聖ウルスラ学院英智小学校・中学校・高等学校
聖ウルスラ学院英智小学校・中学校・高等学校(せいうるすらがくいんえいちしょうがっこう・ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、宮城県仙台市若林区(旧宮城郡七郷村)に所在し、小中一貫教育及び中高一貫教育を併せて提供する私立小学校・中学校・高等学校。
キリスト教(カトリック)系の「施設分離型小中一貫校」兼「併設型中高一貫校」である。系列校に聖ウルスラ学院英智幼稚園がある。
目次
概要[編集]
聖ウルスラ学院英智小・中学校は、2005年に校名変更し、中学校を共学化して小中一貫教育を行う学校として新たなスタートを切った。学校内部では児童・生徒の発達を考慮し、6・3制ではなく、4・3・2制の教育段階を採用している。ただし中学校第1学年段階で新規募集を行う。2009年度からは、中高一貫教育も併せて提供している。
聖ウルスラ学院英智高等学校では、国立大学への現役合格を目指す特別志学コースtype1と、大学への現役合格を目指す同type2、女子のみのコースである尚志コースがある。
キリスト教的人間観に基づく豊かな心と知性と理性の調和ある人格の形成を目指している。ただし、仙台藩主・伊達家が明治維新の版籍奉還により居城である仙台城を明治政府に明け渡して、替わりに仙台藩家臣・佐々氏の邸宅地を買収して居宅(伊達伯爵邸)とし、その跡地に当校が建っているという歴史から、尚志コースでは伊達家当主から仙台藩作法の特別講座を受けている。
なお、当校敷地内には東北地方最大の円墳「法領塚古墳」がある。
沿革[編集]
- 1936年(昭和11年)- カナダより聖ウルスラ会修道女メール・セント・マチルド等3名来日。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 聖ウルスラ学院小学校を木ノ下に開校。
- 1951年(昭和26年)3月11日 - 学校法人聖ウルスラ学院が認可。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 聖ウルスラ学院中学校を一本杉に開校。
- 1959年(昭和34年)- 聖ウルスラ学院高等学校として創立。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 「聖ウルスラ学院英智小・中学校」及び「聖ウルスラ学院英智高等学校」に校名変更、中学校・高等学校男女共学化、小・中の制服・校章を統一、土曜登校実施、4・3・2制を行うため小学校・中学校を小中一貫校化。
- 2009年(平成21年) - 聖ウルスラ学院英智中学校及び聖ウルスラ学院英智高等学校との間で中高一貫教育を実施。
「4-3-5」制に基づく小中高一貫教育[編集]
4・3・2制に基づく小中一貫教育[編集]
2004年まで、聖ウルスラ学院小学校は仙台市内の他の私立小学校と同じ初等普通教育を行っており、中学校へは必ずしもエスカレーター式で進学できるとは限らず、中学校も市内の他の私立中学校と同じく、系列高等学校との併設型中高一貫教育を行う女子校であった。2005年からはこれを抜本的に改革し、小中一貫教育校として新たに4・3・2制を採用した。
Firstステージ(小1-小4)[編集]
最初の4年間は、一般的に小学校での課程を私立ならではの独自のカリキュラムで行う。校舎は旧小学校と同じ木ノ下キャンパス。1年生より英語がある。
Secondステージ(小5-中1)[編集]
6・3制では丁度小学校の総仕上げと中学校への進学により急激に学習方式が変わるが、4・3・2制ではそれを円滑に行うため次のようなシステムになっている。
- 本来は中学校から始まる教科担任制をSecondステージの5年生から始める。
- 校舎は7年生(中学1年)は一本杉キャンパス。
- 小中一貫教育のため、中学の新規募集で正式な中学校入学で入ったとしても、事実上は7年生に編入するのと同じようになる。
- 3年間で中学2年レベルの過程まで到達することを目標にする。
Thirdステージ(中2-中3)[編集]
9年間の総仕上げ及び高校への進学準備、高校1年の土台を作るために先取り学習を行う。2005年から2009年3月31日までの間は中高一貫の教育方針ではなくなったため、他の高校への進学も可能になった。そのため、受験することも制度上は可能であるが、宮城県内の公立高等学校へ進学する事例は見受けられない。
- 校舎は一本杉キャンパス
- 授業は7時限まで
- 高等学校及び大学への土台を作るためのシステム
- 各種検定試験への挑戦
「1-5」制に基づく中高一貫教育[編集]
