「鳥人間コンテスト選手権大会」の版間の差分

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当初は『[[びっくり日本新記録]]』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。なお第1回は「'''鳥人間コンテスト日本大会'''」、第2~4回は「'''鳥人間コンテスト世界大会'''」というタイトルだった。なお『鳥人間』はytvの[[商標|登録商標]]である。
 
当初は『[[びっくり日本新記録]]』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。なお第1回は「'''鳥人間コンテスト日本大会'''」、第2~4回は「'''鳥人間コンテスト世界大会'''」というタイトルだった。なお『鳥人間』はytvの[[商標|登録商標]]である。
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== 鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に」 ==
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「事故後はほとんど体が動かず、いっそのこと死んでしまおうと思うほどの日々でした。でも、どうせ死ぬならと思い、九州から東京に出てきたんです……」
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と語るのは、川畑明菜さん(26)。[[2007年]][[7月29日]]、[[読売テレビ]]主催の『第31回鳥人間コンテスト』に出場した彼女は、人力飛行機で滑走中に左主翼が折れ曲がり約10メートルの高さから落下。その衝撃が原因で『[[脳脊髄液減少症]]』という後遺症を患うことになった。
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脳脊髄液減少症とは、脳脊髄液が漏れてしまうことが原因で頭痛やめまいや耳鳴りなどの症状が起こる疾患。川畑さんの場合は、日常生活もままならないほどで地獄のような6年間を過ごしてきたという。そんな彼女は2013年4月、読売テレビと当時籍を置いていた[[九州工業大学]]、人力飛行機を制作したサークルの顧問、リーダーや設計責任者や政策責任者などの幹部学生らを相手取り、4305万8800円の支払いを求める裁判を起こした。
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第一回口頭弁論は6月14日に行われた。
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「裁判になってしまったのは非常に残念です。ただ提訴の期限が迫っていたため、決意しました。訴える前には、テレビ局の方ともお会いしました。しかし『裁判をするとお互いのためにならないよ』などと言うばかり。今後の安全対策についてなど、私が満足するの話し合いはできませんでした。私は、なぜこんな事故が起きてしまったのかを知りたかった。それに今後、二度と同じことが起こらないようにしたいと思ったんです」
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彼女が出場した『鳥人間コンテスト』は読売テレビが1977年から始めたもので、人力飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会。川畑さんは九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加。人力飛行機の製作は約1年前から準備されていたが彼女は操縦士として1日40~80キロを自転車で走るなどの別メニューをこなしていたという。
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「今考えれば、とても人を乗せて飛ばせる機体ではなかったのでしょう。大会に間に合わせるために十分な飛行試験も行われず、荷重試験もできていませんでしたから……。事故直後は『あっ、飛んだのかな』と思った瞬間、機体から放り出されました。湖面に落ちたとき、全身に激痛が走ったのを覚えています」
  
 
== ルール ==
 
== ルール ==
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
* [http://www.ytv.co.jp/birdman/index.html 鳥人間コンテスト公式サイト]
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* [http://www.ytv.co.jp/birdman/index.html 読売テレビ] - 公式サイト
* [http://www.toriningen.net/toriten/?FrontPage 鳥典 [鳥人間用語辞典<nowiki>]</nowiki>]
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* [http://www.toriningen.net/toriten/?FrontPage 鳥典] - 九州大学鳥人間チーム関係者等による用語辞典
  
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2013年6月22日 (土) 19:42時点における版

鳥人間コンテスト選手権大会(とりにんげんコンテストせんしゅけんたいかい、JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY)とは読売テレビ(ytv)主催による人力飛行機の滞空距離を競う競技会である。

概要

参加団体や関係者からはしばしば省略して鳥コンとも呼ばれる。『全国高等学校クイズ選手権』、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』と共に日テレ系列の夏の風物詩であり、長寿番組となっている。

1977年に第1回が開催された。以降、毎年7月に滋賀県彦根市琵琶湖(会場は松原水泳場)を舞台に開催され、同市内にある松原水泳場(1980年~)を会場としている。その模様はytv(読売テレビ)制作・日本テレビ系列全国ネットで特別番組として放送されている。

