天皇賞

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天皇賞(てんのうしょう)とは日本中央競馬会(JRA)が年2回施行する中央競馬重賞GI競走である。正賞は天皇賞・日本馬主協会連合会会長賞。

本項目では現在京都競馬場(創設時は鳴尾競馬場)で施行する本競走を天皇賞(春)東京競馬場で施行する本競走を天皇賞(秋)とし天皇賞(春)を「春の競走」、天皇賞(秋)を「秋の競走」と表現する。

概要[編集]

本競走は1905年に創設された帝室御賞典を前身としている。1937年日本競馬会が創設され、それまで各競馬場(札幌・函館・福島・東京(・池上・目黒)・横濱・鳴尾・小倉(三芳野・北方))でコース(芝・土[1])・距離も異なる条件で施行されていたものを阪神・東京の年2回施行とし同年秋の競走を改めて第1回帝室御賞典として施行した。

1937年秋は2600m、1938年春は2700mで施行されたが1938年秋からイギリスロイヤルアスコットレースミーティングで施行するゴールドカップを範して長い距離の競走を制することが真の最強馬という理念から芝3200mの長距離競走に変更されている。

御賞典菊花御紋付銀製花盛器)が宮内省(現在の宮内庁の前身)から優勝馬の馬主に下賜されていたが1941年からは太平洋戦争(戦時中)に伴う貴金属資源の不足により御賞典と言えども時代の背景には勝てず菊花御紋入り(競馬恩賞と書かれた)の木製のが代わりに下賜されるようになり、競馬関係者からは天皇楯と呼ばれた。が天皇賞の略称として使われる所以である。優勝馬主は表彰式で天皇盾を賜る際は白手袋を着用することが慣例になっている。

第二次世界大戦終結後、天皇杯を再び下賜されるよう調整したが1947年の春の競走には間に合わず平和賞として施行、天皇杯が再下賜されるようになった秋の競走で「第16回天皇賞(秋)」として開催した。

中央競馬が誇る伝統と格式がある八大競走の2競走でかつては日本一の競走馬を決める競走でもあり優勝馬及び関係者には最高の名誉が与えられ天皇賞で1回優勝した競走馬は再度出走して負けた場合、天皇賞馬としての威厳を下げてしまうため1980年まで再度の天皇賞への出走は認められない「勝ち抜け制度」があった。

また長年クラシック三冠と同様に優秀な国内産種牡馬繁殖牝馬を選定するという観点から国内産馬で尚且つ牡馬牝馬のみしか出走できないことになっていたが競馬の国際化などを踏まえ段階を追ってそれらが見直され2005年から国際競走に指定され、それに伴い外国産馬の出走頭数制限が廃止された。また2008年から騸馬(去勢牡馬)にも出走門戸が開放された。

天覧競馬[編集]

「エンペラーズカップ100年記念」(1905年の帝室御賞典からの100年を記念)と題された2005年の第132回競走において明治天皇1899年に行幸して以来106年ぶりとなる天皇皇后の天覧競馬が実現した。

これに伴い当日の東京競馬場の競走数を当初予定の12から11に減らし、本競走は第10競走として施行された。競走前には天皇、皇后が場内の競馬博物館で実施されている「エンペラーズカップ100年記念 栄光の天皇賞展」を鑑賞した。競走後には勝利騎手の松永幹夫が貴賓席の天皇、皇后に対して馬上から最敬礼を行う場面が見られた。

前年の2004年に日本中央競馬会創設50周年記念競走として施行された第130回競走において天覧競馬が予定されていたが10月23日に発生した新潟県中越地震の被害を考慮して取り止めとなった経緯があり、2年越しの実現となった。

「近代競馬150周年記念」と題された2012年の第146回競走においても天覧競馬が実施された。

こちらは当日の東京競馬場と京都競馬場の第3競走から第10競走と、新潟競馬場の第4競走から第11競走の発走時刻を5分繰り上げた。競走前に天皇・皇后は馬場で行われた「相馬野馬追」と「チャグチャグ馬コ」を鑑賞された。競走後に勝利騎手のミルコ・デムーロが貴賓席に対していったん下馬し、ひざまずいて最敬礼を行った。前述のようにコース内で下馬することは禁止されており審査対象となったか、最終的にデムーロ騎手に制裁はされなかった[2]

天皇、皇后は皇太子皇太子妃時代の1987年にも天皇賞施行50周年を記念して行われた第96回競走(優勝馬:ニッポーテイオー)を台覧している。


以下は天皇賞(春)と天皇賞(秋)に分けて記述する。

天皇賞(春)[編集]

ファイル:Deep Impact(horse)20060430R1.jpg
2006年4月30日、第133回天皇賞(春) 優勝:ディープインパクト

天皇賞(春)(てんのうしょうはる)とは日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場の3200mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。正式名称は天皇賞であるが施行季節から日本中央競馬会(JRA)が天皇賞(春)と表記し、競馬ファンや競馬関係者の間では「春の天皇賞」「天春」「春天」「春の盾」「(京都競馬場で行われることから)淀の盾」などと呼ばれる。

概要[編集]

1938年に4歳(現3歳)以上の牡馬牝馬外国産馬含む)限定の定量の重賞競走帝室御賞典(春)として開催、春の競走としての第1回は鳴尾競馬場の土2700mで施行、古馬の最強馬決定戦として位置付けされた。

1939年からは施行距離を芝3200mに出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、1944年太平洋戦争(戦時中)の影響により阪神競馬場が海軍に接収されたため施行場を現在の京都競馬場の芝3200mの能力検定競走として施行、1945年は太平洋戦争の影響で開催中止、1946年は開催されず1947年は宮内庁からの天皇賞の下賜の調整が遅れたことにより「平和賞」の名称で施行され1948年から再び宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称が「天皇賞(春)」に変更された。

1957年より当時の昭和天皇の誕生日である4月29日の開催となり日曜日以外に行われることのある大レースとなり、昭和天皇が崩御するまで続いた。ただし1989年は既に日程が決まっていた為、1990年は日曜日だった為4月29日に開催された。また1972年1974年はストライキの関係で4月29日に開催されなかった。

