海馬島 (樺太)
海馬島(かいばとう、とどじま)は、宗谷海峡に存在する島。樺太島(サハリン島)の南西に位置し、晴れた日には宗谷岬を含む稚内市内や利尻島・礼文島からも見ることができる。現在は無人島となっているが、日本領時代には集落が存在した。別称として探検家ラ・ペルーズの命名によるモネロン(Moneron)島があり、ロシア語による名称(Остров Монерон)の由来となっている。現在はサハリン州の一部としてロシアが統治している(当該地域の領有権に関する詳細は樺太#領土問題の項目を参照のこと)。
古くは正保日本図において「いしよこたん」として描かれており、元禄13年(1700年)の『松前島郷帳』では西蝦夷地の離島として「いしよこたん」が記されている。寛政2年(1790年)の最上徳内『蝦夷国風俗人情之沙汰』では、「トヾシマ」についてナヨシから南に6里ないしは7里離れた海上にある島としている[1]。
文化7年 (1810年)の『黒竜江中州并天度』では「モシロヽ」として記されている[2]。文化13年(1816年)の『松前蝦夷地島図』には「トヽモシリ」として記されており、別名として「イシヨコタン」をあげる[3]。嘉永7年(1854年)刊行の『蝦夷闔境輿地全図』においても「トヽモシリ」として見える[4]。1909年発行の『東亜輿地図』では「トドモシリ島」として記載されている[5]。
島内にのみ見られる種を含む380種類の植物が自生しており、海馬島特殊植物群落地帯として樺太庁の天然記念物に指定されていた。礼文島とは海底山脈によってつながっている。
日本統治時代には本斗郡海馬村に属しており、1941年には751人の居住者がいた。1945年8月にソ連軍によって占領される。島民は略奪や暴行を恐れてすでに島を脱出していた。