当初は『びっくり日本新記録』内での1競技として第1、2回が放送され、第3回から単独番組となった。なお第1回は「鳥人間コンテスト日本大会」、第2~4回は「鳥人間コンテスト世界大会」というタイトルだった。なお『鳥人間』はytvの登録商標である。

鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に」

「事故後はほとんど体が動かず、いっそのこと死んでしまおうと思うほどの日々でした。でも、どうせ死ぬならと思い、九州から東京に出てきたんです……」

と語るのは、川畑明菜さん(26)。2007年7月29日読売テレビ主催の『第31回鳥人間コンテスト』に出場した彼女は、人力飛行機で滑走中に左主翼が折れ曲がり約10メートルの高さから落下。その衝撃が原因で『脳脊髄液減少症』という後遺症を患うことになった。

脳脊髄液減少症とは、脳脊髄液が漏れてしまうことが原因で頭痛やめまいや耳鳴りなどの症状が起こる疾患。川畑さんの場合は、日常生活もままならないほどで地獄のような6年間を過ごしてきたという。そんな彼女は2013年4月、読売テレビと当時籍を置いていた九州工業大学、人力飛行機を制作したサークルの顧問、リーダーや設計責任者や政策責任者などの幹部学生らを相手取り、4305万8800円の支払いを求める裁判を起こした。

第一回口頭弁論は6月14日に行われた。

「裁判になってしまったのは非常に残念です。ただ提訴の期限が迫っていたため、決意しました。訴える前には、テレビ局の方ともお会いしました。しかし『裁判をするとお互いのためにならないよ』などと言うばかり。今後の安全対策についてなど、私が満足するの話し合いはできませんでした。私は、なぜこんな事故が起きてしまったのかを知りたかった。それに今後、二度と同じことが起こらないようにしたいと思ったんです」

彼女が出場した『鳥人間コンテスト』は読売テレビが1977年から始めたもので、人力飛行機の滞空時間や飛行距離を競う大会。川畑さんは九州工業大学のサークル『KITCUTS』の操縦士として参加。人力飛行機の製作は約1年前から準備されていたが彼女は操縦士として1日40~80キロを自転車で走るなどの別メニューをこなしていたという。

「今考えれば、とても人を乗せて飛ばせる機体ではなかったのでしょう。大会に間に合わせるために十分な飛行試験も行われず、荷重試験もできていませんでしたから……。事故直後は『あっ、飛んだのかな』と思った瞬間、機体から放り出されました。湖面に落ちたとき、全身に激痛が走ったのを覚えています」

ルール

大会のルールは毎回少しずつ改定されている。毎年公式ルールブックが発行されており、その年のルールに従って大会が行われる。発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などが詳細に定められている。

大会に出場する機体は、書類審査によって決定される。しかしその審査方法や基準等は不明瞭であり、明らかに飛行出来そうにない機体が平気で出場することがある。また、まともな機体を設計しているにもかかわらず長期間にわたり落選が続くこともある。

なお、危険な飛行と審査員が判断した場合は飛行距離に関係なく失格となる。

初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。

従来はプラットフォームから着水地点までの距離が記録となっていたが、第27回(2003年)に人力プロペラ機部門で日本大学理工学部サークル航空研究会Möwe20(メーヴェ20)が約34kmという現会場での事実上の限界記録(松原水泳場→琵琶湖大橋間)を出した。この際の経緯は以下の通り。

  • まず東北大(この年3位)が進路を北に向け対岸まで達したが、安全を考えそこで着水させた。
  • 本チームは、1位を狙って南へと進路を向けた。
  • 本人たちは橋を潜ろうとしていたが、無理矢理着水させるよう指示が出た。
  • 本人は納得がいかず旋回を続けたが最終的に説得に応じ着水。
  • その後に東工大も同様に南へと進路をとり、1位には及ばなかったが2位。

このように明らかに問題のある進路設定になってしまったため、翌年の第28回(2004年)からはルールが変更され18kmで折り返しすると決められた。大音響のサイレンが鳴るとパイロットに折り返しせよと号令される(これにより最大・往復で36kmが期待出来る)。

