松任谷由実のオールナイトニッポン

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松任谷由実のオールナイトニッポン
愛称
放送方式生放送
放送期間1988年4月16日 - 1999年3月27日
放送時間土曜深夜(日曜未明)1:00 - 3:00
放送回数
放送局ニッポン放送
制作
ネットワークNRN
パーソナリティ松任谷由実
出演
テーマ曲
企画
プロデューサー
ディレクター
提供
公式サイト
特記事項:
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松任谷由実の
オールナイトニッポンGOLD
愛称
放送方式生放送(稀に録音)
放送期間2016年4月22日 -
放送時間毎月第3もしくは第4金曜日
22:00~24:00
放送回数
放送局ニッポン放送
制作
ネットワークNRN
パーソナリティ松任谷由実
出演
テーマ曲オープニング:ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス『BITTERSWEET SAMBA
エンディング:IslandStay with me
企画
プロデューサー
ディレクター丹羽一弘[1]
提供
公式サイトhttps://www.allnightnippon.com/yuming/
特記事項:
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松任谷由実のオールナイトニッポン』(まつとうやゆみのオールナイトニッポン)は、ニッポン放送の人気深夜放送オールナイトニッポンシンガーソングライター松任谷由実がパーソナリティを担当したラジオ番組である。1988年4月16日から1999年3月27日まで、毎週土曜25:00 - 27:00(日曜1:00 - 3:00)に放送された。その後、2016年4月22日から月1回で『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』(まつとうやゆみのオールナイトニッポンゴールド)として、毎月第3金曜日もしくは毎月第4金曜日の22:00 - 24:00にレギュラー放送が復活した。

概要[編集]

レギュラー放送前[編集]

  • 1985年11月9日 - アルバム『DA・DI・DA』および写真集「モロッコの夢」発売のプロモーションを兼ねて初めて『松任谷由実のオールナイトニッポン』を担当。フジテレビ系『オールナイトフジ』の収録スタジオ内に特設ブースを設け、テレビの内容がそのままラジオで放送されたり、その逆になったり、双方向で楽しめる画期的な番組だった。

レギュラー放送開始[編集]

1987年末頃にニッポン放送から、松任谷由実のもとへオールナイトニッポンの出演依頼があった。松任谷は最初あまり乗り気ではなかったらしいが、当時のマネージャーの勧めもあり、1988年4月16日から放送を開始した。同時期のもう1つのレギュラー番組『サウンドアドベンチャー』(TOKYO FM)とともに、松任谷の素顔が見える番組として広く人気を博した。松任谷は他の曜日パーソナリティと異なりディレクターの名をあげることはあまりなかったが、初代ディレクターは松島宏(元同局編成局制作部、同局組織体制に伴う、フジテレビ転籍(報道局報道記者)の後、同局子会社の番組制作会社であるミックスゾーンに出向)[2]

番組の終了[編集]

  • 11年も続いた長寿番組だったが、1999年春、深夜番組ゾーン『LF+R』開始に伴うオールナイトニッポンの大規模な改編が行われることになり、同年3月27日の放送をもって終了となった。
  • なお、当時のスポーツ新聞では「1999年10月からは新たなレギュラー番組を持つ予定」と報道されたが、実際には新たなレギュラー番組は開始されなかった。
  • 11年に渡る放送は、オールナイトニッポン史上歴代5位(本番組終了当時は2位)の長寿番組であった。女性のパーソナリティとしては歴代1位である。

復活特番[編集]

レギュラー放送復活[編集]

そして、2016年10月から[注 1]松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』として、レギュラー放送が復活[3]。これは1967年に始まった『オールナイトニッポン』が2016年10月に放送開始して50年目に入るため、その節目に、松任谷がパーソナリティ依頼を受けた[3]。この『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』は「大人のリスナー」に向けて、トークや音楽を中心に放送し、毎回ゲストと松任谷とのトークを繰り広げるという、まさに「人にこだわる」ラジオ番組である[3]