1965年は京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行、1970年は阪神競馬場の芝3200mで施行、1972年からは前年における活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなり1980年は京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行、1981年から勝ち抜け制度が廃止、天皇賞に1度優勝した競走馬も再び出走が可能になり1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされた。

1994年は京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行、1995年からは指定競走に指定、阪神大賞典日経賞大阪杯で2着以内に入賞した地方所属の競走馬にも出走資格が与えられ2000年からは外国産馬の活躍による出走枠の見直しの一環により総収得金額順上位2頭(フルゲート18枠に満たない場合は4頭)まで出走可能になり2004年からは外国産馬の出走枠が4枠に拡大され2005年からは国際競走に指定、外国産馬の出走枠制限が撤廃され外国調教馬が5頭まで出走可能になった。

中央競馬で最も長い距離で施行される平地のGI競走で国営競馬時代からの長距離の大レースで勝利する事が真の最強馬という理念から長年、芝3200mで施行されてきた。だが近代競馬におけるスピード化に伴い本競走の施行距離を芝2400mにする短縮化の意見も日本中央競馬会(JRA)から出されたが要出典、当面は現行の距離で施行されている。しかし長距離を苦手とし中距離を得意とする有力馬は本競走に出走せず安田記念金鯱賞を経て宝塚記念を目指す場合や海外遠征でチャンピオンズマイルクイーンエリザベス2世カップシンガポール航空国際カップ等のアジアの国際G1競走へ出走する傾向も見られる。しかし3000m以上の長距離で真価を発揮する馬がいるのも事実なので、このような馬たちの活躍の場を奪ってしまうのもまた酷である。

優勝馬には多くの名馬が名を連ねており、その殆どが当レース以外のGI(級)競走を勝利している。

出走資格は4歳(旧5歳)以上の牡馬牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び出走条件を満たした地方所属の牡馬・牝馬の競走馬と海外競走馬(5頭まで)、種牡馬又は繁殖牝馬選定競走の位置付けにあるため騸馬は出走できなかったが2008年より出走可能となる。

負担重量は定量で牡馬は58キロ、牝馬56キロである。

総額賞金は2億5,120万円で1着賞金1億3,200万円、2着賞金5,300万円、3着賞金3,300万円、4着賞金2,000万円、5着賞金1,320万円と定められている。

現在の優勝レイは紫地に金文字である。配色自体は秋施行のものと同じだが、開催競馬場における発注業者の違いから春秋でデザインが大きく異なる。

2007年度における当競走当日の京都競馬場の開門時刻は午前7時30分であった。

施行コース[編集]

コースは京都競馬場の芝外回り3200m。向正面の真ん中辺りから発走。いわゆる「淀の坂」を2度駆け上がるためスタミナと持久力、折り合う精神力が要求される。加えて、近年は高速馬場に対応できる瞬発力とスピードも強く求められている。また長距離戦ということでペース配分や仕掛けのタイミングが重要であり、さらには騎手同士の駆け引きも結果を大きく左右するものであり騎手の技量も試されるレースであると言える。

主な前走[編集]

以下は天皇賞(春)へ出走する競走馬の主な前走。以下以外にダイヤモンドステークスから直行で出走する競走馬もいる。

競走名 格付 団体 施行競馬場 施行距離 天皇賞(春)優勝馬輩出実績(1984年グレード制制定以降)
1 阪神大賞典 GII 中央 阪神競馬場 芝3000m ディープインパクト、テイエムオペラオー、スペシャルウィーク、メジロブライト、マヤノトップガン、メジロマックイーン、イナリワン、タマモクロス
2 日経賞 GII 中央 中山競馬場 芝2500m マンハッタンカフェ、ライスシャワー、ミホシンザン、シンボリルドルフ、モンテファスト
3 大阪杯 GII 中央 阪神競馬場 芝2000m メイショウサムソン、ヒシミラクル、テイエムオペラオー、スーパークリーク
4 大阪-ハンブルクカップ OP 中央 阪神競馬場 芝2400m スズカマンボ
5 中山記念 GII 中央 中山競馬場 芝1800m サクラローレル、クシロキング
6 京都記念 GII 中央 京都競馬場 芝2200m ビワハヤヒデ

地方所属馬は阪神大賞典・日経賞・大阪杯で上位2着までに入賞すると出走資格(優先出走権ではない)が与えられる。

他にダイオライト記念(統一JpnII、ダート2400m)イングランディーレが別路線から参戦し勝利を収めている。

歴史[編集]

  • 1938年 鳴尾競馬場の芝2700mの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の定量の重賞競走「帝室御賞典(春)」として創設。
  • 1939年 施行距離を芝3200mに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。
  • 1944年 太平洋戦争の影響で能力検定競走として京都競馬場の芝3200mで施行。
  • 1945年 太平洋戦争の影響で施行中止。
  • 1946年 施行せず。
  • 1947年 宮内庁との天皇賞の下賜調整が遅れた事により「平和賞」の名称で施行。
  • 1948年 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(春)」に変更。
  • 1957年 この年から昭和天皇の誕生日である4月29日に開催。
  • 1960年 前年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1965年 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1970年 阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1972年 前年の活馬の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなる。
  • 1980年 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1981年 勝ち抜け制度(天皇賞優勝馬の出走制限)を廃止。
  • 1984年 グレード制施行によりGIに格付け。
  • 1987年 2位入線のニシノライデンが進路妨害により失格。
  • 1990年 開催日が変更され4月29日固定から日曜日に変更される。
  • 1991年 メジロマックイーンが史上初の親子三代天皇賞(+GI級レース)制覇を達成。
  • 1992年
  • 1994年 京都競馬場の改修工事により阪神競馬場の芝3200mで施行。
  • 1995年 指定競走に指定。
  • 2000年 外国産馬の出走枠を2枠(条件付4枠)設ける。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「5歳以上牡馬・牝馬」から「4歳以上牡馬・牝馬」に変更。
    • テイエムオペラオーが2頭目の連覇。
    • 岩元市三が調教師として2人目の連覇。
  • 2004年 外国産馬の出走枠を4枠に拡大。
  • 2005年
    • 国際競走に指定。
    • 外国産馬の出走枠制限を撤廃。
  • 2006年 ディープインパクトがレコード3:13.4で優勝。
  • 2007年 国際GIに格付けされる。
  • 2008年
  • 2009年
    • 当年のみ、JRAプレミアムの対象競走となる。
    • 関西主場においての最終競走の発走時刻を16時40分(当競走施行当日は16時50分)に設定したことに伴い、当競走の競走番号を第11競走から第10競走に変更。
  • 2010年
  • 2011年
    • この年は国会中継があったため、NHKでの中継は行われなかった。
    • 東日本大震災の影響で、この年に限り第11競走として施行。
    • この年より導入される5重勝単勝式(WIN5)の対象競走に指定。
  • 2012年
    • 近代競馬150周年記念の副称を付けて施行。
    • JRA2連福対象競走に指定。
    • 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走。
    • 当年のみ、本馬場入場曲が2009年までの関西GI競走の本馬場入場曲として使われた『ザ・チャンピオン』に戻された[3]
  • 2013年 イギリス調教馬のレッドカドーが3着となり、外国調教馬として初めて馬券対象となる。