大会の競技部門

人力飛行機の技術開発の進展や番組の放送形態の変化に伴い、競技部門は開催年度によって大きく変化している。

  • 第1回:競技部門(飛距離を競う)のみ
  • 第2~9回:競技部門、コミックエントリー(飛距離を競わず、面白い飛び方を競う)
  • 第10~11回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門、コミックエントリー(第11回は中止)
  • 第12~14回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、女性パイロット部門
  • 第15~18回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
  • 第19~20回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、レディース部門
  • 第21~23回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、チャレンジ部門(飛距離だけでなく機体デザイン・コンセプトなどを総合的に競う)
  • 第24回:滑空機部門、人力プロペラ機部門
  • 第25~27回:滑空機部門、人力プロペラ機部門、人力ヘリコプター部門(第25回は参考競技)
  • 第28~29回:滑空機部門(フォーミュラクラス / オープンクラス)、人力プロペラ機部門
  • 第30回~:滑空機部門(フォーミュラ / オープン混合)、人力プロペラ機ディスタンス部門、人力プロペラ機タイムトライアル部門

※第28回(2004年)から滑空機部門については機体の制限値がある「フォーミュラ」とそれがない「オープン」の2つのクラスに分けて行う。
※人力ヘリコプター部門については、プラットフォームから安全な離陸ができない恐れも考慮し、第27回(2003年)をもって一旦廃止された。
※人力プロペラ機部門では第27回(2003年)で30km以上の限界点を達した為、第29回(2005年)からは18km地点での折り返しが導入され最大36kmのビッグフライトが期待される。当初は前年の第28回(2004年)でのルール変更の予定だったが天候不良により競技不成立だったので、事実上この回からのルール変更となる。
※人力プロペラ機タイムトライアル部門は所定のコースをフライトするのにかかった時間を競うもので、上記の点で大会新記録が到底不可能を理由により第30回(2006年)において初めて実施された。

司会者・リポーター

司会者
実況・解説・ナレーター・リポーター

歴史

放送日・開催日

回数 放送日 開催日
第1回 1977年8月7日14日[1] 1977年7月2日
第2回 1978年9月7日 1978年7月21日
第3回 1979年9月1日 1979年7月20日
第4回 1980年8月9日 1980年7月19日
第5回 1981年9月3日 1981年8月8日
第6回 1982年9月23日 1982年8月7日
第7回 1983年月日 1983年8月6日
第8回 1984年月日 1984年8月4日
第9回 1985年月日 1985年8月3日
第10回 1986年月日 1986年8月2日
第11回 1987年月日 1987年8月1日
第12回 1988年月日 1988年7月30日
第13回 1989年月日 1989年7月29日
第14回 1990年月日 1990年8月4日
第15回 1991年月日 1991年8月3日
第16回 1992年月日 1992年8月1日
第17回 1993年月日 1993年7月31日
第18回 1994年8月6日 1994年7月30日
第19回 1995年8月5日 1995年7月29日
第20回 1996年8月3日 1996年7月27日
第21回 1997年8月2日 (1997年7月26日
第22回 1998年9月5日 1998年7月31日~8月1日
第23回 1999年8月28日 1999年7月30日~31日
第24回 2000年8月12日 2000年7月28日~29日
第25回 2001年8月4日 2001年7月27日~28日
第26回 2002年8月31日 2002年7月27日~28日
第27回 2003年9月6日 2003年7月26日~27日
第28回 2004年8月28日 2004年7月31日~8月1日
第29回 2005年9月19日 2005年7月16日17日
第30回 2006年9月22日 2006年7月22日23日
第31回 2007年9月6日[2] 2007年7月28日~29日
第32回 2008年9月15日 2008年7月26日~27日

※放送日は日本テレビでの放送日を示す。第21回は台風9号直撃のため大会史上初の全面中止となり、放送当日は「大会中止ドキュメント」と「過去20回のダイジェスト」をスタジオから生放送した。

