「亀田大毅」の版間の差分
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'''亀田大毅'''(かめだ だいき、[[1989年]][[1月6日]] - [[2007年]][[10月11日]])は、[[プロボクサー]]である。右ファイター。ボクシング家族である[[亀田三兄弟]]の次男で、[[亀田興毅]]の弟であり、[[亀田和毅]]の兄である。父の[[亀田史郎]]がトレーナーを務める。身長168センチ。 | '''亀田大毅'''(かめだ だいき、[[1989年]][[1月6日]] - [[2007年]][[10月11日]])は、[[プロボクサー]]である。右ファイター。ボクシング家族である[[亀田三兄弟]]の次男で、[[亀田興毅]]の弟であり、[[亀田和毅]]の兄である。父の[[亀田史郎]]がトレーナーを務める。身長168センチ。 | ||
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*[http://www32.ocn.ne.jp/~denju/huuju/etc/etc/sepk.htm 切腹とは?] | *[http://www32.ocn.ne.jp/~denju/huuju/etc/etc/sepk.htm 切腹とは?] | ||
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2007年10月13日 (土) 16:42時点における版
亀田大毅(かめだ だいき、1989年1月6日 - 2007年10月11日)は、プロボクサーである。右ファイター。ボクシング家族である亀田三兄弟の次男で、亀田興毅の弟であり、亀田和毅の兄である。父の亀田史郎がトレーナーを務める。身長168センチ。
2007年4月から同年10月のフライ級世界タイトル戦線に参戦するため、減量調整をしていた。
WBAフライ級のランキングを保持し、同団体の世界タイトルを狙っているが、同門の坂田健史が同級世界王者になった為、現段階でのWBA挑戦の実現は困難となった。その後、WBCフライ級15位にランキングされ、WBCフライ級王者の内藤大助へ挑戦したものの、見事惨敗。2007年10月11日、試合後の亀田大毅は切腹を行い死亡した。亀田大毅は内藤大助との試合前、試合に敗れたら切腹を行うと予告していた。この騒動により、介錯を行った父、ならびに亀田興毅、亀田和毅の三人が逮捕され、巷で話題を呼んでいる。
人物
- 通称「浪速乃負犬」(なにわのまけいぬ)。その由来は言わずもがな。
- デビュー戦用のポスターには自らイヌのイラストを描いた。
- 自称落書きが得意で、イラストレーター志望という報道がなされたこともある。
- プロライセンスの実技試験には、世界戦レベルの50人を超える報道陣が集まり、同日にパシフィコ横浜でデビュー戦を行った。
- 筆記試験では、「協栄」という漢字が書けなかったと告白している。
- 三兄弟の中では一番唄がうまいとされており、KO勝ちした場合試合後にリング上で歌う。この事には否定的な意見しか見られない。
来歴
大阪市西成区天下茶屋出身。小学生からボクシングを始め、天下茶屋中卒業後はアマチュアの試合に出場し13勝(4KO・RSC)2敗。2004年(平成16年)5月に、史上最年少の15歳3ヶ月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。2005年11月、協栄ボクシングジムに入門。2006年1月11日、B級ライセンス(6回戦)のプロテストに合格。2007年10月11日、死去。死因は切腹及び介錯による大量出血と見られている。
プロ経歴
2006年2月26日 対サマート・シットサイトン(タイ)1R23秒KO勝利
- 試合開始10秒、左フックによるKO勝利。対戦前に宣言していた「兄の興毅が記録した“1ラウンド44秒のKO勝利”を抜く」を実行した。
- 対戦相手のサマート・シットサイトンは日本ボクシングコミッションから2006年度の招聘禁止選手(来日成績が未勝利かつ、KO負けや無気力試合の末の大差判定負けが続いている選手──主にタイ人が指定される)であったが、指定された後の05年12月にタイ国で1勝を挙げ、同国コミッションより「B級(6回戦)の試合の出場が適う」と推薦を得た上で日本での試合出場が認められていた(「ボクシングマガジン」06年4月号より)。
- 「ONLY LOVE」(ハウンド・ドッグ)を歌う。
2006年8月20日 対ウィド・パエス(インドネシア)1R1分45秒KO勝利
- ウィド・パエスは当時インドネシアマイナー団体の現役王者。
- 試合後の勝利者インタビュー中、試合を八百長であると罵倒する観客の声がテレビ中継で収録されている。
- 「ロード」(THE 虎舞竜)、アンコールとして「Dear」(T-BOLAN)を歌う。
2006年9月27日 対バレリオ・サンチェス(WBC世界スーパー・フライ級21位)判定勝利(2-0)
- サンチェスは当時36歳、34戦17勝勝率5割。試合はWBAのメンドーサ会長・役員も観戦していた。
- 試合後、判定内容を批判した観客と、別の観客及び亀田史郎らとの間で揉み合いが発生した。
- 試合後、メンドーサ会長は、大毅の印象について、潜在能力があるが、経験が不足していることを指摘するコメントをしている。
2006年12月20日 対モハマド・サディック(インドネシアライトフライ級4位)1R37秒KO勝利
- モハマド・サディックは当時33歳、海外の好事家が運営するプロボクシング戦績データベース・boxrecで正確に確認しうる公式試合記録は7戦0勝(最終記録は1999年4月5日)。
- (出典:Mohammed Sadik BoxRec.com)
- 「いつかのメリークリスマス」(B'z)を歌う。
2007年2月24日 対ビッキー・タフミル(当時WBAライトフライ級4位)3R1分18秒KO勝利
- ビッキー・タフミルは当時32歳、33戦31勝10KO2分。ただし、以前「ボクシングマガジン」誌で、この戦績に懐疑的な現地からのレポートが掲載された事がある。一般的にタイ、インドネシア両国におけるプロボクシングの記録管理は極めて杜撰であり、地域タイトルの獲得経験者ですら正確な戦績を把握できないでいるケースがある。
- 2Rにはスリップダウンの際に大毅からエルボードロップのような体当たりを喰らい、悶絶。これを戦意喪失と判断したレフェリーからダウンのコールを受けてから試合続行を拒否するような素振りを見せ始めた。果たして3R、大毅にボディブローでノックダウンされた際、タフミルは本人曰く「抗議のパフォーマンス」という満面の笑みを浮かつつ10カウントコールを聞いた。試合VTRで観戦していた興毅がタフミルを見て「何やコイツ!?」と声を上げ驚いていた。
- この試合の後に発表されたWBAランキングでタフミルはランキング圏外に陥落(WBAの公式見解によると、陥落の理由は「ノーランカーの亀田大毅に敗れたため」)。大毅は事務処理の手違いでランキング登載が見送られたが、所属の協栄ジムからの指摘・抗議を経て翌月発表のランキングで世界10位に登載されている。
- 「love song」(森友嵐士によるオリジナル曲)を歌う。
2007年4月30日 対クリストファー・テポラ(フィリピンスーパーフライ級12位)2R2分21秒KO勝利
- クリストファー・テポラ(フィリピン)は当時23歳、22戦9勝4KO8敗5分。
- 「ファンからの要望が最も多かった」として「道」(EXILE)、続けて「love song」(森友嵐士によるオリジナル曲)を歌う。
2007年10月11日 内藤大助(WBC世界フライ級王者)に12R判定で敗れ、切腹を行い死亡。享年18。