2009年度から、聖ウルスラ学院英智中学校・高等学校において、中高一貫教育を再開した。聖ウルスラ学院英智小・中学校のThirdステージ(中学校の第2学年及び第3学年)及び高等学校の特別志学コースとの間で、併設型中高一貫教育を行っている。中学校第1学年での入門的基礎的共通学習の上に、中学校第2学年から高等学校の第3学年までを1つのスパンに捉えている(特別志学コースType1コースクラス及び特別志学コースType2コースクラスを設置)。
週6日制[編集]
現在の学習指導要領では公立学校では土曜日に授業を行うことは特区を除いて認められていない。しかし、本校では2005年度より土曜日にも普通授業を行うことで授業を無駄なく進ませることができるシステムに変更した。
キャンパス案内[編集]
木ノ下キャンパス(旧聖ウルスラ学院小学校校舎)[編集]
- 所在地:仙台市若林区木ノ下1-25-25
- 1-6年生(つまり小学校の全学年)が在学。
- 聖ウルスラ学院英智幼稚園が同一敷地内にある。
- 交通アクセス
一本杉キャンパス(旧聖ウルスラ学院中学校・高等学校校舎)[編集]
- 所在地:仙台市若林区一本杉町1-2
- 7・8・9年生(つまり中学校の第1・2・3学年)及び高等学校の全学年が在学。
- 学校法人聖ウルスラ学院の本部および聖ウルスラ学院英智中学校・高等学校が同一敷地内にある。
- 敷地内に東北最大の円墳「法領塚古墳」がある。
- 交通アクセス
- 仙台市営バスを利用する場合
- 仙台駅より若林区役所方面バス利用、「若林区役所前」下車徒歩5分
- 仙台市営地下鉄を利用する場合
- 仙台市地下鉄南北線・五橋駅より徒歩20分
歴史・聖ウルスラ修道会[編集]
本校は、ケルンの守護聖女である聖ウルスラを守護者として、1535年に、イタリアのアンジェラ・メリチ(Angela Merici、1474年?-1540年、聖女、1807年列聖)が創設した聖ウルスラ修道会(Order of Ursulines、Ordo Sancti Ursulae )を濫觴として発足している。少女の育成と教育に力を入れた修道会は、ヨーロッパ全域に女子教育機関を設立し、1639年には、現在のカナダのケベック州に、北アメリカで最初の女子教育学校を設立している。
日本にはカナダより、1936年10月15日に、メール・セント・マチルドを初めとする三名の聖ウルスラ会の修道女が訪れ、1940年に仙台市木ノ下に聖ウルスラの修道院を設立した。翌1941年には、同会最初の教育設備である「あずま幼稚園」を創設した。さら1948年より「聖ウルスラ学院家庭学校」等、複数の教育機関を設立し、1951年には、「学校法人聖ウルスラ学院」として法人認可を受けた。この後、中学校・高等学校の設立と運営も行い、2005年には、新しいコンセプトのもと小中一貫校としてのプロジェクトを進め、校名を変更して、「聖ウルスラ学院英智小学校・中学校」及び「聖ウルスラ学院英智高等学校」となった。従来女子校であったが、新しい学校名のもと男女共学校となった(参照サイト)。
周辺[編集]
- 少林山保春院(北西隣)
- 若林区役所(西隣)
- 1900年(明治33年)に設置された伊達家農場を前身とする伊達家養種園の跡地。同園では仙台白菜の研究などが行われた。1989年(平成元年)に若林区荒井に仙台市農業園芸センターとして移転。
- 七郷堀(敷地周囲を囲む)
- 広瀬川愛宕堰から取水。旧・伊達家養種園(現・若林区役所)を過ぎると分流され、旧・伊達伯爵邸(現・当校敷地)の四方を巡って流れ下っていた。現在は、当校敷地の西側と南側のみ開渠である。
- 仙台市若林区文化センター(南西隣)
- 仙台市立南小泉中学校(東隣)
- 仙台市立南小泉小学校(北東隣)
- 宮城県道235号荒井荒町線(敷地の北辺を通る)
- 西に行くと荒町を経て仙台市都心部へ、東に行くと宮城県道137号荒浜原町線(荒浜街道)を経て荒浜(仙台湾・深沼海岸)に到る。
- 都市計画道路南小泉茂庭線(敷地の南辺を通る)
- 仙台市道若林205号・南小泉茂庭線(最小幅員36.00m、最大幅員55.98m、延長902.6m)
主な出身者[編集]
バドミントン関係
- 金上路子(聖ウルスラ学院→ベスト電器→北都銀行所属)
- 佐野志緒梨(聖ウルスラ学院→青山学院大学→日立化成所属)
- 寺本悦子(聖ウルスラ学院→ヨネックス→広島ガス所属)
- 平山愛(聖ウルスラ学院→つくば国際大学→七十七銀行所属)
- 平山優 (聖ウルスラ学院中学校高等学校卒業→早稲田大学→日本ユニシス所属)
- 高橋礼華(聖ウルスラ学院中学校高等学校卒業→日本ユニシス所属)
- 松友美佐紀(聖ウルスラ学院中学校高等学校卒業→日本ユニシス所属)
芸能関係
文芸関係
- 高橋みずほ(歌人)
政治家
犯罪者
架空の人物
- 松本千秋 - テレビドラマ化した小説スチュワーデス物語の主人公