歴代優勝馬[編集]

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第2回 1938年5月15日 ハセパーク 牡3 2:53 1/5 金者斤奉 金者斤奉 門倉恒雄
第4回 1939年5月14日 スゲヌマ 牡4 3:31 0/5 伊藤正四郎 小山内重蔵 千明賢治
第6回 1940年5月19日 トキノチカラ 牡4 3:25 2/5 岩下密政 田中和一郎 菊池寛
第8回 1941年4月27日 マルタケ 牡5 3:25 4/5 清水茂次 清水茂次 榎壽逸
第10回 1942年4月19日 ミナミモア 牡4 3:25 1/5 佐藤邦雄 東原玉造 池得次
第12回 1943年4月11日 グランドライト 牡4 3:28 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第14回 1944年5月28日 ヒロサクラ 牡4 3:29 0/5 渋川久作 渋川久作 鶴丸広太郎
第15回 1947年5月11日 オーライト 牡4 3:34 1/5 元石正雄 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第17回 1948年5月16日 シーマー 牡4 3:25 3/5 長浜彦三郎 新堂捨蔵 島田幸次郎
第19回 1949年4月29日 ミハルオー 牡4 3:26 3/5 土門健司 久保田金造 石川了吉
第21回 1950年6月4日 オーエンス 牡4 3:34 3/5 土門健司 松田由太郎 桶谷辰造
第23回 1951年5月5日 タカクラヤマ 牡4 3:24 3/5 橋田俊三 伊藤正四郎 平島五郎
第25回 1952年5月3日 ミツハタ 牡4 3:23 1/5 渡辺正人 矢野幸夫 河野信一
第27回 1953年5月5日 レダ 牝4 3:24 2/5 佐藤勇 武田文吾 熊谷新太郎
第29回 1954年5月16日 ハクリヨウ 牡4 3:24 2/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第31回 1955年4月29日 タカオー 牡4 3:22 3/5 古山良司 上村大治郎 高須銀次郎
第33回 1956年4月15日 メイヂヒカリ 牡4 3:22 3/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第35回 1957年4月29日 キタノオー 牡4 3:21 3/5 勝尾竹男 久保田金造 田中留治
第37回 1958年4月29日 オンワードゼア 牡4 3:23 4/5 野平好男 二本柳俊夫 樫山純三
第39回 1959年4月29日 トサオー 牡4 3:23 1/5 野平祐二 松山吉三郎 溝本儀三男
第41回 1960年4月29日 クリペロ 牡5 3:25.0 保田隆芳 尾形藤吉 栗林友二
第43回 1961年4月29日 ヤマニンモアー 牡4 3:22.6 浅見国一 藤本冨良 土井宏二
第45回 1962年4月29日 オンスロート 牡5 3:27.6 山岡忞 中村広 田村喜志
第47回 1963年4月29日 コレヒサ 牡4 3:22.5 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第49回 1964年4月29日 ヒカルポーラ 牡5 3:26.8 高橋成忠 佐藤勇 坪田喜之助
第51回 1965年4月29日 アサホコ 牡5 3:27.1 加賀武見 藤本冨良 手塚栄一
第53回 1966年4月29日 ハクズイコウ 牡5 3:19.4 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第55回 1967年4月29日 スピードシンボリ 牡4 3:24.2 野平祐二 野平省三 和田共弘
第57回 1968年4月29日 ヒカルタカイ 牡4 3:24.6 野平祐二 藤本冨良 長山善健
第59回 1969年4月29日 タケシバオー 牡4 3.29.1 古川良司 三井末太郎 小畑正雄
第61回 1970年4月29日 リキエイカン 牡4 3:25.8 高橋成忠 柏谷富衛 水上力夫
第63回 1971年4月29日 メジロムサシ 牡4 3:33.5 横山富雄 大久保末吉 メジロ商事(株)
第65回 1972年5月7日 ベルワイド 牡4 3:20.4 加賀武見 阿部正太郎 鈴木賢一
第67回 1973年4月29日 タイテエム 牡4 3:25.0 須貝彦三 橋田俊三 (有)名鯛興業
第69回 1974年5月5日 タケホープ 牡4 3:22.6 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第71回 1975年4月29日 イチフジイサミ 牡5 3:22.1 郷原洋行 松永光雄 保坂勇
第73回 1976年4月29日 エリモジョージ 牡4 3.27.4 福永洋一 大久保正陽 山本慎一
第75回 1977年4月29日 テンポイント 牡4 3:21.7 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第77回 1978年4月29日 グリーングラス 牡5 3:20.8 岡部幸雄 中野隆良 半沢吉四郎
第79回 1979年4月29日 カシュウチカラ 牡6 3:20.2 郷原洋行 矢倉玉男 吉田権三郎
第81回 1980年4月29日 ニチドウタロー 牡4 3:18.7 村本善之 坂田正行 山田敏夫
第83回 1981年4月29日 カツラノハイセイコ 牡5 3:20.6 河内洋 庄野穂積 桂土地(株)
第85回 1982年4月29日 モンテプリンス 牡5 3:19.2 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八
第87回 1983年4月29日 アンバーシャダイ 牡6 3:22.3 加藤和宏 二本柳俊夫 吉田善哉
第89回 1984年4月29日 モンテファスト 牡6 3:22.3 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八
第91回 1985年4月29日 シンボリルドルフ 牡4 3:20.4 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第93回 1986年4月29日 クシロキング 牡4 3:25.4 岡部幸雄 中野隆良 阿部昭
第95回 1987年4月29日 ミホシンザン 牡5 3:25.4 柴田政人 田中朋次郎 堤勘時
第97回 1988年4月29日 タマモクロス 牡4 3:21.8 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第99回 1989年4月29日 イナリワン 牡5 3:21.8 武豊 鈴木清 保手浜弘規
第101回 1990年4月29日 スーパークリーク 牡5 3:21.9 武豊 伊藤修司 木倉誠
第103回 1991年4月28日 メジロマックイーン 牡4 3:18.8 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株)
第105回 1992年4月26日 メジロマックイーン 牡5 3:20.0 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株)
第107回 1993年4月25日 ライスシャワー 牡4 3:17.1 的場均 飯塚好次 栗林英雄
第109回 1994年4月24日 ビワハヤヒデ 牡4 3:22.6 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ
第111回 1995年4月23日 ライスシャワー 牡6 3:19.9 的場均 飯塚好次 栗林英雄
第113回 1996年4月21日 サクラローレル 牡5 3:17.8 横山典弘 境勝太郎 (株)さくらコマース
第115回 1997年4月27日 マヤノトップガン 牡5 3:14.4 田原成貴 坂口正大 田所祐
第117回 1998年5月3日 メジロブライト 牡4 3:23.6 河内洋 浅見秀一 (有)メジロ牧場
第119回 1999年5月2日 スペシャルウィーク 牡4 3:15.3 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第121回 2000年4月30日 テイエムオペラオー 牡4 3:17.6 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第123回 2001年4月29日 テイエムオペラオー 牡5 3:16.2 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第125回 2002年4月28日 マンハッタンカフェ 牡4 3:19.5 蛯名正義 小島太 西川清
第127回 2003年5月4日 ヒシミラクル 牡4 3:17.0 角田晃一 佐山優 阿部雅一郎
第129回 2004年5月2日 イングランディーレ 牡5 3:18.4 横山典弘 清水美波 吉田千津
第131回 2005年5月1日 スズカマンボ 牡4 3:16.5 安藤勝己 橋田満 永井啓弐
第133回 2006年4月30日 ディープインパクト 牡4 3:13.4 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第135回 2007年4月29日 メイショウサムソン 牡4 3:14.1 石橋守 高橋成忠 松本好雄
第137回 2008年5月4日 アドマイヤジュピタ 牡5 3:15.1 岩田康誠 友道康夫 近藤利一
第139回 2009年5月3日 マイネルキッツ 牡5 3:14.4 松岡正海 国枝栄 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
第141回 2010年5月2日 ジャガーメイル 牡6 3:15.7 C.ウィリアムズ 堀宣行 吉田和美
第143回 2011年5月1日 ヒルノダムール 牡4 3:20.6 藤田伸二 昆貢 蛭川正文
第145回 2012年4月29日 ビートブラック 牡5 3:13.8 石橋脩 中村均 前田幸治
第147回 2013年4月28日 フェノーメノ 牡4 3:14.2 蛯名正義 戸田博文 (有)サンデーレーシング
第149回 2014年5月4日 フェノーメノ 牡5 3:15.1 蛯名正義 戸田博文 (有)サンデーレーシング
第151回 2015年5月3日 ゴールドシップ 牡6 3:14.7 横山典弘 須貝尚介 (同)小林英一ホールディングス
第153回 2016年5月1日 キタサンブラック 牡4 3:15.3 武豊 清水久詞 (株)大野商事

