「黒岩森之助」の版間の差分
提供: Yourpedia
細 |
|||
1行目: | 1行目: | ||
− | '''黒岩 森之助'''(くろいわ もりのすけ、[[享和]]元年(1801年) - 没年不詳)は、[[江戸時代]]後期の[[大相撲]][[力士]]。本名は不明。最高位[[関脇]]。[[長州藩]]のお抱え力士。所属は伊勢ノ海部屋<ref>師匠は初代[[柏戸宗五郎]](1767-1817)。</ref>→柏戸部屋<ref>初代柏戸宗五郎の養子[[柏戸利助]](1783-1828)。</ref>→伊勢ノ海部屋<ref>柏戸利助が[[二枚鑑札]]で年寄伊勢ノ海(5代目)を襲名したため。</ref>→柏戸部屋<ref>柏戸利助が養父柏戸宗五郎の引退を受けてこれまで名乗っていた「頂」(いただき)から柏戸と四股名を改めたため。</ref>→伊勢ノ海部屋<ref>師匠は2代目柏戸宗五郎(旧四股名:外ヶ濱浪五郎)。</ref> | + | '''黒岩 森之助'''(くろいわ もりのすけ、[[享和]]元年(1801年) - 没年不詳)は、[[江戸時代]]後期の[[大相撲]][[力士]]。本名は不明。最高位[[関脇]]。[[長州藩]]のお抱え力士。所属は伊勢ノ海部屋<ref>師匠は初代[[柏戸宗五郎]](1767-1817)。</ref>→柏戸部屋<ref>初代柏戸宗五郎の養子[[柏戸利助]](1783-1828)。</ref>→伊勢ノ海部屋<ref>柏戸利助が[[二枚鑑札]]で年寄伊勢ノ海(5代目)を襲名したため。</ref>→柏戸部屋<ref>柏戸利助が養父柏戸宗五郎の引退を受けてこれまで名乗っていた「頂」(いただき)から柏戸と四股名を改めたため。</ref>→伊勢ノ海部屋<ref>師匠は2代目柏戸宗五郎(旧四股名:外ヶ濱浪五郎)。</ref>と変遷した。優勝相当成績を3回も残した優秀な力士で、[[横綱]][[稲妻雷五郎]]に勝ったこともある。 |
出身地は明確に判明しておらず、[[上野国]]新田郡あるいは上野国[[邑楽郡]](現在の[[群馬県]][[館林市]])、もしくは[[下野国]]那須郡([[栃木県]][[大田原市]])とも言われている。初土俵は文化14年(1817年)10月場所で、'''藤嵐与吉'''の四股名で[[前相撲]]からスタートした。文政3年(1820年)10月場所、[[序二段]]のときに'''黒岩'''と改名。その後も遅々として出世できず、文政13年(1830年)3月場所に30歳でようやく入幕した。 | 出身地は明確に判明しておらず、[[上野国]]新田郡あるいは上野国[[邑楽郡]](現在の[[群馬県]][[館林市]])、もしくは[[下野国]]那須郡([[栃木県]][[大田原市]])とも言われている。初土俵は文化14年(1817年)10月場所で、'''藤嵐与吉'''の四股名で[[前相撲]]からスタートした。文政3年(1820年)10月場所、[[序二段]]のときに'''黒岩'''と改名。その後も遅々として出世できず、文政13年(1830年)3月場所に30歳でようやく入幕した。 |
2011年8月18日 (木) 21:04時点における最新版
黒岩 森之助(くろいわ もりのすけ、享和元年(1801年) - 没年不詳)は、江戸時代後期の大相撲力士。本名は不明。最高位関脇。長州藩のお抱え力士。所属は伊勢ノ海部屋[1]→柏戸部屋[2]→伊勢ノ海部屋[3]→柏戸部屋[4]→伊勢ノ海部屋[5]と変遷した。優勝相当成績を3回も残した優秀な力士で、横綱稲妻雷五郎に勝ったこともある。
出身地は明確に判明しておらず、上野国新田郡あるいは上野国邑楽郡(現在の群馬県館林市)、もしくは下野国那須郡(栃木県大田原市)とも言われている。初土俵は文化14年(1817年)10月場所で、藤嵐与吉の四股名で前相撲からスタートした。文政3年(1820年)10月場所、序二段のときに黒岩と改名。その後も遅々として出世できず、文政13年(1830年)3月場所に30歳でようやく入幕した。
彼の全盛期は天保年間で、天保4年(1833年)11月場所は前頭3枚目で5勝1分1預1休、同5年10月場所は小結で7勝1分2休と、いずれも土付かずの好成績を収めた。更に天保6年(1835年)小結で6勝2分2休の優秀成績となり、翌天保7年2月に関脇に昇進した。
天保11年(1840年)10月場所を最後に引退。その数年後に年寄・春日山鹿右衛門を襲名した。
長州藩お抱えの人気小兵力士だったため、彼を描いた錦絵も多く残る。
主な成績[編集]
- 通算成績:99勝42敗70休25分5預1無(27場所)
- 幕内成績:71勝30敗70休23分3預1無(21場所)
- 各段優勝:優勝相当成績3回
注釈[編集]
参考文献[編集]
- 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
- 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。