日:独島義勇守備隊、独島に初めて駐屯。
- 1953年6月27日:日本国海上保安庁と島根県が独島の調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建てる。難破後、独島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させる。
- 1953年7月12日:独島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船に発砲する。以後、韓国は独島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による独島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。
- 1954年8月15日:朝鮮戦争を共に戦ったジェームズ・ヴァン・フリートが大統領特命大使として使節団を率いて極東各国を歴訪し、ヴァン・フリート特命報告書を作成。非公式に竹島問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれるというアメリカの意向を韓国に伝達した等の事を大統領に報告。詳細ヴァン・フリート特命報告書参照。
- 1954年9月25日:日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案。韓国政府はこれに応じず。
- 1954年11月30日:韓国側が独島に近づいた日本警備艇に砲撃をくわえる。
- 1956年4月:韓国警察鬱陵警察署警官8名が島に常駐。
- 1956年12月25日:独島義勇守備隊解散
- 1965年:日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約調印、李承晩ライン廃止。独島問題は紛争処理事項とされる。しかしその後韓国は独島の領有問題は紛争処理事項でないとの立場を取り、交渉のテーブルに着いていない。
- 1977年2月5日:福田赳夫首相が「竹島は一点疑う余地のない日本固有の領土」と発言。
- 1982年11月16日:韓国、独島を天然保護区域に指定(独島天然保護区域)。
- 1997年11月:韓国、500トン級船舶が利用できる接岸施設設置。日本政府は抗議。
- 1998年12月:韓国、有人灯台設置。日本政府は抗議。
- 2004年1月:韓国、独島を図柄にした切手を発行。日本政府は抗議。
- 2004年2月17日:日本郵政公社、独島の写真付き切手の発行を拒否。
- 2004年3月1日:「我が国最東端の領土」と韓国側がテレビ中継を実施。
- 2005年3月16日:島根県議会が、竹島の日条例を可決。
- 2005年6月9日 : 慶尚北道議会が10月を独島の月とし、日本との交流を制限する条例を制定。
- 2006年4月6日: ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォヌン)議員がラジオ放送にて国際法上で領土紛争地域化する戦略を発表。
争点
独島を巡る争点は以下のように整理される。
- 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
- 1905年の日本による独島編入の有効性
- 戦後のGHQによる独島処分の解釈
ニホンアシカ
独島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ(Zalophus californianus japonicus)の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。独島における絶滅の原因の一つとしては、実効支配している韓国による独島の要塞化に伴う自然破壊があるとする説がある。
関連項目
- 李承晩ライン
- 日本とコリアの論争
- 日韓基本条約
- 朝鮮の歴史
- 于山島
- 竹島の日
- 隠岐の歴史
- 大韓民国独島郷友会
- 独島義勇守備隊
- 独島の月
- 竹嶼
- 国際司法裁判所
- 日本国との平和条約
- 領土問題
- 北方領土
- 尖閣諸島
- 対馬島
- 独島級揚陸艦
- ラスク書簡
- ヴァン・フリート特命報告書
外部リンク
公的機関のサイト
- 竹島問題 (日本国外務省)
- かえれ!竹島 (島根県)
- アジア歴史資料センター
- 『隠岐島ヲ距ル西北八十五哩ニ在ル無人島ヲ竹島ト名ヶ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為ス』] レファレンスコード:A01200222600
- 『リャンコ島領土編入並ニ貸下ケ方島根県民中井善三郎ヨリ願出ノ件』] レファレンスコード:B03041153100
- 海洋水産部 (韓国)
- サイバー独島 (慶尚北道)
その他のサイト
- 竹島問題 (田中邦貴氏)
- 竹島(独島)メモ
- 半月城通信 竹島=独島
- 韓国の竹島占領に関する抗議(東京大学 東洋文化研究所 田中明彦研究室データベース)
- 発信竹島 ~真の日韓親善に向けて~ (山陰中央新報)
- 独島の真実
- 独島博物館
- 『朝鮮日報』ニュース特集・日本島根県の「竹島の日」条例案波紋
- 精密性が要求される独島研究(中央日報)
- バーンク(韓国語)
- 独島は我が領土(「李進賀のインターネット明心宝鑑」内)(韓国語)
- 獨島ホームページ(韓国語)
- 竹島を巡るオンラインゲームが原因で小学生が殺人未遂事件を起こす(韓国語)