天皇賞(秋)[編集]

ファイル:134th Tennosho 20061029.jpg
2006年10月29日、第134回天皇賞(秋)ダイワメジャー(優勝)とスウィフトカレントのゴール前の攻防

天皇賞(秋)(てんのうしょうあき)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の2000mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。

正式名称は天皇賞であるが施行季節から日本中央競馬会(JRA)が天皇賞(秋)と表記し、競馬ファンや競馬関係者の間では「秋の天皇賞」「秋天」「天秋」「秋の盾」「(東京競馬場で行われることから)府中の盾」と呼ぶ者もいる。

概要[編集]

1937年に4歳(現3歳)以上の牡馬・牝馬(外国産馬含む)限定の定量の重賞競走帝室御賞典(秋)として開催、秋の競走としての第1回は東京競馬場の芝2600mで施行、古馬の最強馬決定戦として位置付けられた。

1938年からは施行距離を芝3200mに出走資格を5歳(現4歳)以上に変更、1944年1945年の2年間は太平洋戦争の影響で開催中止、1946年は開催されず1947年からは再び宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称が「天皇賞(秋)」に変更された。

1967年は東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200mで施行、1971年からは6月30日から実施された活馬(生きている馬)の輸入自由化に伴い外国産馬が出走できなくなり1981年から勝ち抜け制度が廃止、天皇賞に1度優勝した競走馬も再び出走が可能になり1984年からはグレード制施行によりGIに格付けされ天皇賞(春)との差別化を図る為施行距離を芝2000mに変更、中距離の最強馬決定戦として位置付けられる事になった。

1987年からは出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更、また天皇賞50周年を記念して当年のみ「天皇賞競走施行50周年記念」の副称が付けられて施行、1995年からは指定競走に指定、オールカマー毎日王冠京都大賞典で2着以内に入賞した地方所属の競走馬にも出走資格が与えられ2000年からは秋の古馬三冠制度施行によりジャパンカップ有馬記念と共に三冠競走を構成、また外国産馬の活躍による出走枠の見直しの一環により総収得金額順上位2頭まで出走可能になった。しかし2001年クロフネの出走除外(フルゲートにも満たされなかったにもかかわらず外国産馬枠に外れて除外)で波紋を呼び、翌年からフルゲートにならなかった場合に限り4頭まで出走できるようになった。2004年からは外国産馬の出走枠が5枠に拡大され当年のみ「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称が付けられて施行、2005年からは国際競走に指定、外国産馬の出走枠制限が撤廃され外国調教馬が5頭まで出走可能になり当年のみ天覧競馬でもあったことから(実を言えば前年に予定されていたが新潟県中越地震の影響で天覧が中止になる)「エンペラーズカップ100年記念」の副称が付けられて施行された。