各大会の優勝者・記録

※各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。

滑空機部門オープンクラス

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第1回 1977年7月2日 82.44m 岡良樹(東京ハングライダークラブ)
第2回 1978年7月21日 79.78m 大平英二(ニューウィングス)
第3回 1979年7月20日 88.53m 島根俊夫(TOA鳥人間の会)
第4回 1980年7月19日 101.60m 鈴木正人(日大駿河台航空研究会)
第5回 1981年8月8日 95.83m 菊池守男(車山ハンググライディング)
第6回 1982年8月7日 144.00m 村山智彦(日本大学理工学部航空研究会)
第7回 1983年8月6日 162.62m 岡崎利彦(日本フライングクラブ)
第8回 1984年8月4日 163.03m 楠正彰
第9回 1985年8月3日 290.45m 石本豪(豊田飛行愛好会)
第10回 1986年8月2日 158.38m 柴野敏彦(POINT ONE MILE)
第11回 1987年8月1日 176.71m 木島明良(茂原市フリーフライト)
第12回 1988年7月30日 261.90m 糸谷浩(西富士友の会)
第13回 1989年7月29日 205.10m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第14回 (1990年8月4日) 記録なし 台風の影響による強風のため中止
第15回 1991年8月3日 318.75m 木島明良(フリーフライト)
第16回 1992年8月1日 232.08m 中村克(チームエアロセプシー)
第17回 1993年7月31日 248.31m 栗野けんじ(東京都立大学人力飛行機研究会)
第18回 1994年7月30日 329.83m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第19回 1995年7月29日 274.72m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第20回 1996年7月27日 300.36m 佐々木正司(TOA鳥人間の会)
第21回 (1997年7月26日) 記録なし 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止
第22回 1998年7月31日~8月1日 364.08m 福森啓太(チームハマハマ)
第23回 1999年7月30日~31日 345.92m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第24回 2000年7月28日~29日 256.53m 雨宮健一(夜鳥の会)
第25回 2001年7月27日~28日 417.49m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第26回 2002年7月27日~28日 414.33m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第27回 2003年7月26日~27日 420.48m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第28回 2004年7月31日 173.26m 阿知波哲史(チームTINKER)
第29回 2005年7月16日 370.80m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第30回 2006年7月22日 258.21m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第31回 2007年7月28日 483.47m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
第32回 2008年7月26日 377.98m 大木祥資(みたか+もばらアドベンチャーグループ)
  • タイトル:第1~27回 「滑空機部門」

滑空機部門フォーミュラクラス

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第28回 2004年7月31日~8月1日 30.79m 漆山雅史(TEAMフライング朱鷺)
第29回 2005年7月16日 50.77m 谷川英樹(創価大学鳥人間研究会)
第30回 2006年7月22日 157.37m 竹内彰(創価大学鳥人間研究会)
第31回 2007年7月28日 151.31m 瀬戸うらら(Team Ocean Man)
第32回 2008年7月26日 140.57m 石原直人(大阪工業大学体育会航空部)

人力プロペラ機ディスタンス部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第10回 1986年8月2日 512.20m 田中紀彦(Team Aeroscepsy)
第11回 1987年8月1日 435.56m 上田稔(日本大学理工学部航空研究会)
第12回 (1988年7月30日) 記録なし 午後から強風のため中止
第13回 (1989年7月29日) 記録なし 台風の影響による強風のため中止
第14回 1990年8月4日 1810.54m 小林稔(日本大学理工学部航空研究会)
第15回 1991年8月3日 500.20m 阪本佳久(日本大学理工学部航空研究会)
第16回 1992年8月1日 2019.65m 中山浩典(チームエアロセプシー)
第17回 1993年7月31日 2180.78m 野呂元紀(日本大学理工学部航空研究会)
第18回 1994年7月30日 2371.65m 宮脇康成(日本大学理工学部航空研究会 日大バードマンOBチーム)
第19回 1995年7月29日 8764.00m 中山浩典(チームエアロセプシー)
第20回 1996年7月27日 9761.56m 中尾誠(大阪府立大学堺風車の会)
第21回 (1997年7月26日) 記録なし 台風9号直撃のため、大会史上初の全面中止
第22回 1998年8月1日 23688.24m 中山浩典(チームエアロセプシー) 大会初の琵琶湖横断に成功
第23回 1999年7月31日 4913.46m 大倉彰浩(大阪府立大学堺風車の会)
第24回 2000年7月28日 7945.85m 嘉藤伸一(大阪府立大学堺風車の会)
第25回 2001年7月28日 3823.70m 成相健太郎(東京工業大学Meister)
第26回 2002年7月28日 6201.74m 梶原聖太(東京工業大学Meister)
第27回 2003年7月27日 34654.10m 平綿甲斐(日本大学理工学部航空研究会) 琵琶湖大橋まで到達
第28回 2004年8月1日 944.11m[3] 渡邊峰生(早稲田大学宇宙航空研究会WASA) 18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立
第29回 2005年7月17日 22813.05m 田中丸真輔(日本大学理工学部航空研究会) 初の折り返し成功
第30回 2006年7月22日 28628.43m 宮内空野(東北大学Windnauts)
第31回 2007年7月29日 3998.51m 山田洋平(東京工業大学Meister)
第32回 2008年7月27日 36000.00m 西脇渉(東北大学Windnauts) 初の往復成功[4]
  • タイトル:第10~29回 「人力プロペラ機部門」