2021年4月現在は、第3週目ないし第4週目で本番組が放送されており、2か月に1回実施されるスペシャルウィーク(聴取率調査週間)も本番組が対象になる場合がある。

コーナー[編集]

  • お色直しジャック
    長寿コーナーの1つ。結婚式を控えたカップルに向け、披露宴で流すことを前提とした祝福メッセージを松任谷が贈る。
  • ウィークエンド逆盗聴 (1988年頃)
  • 信じられない博覧会(1988年頃)
  • 看板書きますお客が全部消えぬまに(1988年頃)
    タイトルは松任谷由実のアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」をもじった。
  • 遠い遠い演歌の世界(1988年頃)
  • サイババァの教え
  • 恋愛深爪リクエスト
  • Mr.YUMING
  • 平成2年のオタク(1990年)
  • 世紀末子供ポンポコリン
  • 帽子とメガネをとったチャゲ
  • 人体は暗黒大陸
  • スターの日常
  • ハルマゲドンの危険な香り
  • ユーミンちゃんの素直なスチューデント(1992年頃)
  • 荒井テルの告白(1996年頃)
    「最後の嘘」のサビとのおばあさんの名前(本人とは無関係)をかけた。
  • 無礼者の時間
  • 君島ってしまった私
  • お国言葉歌合戦(1994年頃)
    松任谷由実の歌をリスナーが生電話で方言で歌うもの。名古屋弁の「Destiny」・岡山弁の「リフレインが叫んでる」などが放送された。
  • 誰にも言えない悪魔のさしこみ(1993年頃)
    タイトルは当時発売された松任谷由実のシングル「真夏の夜の夢」が主題歌となっていたドラマ「誰にも言えない」から。
  • 続・市原悦子
  • 全国なんでもこいこい試食品
  • ザ・ヘアー
    集大成として西城秀樹を迎えて「ギャランドゥ大会」を開催(1995年頃)。
    西城秀樹は初めてギャランドゥの別の意味を知ることとなり公認。ユーミンが言い始めたというようになった。
    リスナーからの情報が先で命名したわけではないが、全国に広がることになった。
  • 大ショック!私だけの共通語(1996年頃)
  • こんな時こうCowgirl(1997年頃)
  • 名曲復活!おぼろげリクエスト(1995年~1997年頃)
    リスナーがおぼろげに覚えている曲(歌詞の一部しか知らない曲、レコード屋に行っても見つからない曲etc.)を探して紹介するコーナー。
  • よくやったオレ(1997年頃)
  • 星空リビング(1997年頃)
  • 押しつけがましい不死鳥リクエスト(1998年1月~3月)
  • 今夜もハイファッション(1998年頃)
    松任谷由実の今日のファッションを紹介。なお、松任谷由実は放送開始から終了まで上下同じペアの格好でスタジオに来たことはなかったという。
  • おばはんのスクーター(おばスク)(1998年4月頃)
  • こちら港区G-SHOCKお台場販売事務局(1998年頃)
    Baby-G・ユーミンモデル“HEART OF ZUVUYA”の発売(※松任谷由実のコンサート会場でのみ)を記念してのコーナー。
  • 要さんを見た!(1998年1月~2月頃)
  • スユアの雪(痛かったの部・愛の部・お笑いの部)(1998年2月)
  • ジモティ味リンピック(1998年頃)
  • 松任谷由実の食いしん坊バンザイ(1998年4月頃)
    ジモティ味リンピックから派生。
  • あれ!(1998年4月頃)
  • 命名子ヤギ電話(1998年5月頃)
  • HIDEKI SAIJOプロモーション計画(1998年5月頃)
  • ユーミン谷の戦い(1998年5月頃)
    自動販売機でジュースを買ったことがないという松任谷由実へリスナーが挑戦。
  • あなたが作るもろばれクイズ(1998年6月頃)
  • 聞かせて馬場ちゃん・マイ・ベスト・ユーミンをイントロで(1998年頃)
    松任谷由実のベストアルバム「Neue Musik」の収録曲の選曲へ向けた「マイ・ベスト・ユーミン」キャンペーンとの連動企画。
  • 街で見つけた有名人・That'sはやしば(1998年6月頃)
  • 正隆さんにはなんの関係もありませんが(1999年頃)
    正隆さんには~という出だしで、松任谷正隆には参考にならないネタを紹介。
  • 涙のわけ
  • 華盛開を探せ
    テーマソング「愛はポケットの中に」
  • 仮面のよろこび(2016年4月~)