春の天皇賞が古馬の牡馬・牝馬限定の芝3200mで施行するのとは違い3歳(旧4歳)以上の牡馬・牝馬限定で更に近代競馬で最も主体な芝2000mで施行される事から多くの有力馬が出走し、豪華なメンバーが揃う事が多くあり名実共に日本一の中距離最強馬決定戦として位置付けされている。また3歳(旧4歳)馬もクラシック登録なしでも出走可能であることや近代競馬のスピード化の流れから菊花賞の芝3000mの距離を嫌い出走してくる傾向が増えている。ほかにもマイラー競走馬が好走する傾向がありギャロップダイナニッポーテイオーヤマニンゼファーバブルガムフェローアグネスデジタルダイワメジャーといったマイルGI優勝馬が優勝することもある。また牝馬の出走頻度も多くエアグルーヴヘヴンリーロマンスが優勝している。

また以前は第52回競走でシンザンが1番人気で優勝した後、1番人気が19連敗した。芝2000mに距離が短縮されてから最初の第90回競走でミスターシービーが1番人気で優勝したが第96回競走でニッポーテイオーが1番人気で優勝して以降長年1番人気が勝てず、第106回競走で1位入線したメジロマックイーンが進路妨害で最下位(18着)降着処分を受け「府中の2000には魔物が棲む(秋の盾には魔物が棲む)」と言われて第118回競争にいたっては圧倒的一番人気に支持されていたサイレンススズカが名物・大ケヤキの向こう側過ぎで粉砕骨折を発症し予後不良となる最悪の事態まで起こった。しかし近年は第122回優勝馬テイエムオペラオーなどが1番人気で勝利をしている。

出走資格は3歳(旧4歳)以上の牡馬牝馬の競走馬(外国産馬含む)及び出走条件を満たした地方所属の牡馬・牝馬の競走馬と海外競走馬(5頭まで)、種牡馬又は繁殖牝馬選定競走の位置付けにある為、騸馬は出走できないとなっていたが2008年より出走可能となる。

負担重量は定量で3歳は56キロ、4歳以上は58キロ、牝馬は2キロ減である。

総額賞金は2億5,120万円で1着賞金1億3,200万円、2着賞金5,300万円、3着賞金3,300万円、4着賞金2,000万円、5着賞金1,320万円と定められている。

現在の優勝レイは紫地に金文字である。配色自体は春施行のものと同じだが、開催競馬場における発注業者の違いから春秋でデザインが大きく異なる。

施行コース[編集]

東京競馬場の芝2000mで第1コーナーのポケットの奥から発走。外枠(特に大外枠)に入った競走馬と1番人気が勝てないので「魔の天皇賞」とも言われていたが、ここ数年は1番人気馬も勝利している。1986年にサクラユタカオーが大外16番枠(この年は16頭の出走だった)となり2003年にはシンボリクリスエスが大外18番枠に加え1番人気となったが、この2頭は快勝している。2003年に第1コーナー及びポケットの形態が改修されたもののコース形態全体としては依然として1コーナーで馬がゴチャつきやすく、また外枠発走の馬が必要以上に不利な点はある程度改善されはしたが解消されたわけではなく現在も問題点を孕んでいる。

また今は無き3200mで(第3コーナー入口付近から発走)開催されていた時は「府中のコースと距離適性が無いと人気馬でも負ける」事で有名で、天馬・トウショウボーイもこの罠にハマって惨敗したのは有名である。逆にプリテイキャストの様に距離適性を生かした大逃げで波乱を起こした例もある。2000mになってからも距離適性はそれ程でも無くなったが府中のコースを苦にする人気馬は相変わらず悉く消えている(例:ライスシャワーセイウンスカイ)。

主な前走[編集]

以下は天皇賞(秋)へ出走する競走馬の主な前走。以下以外に3歳(旧4歳)馬が菊花賞トライアルセントライト記念神戸新聞杯から出走してくる場合もある。また近年はジャパンカップ有馬記念を加えた秋GI3戦を視野に入れた有力馬が6月の宝塚記念から直行で出走してくる場合が増えてきている。

競走名 格付 団体 施行競馬場 施行距離 天皇賞(秋)優勝馬輩出実績(1984年グレード制制定以降)
1 宝塚記念 GI 中央 阪神競馬場 芝2200m シンボリクリスエス、ヤエノムテキ、タマモクロス
2 札幌記念 GII 中央 札幌競馬場 芝2000m エアグルーヴ、ヘヴンリーロマンス
3 朝日チャレンジカップ GIII 中央 阪神競馬場 芝2000m  
4 オールカマー GII 中央 中山競馬場 芝2200m  
5 毎日王冠 GII 中央 東京競馬場 芝1800m ダイワメジャー、バブルガムフェロー、サクラチトセオー、ネーハイシーザー、ヤマニンゼファー、プレクラスニー、ニッポーテイオー、サクラユタカオー、ミスターシービー
6 京都大賞典 GII 中央 京都競馬場 芝2400m ゼンノロブロイ、テイエムオペラオー、スペシャルウィーク、スーパークリーク

地方所属馬はオールカマー・毎日王冠・京都大賞典で上位2着までに入賞すると出走資格(優先出走権ではない)が与えられる。

この他に神戸新聞杯(当時GII、阪神芝2000m)シンボリクリスエス(2002年)、マイルチャンピオンシップ南部杯(当時統一GI、盛岡ダート1600m)アグネスデジタル新潟記念(GIII、新潟芝2000m)オフサイドトラップ、 福島民報杯(OP、福島芝2000m)レッツゴーターキン、アジア競馬会議25周年記念(1400万下、東京芝1800m)ギャロップダイナが別路線から勝利している(馬名が太字になっているものは上記の表と同様で当該競走の優勝馬である)。