人力プロペラ機タイムトライアル部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第30回 2006年7月23日 7分2秒61 中山浩典(チームエアロセプシー) 今大会唯一の完走者
第31回 2007年7月28日 4分37秒62 野口雅弘(大阪府立大学堺・風車の会) 今大会唯一の完走者
第32回 2008年7月26日 5分10秒00 宮本大地(大阪府立大学堺・風車の会) 今大会唯一の完走者

レディース部門

回数 開催日 記録 優勝者
第10回 1986年8月2日 92.83m 上田みゆき(TEAM TONDORUDO)
第11回 1987年8月1日 94.27m 相良美幸(TOA鳥人間の会)
第12回 1988年7月30日 103.80m 笠原朋子(みたか飛行少女の会)
第13回 1989年7月29日 225.90m 宮崎祥代(チームアクティブギャルズ)
第14回 1990年8月4日 64.41m 長岡美子(東みたかアドベンチャーグループ)
第19回 1995年7月29日 189.01m 鋤柄千穂(九州大学鳥人間チーム)
第20回 1996年7月27日 264.66m 吉澤祐子(沿岸驚備隊)
  • タイトル:第10~14回 「女性パイロット部門」

人力ヘリコプター部門

回数 開催日 記録 優勝者 備考
第25回 2001年7月27日 6秒30 上岡健治(東大阪青年会議所トライズ) 参考競技
第26回 2002年7月27日 4秒07 Rodney Bordallo(東大阪青年会議所トライズ)
第27回 2003年7月26日 2秒89 西山雅也(ドボン会)

テレビ放送

これらの模様はytv制作・日本テレビ系列全国ネットの「木曜スペシャル」→「スーパースペシャル」→「THEスペシャル!」で放送されてきた。定時のスペシャル番組枠終了後も毎年秋の番組改編時期に単発特番として放送される。番組VTR送出は通常はよみうりテレビからとなっているが過去数回、日本テレビから番組VTR送出を行っていたこともある(放送前にytvからの放送素材を日本テレビで受けて収録したのと提供クレジットテロップ表示が日本テレビから出しているため)。

なお2007年に3年ぶりとなる単発番組枠(「モクスペ」)が木曜19時~20時54分に再設されることになり、同じytvが番組制作されている『ベストヒット歌謡祭』と同時にこれまでの秋の特別番組からこの枠での放送へと移行されたが2008年は9月15日の月曜日に放送される予定(ytv制作のアニメ枠などは休止となる)。また2007年から地上デジタル放送ではデータ放送も実施した。

また2007年は地上波の放送のほか、CS放送の日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)で第27回(2003年)、第29回(2005年)、 第30回(2006年)の模様も再放送された。

また2003年に阪神が首位だったことで読売テレビはローカルでの阪神戦を放送し、後日改めて放送された(読売テレビ以外の系列局(テレビ宮崎を除く)は「裏送り」の形で通常通り放送された)。

特記事項

注釈

  1. 2週にわたって放送された
  2. モクスペ」枠で放送
  3. 参考記録
  4. 現・折り返しルールにおける事実上の最高記録

関連項目

  • スカイハイ - 『鳥人間コンテスト選手権大会』・テーマソングとして長年に渡り使用された、イギリスロックバンド、「ジグソー」のヒット曲の曲名(Sky High)。
  • 琵琶湖大橋 - 橋梁がルール上通過できないため南方限界点となっている、通過した場合失格となる。
  • 必殺仕切人ABC) - 第5話「もしも鳥人間大会で優勝したら」でパロディとして取り上げられた。

外部リンク

  • 読売テレビ - 公式サイト
  • 鳥典 - 九州大学鳥人間チーム関係者等による用語辞典