ほか

エンディングテーマ[編集]

1995年10月以降は各パーソナリティー共通のマンスリーテーマとなった。

備考[編集]

  • 1989年1月7日は、同じ日の朝に昭和天皇が崩御したことに伴う報道特別番組(昭和史の天皇陛下(1989年1月7日21:40 - 1989年1月8日2:00))の放送のため、この番組を休止した[4]。翌週14日は過去の放送を振り返る特別企画を放送。
  • 同年6月24日は、同じ日の未明に美空ひばりが死去されたことに伴う報道特別番組の放送のため、この番組を休止した。
  • 1996年7月には、松任谷由実が荒井由実名義でシングル「まちぶせ」を発売したことを記念して“荒井由実のオールナイトニッポン”が放送された。
  • 1997年秋に三菱自動車総会屋利益供与に関わっていた事が発覚し、一定期間放送を休止した。
  • 1998年4月には、放送10周年を記念して第1回目以外の放送を全て録音しているリスナーからテープを借りて、過去の放送が数多くオンエアーされた。
  • 葉書が採用されるともれなく「魔法の紙石鹸」がもらえた。なお、裏面が握手券になっている。
  • 苗場のシーズンには、「弾かな語りライブ」と称し、武部聡志のピアノ演奏でミニライブを届けた。
  • 受験のシーズンには、受験生企画が行われ、神社へ祈願に出かけた。
  • リスナーからの葉書や電話で「オーラをください」と要望があれば、快く「オーラよっと!」とオーラを送った。
  • フリートークにおける発言が、しばし毒舌とされていることがあるが、相当デフォルメされているので注意が必要である。要出典
  • 中島みゆきのオールナイトニッポン」、「ビートたけしのオールナイトニッポン」、「aikoの@llnightnippon.com」等、他のパーソナリティーの番組にゲスト出演することもある。
  • 松任谷由実起用前の土曜日の「オールナイトニッポン」は平日と同じく複数社の協賛スポンサー[注 2]による提供だったが、起用後はクボタUCCNTTといったメインスポンサーがついた。これ以降、土曜のオールナイトニッポンは平日とは違うスポンサーがつくこととなり、"○○presents"と冠スポンサーになっている。
  • 2018年10月26日には、小林麻美浅田美代子が数分間飛び入り出演した。

ゲスト[編集]

ほか

ゲスト(ANN DX)[編集]

ほか

ゲスト(ANN GOLD)[編集]

ほか

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 当初は4月から開始予定だったが、三菱自動車燃費不正問題の影響で遅れた。
  2. オールナイトニッポンの放送開始当初はスポンサーが番組内容に介入することを恐れ、番組内容に介入しないことを条件に協賛という形でスポンサーを募集していた。その名残で2022年現在も平日のオールナイトニッポンは協賛スポンサーという形でスポンサーがついている。

出典[編集]

  1. 想像力の世界・ラジオ道31年。
  2. 『のはなしし』(著・伊集院光) 2014年6月11日発売、宝島社
  3. 3.0 3.1 3.2 (2016-04-08) ユーミン、17年ぶりANNレギュラー!初回ゲストはDAIGO サンケイスポーツ [ arch. ] 2016-04-07
  4. (1989-05-01) 日本民間放送連盟 [ ニッポン放送 変化に即した情報をナマで ] 月刊民放 19 5 日本民間放送連盟 1989-05-01 37 NDLJP 3471041/19

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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