歴史[編集]

  • 1937年 東京競馬場の芝2600mの4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬の定量の重賞競走「帝室御賞典(秋)」として創設。
  • 1938年 施行距離を芝3200mに、出走資格を5歳(現4歳)以上に変更。
  • 1944年 太平洋戦争の影響で施行中止。
  • 1945年 太平洋戦争の影響で施行中止。
  • 1946年 施行せず。
  • 1947年 宮内庁から天皇賞を下賜された事により名称を「天皇賞(秋)」に変更。
  • 1950年 2位入線のエゾテツザンが進路妨害により失格。
  • 1951年 保田隆芳騎手として史上初の3連覇。
  • 1959年 この年の9月1日から日本競馬の時計の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1967年 東京競馬場の改修工事により中山競馬場の芝3200mで施行。
  • 1971年 活馬の輸入自由化に伴い外国産が出走できなくなる。
  • 1981年 勝ち抜け制度(春の天皇賞の歴史の項を参照)を廃止。
  • 1984年
    • グレード制施行によりGIに格付け。
    • 施行距離を芝2000mに変更。
  • 1987年
    • 出走資格を4歳(現3歳)以上牡馬・牝馬に変更。
    • 天皇賞競走施行50周年記念の副称が当年のみ付く。
  • 1991年 1位入線のメジロマックイーンが進路妨害により18着降着。
  • 1995年 指定競走に指定。
  • 1998年 サイレンススズカが第4コーナー手前で故障、競走中止。
  • 2000年
    • 外国産馬の出走枠を2枠(条件付4枠)設ける。
    • 秋の古馬GI報奨金制度の第1戦に指定。
  • 2001年 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上牡馬・牝馬」に変更。
  • 2002年 東京競馬場の馬場改修工事により中山競馬場の芝2000mで施行。
  • 2003年 シンボリクリスエスが史上初の連覇。
  • 2004年
    • 日本中央競馬会創立50周年記念の副称が当年のみ付く。
    • 外国産馬の出走枠を5枠に拡大。
    • 藤沢和雄調教師として史上初の3連覇。
  • 2005年
    • エンペラーズカップ100年記念の副称が当年のみ付く。
    • 国際競走に指定。
    • 外国産馬の出走枠制限を撤廃。
  • 2006年 悠仁親王殿下御誕生慶祝の副称が当年のみ付く。
  • 2007年 国際GIに格付けされる。
  • 2008年
    • 出走条件を「3歳以上牡馬・牝馬」から「3歳以上」に変更(騸馬の出走が可能になる)。
    • ウオッカが1:57.2のコースレコードで優勝。さらに2着にダイワスカーレットが入り、50年ぶり4度目の牝馬による1・2着。
  • 2009年
  • 2010年 15位入線のジャガーメイルが進路妨害により18着に降着。
  • 2011年 トーセンジョーダンが1:56.1の芝2000m日本レコードで優勝。
  • 2012年
    • 近代競馬150周年記念の副称を付けて施行。
    • JRA2連福対象競走に指定。
    • 出走馬選定方法が変わり、レーティングで上位5頭に優先出走を認める。
    • 今上天皇・皇后美智子が臨席、7年ぶりの天覧競馬。
  • 2014年(平成26年)
    • 「JRA60周年記念」の副称を付けて施行[4]
    • トライアル制を確立し、指定した競走の1着馬に優先出走権を付与。

歴代優勝馬[編集]

