海王星
この項目では、天体としての「海王星」について説明しています。占星術における「海王星」については「海王星 (占星術)」をご覧ください。 |
海王星(かいおうせい、Neptune)は、太陽系の太陽に近い方から8番目の惑星。太陽系惑星の中では最も太陽から遠い位置を公転する惑星である。名称のNeptuneは、ローマ神話における海神ネプトゥヌスにちなむ。
物理的性質[編集]
海王星は巨大な氷惑星で、太陽から非常に離れているためわずかな熱しか受けていない。表面の温度は-218℃である。内部の構造は天王星と似て、氷に覆われた岩石の核を持ち厚い大気が存在していると考えられている。また、ボイジャー2号の接近時に表面に大暗斑(だいあんはん)と呼ばれる台風の渦巻きの様な模様が発見されたが、その数年後に地球からの観測が行われた時には既に消滅していた。
海王星の風は最大で時速2000kmにも達し、太陽系の中でも最速のものの一つである。
木星や土星同様、内部に熱源を有しており、太陽から受けている約2倍ほどの熱を、自ら供給していると考えられている。
海王星の観測と探査[編集]
海王星はガリレオ・ガリレイやジェローム・ラランドによっても観測されていたが、当時は恒星と思われていた。
天王星の発見後、その摂動から未知の惑星が存在すると考えられるようになった。フランスではルヴェリエが予想軌道を算出し、それを受けたガレが1846年9月23日に発見した。一方イギリスでは、アダムズが予想軌道を算出し、ジェームズ・チャリスに報告した。チャリスはあまり気の進まないまま、1846年7月から探索をはじめ、アダムズの予測位置付近の星の位置の記録を始めた。そしてガレの海王星発見の後、実はその1ヶ月前にチャリスは2度海王星を観測していたが、新惑星であることを見落としていたことがあきらかになった。このため、アダムズとルヴェリエは発見者は誰かという事で揉めたが、アダムズはルヴェリエに発見者の座を譲った。現在では2人とも発見者の扱いとなっている。
海王星の実際の軌道はティティウス・ボーデの法則に従わないため、予想軌道とは遠日点や離心率が大きく異なっていたが、算出された時点での位置や運動に関しては正しい値に近かった。そしてその時点からあまり年月が経たないうちに探索したこと、ガレが務めていたベルリン天文台に海王星の明るさである8等級の星を網羅した最新の星図が備えられていたことが、この発見に繋がった。
海王星の公転周期は約165年であり、2011年には最初に発見された時点の位置に戻る。
海王星は天王星と同じく大気に含まれるメタンの影響で美しい青色をしている。天王星に比べより青みが深い理由は未知の化合物によるものと考えられている[1]。
海王星を訪れた探査機はボイジャー2号だけである。1989年8月24日に最接近した。なお、NASAでは2030年頃に打ち上げ、8~12年後に海王星へ到達するネプチューン・オービターの構想がある。
海王星の衛星と環[編集]
2007年2月現在、海王星の衛星は13個発見され、すべてに名前が付けられている。また、離心率の大きな軌道や逆行する軌道を描いている衛星も多く、海王星に捕獲されたエッジワース・カイパーベルト天体ではないかと考えられている。
他の大惑星同様、海王星にも環があると考えられていたが、地球からの観測では周回軌道の一部だけを覆う不完全な環しか見つからず、「リング・アーク」または「アーク」と呼ばれていた。ボイジャー2号の探査によって4本の完全な環が見つかり、リング・アークは環の中の特に明るい部分であった事も判明した。
ただ、アークの力学は不明なままである。地球からの観測でリベルテ・アークはボイジャーが観測した時よりも大幅に輝きが失せた事も分かっており、海王星の環は不安定なものである可能性が高くなっている。
衛星はギリシア神話における海や水の精霊、環は海王星と関係の深い天文学者、リング・アークはフランス語の抽象名詞から取った名が付けられている。
人類と海王星[編集]
歴史と神話[編集]
ネプチューン=海王星は古代人の命名ではなく、近世以降に発見された惑星に他の惑星に倣い「未使用の神話上の大物」の名が付けられたもので、天体の外見や運行上の特徴と付けられた神名の関わりは希薄である。最外周の惑星だったため「深淵」のイメージを付与された命名である。ネプチューンはローマ神話の海の神で、ギリシャ神話のポセイドンに当たる。 西洋占星術ではうお座(双魚宮)を守護する星とされている。
惑星記号[編集]
ネプチューンの得物である三叉矛を図案化したものが、占星術・天文学を通して用いられる。
註[編集]
関連項目[編集]