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1937年12月3日 ハツピーマイト 牡3 2:48 1/5 新井朋次郎 秋山辰治 竹中久蔵
第3回 1938年11月3日 ヒサトモ 牝4 3:35 2/5 中島時一 中島時一 宮崎信太郎
第5回 1939年11月3日 テツモン 牡4 3:24 4/5 保田隆芳 尾形景造 松山隆郎
第7回 1940年11月17日 ロツキーモアー 牡4 3:27 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 真藤慎太郎
第9回 1941年11月2日 エステイツ 牡4 3:24 3/5 田中康三 尾形景造 川内安忠
第11回 1942年11月1日 ニパトア 牝4 3:34 4/5 新屋幸吉 清水茂次 山本文吾
第13回 1943年11月7日 クリヒカリ 牡4 3:26 3/5 小西喜蔵 田中和一郎 栗林友二
第16回 1947年11月17日 トヨウメ 牡4 3:44 2/5 小林善衛 鈴木信太郎 中村正行
第18回 1948年11月23日 カツフジ 牡5 3:30 0/5 近藤武夫 伊藤勝吉 伊藤由五郎
第20回 1949年11月3日 ニユーフオード 牡4 3:25 1/5 保田隆芳 小川佐助 吉木三郎
第22回 1950年11月3日 ヤシマドオター 牝4 3:28 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 小林庄平
第24回 1951年11月11日 ハタカゼ 牡4 3:24 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 癸生川善松
第26回 1952年11月16日 トラツクオー 牡4 3:24 4/5 小林稔 久保田金造 岩本政一
第28回 1953年11月15日 クインナルビー 牝4 3:23 0/5 境勝太郎 石門虎吉 高橋虎男
第30回 1954年11月21日 オパールオーキツト 牝4 3:33 2/5 中村広 稲葉幸夫 三坂成行
第32回 1955年11月20日 ダイナナホウシユウ 牡4 3:24 4/5 上田三千夫 上田武司 上田清次郎
第34回 1956年11月25日 ミツドフアーム 牡5 3:22 3/5 保田隆芳 尾形藤吉 草柳留三
第36回 1957年11月23日 ハクチカラ 牡4 3:29 3/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第38回 1958年11月23日 セルローズ 牝4 3:24 4/5 石毛善衛 柴田恒治郎 戸谷佐治
第40回 1959年11月23日 ガーネツト 牝4 3:24.5 伊藤竹男 稗田敏男 畑江五郎
第42回 1960年11月23日 オーテモン 牡5 3:27.1 野平好男 田中和夫 永田雅一
第44回 1961年11月23日 タカマガハラ 牡4 3.25.8 加賀武見 小西喜蔵 平井太郎
第46回 1962年11月23日 クリヒデ 牝4 3:27.4 森安弘明 大久保房松 栗林友二
第48回 1963年11月23日 リユウフオーレル 牡4 3:22.7 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第50回 1964年11月23日 ヤマトキョウダイ 牡4 3:21.7 梶与四松 稲葉幸夫 門井みち
第52回 1965年11月23日 シンザン 牡4 3:22.7 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第54回 1966年11月3日 コレヒデ 牡4 3:24.2 保田隆芳 尾形藤吉 千明康
第56回 1967年11月23日 カブトシロー 牡5 3:25.5 久保田秀次郎 久保田彦之 (有)志賀
第58回 1968年11月23日 ニットエイト 牡4 3:20.3 森安弘明 矢倉玉男 太田和芳郎
第60回 1969年11月30日 メジロタイヨウ 牡5 3:33.0 横山富雄 八木沢勝美 北野豊吉
第62回 1970年11月29日 メジロアサマ 牡4 3:24.8 池上昌弘 保田隆芳 北野豊吉
第64回 1971年11月28日 トウメイ 牝5 3:23.7 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第66回 1972年11月26日 ヤマニンウエーブ 牡5 3:23.7 福永洋一 中村覚之助 土井宏二
第68回 1973年11月25日 タニノチカラ 牡4 3:22.7 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第70回 1974年11月24日 カミノテシオ 牡4 3:22.4 加賀武見 高橋英夫 保手浜正康
第72回 1975年11月23日 フジノパーシア 牡4 3:28.8 大崎昭一 柴田寛 真田繁次
高橋金次
第74回 1976年11月28日 アイフル 牡5 3:20.6 嶋田功 仲住芳雄 藤本義昭
第76回 1977年11月27日 ホクトボーイ 牡4 3:22.5 久保敏文 久保道雄 森滋
第78回 1978年11月26日 テンメイ 牡4 3:21.4 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第80回 1979年11月25日 スリージャイアンツ 牡4 3:33.5 郷原洋行 矢倉玉男 松岡正雄 他2名
第82回 1980年11月23日 プリテイキャスト 牝5 3:28.1 柴田政人 石栗龍雄 高田久成
第84回 1981年10月25日 ホウヨウボーイ 牡6 3:18.9 加藤和宏 二本柳俊夫 古川嘉治
第86回 1982年10月31日 メジロティターン 牡4 3:17.9 伊藤正徳 尾形盛次 メジロ商事(株)
第88回 1983年10月30日 キョウエイプロミス 牡6 3:22.7 柴田政人 高松邦男 松岡正雄
第90回 1984年10月28日 ミスターシービー 牡4 1:59.3 吉永正人 松山康久 (株)丸沼温泉ホテル
第92回 1985年10月27日 ギャロップダイナ 牡5 1:58.7 根本康広 矢野進 (有)社台レースホース
第94回 1986年10月26日 サクラユタカオー 牡4 1:58.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第96回 1987年11月1日 ニッポーテイオー 牡4 1:59.7 郷原洋行 久保田金造 山石祐一
第98回 1988年10月30日 タマモクロス 牡4 1:58.8 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株)
第100回 1989年10月29日 スーパークリーク 牡5 1:59.1 武豊 伊藤修司 木倉誠
第102回 1990年10月28日 ヤエノムテキ 牡5 1:58.2 岡部幸雄 荻野光男 (有)富士
第104回 1991年10月27日 プレクラスニー 牡4 2:03.9 江田照男 矢野照正 田島栄二郎
第106回 1992年11月1日 レッツゴーターキン 牡5 1:58.6 大崎昭一 橋口弘次郎 (株)日本ダイナースクラブ
第108回 1993年10月31日 ヤマニンゼファー 牡5 1:58.9 柴田善臣 栗田博憲 土井肇
第110回 1994年10月30日 ネーハイシーザー 牡4 1:58.6 塩村克己 布施正 (株)大丸産業
第112回 1995年10月29日 サクラチトセオー 牡5 1:58.8 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第114回 1996年10月27日 バブルガムフェロー 牡3 1:58.7 蛯名正義 藤沢和雄 (有)社台レースホース
第116回 1997年10月26日 エアグルーヴ 牝4 1:59.0 武豊 伊藤雄二 (株)ラッキーフィールド
第118回 1998年11月1日 オフサイドトラップ 牡7 1:59.3 柴田善臣 加藤修甫 渡邊隆
第120回 1999年10月31日 スペシャルウィーク 牡4 1:58.0 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第122回 2000年10月29日 テイエムオペラオー 牡4 1:59.9 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第124回 2001年10月28日 アグネスデジタル 牡4 2:02.0 四位洋文 白井寿昭 渡辺孝男
第126回 2002年10月27日 シンボリクリスエス 牡3 1:58.5 岡部幸雄 藤沢和雄 シンボリ牧場
第128回 2003年11月2日 シンボリクリスエス 牡4 1:58.0 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第130回 2004年10月31日 ゼンノロブロイ 牡4 1:58.9 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第132回 2005年10月30日 ヘヴンリーロマンス 牝5 2:00.1 松永幹夫 山本正司 (有)ノースヒルズマネジメント
第134回 2006年10月29日 ダイワメジャー 牡5 1:58.8 安藤勝己 上原博之 大城敬三
第136回 2007年10月28日 メイショウサムソン 牡4 1:58.4 武豊 高橋成忠 松本好雄
第138回 2008年11月2日 ウオッカ 牝4 1:57.2 武豊 角居勝彦 谷水雄三
第140回 2009年11月1日 カンパニー 牡8 1:57.2 横山典弘 音無秀孝 近藤英子
第142回 2010年10月31日 ブエナビスタ 牝4 1:58.2 C.スミヨン 松田博資 (有)サンデーレーシング
第144回 2011年10月30日 トーセンジョーダン 牡5 1:56.1 N.ピンナ 池江泰寿 島川隆哉
第146回 2012年10月28日 エイシンフラッシュ 牡5 1:57.3 M.デムーロ 藤原英昭 平井豊光
第148回 2013年10月27日 ジャスタウェイ 牡4 1:57.5 福永祐一 須貝尚介 大和屋暁
第150回 2014年11月2日 スピルバーグ 牡5 1:59.7 北村宏司 藤沢和雄 山本英俊
第152回 2015年11月1日 ラブリーデイ 牡5 1:58.4 浜中俊 池江泰寿 金子真人ホールディングス(株)
第154回 2016年10月30日 モーリス 牡5 1:59.3 R.ムーア 堀宣行 吉田和美

※第104回はメジロマックイーンが1位で入線したがスタート直後に斜行、最下位(18位)入線のプレジデントシチーの進路を妨害したとして審議の結果、最下位(18着)に降着処分、2位に入線したプレクラスニーが繰り上がりで1着、優勝となった(参考:メジロマックイーンの走破時計 2:02.9)。

天皇賞の記録[編集]

  • 天皇賞(春)
    • レースレコード - 3:13.4(第133回優勝馬ディープインパクト)
    • 2着との最大着差 - 大差(17馬身・第57回優勝馬ヒカルタカイ)
    • 単勝最高支持率 - 75.3%(第133回ディープインパクト・単勝1.1倍)
  • 天皇賞(秋)芝2000m変更後
    • レースレコード- 1:58.0(第120回優勝馬スペシャルウィーク・第128回優勝馬シンボリクリスエス)
    • 2着との最大着差 - 5馬身(第96回優勝馬ニッポーテイオー)

天皇賞の(春・秋)連覇[編集]

競走馬[編集]

勝ち抜け制度が廃止された1981年以降に5頭が春・秋両競走の制覇をしている。またテイエムオペラオーは春・秋・春と天皇賞3連覇を成し遂げた。

馬名 性齢 優勝回
1 タマモクロス 牡4 春・第97回
秋・第98回
2 スーパークリーク 牡4
牡5
秋・第100回
春・第101回
3 スペシャルウィーク 牡4 春・第119回
秋・第120回
4 テイエムオペラオー 牡4 春・第121回
秋・第122回
牡5 春・第123回
5 メイショウサムソン 牡4 春・第135回
秋・第136回

騎手[編集]

創設年から6人、7例の天皇賞(春・秋)連覇があり、武豊・和田竜二は春・秋・春の3連覇を成し遂げている。

名前 騎乗馬 優勝回
1 保田隆芳 ハクズイコウ
コレヒデ
春・第53回
秋・第54回
2 郷原洋行 カシュウチカラ
スリージャイアンツ
春・第79回
秋・第80回
3 吉永正人 モンテファスト
ミスターシービー
春・第89回
秋・第90回
4 南井克巳 タマモクロス 春・第97回
秋・第98回
5 武豊 イナリワン 春・第99回
スーパークリーク 秋・第100回
春・第101回
6 武豊 スペシャルウィーク 春・第119回
秋・第120回
7 和田竜二 テイエムオペラオー 春・第121回
秋・第122回
春・第123回

調教師[編集]

創設年から8人、9例の天皇賞(春・秋)連覇があり、岩元市三は春・秋・春の3連覇を成し遂げている。

名前 管理優勝馬 優勝回
1 田中和一郎 トキノチカラ
ロツキーモアー
春・第6回
秋・第7回
2 グランドライト
クリヒカリ
春・第12回
秋・第13回
3 尾形藤吉 ハクズイコウ
コレヒデ
春・第53回
秋・第54回
4 小原伊佐美 タマモクロス 春・第97回
秋・第98回
5 伊藤修司 スーパークリーク 秋・第100回
春・第101回
6 境勝太郎 サクラチトセオー
サクラローレル
秋・第112回
春・第113回
7 白井寿昭 スペシャルウィーク 春・第119回
秋・第120回
8 岩元市三 テイエムオペラオー 春・第121回
秋・第122回
春・第123回
9 高橋成忠 メイショウサムソン 春・第135回
秋・第136回

父仔制覇[編集]

過去に5組の父仔制覇の例があり、メジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーンは親仔三代天皇賞制覇をしている。

父馬名 優勝回 仔馬名 優勝回
1組目 シーマー 春・第17回 タカオー 春・第31回
2組目 シーマー 春・第17回 ダイナナホウシユウ 秋・第32回
3組目 メジロアサマ 秋・第62回 メジロティターン 秋・第86回
4組目 シンザン 秋・第52回 ミホシンザン 春・第95回
5組目 メジロティターン 秋・第86回 メジロマックイーン 春・第103回
春・第105回

母仔制覇[編集]

過去にトウメイ・テンメイのみが母仔天皇賞制覇を達成している。

母馬名 優勝回 仔馬名 優勝回
1組目 トウメイ 秋・第64回 テンメイ 秋・第78回

兄弟制覇[編集]

過去に4組の兄弟制覇の例がある。以下は母馬から見た兄弟に限る。

兄馬名 優勝回 弟馬名 優勝回 母馬名
1組目 クリペロ 春・第41回 クリヒデ 秋・第46回 ケンタツキー
2組目 コレヒサ 春・第47回 コレヒデ 秋・第54回 コリオプシス
3組目 フジノパーシア 秋・第72回 スリージャイアンツ 秋・第80回 チエクイン
4組目 モンテプリンス 春・第85回 モンテファスト 春・第89回 モンテオーカン

脚注[編集]

  1. 当時の鳴尾競馬場札幌競馬場、御賞典施行初期の池上競馬場、御賞典施行初期と後期の函館競馬場のコース形態は「土」コースであり「ダート」ではない。
  2. 「日刊競馬」編集部のTwitter
  3. JRA一般職員のTwitterアカウントの発言より
  4. 競走成績(平成26年第4回東京競馬第9日)PDF  - 日本中央競馬会、2014年11月3日閲覧

関連項目[編集]

天皇賞(春)[編集]

天皇賞(秋)[編集]

中央競馬グレードワンレース
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正式に認定されていた八大レース 皐月賞東京優駿菊花賞桜花賞優駿牝馬天皇賞(春・秋)有馬記念
八大レースと同格として扱われる場合があったレース ジャパンカップ
関連項目 中央競馬クラシック三冠
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